01-5 《 102 cream 》
「悪ィな嬢ちゃん、騒がしくってよ」
「いえ、全然……わたしもなんか声を荒げちゃって……、ごめんなさい」
木製の脚立の上に立って、棚から飛び出た引き出しを柄の長い熊手のような物で押し込んでいく。嵐のようにやって来た少女は、あのあと一頻り笑ってから「ま、気が向いたら教えてやるよ」とだけ残し、海亀さんの制止も虚しく嵐のように去ってしまった。海亀さんが追いかけようとして転んでしまったので、ひっくり返すのが大変だった。今は二人で、扉の激しい開閉で出てきてしまった引き出しを閉めて回っている。海亀さんはそんなことしなくてもいいと言ってくれたけれど、何もせず座っているだけなのは落ち着かない。それにどう考えても、海亀さんだけでやるには時間がかかり過ぎるのは目に見えていた。簾の向こう、玄関口がある場所はお店になっていて、壁一面が正方形の引き出しを収めた棚になっていたからだ。
「あいつもまあ、態度はでかいし乱暴な奴なんだが……根っから悪い訳じゃねえんだ。俺よりはお前さんたちの事情にも詳しいから、少しは力になると思ったんだがなァ」
柄の部分が一回り短い熊手のような道具で引き出しを閉めながら、溜息混じりに海亀さんが呟く。《アリス》と呼ばれていたあの金髪の少女は各地を旅しているようで、海亀さんとは古い知り合いらしい。時々遊びに来るついでに、旅中に採れた珍しい植物や鉱石なんかを納品しているそうだ。
寝台があった部屋から見えていた簾の向こう側は、引き出しに埋め尽くされた広間になっていた。ここはお店屋さんらしく、壁いっぱいの棚を始め、梁や柱からは干物のような物や乾燥させた植物が吊り下がっていたり、棚の下にあるカウンターには古めかしい秤や布や紙に包まれた荷物が積み重なって置いてあった。小さい頃に映画で観た、魔女の家だとか中国の薬屋だとか、そんな雰囲気の場所だ。
植物を収納している引き出しからは、それぞれ独特な香りがする。薬くさいものもあれば、大葉や生姜のような匂いのもの。たまに嗅いだことのない不思議な匂いのものや、鼻が麻痺してしまいそうなものもあり、様々だった。室内に充満している漢方のような匂いは、恐らくここから来ているのだろう。他にも色取りどりの鉱石やよくわからない乾物らしき物もあって、閉めている間にちらりと覗くのは少し楽しかった。最初はあまりに知らない場所だと怖がってしまったが、店のつくりといい街の雰囲気といい、こうした植物や石にも元いた世界と似た形状の物は多くて大きな違和感は感じない。それでも現実的かと訊かれれば、答えはノーだ。
ようやくすべての引き出しを閉め終わると、海亀さんがお茶を淹れてくれた。さっき口にしたものとはまた違う、少し酸味のあるお茶だった。カウンターを挟んで二人でお茶をしながら、今更ながら頭を下げる。
「本当に、助けていただいてありがとうございました。お礼が遅くなってしまってすみません」
「気にすんな、困ったときはお互い様だろ。こいつを閉めて回るのも手伝ってもらったしな」
海亀さんは後ろ手に軽く棚を叩いて見せた。取っ手の金具に爪が引っかかってまた開いてしまった様子に、思わず笑ってしまう。大きな目が上下にある瞼で細められたので、笑い返してくれたように見えた。こうした仕草や言葉のひとつに、優しいヒトなのだと感じてしまう。
「落ちてきたばっかりじゃ右も左もわかんねえだろう。狭くて良けりゃ一部屋空いてるし、お前さんさえ嫌じゃなけりゃ好きなだけゆっくりして行きな」
「でも、ご迷惑じゃ……」
「困ったときはお互い様だって言ったろ、俺相手に気なんざ遣わなくて構いやしねえよ。あいつから話を聞きてえってんなら尚更だ」
確かに、彼女は気が向いたら教えると言っていた。その気が向いたときに場に居合わせていなければ、話を聞くチャンスは断たれてしまう。同じような人間から、ここは一体どこなのか、わたしは今どうなっているのかを、尋ねるチャンスを。
「あの子、また来てくれるんでしょうか」
「うーん……大体ここに来たときと発つときにゃ挨拶に来ることも多いが、いつになるかはまちまちだな。今回は見た感じ情報収集かここいらに別の目当てがあるかだろうから、どっかで邪魔しに来ると思うぜ」
何も知らないわたしが闇雲に探すよりも、ここにいた方が彼女と再会できる可能性は高いし、安全だということだ。それにこの海亀は信用できる、と思う。せっかくなので、その優しさに甘えさせてもらうことにした。
お茶を飲み終わってから片付けを手伝い、早速部屋を案内してもらうことになった。わたしが寝ていた部屋──表のお店と簾を挟んで続いている部屋──は、よく見ると簡素な診察室のようにも見えた。漢方のような物の多さから言っても、この店は薬屋兼小さな診療所のような場所なのかもしれない。
室内にあった店側とは別の扉を開けると、渡り廊下になっていた。窓からは月の光が漏れている。渡り廊下を抜けた先は、ホテルみたいに複数の部屋の扉が並んでいて、その内のひとつをわたしにと言ってくれた。
開けて驚いたのは、調度品が揃った誰かの部屋であったことだ。
綺麗に片付けられていたけれど、人の気配は感じられない。診察室より見慣れたタイプのベッドや小物が飾られている棚の他、女性物に見える服やカバンなどが壁に吊り下がっていた。
「使っていいんですか、このお部屋…」
「ああ、もう使う奴も居ないんでな。好きにしてくれて大丈夫だぞ」
「……ありがとうございます」
海亀さんは何かを思い出すように、ランプと月明かりに照らされた部屋の中を眺めていた。それ以上は何も訊けなかった。
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