第26話 番外編 聖女姫香(後編)
どくん、と心臓が大きく跳ねた。
今、この人はなんて言った?
「知っているんだろう? 父上がいつ死ぬか。それはそう遠い未来じゃないはずだ」
「どうして……」
そう言うのが精一杯だった。
「ああごめん、こんな内容なのに急すぎたよね。お詫びに君が救ったエドゥアの昔話を少ししてあげよう」
「エドゥアですか」
ここでエドゥアの話が出てくることにもヒヤリとする。
私のそんな気持ちを知ってか知らずか……ううん、たぶん知ってて王太子はニコニコしながらクッキーを食べ、お茶を飲む。
「エドゥアは三百年ほど前までは東西に分かれて戦争と和平を繰り返してたんだけど、最終的には東が勝利してエドゥアを統一し、王制国家になった」
「そうなんですね」
「あの国は色々と独特なんだよね。例えば、あそこの王族は皆美しいんだけど、それは王妃が身分より美しさで選ばれるためだ。しかも王や王太子は適齢期になれば一度に五人の王妃を娶る」
「一度に五人ですか……」
私も一口お茶を飲む。緊張して喉が渇いていたから。
オフィリア妃はたしかに美しい方だ。暗めの金色の髪に、なめらかな白い肌、赤にも近い紫の神秘的な瞳。スタイルも思わず見とれてしまうほど。
それにしても、家柄じゃなく容姿で王妃が選ばれるってすごい話。しかも一度に五人って。
「その王妃についてもさらに独特で、王太子となる第一王子を産んだ妃のみが正妃となり王宮に残れるそうだ。残りの妃は三年後、子供の有無に関係なく王宮から出されて有力な家臣の妻になる。王子王女だけ王宮に残してね。このあたりはちょっと気持ち悪い文化だよね」
「……そう思います」
モノじゃないんだから……。
エドゥアでは女性の地位がとことん低いのは分かったけど、なんで王子や王女を産んだ人がそんな扱いになるの。
「まあ気持ち悪さでいけば父上も負けてないけどね」
あはは、と王太子は笑うけど、それに対しては何も返せない。
防音の魔道具があるからって、大胆だなぁ……。
以前から感じていたけど、この人は父親である国王のことが好きじゃないんだと思う。
「正直、あそこの王家は不気味だよ。王家以外は特に変わった国民性というわけでもなく、男尊女卑もひどくないんだけどね。ああ、オフィリア妃の母君も彼女を出産後、エドゥア一の軍人と謳われたヴォルド・アデナイル将軍に嫁いで将軍との間に男児をもうけている。幼いころに将軍にお会いしたことがあるけど、いろんな意味で魅力的な方だったし案外王家を離れた後のほうが幸せだったかもね」
じゃあオフィリア妃には異父弟がいるんだ。
今はどこにいるんだろう。生きてるんだろうか。
そう思った瞬間、頭の中で火花が散った。
――私ジード・アデナイルは、セレナ・ウィンスフォードをあるじとし……
今やセレナの死因候補第一位のジードが、ひざまずいてセレナに忠誠を誓っている未来が見えた。
まだ細い道だけど、未来が開けてきている!
ていうか。
ジード・
「どうしたの、ヒメカ。赤くなったり青くなったりしているけど、何か未来でも見えた?」
「国とは関わりのない個人的な予知です、すみません」
「そっか。個人的なことまで聞き出そうと思わないから安心して。そうそう、エドゥアの不気味王家の話だったね。もうひとつ独特な文化があるんだ。それは、第一王女は嫁がずに神に生涯をささげるんだそうだ」
「信心深い国なんですか?」
「表向きはそうだね。もともとはエドゥアを統一した東側の文化なんだけど、東から西に嫁いだ第一王女が一人だけいるんだ。いや、当時は第一王女とは言わないか。首長の長女かな」
「……? 例外的に嫁ぐこともあるということでしょうか」
「そうだね、私が知る限りではその一度だけだったけど。で、その例外的結婚の約一年後、西の首長が急死した。まだ若かったんだけどね、今の父上よりもずっと」
膝の上に置いた手が、びくりと震える。
ああ、そうか。この人は……。
「首長が死んでゴタゴタしているうちに、東が西に攻め入り東西統一となった。というわけで、エドゥアの昔話をしてみた理由はもうわかったよね」
「……はい」
やっぱり王太子は怖い人だ。
人当たりがいいように見えて、冷酷で計算高い。
でも、そうでなくては王なんて務まらないのかもしれない。
「やっぱりヒメカは賢いね。それに比べて父上の愚かさといったら。長女は嫁がないというのをただの土着文化や宗教的理由と考えて、ほんの三百年前に起こったことすら頭に入れておかないんだから。まあ知っていてもあのオフィリア妃の美しさの前には“たまたま急死しただけ”と思い込んで思考を放棄してしまうのかもしれないね。それゆえの美しさなのかと思うと私はぞっとするよ」
「……」
「具体的な方法までは調べられなかったけど、父上も
「その前に。殿下はオフィリア妃をどうなさるおつもりですか」
「別に何もしないよ? だって……」
王太子の口の端が上がる。
「父上は病死なさるのだから。オフィリア妃は関係ない。そうだろう?」
「……仰る通りです」
「いいね、やっぱり君は賢い。じゃあもう少しだけ君の気持ちを軽くしてあげよう。私は昔から父上が大嫌いだったんだ」
「……」
軽くなるどころか重くなる一方なんですけど。
「正妃である母上を迎えて半年も経たないうちに次々と側室を迎え、弟の出産時ですら側室と過ごしていた色欲男だからね。それで男児を産んだのは母上だけというのも皮肉な話だけど。オフィリア妃に関しても、当初は形だけの側室という話だったのにあの有様だ。夫としてだけでなく王としても平凡以下で、偉大な先王陛下の息子とは思えない」
笑いながらそんなことを言う。
話している内容と表情のギャップが恐ろしい。
「さらにエドゥアの件。厄介な魔獣対策をエドゥアが安定して行ってきたというのに、それを滅ぼしてどうするつもりなんだか。エドゥアで魔獣が増えればわが国にも流れてくるに決まっているのに。魔石の交渉だってもっとやりようがあったろうに、安易に戦争を起こしてしまった」
大きくため息をついて、王太子がお茶を飲み干す。
すっかり冷めてしまって美味しくないだろうに。
魔道具のティーウォーマーの上に乗っているポットからお茶を注いであげると、彼がお礼を言った。
「ごめん、愚痴っぽくなっちゃったね。でも父上が嫌いだから死を待っているわけじゃない。もし父上が長生きしてあと十五年も王位に居座ったら、この国は衰退するだろう。この国は先王陛下の時代に急速に発展したから、今は内政に力を入れなければならないのに、父上はそこの舵取りが下手すぎる。私はこの国を大きくしたいわけじゃない。皆が豊かに安全に暮らせる国を作りたいんだ。エドゥアの民についても、すぐには無理でも全員奴隷身分から解放するつもりだ」
そんな話を信じていいんだろうか。
ああ、でも。
この方の行く道は、光に満ちている。
清廉な人ではない。悪人ではないけれど善人でもない。冷酷な面もある。けれど、この国を思う気持ちだけはきっと誰にも負けないのだろう。
そうでなければ、歴史に名を残す名君となる未来が見えるはずがない。
「国王陛下は」
「うん」
「あとふた月弱で、病死なさいます」
「わかった。ありがとう」
口元にはかすかな笑みが浮かんでいるけれど、視線を伏せた彼の顔には、喜びの感情は見られなかった。
嫌いと言いつつも複雑なのかもしれない。それでも彼は選んだ。父を見捨て、自らが王になる道を。
「それから。来春に、エドゥアの地で魔獣が大量発生します」
「いつかそうなると思ったけど、思ったより早いな。それも対策しよう。表立っての動きは即位してからになるだろうけど。教えてくれてありがとう」
彼が席を立つ。
「父上のことは、私が背負うべき罪だ。具体的な時期以外はすべて知っていたのに、静観してきたんだから。君は何も悪くないし、君が気に病む必要はない」
「……」
「我々が君から故郷を奪った罪は消えないけれど、私が王となれば君がこの世界で幸せになるために全力を尽くすと誓おう。私に願うことがあるなら、なんでも言ってくれ」
私は、無言で頭を下げた。
秋になって国王は亡くなり、オフィリア妃は小さな離宮に移ることになった。
決して大きい宮ではないけれど、湖のほとりの美しい場所なのだという。
私は新王にお願いして、離宮に移る前にオフィリア妃との時間を作ってもらった。
外に護衛はいるけれど、温室の中には二人きり。これに関してもかなりわがままを通した。
「聖女様と二人でお話するのはこれが初めてですね」
「そうですね。遠くからお見かけしたことは何回かありましたけど」
ふわりと笑うオフィリア妃は本当にきれいで、何かもう別の生き物なんじゃないかとすら思う。
「聖女様のおかげで、エドゥアの民は待遇を改善されました。今まで聖女様に近づくことは許されませんでしたが、ようやく直接お礼を申し上げることができます。聖女様、本当にありがとうございました。心より感謝しております」
オフィリア妃が深々と頭を下げる。
「あ、あの、頭を上げてください。それよりも……今日は少しだけお話したくて。お時間をとらせてすみません」
「いいえ、むしろ光栄でございます。しかし、聖女様がわたくしにお話とは……?」
辺りを見回して、周囲に人がいないか一応確認する。
「ジードさんは」
「!」
「弟さんは、お元気です。誓約の指輪をしてはいますが、奴隷ではなくなりました」
「……!」
「今は愛する人の傍にいます。そして、エドゥアの地を魔獣から守る機会を伺っています」
宝石のようなきれいな瞳から、涙がこぼれ落ちる。
彼女が声にならない声でジード、と言った気がした。
「ジードさんは自らの強さで躍進していくでしょう。そう遠くない未来に……お会いになれます」
だから、死なないで。
離宮に行く途中の馬車の中で、毒を飲んだりしないで。
「あの子に会えるのですか。わたくしの弟に」
「はい。ジードさんもそれを願っています」
「ああ……っ」
オフィリア妃が膝からくずれ落ちて、床に手をついて泣く。
私も彼女のそばにしゃがんだ。
ガラスの向こうの護衛がこちらを気にしていたけれど、大丈夫というように手をあげるとまた前を向いた。
「ジードは生きていてくれたのですね。あの子は……ジードは今、幸せですか。愛する人の傍にいるのなら、きっと幸せですよね」
「はい。愛する人のため、エドゥアのため、そしてオフィリア様のために前を向いて進んでいます。だから……だからお願いです。どうか……」
生きて、という言葉は声にならなかった。
頬が濡れる感覚に、自分のいつの間にか泣いていることに気づいた。
「ありがとうございます、聖女様。わたくしの役目はもう終わったと思っていました。でも、わたくしを姉と慕ってくれたジードにもう一度会えるのなら。……待とうと思います」
「はい。是非……」
本当にこれが正しいことなのか? と自分の中から声が聞こえる。
人の運命を捻じ曲げ続け、神にでもなったつもりか、と。
王の死の運命は受け入れたのに、セレナやオフィリア様の死の運命を遠ざける。
それは本当に許されることなのか、と。
でも、私は私の思うようにしかできない。
それが許されないというのなら、いるんだかいないんだかわからない神様が私からこの能力を奪えばいい。
聖女として扱われなくなるだろうけど、もうそれでもいい。
予知はいいことだけが見えるわけじゃない、悪いことも当然見える。
すべての悪い未来を防げるわけじゃなく、予知通りに悪いことが起きるのを何度も見てきた。
自分にもっとできることがあったんじゃないか、常に誰かを見捨てているんじゃないかと、ずっと苦しんできた。
予知能力なんてなくなってしまえばいいと、何度願ったことか。
だけど。
たった今、私の頭の中に浮かんだ、その光景。
身内だけで行われるセレナとジードの結婚式で、幸せそうなセレナと涙を流して喜ぶオフィリア様の未来が見えたから。
やっぱり予知能力があってよかったな、と今だけは思えた。
いるんだかいないんだかわからない神様に、今日だけは感謝しておこう。
嫌われすぎると死ぬそうです ~雑魚悪女は夏休みを生きのびたい~ 星名こころ @kokorohoshina
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