第16話 我が家の思春期男子の精神構造は複雑です
ノックもなしにいきなり扉を開けると、ベッドの上で本を読んでいたギルが驚いた顔をした。
次いで、不愉快そうに顔をしかめる。
「姉上。最低でもノックくらい……」
「ジードに余計なことを言ったわね」
ギルの言葉を遮るように言い、ベッドにずかずかと近づいていく。
彼の表情からは、罪悪感も焦りも感じられない。
「余計なこと? 事実でしょう」
ベッドから足を下ろし、本をサイドテーブルに置きながら言う。
私は彼の目の前に仁王立ちした。
「落とせるか賭けをしたですって? いつ私がお父様とそんな賭けをしたっていうの。馬鹿なことを言わないで」
「嘘は言っていませんよ。篭絡できるかどうか賭けたと言ったんです。男女のことだけを表す言葉ではないし、あの男が勝手に勘違いしただけでしょう」
「そんな言い訳で納得するとでも? ジードがそう思うように仕向けたのはあなたよ」
「姉上が納得しようがしまいが僕は構いませんが。それに落そうとしているというのもあながち間違いではないでしょう。姉上は女の武器を使ってあの男を落とそうとしてるんですから」
「人聞きの悪い。ジードとは何もないわ」
「何もない?」
は、と皮肉な笑みを浮かべる。
「その変わっていく容姿もあの男のためでしょう。その証拠にとても楽しそうに二人で散歩してお茶まで飲んでいるじゃありませんか。あれじゃあまるで恋人同士です」
そんな風に見られてたんだ。というか私たちの様子をギルが見てたんだ。
あえて人目のあるところで会ってるから仕方がないけど。
だって地下で二人でずっと過ごしてたらそのほうが邪推されそうなんだもの。
「どうやってあの厄介な男を落としたんですか。その体で? いかにも男が好むような体つきになりましたからね」
気づいた時には、自分の手を振り上げていた。
でもその手がギルの頬に届く前に、あっさりと彼の手に止められる。
身体能力の差というのはいかんともしがたい。
というか芹奈だった頃は人にビンタしたことなんて一度もなかったのに、あまりに自然に体が動いた。
やっぱり私はもう「芹奈」じゃないんだ。
「子供の頃じゃないんです。あなたの平手打ちなんてくらいませんよ」
そのまま手首をつかまれる。
手を引こうとしたけど、がっちりと掴まれてそれもかなわなかった。
「私を侮辱して楽しい? あなたは私を娼婦のような女だと思っているのね」
「……そこまでは」
「体がなんだっていうの。努力してスタイルが良くなったことの何がいけないの。また太れば満足?」
「……。それに関しては僕が言いすぎました。姉上をみだらな女だと思っているわけじゃありません。でも姉上がいけないんです」
「私が悪いですって? 今まであなたに嫌がらせをしていたことならともかく、ジードのことに関してはそんなことを言われる筋合いはないわ。人のせいにしないで」
手首をつかんでいた手が離れてほっとしたのもつかの間、私の指の間にギルの繊細な長い指が差し入れられた。
一方的に手をつないだまま、ギルが立ち上がる。
なんで手をつないでるの? あれ、この子こんなに背が高かったっけ。
そんなことを考えているうちに、彼が私の耳元に顔を寄せた。
「姉上が悪いんです。あんな男に気を許すから。あなたは
耳をくすぐる、ささやくような声。
僕の、という言葉が自分のものという意味に聞こえてぞっとする。
いったいどうしちゃったの!
「そうね。私はあなたの
姉、というところを強調して言う。
「ええ」
「わかっているなら離して。いくら姉弟でも年頃の男女が無意味に手をつないだりするものじゃないわ」
手を引っ込めようとしても、彼はしっかりと握った手を離さない。
無理に抜こうとすると痛い。
「そうですね」
そう言いつつも、ギルは私を離す気配がない。
それどころか、私の肩に頭を乗せてきた。
本当にどうしたの。シスコンがおかしな方向に完成しちゃったの!?
いくら色々元気なお年頃だからって、姉に対してこんな雰囲気を出すなんて。
ちょっと冷静さを失ってるみたいだし、仕方がない。
私は足を上げると、彼の足を思いきり踏んづけた。
「つっ!」
手が緩んだので、振り払うように手を引っ込めて一歩下がる。
ギルをにらみつけるけど、彼は不貞腐れたような顔をするだけだった。
「はぁ……さすが姉上。なかなか容赦のない一撃ですね。ヒビが入っていないといいんですが」
そう言いながら、再びベッドに腰掛ける。
「どういうつもりでこんなことをするの」
「どういうつもりなんでしょうね。僕にもよくわかりません。ただ一つわかっているのは、あの男にあなたを取られたくないという思いだけです」
しん、と部屋の中が静まり返る。
ベッドに座ったまま私を見上げる彼の顔はどこか苦しげで、どうしていいのかわからない。
でも。
「あなたが好きなのは姫香でしょう」
「そのはずなんですけどね」
「もし私に対して恋愛感情を抱いていると思っているなら、それは違うわ。あなたの中にもともとあった姉を慕う感情や姉への独占欲を、変な方向に勘違いしているだけよ。私があまりに急に変わったから」
「決めつけないでください。僕の心の中は僕にしかわかりません。と言いつつ僕にもよくわかっていないんですが、告白もしないうちにフラれた気分です」
「いずれにしろあなたは私にとって大事な弟よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「……わかりました。ひとまずは引き下がります」
ひとまずって何よ。
あーもうびっくりした。思春期男子ってジードとは別の難しさがある。
この子が特別難しい子なのかもしれないけど。
「ただ、あの奴隷男に関して僕の言ったこともすべて間違いではありませんよ。あの男が忠誠を誓わなければ、父上は間違いなく売るでしょう。それに、たとえ誓約を受け入れ我が家の騎士になったとしても、元戦争奴隷の無駄に顔と体のいい男が姉上について護衛していれば姉上は悪い噂の的になることも考えられますから、姉上とは引き離す可能性もあります」
「噂なんて今さらどうだっていいわ。さんざん嫌われてたのに」
「それとこれとは別です」
「私とジードの仲を疑うような人間がもしいたとしたら」
あえてここで言葉を切ってギルを見つめる。
彼は目をそらした。
「神殿の処女判定でも受けてみせるわ。護衛騎士は令嬢にはつきもの。ジードが魅力的な男だからって邪推されるいわれはない。ましてやジードが私の騎士になるなら、誓約をした上でなるというのに」
ギルはそれに対して言い返さない。
「姉上はそう思っていても、父上はどう思うでしょうね」
「それは話してみないとわからないわ」
「なら話してみるといいでしょう。父上はもうとっくに領地を発っていて、こちらには明後日には着くでしょうから」
「え?」
お父様が明後日にはここに!?
動揺が思い切り顔に出てしまっていたのか、ギルが馬鹿にしたようにフン、と笑った。
「相変わらず残念な記憶力ですね。もともと決まっていた日程ですよ。奴隷男に夢中で忘れてしまったのですか」
あはは、かわいくなーい。
さっきまでの雰囲気はどこに行ったの。いや、あのままでも困るけど。
それにしても、お父様がここに来るとは。
話さなきゃいけないと思ってたけど、まだ心の準備ができていない。
だって、お父様は私を嫌っているから。
もともと子供への関心が高い人ではなかったけど、お母様の件以降、さらに冷たくなった。
私を見下ろすアイスブルーの瞳はまさに氷のように冷たくて。
胸の上の黒い棒は、いつも長かった。
お父様が自分から私に関わろうとするときは、私の言動に関するお説教のときだけ。
ギルだって特別愛情を受けてるわけでもない。私のように嫌われてもいないだろうけど。
正直なところ、お父様に会うのは怖い。いつも怖かった。だから極力接触を避けてきた。
でも、向き合わなきゃ。
ジードのこと。私の将来のこと。お父様と話し合わないと、何も進まない。
明後日までに、心の整理をしておこう。
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