05-5 《 110 phthalo blue 》
お茶会は至って和やかに進行した。
赤アリスは始終怠そうにしていたものの、出されたお茶菓子やタルトタタンには文句を言うこともなく口に運んでいた。紅茶に関してはあっと言う間におかわりをしていたくらいだ。豪快に啜って飲むのでいちいち青アリスに釘を刺されているのだが、聞く耳を持たない。
「はしたなくてよ。女の子がそんな風に音を立てて……」
「うるせえな、おれからすりゃあそんなちまちま飲み食いして味がわかるやつのが気が知れねえ」
「もったいないこと、エースちゃんの舌はまるで味がわからないのね。もっとゆっくり、五感を使って味わっていただきたいわ。そのせっかちなご気性も少しは穏やかになるのではなくて?」
「おれにはおれの味わい方があるんだよ」
最初こそ悪口の応酬に聞こえる会話にはらはらしていたのだけれど、二人はものすごく仲が悪いというわけでもないようだった。赤アリスの態度はぞんざいだし、青アリスも皮肉を返しているように見える。が、彼女は青白い顔色をまるで変えることなく、気分を害する様子もない。むしろ行儀の悪い会話を楽しんでいるようにも見えた。きっと幾度となく交わされている会話なのだろう。そう思えるほど、二人の空気感になじむやり取りだった。
そんな彼女たちの会話に口を挟まないようにしながら、わたしはフォークをタルトに立てる。
おもてなしのタルトタタンと種類も様々な小さな焼き菓子たちは、どれもとびきり美味しくて食べてしまうのがもったいないくらいだった。紅茶に至っては、今までわたしが飲んできたものは本当に紅茶だったのかどうか怪しく思うくらい美味しい。赤アリスが警戒していたような、魚介類も見当たらない。忠告を受けたので、念のため口をつける前に匂いを確かめたりはしているのだが、今食べているお菓子や紅茶からそうした魚介系の匂いが漂ってくるはなかった。普通に考えれば当然だ、こんな絵に描いたような「お茶会」の席に突然魚介類が出てきてもびっくりしてしまう。忠告していた当の赤アリス自身、気にする様子もなく出されたものを食べているので、わたしも安心してお茶会を楽しむことができた。
「エースちゃんたら、相変わらずなんだから」
「だからその呼び方やめろって言ってんだろ」
青アリスは頬に手を添えて仰々しく溜息をこぼしたかと思えば、両の目を細めて微笑んでいる。優雅な手付きで傾けられたティーカップの取っ手にしっくりと馴染む細い指。この繊細な食器や調度品は、全て彼女のためにあつらえられた物だと見て取れた。
最初の印象こそやけにぞっとしたけれど、赤アリスがああも露骨に避けようとするほど悪い人には思えない。今考えれば、この柔らかな微笑みに、なぜあんな気持ち悪さを抱いたのかも首を傾げるほどだった。紅茶を飲んでいる少女は相変わらず青白い。この青白さを陽の光の下で見たから異様に見えたのだろうか。薄ぼんやりと暗くて、時々水面に差し込むような光が揺れるこのサンルームでは、却って自然にすら感じるのに。
「ごめんなさいね、この子ったらいつもこんな調子でしょう。メアリアンは困ってない?」
ぼうっと青い少女を眺めていたところで突然話を振られたので、慌てて空になっていたティーカップを置いた。磁器製のカップはとても薄いので、割ってしまわないかひやひやしてしまう。
「赤アリスさ……ん、にはお世話になってますし。悪いひとじゃないこともわかっているので。むしろわたしが無理を言って着いて行かせてもらっているだけですから、大丈夫です。えっと、あおっ、あ──、……あなたと赤アリスは、知り合いなんですか?」
癖で「さん」付けしかけたとき、反射的に赤アリスの方を気を取られたせいで油断した。流石に名乗ってもいない相手を憶測の名前で呼ぶのは失礼だろう。妙な途切れ方になってしまったが、ごまかせただろうか。
「ええ、エースちゃんとは女王さまのお茶会を囲むおともだちですの──あら、いやだわ。わたくしったら自己紹介もせずに。申し遅れました、メアリアン。わたくしのことはどうぞ《サイス》とお呼びになって」
「えっ!」
はっとして、口元を両手で覆った。ごまかした側からまた油断して頓狂な声を上げてしまった。くすんだ深い青色の瞳を見開いて、青い少女が不思議そうに首を傾ける。
わたしが考えたことに見当がついたのか、赤アリスは軽く顎を上げてにやりと笑って見せる。
「《青アリス》だと思ってたんだろ」
図星だ。てっきり、彼女にも名前は無いのだと思っていた。憶測で至極安直なあだ名を付けてしまっていたことに、赤くなればいいのか青くなればいいのかわからない。
しかしそんなわたしに怒ることもなく、ころころと青い少女は──サイスは笑っている。口許を薄いレースの手袋で隠す仕草に、笑い方にまで品があるんだなと他人事のように眺めた。
「まあ、ふふ……面白いお嬢さんですこと。あなたにはわたくしが青く見えて?」
「おまえはいっぺん鏡でも見てろ」
「うふふ、仕方がないことですわ。ここは海の中ではありませんもの」
噛み合っているのかいないのかわからない会話の中、叱られずに済んでわたしはほっと胸を撫で下ろしていた。
赤アリスがやけに警戒するものだからずっと身構えていたのだが、この調子だと二人は単に反りが合わないだけなのかもしれない。無意識の緊張で乾いた喉を潤すように、隣にいる魚の給仕さんが淹れてくれたおかわりの紅茶を口に含む。甘いベリーの香りがした。
「サイスさんには名前があるんですね。前に赤アリスが『ここに落ちてきた人には名前がない』って言ってたから……」
その言葉を聞いたサイスは、あからさまに咎めるような顔付きで赤アリスを見やる。
「まあエースちゃん、まだ駄々をこねていらっしゃいますのね。せっかく女王さまからいただいた大切なお名前ですのに」
「うるせえな、あいつが勝手に付けただけだろ。おれはおれだ」
赤アリスは相変わらずといった調子で手をひらひらと翻し、椅子の上に脚を上げた。溜息をついたサイスが、わたしに顔を向けて言った。
「わたくしたちの名前はね、女王さまから賜ったものなの。アリスの中でも、女王さまのお茶会に招待される子にしか与えられない名誉なことよ。わたくしたちは生まれの名を忘れてしまったから……女王さまがわたくしたちにこの国でのつながりを与えてくださっているのですわ」
「つながり……」
「そう。ひとと関係を結ぶことは、存在を──《かたち》をより確かなものにするでしょう? わたくしたちは友人であり、家族であり、共同体として、互いの存在を見留め合っているの」
「くだらねえ、ただのままごと遊びだ」
「エースちゃん、不敬ですわよ」
今度は厳しくサイスが言った。赤アリスはつまらなさそうに立てた片膝の上に腕を置いてフォークを噛んでいる。ぴりついた空気に心臓が嫌な音を立てた。声が出なくなる前に、わたしは話題を変えた。
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