04-2 《 184 dark Naples ochre 》
「そっから入るから、適当に並んで通っといてくれ」
そう言われて今わたしは、行列に並んでいる。
休憩のためと訪れた場所は、最初に落ちた屋台街や森とはずいぶん雰囲気が違っていた。
境目がなく唐突に入って唐突に出てしまう先の二箇所とは異なり、ここは明らかに外側と隔てるための『塀』が存在している。いざ近づいて見上げてみると、塀のてっぺんがどこにあるのかわからない。それくらい高かった。
つるりとした質感の塀の下に、ねずみの巣穴のようにぽっかりと小さく開いた空間がある。これがどうやら、ここに出入りするための《関所》らしい。荒野では人っ子一人見かけなかったのに、列に並んで待っているヒトは存外多い。何となく、イジンたちの形や服装も屋台街とは違っているようだ。並び始めてからしばらく経つけれど、列の動きは遅々として動かない。わたしの前に並んでいるイジンさんの身体がとても大きかったため、前方のゲートでどんなやりとりが行われているのかは見えなかった。
入国審査みたいなことでもしてるのかな……。
一人で待っているとだんだん不安になってくる。
海外旅行にも行ったことがないし、実際入国審査で何をしているのかなんてテレビや映画で見たくらいのことしか知らない。わたしはイジンでもちゃんとしたアリスでもないのに大丈夫なんだろうか。もしかしたらパスポートのような物が必要なんじゃないだろうか。持っていないことがバレて捕まってしまったらどうしよう。審査で何か訊かれてしまったらどう答えよう。そもそも言葉が通じるのかもわからない……早く、戻って来てくれないかな。赤アリスは一体何をしているのだろう。列は非常にゆっくり動いているはずなのに、考え込んでいる内にずいぶん順調に進んでしまっている。観光です、ということを何とか身振りで伝えるためのジェスチャーを頭の中で繰り返し再生していると、ついに順番が来てしまった。
ゲートは壁と同じで、金属と石の間のようなつるりとした素材でシンプルな造形をしていた。緊張で胃がひっくり返りそうになりながら、ゲートの内側にいるイジンの前に立つ。
が、少し待っても何も話しかけられない。そのまま通ってもいいのだろうか。でも、それが間違いで捕まりでもしたら非常に困る。
「あの、……こんにちは」
返事がない。
「ここ、通りたいんですけど。えっと、観光で」
思い切って手振りも加えてみたが、目も合わせてくれない。というより、帽子の下には目すらない。気まずい沈黙が流れる。
途方に暮れているわたしの後ろから、「なにモタモタしてんだよ」と呆れた声がする。待ち望んだ助け舟に振り返ると、いつの間にかイジンさんたちの整列は消えていて、関所の中はわたしと赤アリスを除いて無人になっていた。彼女が引いていた、身体の大きさに不釣り合いな無骨なバイクはどこにも見当たらない。
「なにも言ってくれなくて……どうしたらいいの」
「おまえ真面目だなあ。不安なら紙か手の甲でも出してみれば」
紙? と思いながらも、日記帳の新しいページを出してみる。微動だにしない警備員さんはそのまま動かず、台の上に置いた紙に一瞬でレーザーのようなものが照射された。ジュッ、と焼けたような音がすると同時に紙面に焼き付けられていたのはよくわからない模様と数字の羅列。あまりにも一瞬の出来事に目を剥いた。
「てっ、て、……手の甲出してたら」
背筋が一気に粟立つ。咎めるような目で振り返ると、赤アリスは顎を上げてにやりと笑った。
「いいもん持ってて良かったな」
「悪質だ!」
「別に死にゃあしねえんだからよ」
赤アリスは笑いながらわたしに前を歩くよう促した。一体どんな倫理観をしているのか。責めようと口をもごつかせている間にせっつかれて、関所を抜ける。彼女はと言えば特に紙も手の甲も出していなかったが、通報音が鳴ることもなければ警備員に取り押さえられることもなかった。ビビり損だ。
***
塀の中は広く、埋立地のビジネス街のように背の高い建物が密集している。都会めいた雰囲気だが、一番最初に感じたのは圧倒的な違和感だ。
遠目に見たら立派な建物も、近くに寄ると構造的におかしい。入り口がなかったり、窓が全部嵌め殺しのようになっていたり、歪んでいたり、曲がっていたり。直線的に見える建物でもよく見ると真っ直ぐにはなっていない。作りかけで放置された粘土細工のようにいびつで、テーマパークのハリボテのように無機質だ。
そして、ヒトの気配がない。
歩いているヒトは居るのだけれど、空間に対して数が少な過ぎる。時折吹いてくる強い風に目を細めながら、それ以外には何の音もなくしんと静まり返る街。ヒト気がなく、生気がない。それがこの、説明しがたいいやな気分の原因なのだろう。
関所に入る前に感じた不安な印象が拭えないまま、わたしたちは比較的歪みがマシな高層タワーのエレベーターに乗って、高級ホテルのフロントのような場所へ辿り着いた。ひとまず荷物を預けるように言われたので、少し不安な気持ちはあったが日記の入ったかばんを預ける。手ぶらが落ち着かない。
赤アリスが受付のイジンさんと話している間に、ホテルのフロントを眺める。このホテルも街の雰囲気と違わず装飾過多、なのに調度品の大きさやテイストが合っていなくてちぐはぐだ。バランスが悪い物を見ているとこうも不安になるのか、と初めて思った。
「行くぞ、メアリアン」
てっきりホテル内で食事をするのかと思っていたが、赤アリスはそのままエレベーターホールへと歩いてボタンを押している。置いて行かれないように急いで飛び乗る。
「ここで食べないの?」
ガラス張りの円柱が降下する。相当な高層階のはずなのに、またたく間にわたしたちは地上へと降ろされた。
「あそこなァ、クッッッソ不味いんだよな。この世のもんとは思えねえ料理出して来やがんだぜ。犬の餌の方がどんだけかマシ」
「そんなに……」
「この街自体、飯が美味いとこなんかほとんどねえからな。新しいアリスも寄り付いてないみたいだし、仕方ねえんだけどさ」
意外な事実だ。アリスが居着いていなくても、こんなに広い場所があるんだ。
「そんなところがあるんだなあ」
「全員が全員、食に興味があるってわけでもねえし。おれからすりゃあ、何でこんなところに来てまで不味い飯を食わなきゃいけねえんだって感じだけど」
半ば吐き捨てるように赤アリスが言う。赤アリスは美味しいご飯が好きらしい。
しばらく歩いて、わたしたちはテニスコートくらいの敷地があるハンバーガー屋で食事をすることになった。やはりヒト気は少なく、ガラガラだ。
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