03-2 《 151 helioblue reddish 》

「おまえなあ……からだの使い方もわかってねえんだから、あんまり無茶すんなよ」


 ばさり、肩が重くなる。余程顔色が悪かったのか震えがひどかったのか、呆れた声と共に彼女から与えられたのは防寒着だった。触れただけで伝わるほど暖かく、視界に入るだけでわかるほど派手。袖を通す動きに合わせて垂れるケープとフリンジが一層、観光地に浮かれ切った異邦人感を演出している。極め付けは幼稚園以来付けたことのないミトン型の手袋と、ついでとばかりに彼女の頭からわたしの頭へかぶせられた帽子だ。今のわたしはきっと、赤と青の動く布の塊にしか見えないだろう。

 対する彼女はと言えば、至って軽装に見える。海亀さんの店で別れたときよりも多少厚着だったり雪道用の靴を履いてはいるものの、寒さを感じているような様子は見受けられない。どこか形式的な、それこそ旅行先で民族衣装を体験しているような雰囲気で、わたしと同じ派手な色柄の衣装を見事に着こなしている。


「こんなとこで何してんの」

「アリスさんのこと捜してて」


 外気を遮断しているだけで、こんなにも暖かい。ぽかぽかと戻ってきた体温と安堵感から、口の中に力を入れなくても自然に話し出すことができた。


「だからその呼び方やめろって」

「でも、他になんて呼べばいいのかわからないし……」

「んなもん適当でいいだろ、適当に──赤アリスとか。イジンの連中にはそう呼ばれてるし」

「それがあなたの名前なの?」

「ばか、そんなわけねえだろ。そもそも名前なんかねえんだよ、ここに落ちて来たやつはみんな」


 解釈が難しかったが、ひとまずそれを彼女の「名前」として扱うことにした。

 ざくざくと、雪が厚くなってくる。先導する少女は、長くしなる棒のような物を前方に振り回しながら歩いている。その棒が木の幹に当たる度、道をあけるように木の幹がよじれていった。貧弱な運動靴のせいで時折滑りかけながら、置いて行かれないように後ろを歩く。そう言えば、わたしはいつの間に靴を履き替えていたのだろう?


「見ろよ。こいつはアタリだな」


 明るい声に顔を上げると、急に視界が開けた。

 薄暗い森に慣れた目には眩しく、思わず目を細める。しかしそれも、ほんのわずかな間だけ。



「うわぁ……」


 一面、湖だ。

 湖面は恐ろしく透き通り、晴れた空と雪を纏う木々を完璧に映し出していた。深い深いブルーに閉じ込められた、箱庭の世界。



「けっこういいとこじゃん、来た甲斐あったぜ」


 弾むような調子で言い放った少女が、そのまま跳ねて湖面に足を踏み出した。反射的に目を背けたものの、湖に落ちることもなくつるつると滑っている。湖の際に寄って軽く手で押してみると、凍っていた。ミトンを付けた手で何度か叩いてみてもびくともしない。恐ろしいくらいの透明度だ。


 わたしが氷の具合を確かめている間中、軽快、と言うには激しいスケート音が鳴り止まない。氷上に視線をやると、赤アリスが上級者並みの足捌きでスケートを楽しんでいた。しかも、雪靴のままで。スピードスケートのようなコーナリングをしたり、フィギュアスケートのように回ったり。何か叫んでいるなと耳をそばだててみると、笑いながら「止まんねえ」だとか「面白え」だとか連呼していた。

 流石にあそこまで勢いよく滑りたくはないけれど。凍った湖でスケートできるなんて、憧れないわけがない。しばらくその場にしゃがみ込んで悩んだものの、意を決して岸にお尻をついてからまずは靴で氷の強度を確かめる。そんな調子でもたつきながらようやく四つん這いで地面から離れようとしたところで、急に脇の下から掴まれて立たされる。


「うわっ、ちょ、やめて!こわいこわい……!」

「はは、ビビり過ぎだろ。こういうのは楽しまなきゃ損だぜ」


 文字通り凍りついたように硬直しているわたしの腕を掴み上げ、その場でくるくると回される。そのままもう一方の手を取られて向かい合いながらゆっくりと湖面を滑る。怒ったような顔ばかり見ていた気がするが、両目を細めて快活に笑うその表情は年相応の──実際の年はわからないけれど──少女らしい無邪気な笑顔だった。はしゃいだ様子に目を離せないでいる内に、足元に当たる触感が変わる。


「あっ、スケート靴になってる!」


 にょっきりと、運動靴からスケート用の刃が生えていた。小学生でももう少し上手くやりそうな魔改造的な見た目なのに、不思議と不安定さもない。赤アリスは靴が変化した様子をまじまじと見つめ、「そういうのが向いてんのか」と呟いて、自分の靴底にもブレードを出現させた。そうして急に手を引かれ、滑り心地を試すかのように猛スピードで走り出す。が、何年振りかもわからないようなスケート初心者にそのスピードはあまりにも早く、かと言って他に縋るところもなかったのでへっぴり腰になりながら地獄のジェットコースター体験をする羽目になった。



 こんなに笑ったり、叫んだり、ましてや同年代の子と遊んだりするのはいつ振りだっただろうか。

 わたしたちは飽きるまで、二人ぼっちの氷上スケートを楽しんだ。

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