第24話 死亡フラグという恐ろしいものがありまして


 夏の暑さが和らぎ、少し風が涼しくなった頃。


 陛下が、崩御された。


 まだ四十五歳。持病も知る限りはなかったんだが、とお父様は言っていた。

 真っ先にオフィリア妃が何かしたのではないかと疑われたけれど、陛下のご遺体には傷がなく毒物も検出されなかったこと、陛下と二人きりになる夜はオフィリア妃が毎回入念なボディチェックを受けていたこと、オフィリア妃が誓約の指輪をつけていたことなどが考慮され、彼女は無関係で陛下は病死だと判断された。


 陛下崩御の事実は国民の知るところとなったので、ジードにも知らせた。

 彼は、暗い目をしていた。

 喜んでいるようにも、憎んでいるようにも、何も感じていないようにも見えるその表情が少し怖かった。

 やがて、彼の口元にうっすらと笑みが浮かんだ。

 その表情に一瞬ジードの関与を疑ったけれど、彼は王宮に近づくことすらできない。

 ただざまあみろと思っただけだったんだろうか。


 お父様によると、王宮内に大きな混乱はなかったという。

 すべての貴族たちの承認を受けて王太子殿下が新国王となり、国葬もつつがなく執り行われた。

 喪が明ければ即位のパレードも行われる。

 まるであらかじめ準備していたかのように、流れるように新体制へと移っていき、ひと月も経つ頃には人々は完全に日常を取り戻していた。


 実際、王太子殿下やごく一部の重臣は知っていたんだろう。

 この国には「予言の聖女」がいるんだから。

 陛下御本人が知っていたかどうか定かではないけど。



 新王をたたえる声が日増しに強くなって、新年を迎えた頃。

 春にエドゥアの地で魔獣が大量発生するという予言の聖女の言葉が、国民に伝えられた。


 ジードいわく、エドゥアでは魔獣が大量発生する前に定期的に魔獣の拠点へと赴き魔獣狩りを行ってきた。戦後その体制が完全に崩れ人里に現れた魔獣だけを討伐してきたから、奥地で繁殖した魔獣が成獣となり、動きが活発になる春に一気に人里に降りてくるのだという。

 これが、あの時姫香がジードに言っていた「エドゥアの地で起こるアレ」なのだとわかった。

 そしてあのとき、姫香は殿ご報告済みだと言っていた。

 魔獣大量発生が起こる際、当時の陛下がこの世にいないことを既に知っていた。そして、ジードも姫香と話したあの時にそれに気付いていたんじゃないかと思う。


 魔獣討伐については、特に腕の立つ者だけを集めたいくつかの小隊が魔獣の発生源といわれる森に入って巣穴を叩くという方法で行われることになった。

 森では大人数は動きづらく、また巣穴を叩く前に魔獣に気づかれやすいからという理由らしい。

 その危険な任務である巣穴狩りの人員を、上級ランクの冒険者や貴族の家に属する騎士からも募ることになった。

 義務ではなくあくまで希望者ということで、褒賞金目当て、腕試し、王家への忠誠、王宮騎士志望等、様々な理由で多くの人が集まったという。最終的に王家所属の騎士含め百数十名が魔獣討伐にあたることになった。

 そして我が家からはジードとキース卿が選出された。

 キース卿はダニエルを追放したときに一緒にいた騎士だけど、我が家ではロバート卿に次ぐ腕なんだとか。ジードを除いてだろうけど。

 お父様は何も言わないけど、ジードの参戦に関しては王宮内でも色々言われたんじゃないかと思う。

 エドゥア出身の元戦争奴隷がエドゥアに魔獣討伐に行く。皮肉な話であると同時に、警戒する人も多かったんじゃないかと。

 それでもジードの推薦を取り下げなかったのは……私のためだろう。

 最終的に、陛下が対魔獣の知識が豊富にあり優れた戦士であるジードを討伐隊に入れたいと言ったことで、討伐隊入りが決まったのだという。

 姫香がそう言ったわけじゃないけど、陛下にジードを推したのは姫香なんじゃないかと思う。

 私のために地位の向上を目指すこと。エドゥアの地の魔獣を倒すこと。ジードの望みであるその二つをかなえる方法が、これしかないと知っていたから。


 そして、ジードが討伐に旅立つ日がやってきた。

 今日だけ特別に、ジードは私の部屋にいる。

 テーブルをはさんで向かい合わせに座り、温かいお茶を飲みながら、ぽつりぽつりと会話を交わす。


「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。お茶ごちそうさま」


 その言葉にぎくりとする。

 ジードはとても強いと聞いた。姫香は心配いらないと予言をしてくれた。でも運命が変わることがあるのは身をもって体験している。

 ……怖くて仕方がない。


「そんな顔をするな。俺は絶対に生きて帰ってくる。これが最後じゃない」


「うん」


 涙は不吉だから、無理に笑顔をつくる。でも、泣き出しそうな変な顔をしているんだろうなと思う。


「セレナ。帰ってきたら言いたいことが」


「それ不吉だからやめて」


 死亡フラグそのまんまじゃない!

 私の心配をよそに、ジードは笑った。


「なら今言う。愛してる、セレナ。一度の討伐では無理かもしれないが必ず地位を手に入れるから、その時は俺の妻になってくれ」


 それはそれで“俺、この戦争が終わったら結婚するんだ”の死亡フラグじゃない……。

 怖すぎる。

 私は椅子から立ち上がり、座っているジード頭を抱いた。


「私も愛してる。あなたと生きていきたい。でもそのために無理はしないで。絶対に私のもとに帰ってきて。あなたが生きて傍にいてくれるだけで、私は幸せだから」


「ああ」


 力が入らない様子のジードが、私の胸元に頭を寄せる。


「俺がくたばれば弟を筆頭に他の男が嬉々としてセレナを狙い始めるだろう。そんなのは許せない。ほかの男になんて渡せるかよ。だから必ず生きて戻る」


 ジードが言うほどにはモテないんだけどね。

 婚約者もいない立場だし近づいてくる男性が増えたのは間違いないけれど。


「……うん、信じてる」


 不意打ちのように、ジードの唇に軽くキスをする。

 ジードが脱力してずるずると椅子から落ちた。

 「くそ、不便極まりない!」という言葉に、思わず笑ってしまった。



 魔獣討伐は、エドゥアへの移動も含めて二か月にも及んだ。

 その間、私は学園の財務科一年になった。

 順調だという戦況報告を聞きながらも、卒業してからも時々会う姫香の大丈夫という言葉を聞きながらも、私は不安をぬぐえなかった。

 授業を終え、このあと一緒にお茶でもという同じ科の男性の誘いを断りつつ家に戻ると、玄関ホールにキース卿がいた。


 キース卿だけが。


 ギルバートが、複雑な顔をしてこちらを見ている。

 心臓が、いやな音をたてる。


「お嬢様。ただいま討伐から戻りました」


「キース卿。ジード、は……?」


「うちの小隊は王宮騎士の小隊長が早々に魔獣にやられて死んだので、ジード卿が指揮をとりました。皆最初は反発していたのですが、その強さと指示の的確さに皆自然と従うようになりました」


「それで……?」


「小隊ごとに一週間森にとどまって巣穴捜索と魔獣討伐を続け、森から出て別の小隊と交代する、という生活がしばらく続きました。最後に森に入った際にも、魔獣の巣穴を見つけまして。そこを叩こうとしたときに、背後から大量の魔獣が現れて挟み撃ちにあったのです」


 胸がドキドキと苦しい。

 まさか。

 そんなはずはない。けれど。


「ジード卿はここは俺が防ぐから魔獣の巣穴を叩け、俺に任せて先に行けと。長く続いた魔獣討伐で疲弊しきって残り体力もわずかな私たちは、巣穴から出てくる魔獣と巣穴の中の幼獣を討伐することを優先させました……」


 手が小刻みに震える。

 息が苦しい。


「巣穴の魔獣を倒し、戻ってみると」


 いやだ、聞きたくない。やめて……。


「ジード卿が大量の魔獣の死骸の上に立っていました。血まみれになりながらも堂々と立つその姿は、まさに英雄!」


 ……。

 ん?


「その他にも目を見張るような手柄をいくつもたてたジード卿は、王城で褒賞を受けることになりました! 今はその準備で王城にいらっしゃいます!」


「それを先に言って!!」


 思わず声を荒げて鞄を床にぶん投げてしまった。

 力が入らなくて、情けなくもその場にへたり込む。


「大丈夫ですか、姉上」


 ギルが近づいてくる。


「キース、ご苦労だった。下がって休め」


「はっ」


 キース卿が玄関から出ていく。

 ギルはいまだに力の入らない私の手を引いて立たせた。


「あんたジードが無事なのを知っててキース卿に長々話させたわね。性格悪い」


「性格が悪いとは心外ですね。ああ、キースの話は長いので有名ですよ。よく要点を先に言えと父上に怒られています」


「……」


「そんなに繊細では戦士だの騎士だのとは付き合えませんよ」


「そうよね。それはあなたの言うとおりだわ」


「あの男から乗り換えるならいつでも言ってください。僕ならいつでも大歓迎ですので」


「……え?」


 ギルはにっこりと笑うと、二階へと上がっていった。

 えーと。

 気持ちは封印したんだよね?



 それから数日間は、ずっとそわそわと落ち着かない日が続いた。

 今日も学校が終わって宿題を終え、ダイエットもかねて庭を一人で散歩する。

 今日も帰ってこないんだろうか……?

 やる気が出なくて、ベンチに座り込んでうつむく。

 以前はよくここに座って、剣を振るジードを眺めてたなあ。もうずいぶん昔のことのように思える。

 そんなことを考えていると、ふっと光が陰った。


「……。相変わらず足音もしないのね」


「別に気配を殺して近づいたつもりはないんだが」


 顔を上げる。腕に包帯を巻いていて、頬に擦り傷があるけれど、私を見下ろす優しい目は旅立ったあの人変わらない。


「ただいま」


「おかえり、ジード」


 ベンチから立ち上がって、一歩近づく。

 泣いてしまいそうだけど、ギルの言う通りそんなに弱々しくては彼とは付き合っていけないんだろう。


「怪我は?」


「擦り傷以外は腕だけだ。それもじきに治る」


「じゃあ抱きしめていい?」


「俺の惚れた女は積極的だな。もちろん大歓迎だ」


 ジードがおいでというように両手を広げる。

 許可を得たので、そっと抱き着く。

 心配だった。会いたかった。ずっと会いたかった……!

 太い腕が私の背中に回って、私を強く抱きしめる。

 ……あれ?


「ジード?」


「なんだ?」


 私の髪を優しく撫でながら、ジードが言う。


「なんだ? って……脱力したりしないの?」


「してほしかったのか?」


「そうじゃなくて」


 ジードが少し体を離して、私に左手を差し出す。

 その中指にはまっているのは以前と変わらず誓約の指輪だったけど、石が赤から紫に変わっている。

 紫の石といえば、王族に仕える人がするもの。


「ジード、王宮騎士になったの?」


「そういうわけじゃない。王宮に出仕するわけでもないし、まあ名誉騎士みたいなものだ。あとは金と剣をもらった」


 たしかにジードは腰に立派な剣を佩いている。


「さすがに一度で騎士爵とはいかなかったな。だが最初はこんなものだろう。幸い王はエドゥア出身の俺に偏見はないようだし、来年の春あたりの魔獣狩りでまた手柄を立てるさ」


 また心配して待つのかと思うと少し気が重いけど、これがジードの生き方なのだからそれを受け入れなきゃ。


「それより、セレナに忠誠を誓った指輪を勝手に外してしまってすまない」


「あなたのあるじでいたいわけじゃないから構わないわ。赤の指輪が外れたということは、元奴隷という扱いを受けなくなるということよね。それがうれしい」


 妬みから陰口を言う人もいるかもしれない。

 それでも、陛下が活躍の褒美に紫の誓約の指輪を与えた人を、表立って蔑む人はいないはず。


「俺はセレナが元戦争奴隷を連れ歩いていると言われなくなるのがうれしい」


「私はそんなの気にしたことはなかったわ。それよりも、私の護衛騎士を続けてくれるの?」


「もちろん。石の色が何色になろうが、俺はセレナの護衛騎士だ」


「でも私に対する誓約がない状態で、お父様が許してくれるかどうか……」


「赤の指輪を外す前に伯爵に許可はもらった。ただし結婚前の娘を傷物にしたらたたき出す、むしろ殺すと言われた」


 傷物って、お父様……。

 思わず赤くなってしまう。


「伯爵との約束は守る。俺もセレナが大事だからこそちゃんとしたい。だが……これくらいなら許されるだろう?」


 ジードの指が、私のあごの下にそっと当てられる。

 私は彼の指にうながされるまま顔をあげ、そっと目を閉じ……。


「オホン、ゥオッホン!」


 わざとらしい咳払いに驚いて、慌ててジードから離れる。

 苦い顔をしたお父様がそこに立っていた。

 気まずい、父親にこういうシーンを見られるのは死ぬほど気まずい!


「無粋ではありませんか?」


 ジードが余裕の笑みをお父様に向ける。

 強気すぎでしょう……。


「変わらず我が家に仕えるのなら立場をわきまえることだ」


「大変失礼いたしました」


 悪いとも思っていない様子でジードが頭を下げる。

 その鋼のメンタルがうらやましい。


「私は娘の幸せを願い、娘の気持ちを尊重する。だが、あくまでその時のそれぞれの立場に合った慎重な行動をすべきだな」


「肝に銘じます」


「わかればよろしい。セレナ、お前も家に入りなさい」


「はい」

 

 お父様がきびすを返して家に向かう。

 その隙をついて、ジードが私の腰を抱き寄せ、頬に口づけた。

 何かを察したのかお父様が振り返るけれど、その頃にはジードは私を離してわざとらしい笑みを張り付けていた。


「生殺しの日々から半生殺しの日々に昇格したな」


 ぼそりとジードが言う。

 私は吹き出さないので精いっぱいだった。




 その後、二度目の魔獣討伐でジードはついに騎士爵を叙爵され、私たちは結婚準備をし始めた。

 すべての準備が整ったところで三度目の魔獣討伐が行われ、そこでも魔獣討伐に大きく貢献したジードは新設された対魔獣騎士団の初代団長となった。

 ジードはどうやら対魔獣戦ではチート級に強いらしいけれど、急すぎる出世にかえって戸惑った。

 出自を問わない陛下の人材登用を、褒めたたえる者もいれば眉をひそめる者もいたらしい。

 でも、姫香は「魔獣討伐を重ねるごとにジードさんは認められていくから大丈夫」と言っていたので、きっと大丈夫なんだろう。

 この人事の裏にも姫香の力があったんじゃないかと思って尋ねたけれど、「陛下は私の予言だけで動く人じゃないから」という肯定とも否定ともとれない返事をもらっただけだった。

 でも、きっとそうなのだろう。いくら魔獣の対応に慣れていて桁外れに強いとはいえ、元戦争奴隷だった人が新設とはいえほんの数年で騎士団長になるなんて、普通ではありえない。反発も大きかったはず。

 それでも就任までこぎつけたのは、背後に姫香の予言があったからなんだろうと思う。この国においては予言の聖女の言葉は絶対なのだとあらためて思い知った。


 やっぱり小説の……この世界の主人公は姫香なんだろうな、と思う。

 人々を助け、導き、時に王すら動かす。皆の尊敬と愛を一身に受ける存在。

 そして私は姫香中心の舞台の端役にすぎないのだろう。

 姫香に助けられつつ死なないよう必死でもがき、また姫香に助けられた。

 でもそれでもいいかと思う。

 私の人生においては、私が主人公だから。

 姫香に感謝をしつつ、自分にできることをしながら頑張って幸せに生きていこう。



 ジードが騎士団長に就任したころ、私も無事財務府の事務官となり、対魔獣騎士団長と財務府事務官という珍しい組み合わせの夫婦が誕生した。

 ようやく愛する人と人生を共に歩める幸せをかみしめながらも、半生殺し生活から解放されたジードの情熱的な愛を身をもって知る日々が続いた。

 マリエル嬢の言っていたことは一部正しかったな、と思った。

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