11-1
廊下も扉も天井も、目に入るほとんどが白黒反転している城内において、赤い絨毯が敷き詰められたこの部屋は異質だった。飴色に艶めくワードローブが部屋を囲み、そこには彩り豊かなドレスや衣装が様々掛けられている。正に圧巻と言う他なかった。自分の家の総面積より何倍も広いクローゼットルーム。天井には豪華なシャンデリアが煌々ときらめいている。そのシャンデリアの真下、部屋の中央部分に三体のマネキンが背中合わせに立っていた。
「きれい……」
まるで吸い寄せられるように、一際美しい輝きを放っている純白のドレスの前で足を止める。繊細なレースの刺繍の中で、星のように輝くスパンコール。薄く重ねられたスカートはふんわりと可愛らしく、背面を覗けば生地をたっぷり使ったボリュームのある装飾が施されている。マネキンに表情は無いはずなのに、そのドレスとヴェールを身にまとった少女はとても美しく、幸せそうに見えた。
『気に入った?』
すっかりドレスに見惚れていると、後ろから声を掛けられた。恥ずかしさか後ろめたさか、つい誤魔化すような台詞が口をついてしまう。
「でも、わたしに似合うかな……」
『心配しなくても、サイズはきみにぴったりだ』
「それもだけど、そういうことじゃなくて」
言葉に迷っていると、彼は首を傾けて少しだけ考える素振り見せた後『なるほど』と呟く。わたしの顔を覗き込み、そっと頬に手のひらが触れた。見た目よりもずっとあたたかい指が、目の下の薄い皮膚を優しく撫でる。
『これは、きみの美しさを引き立たせるためにあるものだ。遠慮する必要なんてどこにもない。きみはこのドレスに引けを取らないくらい、きれいだよ』
長い睫毛に縁取られた下瞼がしなり、なだらかな半円を描く。この黒い《ひと》は近くで見ると、それはそれは美しい容姿をしていた。つるりとなめらかな白磁の肌に、彼を象徴するモノトーンの中で唯一彩りを乗せる瞳と唇。その顔立ちを引き立てるように艶々と輝く濃色の黒髪がフレームになって、この白黒の空間の中で存在感をより強めていた。単純に整っているかどうかで言えば、きっと赤アリスの方が誰が見てもきれいで可愛らしい顔をしていたはずだ。けれど、彼の美しさはまた違う。佇まいに風格と気品があり、所作や浮かべる表情が一々その場に相応しく、様になっている。現にこんな歯の浮く台詞を言われても、違和感どころか嬉しさと少しの自信が湧いてくる気分になるのだから相当だ。存在の不気味さが勝って気が付かなかった。こんなにも美しいひとだったことを今更実感して、何やら気恥ずかしくなる。真っ直ぐな視線から逃れるように顔を逸らし、このドレスにすると選んだ。
これからわたしたちは、婚礼の儀式を行う。らしい。
「婚礼って、何するの?」
『神様の前で、愛を誓い合う』
「うーん……」
それはそうだなのだろうが。この世界での、その上彼の言う単語のそれぞれが果たして何を意味しているのか皆目検討がつかない。ともかく、それらしく着飾り、祭壇の前に立ち、神の前で愛を誓い合い、許しを得る、らしい。
『今日はとてもタイミングがいい。きみがぼくの前に現れてくれたのは運命だったのかもしれないね。きっと神様が引き合わせてくれたんだろう』
彼は微笑みながらそう言っていた。
正直、わたしは彼の「花嫁になる」という実感はない。確かにわたしは彼の手を取ったし、彼もわたしを選んでくれているのだと思う。けれど、わたしたちは別に愛し合っているわけではなく、そもそも彼の正体すらいまだによくわからない。ただ、わたしが「結婚式」というものに少なからず興味と憧れがあったのは事実だ。この先もう経験することができない憧れを叶えられることに嬉しさは感じるし、実際想像以上にきらきらしたドレスを目の前にして否が応でも気分は高揚した。こんなままごとみたいな感覚で臨んでいいのかはわからなかったけれど、儀式なんてきっとそんなものだろうと思えば、何となく納得できた。
***
ドレスの着付けを手伝ってくれたのは、黒羊たちだった。彼を取り巻く靄状の気体のような液体のような何かから無限に湧いて出てくる羊は、大から小まで大きさも様々で相変わらず見分けは全くつかなかった。その羊たちにドレッサールームへと連れて行かれ、先程選んだ白くて肌触りもなめらかなドレスに腕を通していく。背中を留めてもらうと、ドレスは不自然なほどぴたりとわたしの身体にフィットした。きつくも緩くもない。それどころか、羽のように軽くて動きやすい。丈も絶対に足がもつれてしまうだろうと思うほど長かったのに、丁度良くなっていた。随所にあしらわれた細かな刺繍やレースの繊細さに、思わず胸が高鳴って頬が緩む。こんな豪奢で美しい服を着るのは初めてだった。
きれいなドレスを身にまとった後は、お化粧や髪のセットで大忙しだ。黒羊たちは実に器用に立ち回って、ドレスを着ていることも相まってまるでお姫様のように甲斐甲斐しくお世話をしてくれるなあとぼんやり思った。その間わたしができることと言えばじっとしているだけだったけれど、しばらくしてから一匹が鏡を見るように勧めてきた。反射的に躊躇ったが、流石にこんなきれいなドレスを着ているのだから見ておかないのも勿体ないと思い直す。覚悟を決めて、おずおずと鏡を覗んだ。
そこには、とても「わたし」とは思えない少女が立っていた。化粧が、衣装が、髪型が違うからそう見えるとか、恐らくそういうことではない。そこに立っているのは、わたしが記憶している「わたし」ではなかった。自分の顔の面影は確かにある、と思う。けれど、こんな衣装を違和感なく着こなせるような容姿でもスタイルでもなかったはずだ。これも「わたしがそう望んだ」からなのだろうか。何にせよ、ドレスに申し訳なさを感じるほどの状態じゃないことにほっと胸を撫で下ろした。
最後の仕上げに花と蔓をモチーフにしたティアラとヴェールをセットされて、黒羊たちに裾を持ち上げられながらホールへと向かう。ホールの真ん中に、彼は静かに佇んでいた。彼もてっきり何かそれらしい衣装を身に付けるのかと思っていたが、服装は変わらない。正確には、変わっているのかも知れないがよくわからなかった。それだけ彼の身体は周囲の黒色の中に溶け込んでいて、ヴェール越しでは尚更細かな装飾まで目が行かない。
こちらに気付いた彼が振り向き、目が合ってから優しく笑った。
『きれいだね』
「そう……ありがとう」
ヴェール越しとは言え、まじまじと見られると恥ずかしくなる。どこか変なところはないか反射的に心配になったものの、ふるふると頭を振る。事前に鏡で確認しておいて良かった。俯かずに御礼を言えたことが嬉しかった。
彼が脇に隙間を空けて、腕を通すように促す。緊張しながらそっと手を掛けて、一度顔を見合わせた。彼がゆっくりと足を踏み出し、それに合わせてわたしも歩き始める。
「結婚式の作法なんて知らないんだけど、大丈夫かな」
『平気さ。神様の前まで一緒に行くだけだから』
どこに向かうのかもわからない道中で一度訊いてみたのだが、やはり答えになっているのかいないのかわからない答えだった。とは言え、これ以上質問を重ねたところで意味もないのだろう。二人と数匹で静かな城の中を歩いていると、目の前におかしな壁が現れた。美しい様式の中で唐突に様相を異にする、蔦や苔だらけの石積みの壁。歩いていたのは城内のはずなのに、城の中をえぐって壁が迫り出しているようだ。なだらかなカーブを描き天井まで突き破っている様子は、塔のような円柱形の建物であることを連想させた。そしてそこには、この広くて豪奢な城にはあまりに不釣り合いな、古ぼけた木製の扉があった。
先導して歩いていた二匹の黒羊が、軋んだ音を立てて扉を開ける。
果てしなく続く、暗くて狭い石造りの螺旋階段が茫漠と存在していた。
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