第17話 私はセレナなのだとあらためて実感しました


「セレナ、なのか?」


 出迎えた私を見るなり、お父様はそう言った。

 たしかにだいぶ変わったけど、「なのか」ってことないでしょう。

 となりのギルバートがちいさく笑う。


「はい、お父様」


「……そうか。少し見ない間にずいぶんと変わったようだ」


 胸の黒い棒は、うん、だいたい上限の七割くらいかな。実の娘に対して七割ってすごいわ。

 少し胸が痛む。

 それでも、顔をあげてまっすぐにお父様の顔を見た。釣り目ぎみの目元が私とよく似ている。濃紺の髪は私と同じ。

 視線を合わせていると、お父様が少し意外そうな顔をした。

 私はお父様の前ではいつもうつむいていたもんね。冷たい光を宿した瞳と黒い棒を見るのがつらかったから。


「セレナ、ギルバートにそれぞれ話がある。あとで部屋に来なさい。呼ばれるまで部屋にいるように」


「はい」


「承知しました」


 言われた通り自室に戻り、宿題の刺繍をやりながら時間をつぶす。

 セレナは刺繍は苦手じゃなかった。部屋にこもりがちだったから、暇つぶしによくやってたんだよね。

 その暇な時間をもうちょっと勉強にあててたらなあ。


 すぐに呼ばれるかと思っていたけど、先にギルが呼ばれたようで私は一時間も刺繍をしていた。

 さすがに手が痛くなってきたので手を止めて片付ける。

 お父様との話か……緊張するなあ。

 とそこで、ノックの音が響いた。私の返事を待って扉を開けたのは、お父様付きのメイド。


「お嬢様、ご主人様がお呼びでございます」


「わかったわ」


 ソファから立ち上がり、メイドの待つ扉へと向かう。

 彼女の胸元を見そうになって、やめた。

 もうすっかり人の胸元を見る癖がついてしまった。というか、もともとセレナにはそういう癖があった。

 でも、あまり関わりのない人の負の感情までいちいち気にしていたら、それこそ精神がもたない。

 これからは必要なとき以外は見ないようにしていこう。

 彼女が開けてくれている扉から廊下に出て、「お疲れ様、下がっていいわ」と声をかける。

 彼女は扉を閉め、静かに去っていった。

 扉からわずかに明かりが漏れているギルの部屋の前を通り過ぎ、お父様の部屋の前に着く。

 ノックをすると、「入りなさい」という声が部屋の中から聞こえた。


「失礼します」


 部屋に入ると、お父様はソファに座っていた。

 相変わらずの無表情。久しぶりに会う娘に見せる顔ではないよね。


「掛けなさい」


 お父様の指示通り、私は向かいのソファに座る。

 ……緊張する。なんだか採用面接でも受けているような気分。

 何を言おうか迷っていると、お父様が先に口を開いた。


「ずいぶんと外見が変わったものだ。美しくなった」


「ありがとうございます。よく言われます」


 あれ? 今お父様ちょっと笑った?

 胸の黒い棒……っとやめておこう。

 ギルやジードと話すときのように命がかかっているなら仕方がないけど、私は少しこの能力に頼りすぎてしまっている。逆に言うと、この能力に振り回されてきた。

 お父様に嫌われても死にはしないはずだし、棒の伸び縮みに一喜一憂せずに自分の思う通り話してみたい。


「そこまで外見を変えるのは容易ではなかったはずだ。なぜ変わろうと思ったのだ?」


「私ももう大人にならなければいけない年齢ですから。女性にとって外見は武器になりえます。誰もが振り返るような美女にはなれませんが、どうせ私なんかと後ろ向きでいるよりは、少しでも自分を磨きたかったのです。今後のためにも」


「ふむ……」


 お父様が足を組む。


「ならばあの奴隷を手なずけるのにもその外見は武器になったというわけか」


 ジードのことは当然聞かれると思っていた。

 彼が私に心を許しつつあるのを知ってるんだ。ギルから色々報告を受けたんだろうか。

 ギルからの報告……何を言われたのか恐ろしい。


「ギルバートが何を言ったか存じませんが、私は貴族の娘として何もやましいことはありません」


「それはわかっている。お前があの男に対して不適切な方法をとったとは思っていない」


 えっ、そうなの。そんなに信用してくれていたとは意外。

 お父様、もしかして使用人や騎士にもいろいろ報告させているのかな。

 それなら私が拷問を頑張っていた時期以外、地下室には長居していないこと、会うときは人目のあるところで会っていることを知ってるんだろう。


「だが、正直なところお前があの男を手なずけることができるとは思っていなかった」


 でしょうね。

 手なずけられないと思ったからジードを賭けの材料にしたんだろうし。


「たしかに態度は軟化しましたが、忠誠を得るまでには至っていません」


「たいそう仲が良さそうだと聞いたが。忠誠は誓わないのにお前に心を許しているのか? 互いに主従以外の感情が芽生えているようならお前たちを引き離さねばならないが」


 ギルめ、やっぱりよけいなことを言ったな。


「彼と交流するのも忠誠を得るためです。ほかの目的はありません」


 にっこりと笑うと、お父様は少し意外そうな顔をした。


「外見だけではなく内面までずいぶんと変わったようだ」


 息を吐きながらお父様が言う。

 さらにつっこまれるかと思ったけど、それ以上その件については何も言われなかった。


「……あのジードという男。お前はどう見る? どういう男だと思う」


「誇り高い人ですね。だからこそ、忠誠を得るのが難しい。危険な面もありますが、基本的には冷静です」


「誇り高いのはそうだろうな。全般的にエドゥアの奴隷は扱いづらいと言われてきたが、あの男は筋金入りだ。どういう扱いを受けようが、忠誠どころか決してあるじのために働こうとしない。最高額で落札された奴隷にもかかわらず二度も売り戻されたのはそのせいだ」


「最高額、ですか」


「容姿もいいが、何よりも強い。奴隷の強さを見るために闘技場でそれぞれ魔獣と対決させたが、あの男は木剣でC級の魔獣を殴り殺した」


 木剣で!?


「木剣で魔獣を殴り殺せるものなんですか……」


「いわゆる剣気の達人のようだ」


 すごすぎる……そんなに強くて危険な人を今まで相手にしていたのかと思うと背筋が寒くなる。


「そんな男の忠誠を得られれば、我が伯爵家の名誉となるだろう」


「……もし彼が忠誠を誓わなければ?」


「売るしかあるまい。働かない奴隷などいても邪魔なだけだ」


「……」


 解放について話してみようかと思ったけど、やめた。

 大きなリスクを伴う解放を、働かない奴隷は売ると言っているお父様が了承するとは思えない。


「それにしても」


「はい?」


「お前とこうしてゆっくり話すのも、久しぶりだ」


「そうですね……」


「お前はいつも、私を避けていたし視線すら合わせなかった」


「……!」


 心臓が大きく跳ねる。

 胸が痛い。ズキズキと痛む。

 私はセレナで、この人は父なのだとあらためて実感する。

 胸の痛みとは裏腹に、口元には笑みが浮かんだ。


「嫌っていたのも避けていたのも、お父様ではありませんか」


「何?」


 お父様が目を見開く。

 感情的になってはいけない、お父様にさらに嫌われることは得策じゃないと思うのに、感情があふれてくる。


「お父様が私を嫌っているのは知っています。後継者になることを諦めさせようとしていることも。令嬢としての身だしなみもなっていない、頭も性格も悪い私がいけないのでしょう」


 きっとお母様が命がけで助けた娘がそんな風に育ってしまったことも、お父様が私を嫌悪する一因だろう。

 私が賢く優しい令嬢に育っていれば、お父様の気持ちももっと穏やかだったかもしれない。


「セレナ」


「……申し訳ありません。感情的になりました。失礼します」


 立ち上がり、扉へと足を進める。

 後ろから「待ちなさい」という声が聞こえたけど、それに従わずに部屋を出た。

 追いかけてこないことに少し安心しながら、廊下を歩く。

 胸の痛みがおさまらない。

 泣いてしまいそう。でもまだだめ。

 うつむき加減のまま、廊下を早足で歩く。ギルの部屋の扉が少し開いた気がしたけど、かまわずに急いで自分の部屋へと向かった。

 部屋に入って扉を閉め、ベッドに寝転がった。

 それと同時に、涙がこめかみをつたって流れる。

    

「私がお父様を避けていた? 逆でしょう」


 独り言が口からもれる。

 

 お父様が私を嫌うのも仕方がない。

 お父様はお母様のことを心底愛していたから。そのお母様を、私が死なせてしまったから。


 でも、私はどうすればよかったの。


 大好きなお母様を自分のせいで失い、お父様の黒い棒が上限近くまで伸びるのを見てしまった五歳の私は。

 寂しさを埋めてくれる温もりもなく、自分への負の感情が見える世界に唯一の味方を失った状態で取り残されてしまった子供の私は。

 お母様を心から慕っていた乳母にあからさまに嫌われながらも彼女しか頼る人がいなかった私は、お父様から避けられ続けた私は。

 どうすれば、お父様に嫌われないような娘になれたんだろう。

 弟ギルバートの存在も焦りや不安に拍車をかけ、ただただ性格の悪い子供になってしまった。

 すべてお父様のせいだと言うつもりはない。

 ギルだって両親を失った。後継者として乳母に大事にされたとはいえ、彼だって寂しかったはず。それなのに、多少ひねくれながらもしっかりとした子に育った。そのひねくれだって私のせいだろうし。

 私が悪い。

 すべての元凶は私。

 だけど……寂しかった。お母様が自分のせいで死んだという罪悪感に押しつぶされそうだった。十二歳の頃に乳母が田舎に帰るまで、ずっと彼女に空気のように扱われてつらかった。

 普段奥に押し込めていた感情が、せきを切ったようにあふれ出てくる。

 お父様のあの一言で、心が幼い頃に戻ってしまった。いつも隠れて泣いていた、いつしか泣くことも忘れた小さなセレナが、今私の中で泣いている。

 私は芹奈の人格を受け継ぎつつもやっぱりセレナなんだなとあらためて実感する。

 

 天井に向かって手をのばす。

 寂しい。暑い夏なのに、寒い。

 誰かにぎゅっと抱きしめてほしい。

 ジードのあの大きな体に包まれたら、心まで満たされるかな。


「ふ……」


 苦笑いが声になって漏れる。

 弱ってるときに男に抱きしめられたいなんて、私も弱くなったなあ。こういうときに男に依存するのはかっこ悪いと思ってたのに。

 おまけにジードは恋人ですらない、私を殺す可能性すらある危ない男なのに。どうかしてる。


 芹奈だったころは人に甘えたり頼ったりするのが苦手だった。年齢を重ねるほどに人に弱さを見せなくなった。

 弱さを見せられるだけの素直さがあったら、私は結婚というものを経験していたのかな。

 最後の彼氏には、「お前に俺は必要ないだろう、一人で生きていける女だし。付き合ってる意味ないから別れよう」とフラれたし。

 あー……嫌なこと思い出しちゃった。

 お腹のあたりがムカムカする。

 たしかに一人で生活はしていけますけどね、勝手に必要ないだろうとか結論づけるなっていうの。

 どーせそんなもの体のいい言い訳で、私と別れる前に若い子と腕組んでデレデレしながら歩いてたのを偶然見ちゃったんだからね。

 因果応報も天罰もなく、あのあとちゃっかり幸せになったんだろうなあ、あの男。

 一人で生きていける女・芹奈は三十代で孤独死しましたけどね。

 結婚するなら芹奈みたいなしっかり者がいい、俺は浮気なんてしないとか言っていたあの口を縫い付けてやりたい。

 浮気者。嘘つき。足くさ男。


 ……うん。

 イラッとしたらなんだか元気出た。

 セレナより芹奈の意識がまさって、気持ちが切り替わったのかな。

 

 明日ジードに会いに行こう。

 抱きしめてはもらわないけど。

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