第3話 魅力がないと言われ触るなと言われ


 いろいろと考えすぎて眠れない夜を過ごした翌朝。

 メイドが部屋に朝食を運んできた。

 彼女の名前はなんだっけ。ああ、アンだ。

 朝食をサービングカートから小さなテーブルに乗せていくアンの胸元をじっと見る。小さい黒い棒が見えた。紺色の制服なのに、不思議と黒い棒は浮き上がってはっきり見える。

 そういえばこの黒い棒の上限ってどれくらい? あ、あの黒い棒の右側にうっすらある縦線? アンの嫌悪感、ほぼ上限だわ、はは。

 そりゃそうだよねえ。セレナはこのアンを八つ当たりの道具みたいに扱ってたんだから。

 ビンタしたりお茶をかけたり足をかけたり……。

 申し訳ないことをしたなあ。最低だよセレナ……いや私。

 一生懸命真面目に生きてきた芹奈の来世(?)が性格の最悪なご令嬢だなんて。

 セレナ……私はどこでこんなに性格が歪んじゃったの。

 私はため息をつきながら椅子に座った。


「あ、あの……何か粗相でも……」


 おびえた様子でアンが聞いてくる。ため息はまずかったか。


「なんでもないわ。紅茶を淹れてくれる?」


「は、はい」


 小さく震えながらカップに紅茶を注ぐアン。


「ありがとう」


「えっ!?」


 アンが驚いて、手に持っていたポットを落とす。

 美しい花模様のポットはカーペットの上で無残に割れ、その拍子に私の足に熱い紅茶が少しかかった。


「あつっ……」


「!! も、申し訳ございません!!」


 その場に土下座するアン。

 そして驚くべきことに。

 私の足が、アンの頭を踏みつけようと持ち上がった。


 ――だめ!!

 

 理性が勝利し、足をおろす。

 私は、いったい何を。


「大丈夫よ、たいしてかかっていないから。割れたものを片づけてくれる?」


「……! は、はい。すぐに!!」


 慌てて割れたポットを片付けてカーペットを拭くアンを見ながら、呆然とする。

 私、今何をしようとしたの。アンの頭を踏みつけるのを、ほんの一瞬、当然のように感じていた。

 芹奈は他人に暴力なんて振るったことはなかったのに。

 これがセレナの人格? それが私の中に根付いているの!?

 人格は完全に芹奈だと思っていたのに。……怖い。


「お嬢様、本当に申し訳ございませんでした。おみ足のほうは……」


「本当に大丈夫だから気にしなくていいわ。もう下がりなさい」


 またさっきみたいなことが起きたらと思うと、これ以上彼女と一緒にいるのが怖かった。

  

「はい。失礼いたします」


 アンが深々と頭を下げる。

 左胸にある黒い棒が……少し縮んだ。

 負の感情って案外簡単に下がるものだなあ。今までのセレナがひどすぎたからかな。あの場面で頭を踏みつける女だもんね。それをしなかっただけで下がるなんて。

 ……ひとまず成果は成果として受け止めて、メイドのことは後で考えよう。

 横暴な振る舞いさえしなければ彼女やほかの使用人の黒い棒が伸びることはないはず。

 まず一番やばそうなジードをどうにかしなければ。

 負の感情を上限にしないだけでなく、好感を抱かせろって? 恋心じゃなくてもいいから?

 難しい。

 私はつい昨日までジードにひどい扱いをしていた。

 ジードがこの家に来てまだ一週間だけど、鎖でつないで上半身裸にして手を縛って鞭で打って首絞めて……ってS●女王か!

 昨日は慌てすぎてて黒い棒に気づかなかったけど、上限近くに伸びているに違いない。

 そこから急に彼に好かれるように接する? 急に私が優しくなったら、何か企みでもあるのかと訝しむに違いない。

 だからってこのまま鎖でつないで放置してたらそれこそ負の感情が上限に達するかもしれないし。

 ああーっもう!

 とりあえず様子を見るためにも彼のところに行くしかない。

 ……怖いけど。

 

 地下に降りて部屋に入ると、粗末なベッドに腰かけたジードがじろりと私を睨んだ。

 こっわ……。

 セレナもこんな筋肉質で怖そうな人をよくいたぶれたもんだわ。

 いくら彼が「隷属の首輪」という魔法道具を首にはめられていて、あるじに殺意を向けることができないと知っていたとはいえ。

 そういえば、首輪があるのに嫌悪感が上限に達したときに私を殺すのって可能なの?

 聖女の手紙にあった「怒りの一撃」ってなんだろう。もしかしてゲームみたいに、ヘイトが一定数たまったら出せるリミット技みたいなやつ?


「今日も拷問か? ご苦労なことだな」


 背筋に響くような男らしい色気のある声。

 しかも何、あの体。腕とか胸板とか腹筋とかすごくない?

 セレナの好みは色白で線の細い美青年だったみたいだけど、私は男らしい体つきの人に魅力を……ってちがーう! 私が好きになってどうするの。好きにさせるの!

 危ない危ない、何考えてるのまったく。自分を殺す可能性が多々ある男相手に。平和な日本出身の私には現実感がわかない話だからって、のんきすぎるわ。


「拷問はしないわ」


「は?」


「あら、してほしかったの?」


「……」


 また睨まれる。

 左胸の黒い棒は、っと。うわ、やばい。上限に近い。棒の長さとその右側の縦線から計算するに、もう九十パーセントくらいじゃない。わわわ、死ぬー! 筋肉に見とれてる場合でも憎まれ口をきいてる場合でもない! 


「……奴隷のね、境遇を改善しようと思って」


「なんだと?」


「人として令嬢としてどうなんだろうと反省したから」


「昨日まで俺をいたぶってた女が言うセリフか? 何を企んでる?」


 うわ、黒い棒がじわっと伸びた。わぁぁ死ぬ!

 やっぱり怪しいよね、急に手のひら返したら。

 でもこっちは命がかかってるの!


「じゃあ正直に言うわ。あなたを力で従わせるのは無理だと判断したの」


「はっ、力で従わせるのはやめて俺を懐柔する作戦に出たわけか?」


「そうよ。だから傷の手当てをしてあげる」


 そう言うと、彼は少し驚いた顔をした。

 傷薬の入った箱を手に彼に一歩一歩近づく。

 虎の檻にでも近づいてる気分。彼には「まだ」私を殺せないとわかっていても、怖い。

 彼の隣にすとんと座る。

 後ろ手に縛られている彼の手を見て、ふと疑問に思った。

 こんな風に後ろで縛られて、トイレや食事をどうしてるの?

 トイレは頑張ればズボンくらい下せるかもしれないけど、食事は……。

 ……。

 そりゃあ嫌悪感も上限近くになるよね。


「あなたを懐柔したいから、この手の縄はほどいてあげる」


「それはありがたいな。俺を懐柔したいならこの足の鎖も外してくれよ」


「その鎖も外してしまえば、あなたは逃げるでしょう」


「首輪がある限り逃げられないさ。たとえうまいこと逃げ出したとしても、主の許可なく何日も主と離れていたら死ぬという話だったはずだ」


 怒りの一撃とやらが発動すれば、その首輪だって壊せるんじゃないの? 私を殺すっていうことは。


「あなたの手の縄をほどくのだって色々リスクがあるの。それでもそうするのは、あなたに私の専属護衛騎士になってほしいからよ」


 は、とジードが笑う。


「お断りだ。ここでいたぶられてたほうが百倍マシだ」


 ジードの顔が私に近づく。

 私は思わずのけぞった。


「環境を改善して少し優しくすれば俺があんたに心から仕えるとでも? 俺は誇り高きエドゥアの戦士だ。仕えるべき価値のある者にしか仕えない。あんたにそれだけの価値と魅力があるとでも言うつもりか」


「……」


「あるじとして? 女として? どっちもないな。俺があんたに心を許すことなどない。気に入らないなら俺を殺せばいい」


 ……この男。

 今、私に人間としても女としても魅力がないって言ったな。

 自分がちょっと背が高くてマッチョでイケメンでいい声だからって。ちょっとっていうか完璧だけど。

 だからって許せない。許せないけど、今の私は毒まんじゅう。

 でもね、まんじゅうにだってプライドがあるの。ここまでバカにされて黙っていられない。

 決めた。

 この男、私に惚れさせてみせる。だって好感を抱かせればいいんでしょ? 恋心が一番の近道のはず。

 別に恋愛のプロでもなんでもないけど、前世ではそこそこモテたし恋愛経験も人並みかそれ以上にはある。最後の彼氏にフラれて結婚が完全に遠のいたけど。

 ……むなしい。

 いやいやフラれたのは置いといて、恋愛スキルはそこそこあるんだから、頑張ればなんとかなるかもしれない。たぶん……。

 やっぱり自信がなくなってきた。でもできる限りのことはやってみよう。なんせ命がかかってるんだから。


 私は無言でハサミを取り出す。

 ジードは顔色一つ変えなかった。ちょっとくらい怯えるかと思ったけど、並の根性じゃない。さすが誇り高き戦士。

 そのまま、私はジードの腕を縛っている縄を切った。


「……」


「傷薬と包帯は置いていくから、傷の手当は自分でして」


 目を潤ませながら言う。

 ジードが意外そうな顔をした。

 何が意外なの? あれだけ言われたのに縄を切って傷薬を置いていくこと? それとも悪女が泣きそうな顔をしたこと?

 もし後者ならごめんねぇ。ウソ泣きだから。

 私は何も言わず、ハサミだけ持って部屋を出た。さすがに刃物を持たせておくのは怖いし。

 部屋を出る直前に見た黒い棒。ほんの少しだけ、短くなっていた……ような気がした。

 よし。


 自室に戻ろうと歩いていると、また弟と会った。

 もしかして部屋の場所が近い? ……そうだ、ギルバートの部屋は私の部屋の隣の隣だった。

 ギルバートの胸の黒い棒は、ジードと同じくらい。これでも昨日下がったんだよね?

 彼の怒りや嫌悪感は長年かけて蓄積されたものだろうから、下げるのも容易じゃないかもしれない。


「あらごきげんよう、ギル」


「愛称で呼ぶのはやめてください」


「あらごきげんよう、ギルバート」


「そこから言い直さないでください」


 結局何を言っても気に入らなさそう。

 眉根を寄せて私をじっと見ている。


「昨日から様子がおかしいですね。なぜ嫌味の一つも言わないんですか」


 あー。

 顔を合わせるたびに言ってたよねえ、セレナは。

 相変わらず幸薄そうな顔ねとか性格が悪そうねとかモテなさそうねとか負け犬っぽい顔してるわねとか。

 自分のことはかなり棚に上げる性格らしい、セレナ。


「私ももう大人だから、少し態度を改めようと思って」


「あなたが? 何か悪いものでも食べたんですか。それともまた何か企んでいるんですか」


 まともに振舞おうとすると何か企んでると疑われるセレナ。

 セレナの記憶はまだ一部しか思い出してないけど、全部思い出したらショック死するんじゃない? 私。


「どう思われようと、そう決めただけ。いつまでも子供でいてもいいことはないから」


 じゃあね、と肩に手を置くと、顔をしかめて手を払われた。ひどい。


「ろくに風呂にも入ってない手で触らないでください」


 え!?


「もう大人だというなら、まずは身だしなみをどうにかしたらどうですか」


 ふい、と顔をそらして去っていくギルバート。

 黒い棒に変化はない。

 とりあえず負の感情が高まったりしなかったことにほっとしたけど。

 ろくに風呂にも入っていない!?

 慌てて部屋に入って鏡を見る。

 髪が……なんかベタッとしてる。そういえばかゆい。あと微妙に……くさい? きつい香水の匂いでよくわからなかったけど。

 顔はぽつぽつと吹き出物が出ていて、眉の手入れもまったくされていない。

 爪を見ると、マニキュアもしていないのにのびていて、おまけに爪の先が黒くなってヒィィ


 セレナーーー!

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