第21話 私は泣き虫ではなかったはずなのですが
しばらく、ジードが黙る。
まだ迷っているんだろうか。
「その前に、少し話がしたい」
「わかったわ」
「立ちっぱなしもなんだから、ベッドに腰かけてくれ。俺は立つから」
「それも悪いわ」
「お嬢様を立たせておくわけにはいかない。頼むから」
「ふふ、わかったわ」
ジードは立ち上がってベッドから少し離れ、私はベッドに腰かけた。
どんな話なのか、ジードの心は決まったのか。
緊張してしまう。
「先日の話。俺の能力について知っていたこと、その能力を恐れて死なないために行動していたこと。それを知ったとき、正直なところショックだった」
「……ええ」
「あんたの弟が言ったように、その優しさも美しさもすべて計算ずくだったのかと思うと、悔しさも感じた」
「……」
視線を伏せる。
ジードの黒い棒はまた伸びているんだろうか?
「だが、あんたとの日々を思い出していくうちに、すべてが計算だったとは思えなくなった。震えながら俺を鎖から自由にしてくれたこと、俺を喜ばせようと木剣をくれたこと。一緒に散歩し、お茶を飲んでくれたこと。他愛のない会話、俺に向けてくれた笑顔。何より俺を奴隷ではなく一人の人間として見てくれたこと。そこに嘘はなかったと俺は思う」
どうしてそんなことを言ってくれるの。
私はずるい女なのに。
胸が苦しくなって、涙が出そうになってしまう。
「だから……俺はあんたが、セレナが好きだ。心底惚れてる」
「……っ」
ぽたぽたと雫が落ちて、自分のスカートを濡らす。
嬉しさも申し訳なさも愛しさもぐちゃぐちゃに入り混じって自分の中で暴れている。
それが涙となって、次々とあふれてくる。
「私は……ずるい女なのよ……?」
「俺だってずるい男だ、お似合いだろう」
「ふ……」
涙をこぼしながら、少し笑ってしまう。
私は今ひどい顔をしているだろう。
「たとえあんたがそれはすべて計算ずくだったと言っても、それはもう信じない。だいたい、ずるいだけの女が危険を冒し父親の反対を押し切ってまで解放しようとするはずがない。俺が怖いだけなら、俺に睡眠薬を盛って売るなり、毒を飲ませるなりいくらでも方法はあるはずだ」
「私は平和主義者なのよ」
「そういうところも愛おしい」
「私も……私もジードが好き」
「ああ、きっとそうだと思ってた」
ジードが微笑む。
その眼差しのやさしさに、嬉しさを感じると同時に申し訳なくなった。
「ごめん、こんなことを言えばあなたを縛ってしまうかもしれないのに」
「それはお互い様だ」
ジードが近づいてきて、私の涙をぬぐう。
その手の優しさに、また胸が苦しくなる。
「これからどうするのか俺の気持ちはもう固まっている。その前にセレナの気持ちを聞けてよかった」
その言葉に、今度は別の意味でドキッとする。
彼はどちらを選ぶんだろう。
告白したのは、私の傍にいることを決めたためなのか、気持ちにけじめをつけて別れるためなのか。
好きだから傍にいるのか、好きだからこそ離れるのか。
ジードがズボンのポケットから何かを取り出し……自分の左手の中指にはめた。
「えっ……」
まさか。
実物は見たことがなかったけど、この指輪は。
座っている私の前にジードが片膝をつき、指輪をはめた手で私の手をとって、自分の額に当てた。
「ジード!?」
「私ジード・アデナイルは、セレナ・ウィンスフォードをあるじとし、心から仕え、下命に背かず、その身を己が命を賭してお守りすることをここに誓います」
指輪に……誓約の指輪にはまっている赤い石が、淡い光を放つ。
誓約が、成された。
「どうしてその指輪を……」
「その前に」
ジードが立ち上がって、入り口のほうを見る。
「?」
「見届けたなら去れ、無粋な男め」
振り返ると、閉めたはずの扉が少しだけ開いていた。
そのまま扉が開いて、ロバート卿が苦笑いしながら入ってくる。
「ロバート卿? どうして」
いつも出入口の警護をしてくれている彼が、なぜここに。
「邪魔をして申し訳ありません、お嬢様。確認だけさせてください」
ジードが無言でロバート卿に指輪のはまった左手を差し出す。
ロバート卿は指輪を見下ろし、ふむ、とつぶやいた。
「確認いたしました。誓約は成されたようですね」
「じゃあさっさと帰れ」
「一つだけ。お嬢様、御父上からの伝言です。『誓約の指輪は、誓約が成された瞬間あるじに危害を加えることはできなくなるが、その他の効力が発揮されるまでには十分ほどかかるんだったなあ、そういえば』だそうです」
「……?」
「では私はこれで」
そう言って、ロバート卿は扉を閉めて帰っていった。
どうも展開が急すぎて、色々なことがありすぎて頭の中が整理できない。
「セレナ、隷属を解いてくれないか」
「あっ、ええそうね、もちろん」
誓約をした後だから、隷属の首輪を外してももう罪にはならない。
ジードが私の前に再度膝をつく。私は彼の首にそっと両手を当てた。
「セレナ・ウィンスフォードの名において、この者を奴隷の身分から解放する」
首輪が、さらさらと砂のように崩れていく。魔法石だけがことんと床に落ちた。
ジードはいったい何度この首輪に首を締められたんだろう。
言葉には出さないけど、どこかほっとした顔をしている。
「ところで」
「なあに?」
「お父上の伝言の意味は理解したか?」
「あるじに危害を加えられなくなる以外の効力が発揮されるまであと数分ってことよね」
「ああ」
まだ発揮されていない効果といえば、王宮に近づけないとか……いや関係ないか。
あとはあるじに対して、護衛に不必要な接触ができ、ない……。
お父様の伝言とジードの言わんとしていることを理解して、とたんに頬が熱くなる。
ジードがクスッと笑った。
「今だけは命にかかわること以外、対等だ」
「ええ」
「この数分間だけ、……俺の恋人でいてくれないか」
「はい……」
そう、ほんの数分。
この数分だけが、私とジードの間に邪魔するものが何もない時間。
ジードが私の隣に座った。
「嫌なら、今のうちに拒んでくれ」
私は、返事の代わりに目を閉じる。
頬に大きな手が当てられて、唇に柔らかな感触を感じた。
少し離れて、また唇が重なる。
下唇をやわやわと唇で挟まれ、また少し離れて、唇をなぞるように口づけられる。
意外なほど優しい口づけに、頭も体も溶けてしまいそうになる。
唇を重ねたまま、ジードがそっと抱きしめてくる。
大きな手が焦れたように背中を這って、思わず声が出そうになった。
私もジードを抱きしめる。大きな体は、驚くほど熱かった。
口づけと手の動きが少しずつ熱を帯びてきたその時……ジードは突然脱力したように私の背中から手を離し、私の肩の上に頭を乗せた。
「力が入らない。くそ、指輪の作用か」
私はジードの頭をそっと撫でた。
「はぁ……十分は早ぇよ。しかもロバートの時間が余計だった」
思わず、ふふっと笑ってしまった。
「……この道を選んだこと、後悔しない?」
ジードが体を起こして、まっすぐに私を見る。
「惚れた女の傍にいられるなら、多少の不自由も我慢するさ。誇りも、胸の奥にしまっておく。誰かが俺を蔑もうが、エドゥアの民に裏切り者だと言われようが、俺の信念も誇りも汚れない」
「なら私はあなたの選択についてこれ以上何も口を出さないわ。でも……ありがとう、私の傍にとどまってくれて」
「生殺しは切ないけどな」
「ふふ」
「望まない相手に頭を下げることになっても、セレナと対等になれるよう俺は成り上がってみせる。剣の腕しか取り柄のない俺だが、チャンスがあれば俺の持つ全てを捨ててでも食らいついてやる」
「うん、待ってる」
ジードを抱きしめながら、また涙がこぼれてしまう。
私、こんなに泣き虫じゃなかったんだけどなあ。
抱きしめられたジードは、体に力が入らない様子だった。
首が締まるよりはいいのかもしれないけど、何かと不便。あるじを守る際にはこういう効果もなくなるはずではあるんだけど。
「待たなくていい。何年かかるかわからないことなのに、俺を待つことで若い時間を無駄に過ごさせたくない。俺はセレナが望む限り傍にいるが、セレナは俺に縛られることはない」
「私は私でやるべきことをやるから、そんなことを言わないで。私こそ、あなたに何も返せないのに」
「今前払いでもらったろう」
「ふ……」
私はきっと今、泣き笑いのような、おかしな表情をしているだろう。
でも、いつまでも泣いていられない。
私はジードを好きで、ジードも私を好きでいてくれるなら、私にできることをしていかなければ。
「そういえば、誓約の指輪をどうして持っていたの?」
ジードが体を起こして、私と視線を合わせる。
「昨夜伯爵がここに来て置いていった」
「お父様が!?」
「娘とお前の両方が解放を望むなら娘ではなく私がやる。もし護衛騎士になることに気持ちが固まっているならそれを使えと」
お父様がそんなことを言うなんて。
ジードが護衛騎士になること自体、あまりよく思っていない様子だったのに。
私の気持ちもジードの気持ちも知ったうえで、許してくれたということだろうか。
「あ、じゃあさっき現れたロバート卿は……」
「伯爵の腹心だろうな。とぼけた顔をしているが、かなりの手練れだろう」
手合わせをしてみたいな、と不敵な笑みを浮かべるジード。
根っからの戦士なんだなあ。
ロバート卿、夜間から早朝にかけて出入口に立っている騎士くらいにしか思っていなかったけど、お父様の腹心だなんて。
強いからこそ夜間の警備をしていたのだろうけど。
彼が見たことは全部お父様に報告がいってたっていうことだよね。なんだか複雑。
「あ、そうだジード」
「なんだ?」
「試したいことがあるんだけど、いい?」
「? ああ」
ジードの頬に手をあてて、そのまま顔を近づける。
彼は一瞬驚いた顔をしたけど、素直に目をつむった。
そして、唇が触れる直前……彼が脱力してベッドに倒れこんだ。
「私からしてもダメなのね」
「試すな」
「ジードだって首輪の性能を私で色々試したでしょう?」
横たわるジードの頭をなでて、微笑む。
きっと私は今、悪女の顔をしているだろう。
「くそ……いつかこの指輪が外れるくらいの身分を手に入れてやる」
「楽しみにしているわ」
「ああ。その時が本当に楽しみだな、セレナ?」
ジードの浮かべる笑みは獰猛な獣のようで。
万が一夢が実現したときのために、私はジードで色々試すのはもうやめようと心に誓った。
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