第9話 駆け引きだけでは人の心は動かせません
ノックの返事を待って部屋に入ると、ジードは上半身裸でベッドに腰かけ、汗をふいていた。
あるじである女性を半裸で出迎える男ってどうなんだろうと思いながらも、じろじろ見るわけにもいかず目をそらす。
「よぉ、久しぶり」
「そうでもないわ。とりあえず服を着て」
「筋トレが終わったばかりで暑いんだが」
「いいから着て」
はいはい、と言いながらTシャツを着る。
ずっと地下にいるわりには筋肉を保っているなと思ってたけど、こうやって筋トレしてたんだ。
「昨日と一昨日は何してた?」
「必死に宿題を。学生だもの」
彼がこちらに近づいてくる。重そうな足の鎖がじゃらじゃらと鳴った。
動ける限界である、私にぎりぎり手が届くくらいのところまで歩いてきて、止まる。
「会いに来なかったから寂しかった」
そう言って、私の手を取る。
私を誘惑するのは諦めていないらしい。ジードの作戦だとわかっていても心拍数が上がるのが情けない。でも、それを顔に出さないよう無表情を保つ。
私とジードは、腹の探り合いをしている。行動の裏に様々な思惑が隠されていることはお互いに承知している。
あまりつけ入る隙を与えないようにしなければ。
私は手をひっこめた。
「かわいい忠犬のふりをしても駄目よ」
今日も悪女キャラなセリフが絶好調。
「心外だな」
「あるじを押し倒す男の言葉は信用しないわ」
「ベッドに寝て誘ったのはそっちだろう?」
「馬鹿なことを言わないで」
つとめて冷静を装ったけど、声がうわずってしまう。
ジードがうっすらと笑みを浮かべた。
「本当にやめてよね。ところで、何か不自由していることはないかしら」
「不自由しかないな」
「私の騎士になればもっと自由になれるのに」
今の彼の負の感情は七十パーセントくらいかな。まだまだ高い。
好感度は見えないから少し探りを入れるためにそう言ってみた。
ジードが不敵な笑みを浮かべる。その目が挑発的に吊り上がっていた。
「あんたのものになれと? 夜だけならそれも悪くないが、俺の全部はやれないな」
うーん、まだまだか。
とはいえ女性として魅力がないと言われた最初に比べればましになってきてるのかな。
しかし夜だけって。それが十代の女の子に言う言葉かい。
興味を持ってもらえるのはありがたいけど、そっち方面だけに興味を持たれても困る。
私は顔をそむけた。
「あなたは私をなんだと思ってるのかしら。どこかの有閑マダムじゃあるまいし。私は十七歳の乙女なのよ」
「男と付き合ったことくらいはあるだろう?」
「ないわよ」
セレナは。
「嘘だろう。そうは見えない」
「そうは見えなくてもそうなの。言ったでしょ、女はいつでもミステリアスって」
ふっとジードが笑う。
こういう意図せず出たであろう自然な笑みにはドキッとしてしまう。
もしこの笑顔までもが計算ずくだったとしたら、見事と言わざるを得ない。
「そういえば不自由の話だったな。ヒマだ」
まあそうでしょうけど。
「ならまた本を持ってくるわ」
「本はいい。敷地内でもいいから外に出たい。体がなまっちまう」
よしきた。
これを待っていた。
私は少し考えこむふりをする。
「なぁ。イヌにも散歩は必要だろう?」
「……。首輪の制約を強めるなら……不可能じゃないけど……」
もともと、ジードを少しでも外に出してあげようと思っていた。
ずっと地下につながれたままなんて気の毒すぎる。自分だったら発狂しているかもしれない。
だけど、いくら首輪があっても彼をただ自由に歩かせるなんてできない。
鎖を外して地上に出してしまえば、今の首輪の状態なら逃亡は可能だ。あるじとずっと離れていると死んでしまうとはいえ、自分を殺そうとしている男が数日であっても自由に行動できる状態は恐ろしすぎる。
私を殺しての逃亡か、私をさらっての逃亡か。その準備を数日の間にしてくるかもしれないから。
ジードの自由度を高めるには、首輪の制約をさらに強くしないといけない。矛盾しているけど。
でも、自分から「散歩させてあげるから首輪の制約を強くするわよ」なんて言えない。上から目線で恩着せがましい上に首輪の制約を強くするというのだから、たぶんあの黒い棒がのびる。
だからジードが自分で言い出すのを待っていた。
「首輪の制約が強まっても嫌じゃないなら。歩き回れるのは敷地内くらいだけど」
「ああ、いいよ。ずっと鎖でつながれてるよりはいい」
ジードの鎖を外すのは正直なところ怖い。
ヒメカの予言にあった、「彼の負の感情が上限に達すると“怒りの一撃”で殺されます」。
普通に読めば、怒りの一撃の発動条件が負の感情MAXだと思うところだけど。
負の感情の上限到達というのは殺害を決意させるだけのもので、もし怒りの一撃の発動条件は別にあったとしたら? 万が一、その発動条件をすでに満たしていたら? 負の感情が上限じゃなくても、鎖が外されたことで今が逃げるチャンスと彼が判断したら?
彼は怒りの一撃で首輪を壊し、私を殺して逃亡するかもしれない。
考えすぎなのかもしれないけど、かかっているのは自分の命だから。
でも、ずっと地下に鎖でつないでおいたままではこれ以上私に興味を抱いてくれることはないだろうと思う。
ここで駆け引きだけしていても状況は変化しない。危険でも、少しずつ信頼を勝ち取っていかなきゃ。
「制約をさらに強くするには、その首にはまっている魔法石を取り換えなければいけないの。明日新しい魔法石を持ってくるわ」
「ああ。楽しみにしてるよ」
「じゃあ、私は宿題をしてくるから」
「奴隷をいたぶる女が宿題ねえ」
「それはそれ、これはこれ。女はいろいろな顔を持っているのよ」
「ふ、そうみたいだな」
「また明日ね」
部屋を出て重厚な鉄扉を通り過ぎ、閉めて鍵をかける。
こういう扱いをしているうちは、ジードは私に心を開くことはないだろう。
だからってリスクを考えずにただ彼の望むままにすれば自分の寿命を縮めかねないし。
ギルバートのことも含めて、まさに恋愛ゲームのスーパーハードモード。
でもリセットボタンなんてどこにもない。選択を間違えれば死ぬ。
小説の世界に生まれ変わるなら、逆ハーなんて贅沢は言わないから、せめて命の危険がない状態で生まれ変わりたかったよ……。
その夜、来ないかと思っていたギルバートが部屋を訪ねてきた。
律儀にも辞書やノート、筆記用具を持って。
さらに驚くことに、彼の胸の黒い棒は半分近くまで短くなっていた。
私が謝ったことで、怒りがだいぶ浄化されたんだろうか。
「……えっと。手伝ってくれるの?」
「まだ思うところはありますが、一度約束した以上は途中で投げ出すわけにはいきません」
思わず笑みがこぼれる。
「ギルバートは本当に律儀ね」
長年チクチクといじめて、その上勝手に謝って混乱させて。
宿題の手伝いなんて投げ出して当然なのに、まだ手伝ってくれようとするなんて。
「ありがとう、ギルバート」
笑顔を向けると、彼は下を向いた。
長い前髪に隠れて表情はよく見えない。
「別に……ただの義務です。姉が単位を落とすのも恥ずかしいですし」
そう言いながら、持ってきたものをテーブルに置いて椅子に座る。
私もその向かいに座った。
「あとは……ハーブティーが悪くなかったので」
少し照れた様子でそんなことを言う。
もう、かわいいじゃない。
今日もアンにハーブティーを用意してもらって淹れると、今日は素直に美味しそうに飲んだ。
黒い棒も短くなったし、少し関係が改善したと思っていいんだろうか。
「宿題は進みましたか?」
「あーうん、できるところまでは。見てもらってもいい?」
「はい。まずここの単語の綴りが間違っています」
「あれ、そっか」
「あとこの接続詞は……」
ギルバートは本当に頭がいいんだなあ。感心するわ。
彼が教えてくれたことを忘れないように、自分でできるようにならなきゃ。
「ごめん、まだまだ間違いが多いよね」
「はい。姉上が書いた通りの文だとドルス語圏の人に鼻で笑われますね」
そう言われても、外国語って難しいんだから。
英語の成績はそこそこよかったけど、不自由なく会話できるかと言われたらそうでもないし。大半の人はそんな感じなんじゃない?
できるところは自分で進めておいてそれを説明付きで修正してもらうだけだったので、今日の分の宿題はスムーズに終わった。
「ギルバート、まだ時間は大丈夫?」
「ええまあ。何かほかに質問でも?」
「エドゥアのことは詳しい?」
黒い棒が少しだけ伸びる。
「まだあの奴隷を従わせるのを諦めていないんですか」
つまり、跡を継ぐのを諦めていないのか、と。
ギルバートにとっては頭も性格も悪いのに後継者になろうとする姉なんてそりゃあ許しがたいよね。
「何が何でも後継者になろうという気はもうないわ。ただ、ちょっと手を焼いてて」
「扱いきれない奴隷など売るか殺すかしてしまえばいいのに」
こっわ!
結構冷酷な考え方をするんだな、この子。
でも貴族にとっての奴隷なんてそんなものなのかもしれない。
「簡単にそんなことできないわ。殺すのはもちろん、売ったら次こそ剣奴にされてしまう」
あれ?
なんで私こんなこと。あ……思い出した。
奴隷商人がジードについて「二度売り戻された奴隷で、買い手がつかない場合や次に売られて戻ってきた場合は剣奴になる」と言っていた。
剣奴になってしまえば、さらに強い魔道具で意思を奪われ、戦う人形として闘技場で死ぬまで戦わされる。
寿命が縮むほどの強い魔道具に支配され、ただただ見世物として戦って死ぬ。
そんなジードの運命を、そう……セレナは哀れんだ。そしてお父様にジードをねだった。
なんだ、優しさもちゃんと持ってるんじゃない、セレナ。
いや……買ったジードが言うことをきかないからって上半身裸にして縛って鞭で(略)だから、やっぱり優しくない。
「お優しいことで。そんなにあの男が気に入ったのですか」
また黒い棒がじわりと伸びる。
どうもギルバートはジードが気に入らないみたい。
「伯爵家の騎士たちは私を嫌っているもの、そんな人たちを護衛になんてしたくない。でも護衛はほしいの」
「嫌っているというのは、姉上の主観ではないのですか。なぜ分かるんです」
黒い棒が見えるからっていうのはもちろんあるけど。
「嫌っていない人間を豚令嬢呼ばわりしないでしょ」
「……!」
貴族の令嬢だから、どこかに出かけるときは護衛の騎士がつく。
タウンハウスから学園までは近いうえにそこかしこに治安隊が立っているから通学には必要ないけど、たとえば街に買い物に出かけたりするのに護衛をつけない令嬢はほとんどいないはず。
私に対する感情はどうであれ伯爵家として恥にならないよう、お父様は専属ではないけれど護衛騎士をつけてくれていた。
でも、偶然聞いてしまった。その騎士が「あんな豚令嬢の護衛なんて」と言っていたのを。それを聞いていた数人の騎士は笑っていた。
そして私は護衛騎士をつけなくなった。
だから街にもめったに出かけなくなっていった。
ロバート卿のような人もいるし、そんな人ばかりじゃないと今ならわかるんだけど。
「誰ですか」
「え?」
「その騎士です。名は?」
ギルバートの顔に、冷たい怒りの表情が浮かんでいる。
嘘だと思われた? ううん、黒い棒は伸びてないしそんな感じじゃない。
「聞いてどうするの」
「罰したうえで解雇します」
「そんな……。過ぎたことだし」
「たしかに姉上は太っていたし不潔でしたしただの毒まんじゅうでした」
いやあんたも大概だな。
「しかし、主家の人間を貶める騎士など不要です。ましてや豚呼ばわりなんて。僕ですらまんじゅうにとどめておいたのに」
まんじゅうも豚も大差ないって。
そして何回まんじゅうって言うの。
「私もきっと嫌われるようなことをしてたんだと思うわ」
「だとしても、です」
まあ、いくら私が悪いやつでも、容姿をそこまで馬鹿にしていいことはないよね。
ましてや仕えるべき人間に対して。
だけど。
「私はもう気にしていないから」
思ったより大ごとになってしまいそう。迂闊だった。
告げ口なんてダサいことしちゃったなあ。
「姉上の感情だけの問題ではないんです。姉上が言わないのなら姉上の護衛についたことがある騎士を一人ひとり調べるだけです。僕と父上に無駄なことをさせたくないという気持ちが少しでもあるなら教えてください」
「……。名前……ダニエルだった気がするわ。ライトブラウンの髪の」
「なら父上と一緒に領地にいますね。父上も近々こちらに戻ってきますから、その時に相応の処分を下します。さすがに僕の一存ではできませんから」
「……」
「なんですか?」
「ううん。ギルバートが私のために怒ってくれたのが意外だったなと」
「別に姉上のためではありません。伯爵家のためです。品のない騎士は伯爵家の恥になりますから」
まあそうだよねー。
「そのためだとしても、あなたが味方になってくれたみたいでうれしかった。だからありがとう」
笑顔を向けると、ギルバートは私の顔をじっと見た。
なんだろう?
彼の口元が、笑みの形をつくる。
優しい笑みじゃなくて、なんというか、背後にドス黒いものを感じるような不穏な笑みとでもいうか。
「礼には及びません。身の程知らずに罰を与えるのは当然のことです。そもそも、姉上をいじめる権利があるのは僕だけですから」
……ん?
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