第4話 自分に自信のある男は扱いづらいのです


「はぁ……」


 そりゃあジードに女として魅力がないって言われちゃうよ。神経質そうなギルバートに嫌がられちゃうよ。

 それでジードを惚れさせようとかどれだけ図々しいのよ私。まず鏡を見てからそんなこと考えろっていうの。


 とにかく、このままじゃいけない。

 特殊な性癖をお持ちの方以外、不潔な女を好きだという男はいない。女の子からはいい匂いがするものだと思ってる男は多いんだから。

 よし、まず最初に前髪を切ろう。

 なんだってこんなに鬱陶しい長さまで伸ばして……あ、そうだ。

 他人が自分を嫌っているのがわかる黒い棒を見るのがつらくなって、それで少しでも視界が狭くなるように前髪を伸ばしていたんだった。

 まだはっきりと思い出せないけど、容姿についても自信を失う出来事が何かあった気がする。幼いころからぽっちゃりしてたし。

 セレナ……私もつらい思いをしてきたのかな。だからって他人をいじめちゃいけないけど。

 部屋にあったハサミで前髪を切っていくと、きつそうな目元ときれいなすみれ色の瞳があらわになった。

 ついでにぼさぼさで左右がつながりかけてた眉も整える。

 あら。

 顔立ちは悪くないじゃない。吹き出物がなくなってもうちょっとむくみが取れればきれいと言って差し支えないくらいになるはず。

 セレナってとことん不器用だったんだなあ。

 負の感情が見えるならそれを利用してもっと上手く立ち回ればよかったし、どうせみんなに嫌われているとヤケになってないで容姿も磨けばよかったんだよ、素材はいいんだから。

 でも、それは芹奈の記憶を思い出した今だからそう思えるのかもしれない。

 なんにしろ、過去より未来。私は死にたくない。

 次はお風呂だ。

 メイドを呼ぶために、ベッドサイドに置いてあったベルを手に取る。


 チリン


 ……しばらく待っても反応がない。

 この鈴も魔道具で、すぐ近くにあるメイドたちの待機部屋の鈴が連動して鳴るようになってるんだけど。

 聞こえなかったのかな? もしくはトイレにでも行ってた? 少し待ってもう一度鳴らしてみよう。


 チリンチリン


 ……。

 しばらく待ってもやっぱり誰も来ない。そっかぁ。


 チリチリチリチチチチチチリーン!


「はい! お呼びでしょうか!」


 明らかにイラついた声で、アンとは別のメイドが入ってくる。

 二十代半ばくらいの気の強そうなこのメイドも、例にもれず左胸の黒い棒が上限近くまで長い。

 名前は、えーと……思い出した、マリーだ。


「マリー、アンは?」


「休憩に入っております」


「そう。お風呂に入りたいの。準備をしてくれる? それから爪切りと刺激の少ない化粧水の準備も」


「……かしこまりました」


 意外そうな顔をするマリー。

 お風呂に入るのがそんなに意外?


「入浴のお手伝いもいたしますか」


 セレナは同性であっても他人に体を見られるのが嫌だったんだよね。

 身だしなみを整えられるのも嫌ってた。馬鹿にされてると思っていたから。


「いいえ、それはいいわ。ところで、私が前回お風呂に入ったのっていつだったかしら」


「一週間ほど前になるかと思います」


 わーお。


「そう。これからは毎日入るから、夕食後毎日準備してちょうだい」


「承知いたしました」


「じゃあお願いね」


 そう言って、私はソファに腰かけ、本を読み始めた。


「……?」


 また意外そうな顔。

 なんで呼んだのにすぐ来ないの! って文句言ってほしかったの?

 言わないよ。次も来るのが遅かったら軽く注意するつもりだけど。

 怪しいものでも見るような視線をチラリと寄越して、マリーは浴室へと消えていった。

 ここまで家中の人間に嫌われてる人ってなかなかいないよねー。

 しばらくそのまま待っていると、マリーが「準備が整いました」と声をかけてきた。


「ありがとう」


 そう声をかけると、マリーはあからさまに驚いた顔をした。

 うんうん、セレナにお礼を言われたことなんてなかったんでしょう? 知ってる。

 マリーの黒い棒も少しだけ縮む。よしよし順調。


 脱衣所に入り、服を脱いで大きな鏡の前に立ち、ため息をつく。

 うん、やっぱりくびれがない。下腹ポッコリ。

 もろにお腹周りにお肉がつくタイプで、顔や膝下はあまり太ってる感じはしないけど。

 唯一の自慢である胸を強調するような服ばかり着てたけど、それもくびれたウエストがあってこそその真価を発揮できる。

 というわけでダイエットしよう。

 男は視覚で恋をするって言うからね。女よりも、男は見た目に弱いんだから。

 顔のつくりは結構いい感じなんだから、あとは吹き出物と浮いた脂をどうにかすればわりとイケるはず。

 待ってなさい色男。


 まずはベトベト頭をどうにかしよう。

 シャンプーのようなものはもちろん見当たらないので、唯一置いてある固形石鹸を泡立てて頭を洗う。はあー気持ちいい。頭皮が生き返る~。

 でもリンス的なものがないのは困ったなあ。

 石鹸シャンプーって、リンスがないと髪がギッシギシになるんだよね……。弱アルカリ性の石鹸でキューティクルが開いちゃうから。そのために酸性のリンスが必要なんだけど。

 酢は匂いが気になりそうだからレモンを使ったリンスにするかー。セレナはレモンが好きだったから厨房にあるはず。次回から用意しよう。

 そういえば前世でも石鹸シャンプーに挑戦したことがあったな。見事に挫折したけど。

 パーマやカラーリングを繰り返したアラフォーの髪には耐えられなかったみたいで、石鹸シャンプー用のリンスもちゃんと使ったのに傷んでるような見た目になってしまったんだよね。

 普通のシャンプーより髪にいいというし、継続して使えばいい効果が出たのかもしれないけど。


 きしむ髪から泡を洗い流してタオルで包み、別のタオルで石鹸を泡立て、体を洗う。

 今日はスッキリしたいからタオルで洗ったけど、明日からは肌に負担をかけないよう手で洗おう。セレナも芹奈と同じく肌が弱いようだから、タオル使用は週一くらいに。

 頭と体がスッキリしたところで、花びらの浮いた湯船につかる。

 はぁ~極楽極楽。

 こんな気持ちいいものを嫌いだなんて、どうかしてるわセレナ。

 あ、そうそうダイエット。

 昨日出てきた食事は結構コッテリしたものだったし、あとで食事内容を変えてもらおう。

 炭水化物抜きは効果が出るのは早いけどリバウンドも激しくなりがちだから、少なくする程度にして、あとは野菜とタンパク質を多めに。間食はしばらく我慢。

 それから運動。

 無酸素運動はプランクと腹筋をメインに筋トレ、有酸素運動は、まあ広いし庭の散歩でいいや。

 生理が終わったばかりだし、ちょうど痩せやすい時期のはず。

 がんばれ、私。



 翌日は筋トレと長めの散歩に勤しみ、その翌日。

 地下を訪ねようと部屋を出ると、またギルバートとはちあわせした。部屋が近いとはいえよく会うなあ。

 彼は私を見た途端、あからさまに嫌そうな顔をした。

 いつも条件反射のように私を見るなり嫌な顔をするので、いい加減笑いそうになってくる。


「おはようギルバート」


「……おはようございます」


 不審なものでも見るように私を見るギルバート。

 でも挨拶は返してくれた。


「何かいつもと違いますね」


「そればっかりね。また私が何か企んでると?」


「そうではなく、外見的な……。前髪が短くなっているし、それに風呂に入りましたか?」


 昨日はレモンリンスもしたから髪は結構サラサラなんだよね。さすが十代の髪はきれいだわ。

 悪臭も強い香水の匂いもしないだろうし、脂も浮いてない。前髪も切った。

 ここまでやればそりゃ気づくよね。

 しかも服装も胸元があまり開いてないワンピースだし。


「ええ、昨夜。一昨日も入ったわ」


「姉上が二日連続で風呂に? 僕が言ったことを気にして……?」


 少しバツが悪そうな顔をする。

 あら、かわいいところもあるじゃない。

 私から見ればこれくらいの子なんてチビッコみたいなものだもんね。そう考えればかわいいかわいい。


「そうね、弟に汚物扱いされたのがショックだったから」


 少し寂しそうな微笑を浮かべる。

 もちろん演技。

 ギルバートの顔に動揺が走る。


「……っ、汚物扱いをしたつもりはありません。それに姉上は今まで僕にもっとひどいことを言ってきたじゃありませんか。ちょっと何か言われたからって被害者みたいな顔をしないでください」


「そうね。あなたの言う通りだわ」


 ごめんね、という言葉は飲み込んだ。

 ギルバートのセレナに対する嫌悪感はまだ高い。謝罪をしても素直に受け取ってもらえないかもしれない。

 いずれ謝罪はしなければと思っている。ギルバートにもジードにも、使用人たちにも。

 でも変化は少しずつ見せなければならない。あまり劇的だと不審に思う人も出てくる可能性があるから。


「最近の姉上は変です」


 この通り弟は訝しんでるし。


「大人になろうとしてるのよ。言ったでしょう」


「……」


「じゃあ私はこれで」


 彼に背を向け、階段のある方に向かう。

 濃紺の髪がさらりと揺れた。

 ほらほら、つい先日までのベタベタじゃないでしょ? 遠慮なく見とれておきなさい少年。

 弟だから恋愛感情は関係ないけど、性格の悪い不潔な姉じゃなくなったことはアピールしておかなければ。

 ひとまずこっちは嫌悪感が上限に達しないよう気をつけて夏休みを乗り切ればなんとかなる、はず。……たぶん。これ以上嫌われさえしなければ。

 問題はジード。あのむかつく色男。

 惚れさせる! なんて決意したけど、ほんとにできるのかなあ……。


 深呼吸して地下室のドアを開ける。

 ベッドに寝転がっていたジードが、こちらを見て口元に笑みを浮かべる。その目は少しも笑っていないけれど。


「今日は拷問か? 懐柔か?」


「懐柔よ。背中に傷薬は塗れた?」


「届かねぇよ」


「あら、体が硬いのね」


 ジードが鼻で笑う。黒い棒に変化はない。

 「戦士なのに体が硬いのね」とでも言っていたら、たぶん黒い棒が伸びたんだろう。

 ジードは戦士であることに誇りを持っているから、そこだけはいじらないようにしなきゃ。


「おっしゃる通り体が硬いんだ。だからあんたが塗ってくれよ」


 ……何を考えてるの?

 言われなくても塗ってあげるつもりで来たけど、ジードから言い出すなんて。


「いい子にしてるなら塗ってあげるわ」


 いい子とか言っちゃう自分が痛々しい。

 でも仕方がない。拷問した男相手に今さら心清らかな乙女みたいなふるまいはできないんだから、もう悪女キャラでいくしかない。


「俺はずっといい子だろう? ほら」


 そう言いながら、ジードは私に背中を向ける。

 手が自由になった大柄な戦士なんて怖くて仕方がないけど、隷属の首輪があるから私に手出しはできない。

 怖がっている様子を見せては駄目。相手に主導権を握られる。

 私はベッドの端に腰掛けると、傷薬を手に取った。


「傷、少し化膿しちゃってるわね」


 指先に薬をつけ、塗っていく。ジードがわずかに身じろぎした。


「誰のせいだと思ってんだ」


「私のせいね」


「はっ、よくわかってるじゃないか。それにしても、今日はいい匂いがするな。鼻が曲がりそうな香水もやめたようだし」


「弟に汚いって言われちゃったから」


 なんとなく、ジードが笑みを浮かべた……気がした。見えないけど。

 この男、自分が「女として魅力がない」と言ったから私が頑張ったと思ってるんでしょう。

 でも、そう思われるのは良くない。

 こういういかにもモテてきた自信満々な男は、簡単に自分の思い通りになる女には興味を示さない。


「あなたの言葉のせいだと思った?」


「そうかもな」


 今度は私が鼻で笑う。

 そして背中の傷に薬を強めに塗り込んだ。


「っ!」


「私は私の考えで自分を変えることにしたの。自惚れる男は嫌いよ」


 傷口から手を離す。

 人に痛みを与えることに対して躊躇いがなくなっている自分が怖い。


「でもあなたの言葉が少しも響かなかったわけじゃないわ。だらしない私のままじゃあなたも忠誠どころか敬う気にもなれないだろうし。学園にいる憧れの人にも……いえなんでもないわ」


 いかにも追われるよりも追うほうが好きそうなこの男に、好きな人がいるアピールをするのも忘れない。

 今は追うどころか興味もない、むしろ殺したい女なんだけどね。私がジードに男として興味を抱いたから変わっていくのだと思われるのだけは避けなければならない。

 それに、実際にセレナには好きな人がいた。決して手の届かない憧れの人、第二王子殿下。

 彼はすでに聖女姫香とほぼ恋人と言えるほどの仲だけど。


「憧れの人、ね」


 面白がっているような、探るような顔。


「あなたには関係のない話よ。気にしないで」


 ぬるぬると、背中に薬を塗っていく。

 ゆっくりと優しく。


「……くすぐったいんだが」


「丁寧にやらないと痛いでしょう。もう少しだから我慢して」


 一度背中から手を離して薬を指につけ、再び塗る。

 またぬるぬると優しく塗っていると、ジードが振り返って私の手を取った。


「誘ってるのか?」


 すぐ近くにジードの男らしく整った顔。でも、今日の私はのけぞらない。

 かわりに挑発的な笑みを浮かべる。


「なぜそういう話になるのかわからないわ。数分前に自惚れる男は嫌いだと言ったのを忘れた?」


「へえ、俺はてっきり気が変わったのかと思ったよ」


「あなたの勘違いよ。薬を塗ってと言ったのはあなたでしょう。無礼な言動は許さないわ」


 怒るかな? と思ったけど、ジードは笑みを浮かべた。

 そして武骨な指で私の手の甲を優しくなでる。

 ……この男。


「どれくらいで隷属の首輪が発動するか試してるの? なら教えてあげる。今よりも強い力で私の動きを制限するとその力の強さに応じて段階的に発動するわ。もちろん、私を殺そうとすれば最も強い力が発動して、あなたの首が吹っ飛ぶ」


「……ご親切にどうも」


 ジードが手を離す。

 首輪の制限を試したというのもあるだろうけど、私を誘惑してきた。

 私がジードに惚れれば逃げることも可能だと思われた?

 ジードの年齢は二十三歳。十代の世間知らずの小娘なんて手玉にとれると思われているのかもしれない。

 私の中身の年齢はジードの一回り以上年上なんだけどね。


「今日はこれで帰るわ。もう勝手に私に触らないで」


「承知しました、お嬢様」


 喉の奥でジードが笑う。

 憎らしいのにかっこいい。くっ。


「じゃあ」


 まっすぐに扉に向かって、振り返らずに地下室から出る。

 少し歩いたところで、私は大きく息を吐いた。


 はぁ……何、あの手の触り方。危うく乙女のように頬を染めるところだった。

 危険な男なんて別に好きじゃないんだけどなあ。その一方でジードの見た目が私の好みのど真ん中すぎるのが困る。

 でもこれは惚れたら負けのゲーム。命がけなんだからしっかりしなきゃ。恋愛脳になってる場合じゃない。

 明日からまたがんばろう……。

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