第14話 危機は気が緩んだ頃にやってくるのです


 ギルバートのおかげで、ドルス語の宿題はほぼ終わりかけている。

 今日も律義に来てくれた彼だけど、どうも機嫌が悪い気がする。

 というか……黒い棒がまた伸びてる。


「ギル、どうかした?」


 呼びかけると、ノートから顔をあげてこちらをじっと見た。

 一見無表情だけど、眉間に少し力が入っている。


「どうか、とは」


「何かあった?」


「……特に何も」


 また視線を下げる。

 うーん、これは。やっぱりジードが気に入らないのかなあ。

 外に出ないでねとまでは言わなかったけど、ジードとの散歩を予告したのもよくなかったのかも?


「何もないならいいわ。でも、嫌なことや辛いことがあるなら教えてね」


 ここはあえてあまり突っ込まずに引き下がろう。

 よけいに面倒なことになりそうだから。


「そういえば、ギルはオルビス王国について知ってる?」


「ええまあ。特別詳しいわけではありませんが」


「自由の国と呼ばれていて外国から入ってくる人も多いとか」


「腕に覚えのある冒険者にとっては暮らしやすいでしょうね。魔獣が多いから仕事はありますし。脛に傷のある者が自国を逃れて目指す先があの国です」


「治安が悪くならないのかしら?」


「オルビス国内で犯罪を犯したものは国外追放されますし、治安隊も優秀です。ただガラの悪い輩も多く入ってくるのは事実ですから、危ない区域もあるみたいですね。ちなみに他国出身の者は王都とその付近には住めませんし、そこに立ち入るにも手続きが必要です」


 もともとの自国民と他国から入ってきた人を住む場所まで明確に分けてるんだ。

 それはそれで仕方がないのかも。

 他国のスパイやら暗殺者やらが簡単に王都に出入りできたら危険だろうし。


「あの国がそこまでして国外の人を受け入れるメリットって何なのかしら」


「魔獣退治でしょうね。魔獣退治はほぼ冒険者に任せて、正規の軍は防衛や国内の治安維持を行う。また魔獣の毛皮や牙、魔獣のみが落とす魔石などを加工する魔獣産業が盛んな国ですから、それらを冒険者ギルドを通して国が買い取ることで素材を安定して手に入れられる。冒険者が魔獣にやられて死んだところでまた新たな冒険者が国外から入って来る」


 自由の国というよりはギブアンドテイクなんだ。

 細かい審査などはせず国に住ませてやるかわりに、危険な魔獣退治という役割を担ってもらう。

 まあ、善意で人を受け入れるだけじゃ国はやっていけないよね。人も増えすぎてしまうし。


「ありがとう、勉強になったわ」


「どういたしまして。あの奴隷男との会話でオルビス王国が出てきたんですか?」


「それはそうなんだけど。外国のことも少し知っておきたかっただけよ」

 

「……」


 またギルの黒い棒がじわっとのびる。

 難しいなあ、この子。

 ジードが順調な一方で、ギルの黒い棒はジードと仲良くなるほどに伸びてきている。

 こじらせシスコンがまずい方向にきているのかなぁ……まだまだ油断はできないわ。



 ギルとの宿題を終えて、ベッドの上で足をかるく上げて腹筋に負荷をかけながら、先日取り寄せた戦争奴隷についての本を調べる。

 だいたいはギルが教えてくれた通り。


 解放できるのは十八歳以上のあるじのみ。あるじが十八歳に満たない場合はその親権者が行う。

 解放の際、首輪を外す前に魔道具である「誓約の指輪」を身に着け、誓約を行わなければならない。

 先に隷属の首輪を外した場合は奴隷・あるじともに罪に問われる。

 誓約の指輪は、つける際には届け出は不要だが、元戦争奴隷による誓約が成された後、国に届け出なければならない。その際、隷属の首輪についていた魔法石も同時に提出し、解放前に誓約が成されたかを確認する。


 誓約の指輪は石の色によって区別される。

 赤が元戦争奴隷、青が一般、紫が王族に仕える者。

 共通する機能として、隷属の首輪のように自動的に首が締まることはないが、あるじの『命令』で動きを制限することはできる。また、誓約の指輪をしている者は、あるじやそれに連なる者の命や貞操を奪うことはできない。そのため、王族や貴族の女性の護衛騎士となる者は誓約の指輪を身に着ける場合が多い。

 赤の指輪保持者は王宮等、近づけない場所が多い。また、青と違ってあるじの意思のみで指輪を外すことはできず、国の機関でのみ外すことが可能である。


 うーん……自由度がちょっと増えるだけで、あんまり奴隷と大差ないような……。

 首が締まらないだけマシなのかな。

 あとは行動の自由かな。あるじと離れていても死なない。

 戦争奴隷を従わせることは貴族の名誉とされているけど、元戦争奴隷自身は蔑みを受けることが多いとある。

 ……やっぱりジードを護衛騎士にするのはあきらめたほうがいいかもしれない。

 この国とあるじへの誓約に縛られて屈辱を受けながら生きていくよりは、オルビスのような自由な国で暮らしていくほうが彼のためなのかも。

 正直なところ彼と離れることを寂しいと感じ始めている自分がいるけれど、私のような凡人が彼を飼い殺しにすることはそれ以上につらい。


 いろいろと資料を調べた結果、彼を完全に自由にする、いわゆる裏技は存在した。

 ただ、かなりのリスクがある。

 国内では、元戦争奴隷は首輪か指輪どちらかをつけていなければならない。

 でも国外でのことは国は関与しない。

 だから、一緒に国外に出て、隷属の首輪を外して自由にする。

 オルビスをはじめとする諸外国は、トラブル防止のために隷属の首輪や誓約の指輪をしている者は受け入れないから、国境あたりで隷属も誓約もない状態のジードにしなければならない。

 つまり、私がジードに対して完全に無防備な状態になる。

 それを、お父様が許可するか……しないだろうなあ。お父様が代わりにやってくれるとも思えないし。

 彼を自由にすると決めたら、リスクを承知でお父様に内緒でやるしかない。



 ぐるぐると色々なことを考えすぎてあまり眠れないまま朝を迎え、カーテンを開けて朝日を浴びる。

 今日は曇り。でも雨は降らなさそうだから、またお散歩することにした。

 今日も剣を振るジードを眺めた後、一緒に外でお茶を飲む。あまり気温が高くないので、今日は温かい紅茶にしてみた。

 お茶を飲むジードの所作は綺麗で、実は育ちのいい人なのかな、と思う。


「温かいのも美味いな」


「そうね」


 私も紅茶を一口飲む。

 視線を感じた気がして顔を上げると、ジードがこちらを見ていた。

 なんだか落ち着かなくて目をそらす。

 彼の目は以前よりずっと優しい。今なら、言っても誤解されないだろうか。


「ジード」


「なんだ?」


「あなたがここに来たばかりの頃……たくさん酷いことをしてごめんなさい」


「……」


 ジードは何か言いかけたけれど、何も言わず口を閉じた。


「これは“懐柔”じゃないわ。私が間違っていたから、どうしてもあなたに謝りたかった」


 ギルのときと同じく、謝るなんて結局自己満足に過ぎないのかもしれない。何の意味もない、ただ自分が楽になりたいだけなのかもしれない。

 それでも。

 ギルが突っかかってきたとき、奴隷なんてこんなもの、殴る蹴るがないだけマシだと言っていた彼に、奴隷だからといってひどい扱いを受けることは決して当然ではないのだと伝えたい。

 彼はそんな扱いを受けていい人ではないのだと。


「あるじが奴隷なんぞに謝ってどうする。あるじとして俺の上に立ちたいんだろう? なら簡単に謝るな」


「軽い気持ちで簡単に謝っているわけじゃないわ。私は誇り高いあなたにひどい扱いをした。首輪で動きを制限して後ろ手に縛って、鞭まで……」


 クス、とジードが笑う。

 予想外の反応に驚いて顔を上げると、彼は口元に笑みを浮かべていた。

 皮肉な笑みじゃなく、どこか楽しそうな。


「今のあんたに謝られても、あの時とは別の人間に謝られてる感じしかしないんだよな」


「あの時も今も私は私よ」


 前世の記憶を取り戻したばかりのころは、自分は芹奈で過去のことはセレナがやったこと、という認識が強かった。

 でもセレナの記憶を完全に取り戻しつつある今、「セレナがやったこと」ではなく「私が過去にやったこと」として感じつつある。


「まあそういうことにしておくさ。お嬢さんの鞭打ちなんて大したことはないし、縄も素人が縛ったものだから実は簡単に抜けられて、あんたが来るときだけ縛られたままのフリをしてたんだが。謝罪は受け取っておく」


「え、縄を抜けてたの?」


「ああ」


「そうなんだ。よかった……」


 鞭で打つこともじゅうぶんにひどいけど、プライドの高いジードを後ろ手に縛っていたことに対する罪悪感が強かった。

 トイレはどうしていたのか、ひどい格好で食事をさせたんじゃないかと。


「よかったと言われるとはな」


「……ごめんなさい。自分でやっておいてよかったはないわよね。失礼だったわ」


 別に、とジードが笑う。

 彼はそれ以上何も言わなかったので、私も黙った。

 ああ、でも。

 彼の胸の黒い棒は、またさらに短くなった。もう下限にも近いくらいに。

 彼に殺される心配はなくなってきたと思ってもいいんだろうか。

 

 そう、思っていたのに。



 今日もジードと散歩に行こうと、地下室を訪れる。

 扉を開けると、ジードはこちらに背を向けて気だるげに立っていた。

 そして呼びかける前に体ごとこちらを向く。


 ――うそ、どうして。


 ジードの胸の黒い棒が、半分を超えるくらい長くなっている。

 口元にかすかに笑みを浮かべる彼の目は、少しも笑っていない。それどころか、赤い瞳にはぞっとするほど冷たい光が宿っている。

 昨日の謝罪がまずかった? ううん、黒い棒はかえって縮まったし、別れ際もそれに変化はなかった。

 一体どうして……!?

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