第19話 姫香が私に助言した理由がわかりました


 入浴と今日の分の宿題を済ませてそろそろ寝ようかという頃、お父様に呼び出された。

 お説教されるかなあ。

 お父様の部屋に入って、一昨日と同じようにテーブルをはさんで向かいに座る。

 今日はお茶が用意してあった。


「あのジードという男」


「……はい」


「たしかに腕がいいようだな」


「はい」


「だがどこか危険な男だ。どうも切り札を隠し持っているような気もする」


 さすがお父様、鋭い。

 もしかして、やたら売る売る言ってジードを挑発したのは、彼のことを見極めるためだったんだろうか。

 

「切り札、ですか。最初のころは拷問などしましたが、特に何もありませんでした。隷属の首輪は壊すことなんてできないのでしょう?」


「そう思って安心していたが……」


「過去に壊せた人間はいるのですか?」


「少なくとも首輪を壊して逃げた奴隷の話は聞いたことがないな。首輪の強度や性能を確かめる実験でも、魔術師三人がかりでも壊せなかったそうだ。魔術師五人でようやく一部が壊せたらしい」


「一部というと」


「一番大事な部分が壊れたそうだがな。つまりあるじに危害を加えることができないという機能だ」


 その言葉にぞっとする。


「では壊れなかった部分というのは」


「あるじとのつながりだ。例えば一定期間あるじの許可なく離れていると死ぬというような部分だな。死ぬまでの期間は延びたようだが。いずれにしろあるじを殺せる状態にあるのだからもはや首輪の意味はなくなる。あるじが死ねばつながりも切れるからな。中途半端に壊れたため解放もできなかったようだし、あるじにとっては最も危険な状態と言える」

 

 ……あれ?

 っていうことは。

 もしかして、ジードがとある未来で私を殺すのもさらうのも、怒りの一撃で首輪を完全には壊せずそのつながりの部分が残ってしまったから?

 ギルの嫌味すらあっさり受け流すジードが私に殺意を抱くなんてどれほど恨みを買ったのかと思ったけど、殺したいからじゃなく殺す必要があったからだったの?

 まあさらう方の未来はちょっとアレな展開だし、復讐心もなかったとは言い切れないけど。

 殺したいほど憎まれていたわけじゃないかもしれないということに、少しほっとした。

 逆に、必要なら憎んでいなくても殺せるっていうところが怖いけど。


「でも数少ない魔術師はすべて魔塔に所属して国が管理しているのですよね。魔術師三人がかりでも壊せない魔道具ですから、魔力があるわけでもない男一人がどうこうできることはないでしょう。それに、ジードは私に懐いてきていますし」


 いやな言い方だと思うけど、お父様に納得させるためには仕方がない。


「懐きすぎてお前を女として見ているのではないか。お前は美しくなったしな」


「まさか。万が一そうだとしても首輪や指輪があれば私に何もできません」


「お前はどうなのだ。まさかあの男のことを……」


「見目の良い男ですから連れて歩くにはいいですが、私の好みではありません。私は細身の美青年が好きですから。どちらにしろ、元戦争奴隷と貴族の私が結ばれることは許されないでしょう」


 自分で言っていて胸が痛む。

 この国の法律では、貴族と自由民は結婚できない。貴族と平民も。

 愛した平民女性と何がなんでも結婚したい貴族男性が、女性を貴族の家の養子にしてから妻として迎えるといった裏技は存在するけど、それも男女逆は聞かない。

 ましてや元戦争奴隷の男をわざわざ養子にしてくれる貴族なんているはずがない。

 最低でも準貴族が相手でなければ、貴族の娘である私は結婚できない。

 ジードとは……結ばれることはない。


「ひとまず話はわかった。あの男をどうするかは、夏休みの終わりに考えよう」


「はい」


「それで……」


 そこで言葉を切って、お父様が一口お茶を飲む。

 言いづらそうだけど、なんだろう。


「私がお前を嫌っているという話……」


 また胸が痛む。

 聞きたくないと思ってしまう。


「あれは忘れてください。少し感情的になってしまっただけです」


「そうはいかない。それをまったくのお前の勘違いだったと言うつもりはない。シルヴィア……お前の母が亡くなったとき、たしかに一瞬……お前に対して親としてあるまじき黒い感情を抱いた」


「……」


 もう聞きたくない。


「あの事故はお前のせいではないのに、あの時は愛する妻を失って感情を抑えられなかった。だが、親が子を命がけで守るのは当然のこと。シルヴィアはお前を守れて満足しているはずだ。私が……間違っていた」


 うれしいというよりも、なぜ今さらそんなことを、という気持ちが湧き上がってくる。

 「今さら謝るなんて」と言ったギルの気持ちが今ならよくわかる。

 長年かけて溜まった心の澱は、謝罪を受け入れるのすら阻害する。


「お父様はその後も私を嫌い、遠ざけてきたではありませんか」


「周囲に横暴にふるまい、悪評ばかり立つお前を苦々しく思っていたのは事実だ。それを注意しても聞き入れることもなかったお前を、嫌っていたとは言わないが厄介だと思っていた」


「……」


「だが、それもお前に向き合ってこなかった私の責任だ。注意するだけではなく、なぜお前がそのようにふるまい、何を求めているのか。それを知ろうとしなかった私が悪いのだ。妻の死の辛さから目を背けるためにお前までも遠ざけ逃げていた。……すまなかった」


「なぜ今になってそんなことを」


 涙が頬を伝う。

 今日は我慢できなかった。

 でも、お父様のせいばかりじゃない。実際に私もお父様を避けていた。

 お母様が亡くなったばかりの頃は、たしかにお父様が私を遠ざけていたと思う。私に憎しみをぶつけられずにいる自信がなかったのかもしれない。

 でも大きくなってからは、私が常にお父様から逃げていた。もう子供じゃないのに、話し合って気持ち伝えることすらなかった。

 過去につらかったことなんか言っても仕方がない、能力のこともどうせ言ってもこの苦しさを理解してなんてもらえないと最初からあきらめていたけど、結局はお父様の胸の黒い棒を見るのが怖かっただけ。


「愚かな話だが、先日の泣きそうなお前の顔を見て、自分がいかにお前と向き合ってこなかったか、父親の役割を果たしてこなかったのか……お前のすべてから目をそらしていたことに改めて気づいた。今さらと言われても仕方がないことだ」


「私はお父様に嫌われるようなことしかしてこなかったのですから、お父様に謝っていただく資格はありません。それに、私もお父様から逃げていました」


「いいや私のせいだ。だが急にこんなことを言われてもお前は混乱するだけだろう。それでも、お前が許してくれるなら、これから少しずつでもいいから歩み寄っていきたい」


「……っ」


 涙があふれて止まらない。

 私の中にお父様を慕う気持ちはずっとあったのに、向き合うのはこんなにも簡単だったのに、どうして私は逃げてばかりいたんだろう。

 お父様が私のそばに来て、ハンカチを渡してくれる。

 私はそれで次々とあふれてくる涙を拭きながら、声を抑えて泣いた。

 どれくらいそうしていたのか。

 ふと顔を上げると、お父様が困った顔で私の近くをウロウロしていた。それがなんだかかわいらしく思えて、少し笑ってしまった。


「ハンカチ、洗ってお返ししますね」


「あ、ああ」


「今日はこれで失礼します」


「ああ。話せてよかった」


「……私もです」


 泣いてぐちゃぐちゃになったであろう顔を見られるのが恥ずかしくて、下を向きながら逃げるように部屋から出る。そのまま早足で廊下を歩いてもう少しで自分の部屋というところで、ギルの部屋の扉が開く。


「……ギル」


「足音がバタバタうるさいです」


「ごめんね。おやすみ」


 顔を見られないように目をそらしつつ去ろうとすると、「泣いていたんですか」と背後から声をかけられる。


「いいえ」


「嘘ですね。顔がまんじゅうに逆戻りしていますよ」


「大きなお世話」


「父上と何か? 叱られたのなら、あの奴隷男のこと以外なら僕が間に入って……」


「そうじゃないの」


 ギルを振り返る。

 彼は心配そうな顔をしていた。

 なんだ、憎まれ口を叩いていたけど、本当は心配してくれていたんだ。私がお父様の部屋からなかなか戻ってこなかったからかな。


「心配してくれてありがとう」


「別に心配なんてしていませんよ」


「ふふ、そう。私はもう休むわ。あなたももう寝るといいわ」


「眠くありません。僕の部屋で少し話しませんか」


 おっと……。

 お父様が同じフロアにいるから滅多なことにはならないだろうけど、二人きりになるのは避けたい。

 僕の姉上発言以降、宿題も一緒にやっていないし。


「私は眠いの。あなたもまだまだ成長期なんだから睡眠は大事よ」


「また子供扱いをする」


 溜息まじりでギルが言う。


「あの男とは二人きりで話すのに、僕はだめなんですか」


 苛立った様子で長い前髪をかきあげる。


「ジードは護衛騎士候補だもの、忠誠を得るためには色々話さなきゃいけないでしょう。首輪をしているから危険もないし」


「なら僕とは話す必要がないし僕は首輪をしていないから危険だと? 子供なのに危険なんですか? 不思議ですね」


 憎まれ口をたたくその口をぐにゅっとつまんでやりたい。

 屁理屈をこねさせたら天下一なんじゃないの、この子。

  

「ギル、あのね」


「またフラれた気分になりたくないのでおやすみなさい」


 それだけ言って、ギルは部屋に引っ込んでしまった。

 思っていたよりこじらせシスコンが重症なのかも。

 あの子とは距離を置かなきゃだめなのかな……。



 

 朝のジードとの散歩を終えて部屋で残りの宿題をやっていると、アンが手紙を届けてきてくれた。

 きっと姫香だ!

 アンにお礼を言って手紙を受け取り、急いで手紙を開ける。


『おめでとうございます!』


 当選詐欺みたいなうさんくさい書き出しだな、と思いつつ読み進める。


『ジードに殺されるという未来は、ほぼ消えました。弟さんのほうも大丈夫そうです』


 やったー!

 これで夏休み中に死ななくて済む!

 祝・雑魚悪女生存!


『ただ、ジードがあなたをさらうという未来はまだしぶとく残っています。以前見たものよりも丁重に扱われてはいるのですが』


 解放してそのままさらわれるっていうオチ? ひどいやつだな、ジード。

 でも、それはそれで幸せなんだろうか。この国にいてもジードと結ばれる道はほぼないし。

 とはいえお父様が黙っていないだろうしなあ。


『ジードとの暮らしは幸せではあるようですが、慣れない外国での生活で弱ったせいなのか、あなたが流行り病であっさり死んでしまうという未来が見えました。なのでさらわれるのは阻止してください』


 わぁぁぁそんな!

 なんかもう、運命が私を全力で殺そうとしてない?

 私って死ぬルート多すぎじゃないですかね!?


『もうすぐあなたの運命が決まる日がくるようです。それ以上のことは見えませんでした。これ以上のアドバイスはできそうにありません、申し訳ありません』


 謝る必要なんてないのに。

 予言に助けられてここまで生き延びることができたんだから、本当にありがたい。

 でも、どうして姫香はここまでして雑魚悪女の私を助けてくれようとしたんだろう?

 予言って本来ならこんな風に個人の運命を変えるために使っていいものじゃないだろうに。

 そう思いながら再び手紙を読み始めると、そこに答えが書いてあった。


『私は自分の意思に関係なく召喚されました。日本にいた頃からこの運命は予知能力でわかっていましたし聖女として厚遇を受けていますが、生まれ育った国のすべてを奪われたことはやはりつらいです』


 そうだよね。

 きっと姫香にだって家族はいただろうし、いくら厚遇されていても違う世界に放り込まれて生活すべてがガラリと変わって平気なはずがない。

 小説の主人公でみんなに大事にされている姫香をうらやましく思っていたけど、勝手に召喚されて聖女として祀り上げられたそのつらさを、私は軽く見ていた気がする。

 私は前世を急に思い出したとはいえ、日本できっちり死んで赤ちゃんの頃からこの世界で生きてきたんだから、この世界での生活には違和感がなかった。

 簡単に姫香がうらやましいとか思っちゃって申し訳なかったなあ。


『あなたは日本からの転生者ですよね。それを知ったのは夏休みに入ってからです。急にあなたの運命の分岐を見るようになりました。転移と転生、違いはあれど日本を知る人がいるのだとわかってうれしかった。だから、前世を思い出したあなたとお話ししたいとずっと思っていました。でも、あなたの運命がはっきりしないうちは会えないと思っています。あなたと会って喜びを感じて、その後あなたに何かあれば私はまた一人になってしまうから』


 姫香、本当に寂しかったんだね。

 無事に生きのびて、姫香といろいろ話がしたい。


『夏休みが終わったら、是非あなたとお話ししたいです。どうかこの先のあなたの運命が幸せなものでありますよう』


 手紙はそこで終わっていた。


 とりあえず、さらわれないようにしなければいけないということはわかった。

 わずかな時間でも一緒にいられて幸せなのかもしれないけど、やっぱり早死にはしたくないしジードだって自分を責めるだろう。

 そのうえで、ジードをどうしたら彼は幸せになれるんだろう。

 それは彼自身に決めてもらうべきなのかな。

 彼にとって人生がかかったことを、私が決めるというのも傲慢なのかもしれない。

 彼がどんな道を選んでも、……自由になりたいと願っても。

 私は、それを受け入れなきゃ。

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