第5話 筋トレは人のいないところでやりましょう


 ジードの背中に傷薬を塗りたくったその日から十日間、私は彼に会いに行かなかった。

 その代わり、彼の境遇を改善するよう使用人に指示を出した。

 具体的には、清潔なシーツや服、歯ブラシやタオル、暇つぶし用の本なども差し入れ、体を清潔に保つためにタライに入れたお湯を毎日与え、トイレの仕切りもしっかりとしたものにして、食事内容も改善した。

 使用人はジードを怖がってその役割をかなり嫌がっていたけど、使用人がジードに危害を加えられることはない。

 首輪の作用で、彼が「あるじ(私)側の人間」と認識している人には危害を加えることも人質にすることもできないから。それでも彼を怖いと思う気持ちはわかるけど。

 ジードは特に暴れることもなく静かに過ごしていたという。彼はたぶん馬鹿じゃない。無意味に暴れたりはしないだろう。

 彼が何か事を起こすときは、……私が死ぬとき? 怖い……今はあまり考えないようにしよう。



 彼に会いに行かなかった十日間、私は魔法石の取り寄せや買い物、ダイエットに励んでいた。

 ギルバートはそんな私を不思議そうに見ていた。でも、彼の黒い棒は少しずつだけど縮んでいる。まだ安全圏とは言い難いけど、彼の負の感情が減ってきているのは素直にうれしい。

 

 久しぶりに地下を訪れると、ジードは少し驚いた顔をした。


「何日ぶりだ? もう奴隷に興味がなくなったのかと思ったよ」


 ここに来なかったのは他にやることがあったからという理由もあったし、……作戦でもあった。

 毎日拷問だの懐柔だのしに来ていた私がぱったり来なくなったら、それが何故なのか気になったでしょうね。 

 奴隷に飽きたのか? 興味がなくなったから手放すつもりか? 自信満々に振舞いすぎて怒りを買ったのか?

 その割には使用人を通じてあれこれ環境改善をしてくる。


 私という人間が読み切れず、私のことを何度も考えたはず。


 でも、そんな自分をいやらしいとも思う。

 ジードが私のことを考えたとしても、それは女性として、仕えるべき主人候補として興味があるからじゃない。

 この部屋から出られないジードにとっては、あるじである私の動向が自分の運命を左右する。そんな立場の弱いジードに対して駆け引きで会いにこなかったんだから。

 それでも、ジードに私のことを考えさせる時間は必要だった。

 彼の心の中に私という存在を根付かせるために。

 駆け引きの効果は、実際にあったんだろう。彼の黒い棒は、私を見た瞬間に縮んだんだから。

 ギルバートのものよりもさらに短くなった。

 でも、なんだかモヤッとする。自分に対して。

 ……ううん、そんなこと考えてる場合じゃない。命がかかってるんだから。


「あなたに私の護衛騎士になってほしいという気持ちに変わりはないわ。色々やることがあって忙しかっただけ」


「へえ。たとえば体重を落とすとか? 以前より痩せてるな。特に腰まわり」


 ジードも気づくほどなんだ。

 さすが十代、ゆるやかな食事制限と有酸素運動、筋トレの効果が出るのが早い。

 前世では年齢を重ねるごとに体重が落ちづらくなっていたけど、若いって素晴らしい。ほんのちょっとだけくびれが出てきた。まだ細いというにはほど遠いけど、なかなか順調。


「女性に体型のことを言うのは不躾よ」


「褒めただけだよ」


 じゃら、と彼の足の鎖が鳴って、彼が立ち上がる。

 私の近くまで歩いてきて、止まった。その場所が彼が動ける限界。これ以上は鎖が邪魔してこちらに来られない。


「肌も以前よりきれいだ」


 口元にうっすらと笑みを浮かべる。

 赤い瞳が私をまっすぐにとらえて落ち着かない。

 この男は自分が魅力的だということを十分に知っている。その魅力をどう使うべきなのかも。

 でも、甘い。

 甘いわ若者め。

 こういうフェロモン放出型マッチョは、夢見るお年頃の恋愛経験のない子にはその男くさい色気が重すぎるの。

 実際、セレナの好みは絵本にでも出てきそうな儚げな美青年なんだから。

 とはいえ、今のセレナの中身はアラフォー女。フェロモン放出型マッチョは大好きです。

 見せるための筋肉じゃないのがいいんだよね。しなやかさもあって、鍛え上げたというのがぴったりな……ってイカーン!


「お褒めいただいて光栄ね。夏休みの間にもっと痩せるつもりよ」


「学園にいる憧れの人とやらに見せるためか?」


「さあ、どうかしらね。いずれにしろ望みは薄いし……」


 とそこで少し寂しげな微笑を浮かべる。

 もちろん演技。


「その男の好みが痩せてる女なのか?」


「彼がそう言ったわけじゃないけど、彼の想い人はほっそりした清楚な人よ」


 それは本当。姫香はそういう容姿だった。セレナとは真逆。


「はっ、好きな男の好みに合わせるなんて馬鹿らしい。しかもそういう見た目を好む男はろくなもんじゃない」


 そういうあんただってどうせくびれた女が好きでしょうが。

 真っ先に体型の変化に気づいたくせに。


「彼のことは別にしても、年頃なんだから魅力的になりたいと思ったの。だからほっといて」


「どうやって体重を落としてるんだ?」


 どうやって?

 なんだかへんなところに食いついてきたなあ。


「パンを少なめ、野菜と肉類を多めにして、あとは長めの散歩と筋トレよ」


「どんな肉を食べるんだ?」


「鳥の肉をよく食べてるわ。特に胸肉とかササミとか。もも肉を食べるときでも皮はとったり」


 美味しいんだけどね、皮。

 あー焼き鳥屋でビール片手に皮とか豚串とか高カロリーなものを思いっきり食べたい。


「筋トレもしてるのか」


「ええ」


 彼は私に向かって手をのばすと、私の二の腕をかるく握った。


「触らないでって言わなかった?」


「筋肉を確かめてるだけだ。が……これくらいだと少し首が絞まるな」


 こうやってこまめに隷属の首輪の効果を確かめているのが怖い。

 どこまでならやっていいかを「いざというとき」のために確かめているみたいで。


「まだたいして筋肉はついてないな」


「そんなに簡単にはつかないし、そもそもあなたみたな筋肉質になるつもりはないわ。お腹まわりを中心に引き締められればいいと思ってるだけ」


「まあ……そうだな」


 そう言いながら、私のお腹あたりを見下ろす。

 失礼でしょ!


「どういう筋トレをしてるんだ?」


「主にプランクと腹筋だけど……」


「プランクってなんだ」


 やけに興味津々。

 この筋肉だし、ジードは筋トレマニアなのかも。


「まずうつ伏せになるの。それから、肘から下の部分とつま先で体を支える。これをしばらくキープするのがプランクよ。体がまっすぐになるように」


「よくわからん。やって見せてくれ」


「私スカートなんだけど。下着が見えちゃうでしょ」


「ガ……若いお嬢さんのパンツなんぞ興味ない」


 今ガキって言おうとしたな!


「新しい筋トレも取り入れてみたいんだ。見えないように頭側にいるから」


「床でやると腕や肘が痛いし」


「じゃあベッドの上でやればいい」


「えー……」


 落としたい男の前で筋トレするってどうなの?

 こういうのは隠れてやって効果だけを見せるものでしょう。

 でも筋トレマニアのジードたっての希望だしなあ……。うーん。


「じゃあちょっとだけよ。頭側にいて」


「ああ」


 私は靴を脱いでジードのベッドに上がってうつ伏せになると、肘から下とつま先で体を持ち上げた。そしてその体勢をキープする。


「なるほど。これがプランクか。これをどれくらい?」


「さ、三十秒から一分くらい……っ」


 きっつー。

 一分になるとほんときついんだよね。

 慣れればもっといけるだろうけど。


「一分? そんなものトレーニングのうちに入らない。せめて二分はやれ」


「あ、あなたじゃないんだから……二分なんて、む、りぃ……!」


 ああーしゃべるとよけいにキツくなる。


「ほらほら、まだ三十秒しかたってないのに震えてるぞ。筋力がないな」


「あなたと、一緒に、しないでっ」


「あと一分二十秒か。二分できたら護衛騎士になることを考えなくもないぞ」


 笑いを含んだ声でジードが言う。

 こういう言い方をするやつは、たとえ私ができたとしても「考えなくもないと言っただけでやるとは言ってない」って言って終わりなんだよね。

 セコいわ!


「くぅ、もう、無理……!」


 ちょうど一分くらいで私はベチャッとうつぶせにつぶれた。

 自分の腕の顔をうずめて、荒い呼吸を繰り返す。


「本当に弱いんだな。驚きだ」


「はぁ、は、ほっといて……」


 また「仕える価値がない」って思われちゃったかな。 

 ジードの好感度ってどうやったら上がるんだろう。今はどれくらいなんだろう。

 黒い棒とある程度は反比例するだろうけど、人間の感情なんて複雑だからなあ。

 嫌いと言いつつ好きなことだってあるし、嫌悪感がなくたって興味がないだけっていうのもあるし。

 どうせなら好感度も見えればよかったのに。

 なんてことを考えてると、ベッドの片側が沈んで、ふっと光がかげった。

 驚いて体を横向きにして見上げると、真上にジードの顔が。

 あれ? これマズい状況?

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