05-4 《 110 phthalo blue 》
ゴツゴツとした小さなパイナップルのような物体は思っていたよりも大きくて重かった。こんな危ない物をこんな気安く渡されても困る。困るのだが、お構いなしに赤アリスは手榴弾をかばんに無理矢理押し込んできた。恐らく、また取り落としてしまわないようにとの配慮なのだろう。全く求めていない配慮だとは、無論言えるはずもないのだけれど。
重みが増した膝の上を見下ろす。かばん越しであったとしても触れるのははばかられる。映像の中だけでしか見たことがないと言っても、こんなところでお目に掛かるような物でないのは明白だ。ただただ緊張しながら、そっと周囲を窺った。危険物を持ち込んだことを咎められ、捕まえられたりしないだろうかと心配したが、使用人の魚たちが飛んでくる気配もなければ館の主が戻る様子もない。じっとりと嫌な汗をかくわたしの言葉を待たず、額を突き合わせるほどの距離で赤アリスは言った。
「お守りだ、持ってろ」
「そ、そんな……意味わかんな」
「おれとはぐれたら、とにかく外まで逃げろ。庭の外だぞ。そんで、これからあいつらに何を勧められても、絶対に魚介類には手ェ出すなよ」
「だからなんで──」
睨みつけられ、黙って頷く。わたしが引き結んだ唇を見て、赤アリスは不意に顔をしかめた。顔を離して後頭部の髪を掻き上げる仕草に、なんとなく居心地の悪そうな気配を感じる。
「別に、おまえが何選ぼうとどうなろうと、おれは知ったこっちゃねえけど。一応、連れてってやるって言った手前、放っておいたら寝覚めも悪ィだろ。心配しなくても、そいつにはオモチャ程度の威力しかねえし、注意を逸らせりゃ充分ってなもんだから。そんなビビんなよ」
「……、赤アリスちゃん……」
不覚にも、少しだけじんとしてしまった。らしくない、と言えば語弊があるかもしれないが、彼女なりにわたしの身を案じて、気遣ってくれているんだ。相容れないものを感じていた彼女との間に、少しくらいは情のつながりでもできたのかと感じて、しみじみと嬉しい気持ちになる。そんな視線に気づいたのか、あるいはちゃん付けが気に食わなかったのか、赤アリスは眉と唇の端を曲げてこちらを睨んだあと、わたしの頭を軽く小突いた。この物騒な鉄の塊も、途端に頼もしく思えてくる。
「閉じ込められたら、まずは出口を探せ。見つからなかったらそいつ投げて隙を作って逃げりゃいい。ピンを抜いたら、できるだけ上の方を狙って投げろよ」
「抜けないなんてことも……」
「んなもん気合いだ気合い。『抜く!』って気持ちで引くんだよ」
まったくの初心者相手に説明が雑過ぎる気もするが、これ以上の親切丁寧を彼女に求めるのは無茶だろう。何より、小声であるとは言え堂々とこんな話をしているのだ。部屋の壁際で微動だにせずじっとしている使用人さんたちが、突然襲いかかってきたらと今だって気が気じゃない。
それにしても、なんとなく引っ掛かる。
そもそも赤アリスは何に対しても放任主義的で、わたしの面倒だって成り行きで見ているようなものである。言うなれば、わたしはお荷物でしかなく、いつだって置いて行くことができるのだ。──あまり想像したくはないけれど。
「ここって、そんなに危険なの?」
本物じゃないにしろ、手榴弾を渡すほどに。
正直に言えば、実感がない。確かにあの青い少女には得体の知れない不気味さがある。とは言え、それはこの世界にある物すべてに言えることだし、彼女の物腰は今のところ柔らかくて親切だ。普通に会話も出来るし、何より赤アリスとは顔見知りなのだから、ここまで警戒することはないように思う。
こんな質問にまた頭を小突かれたり怪訝な顔をされるのではないかと思ったけれど、赤アリスは軽く歯を立てた唇を巻き込むようにして黙っていた。言いにくいことがあるようにも、質問にうんざりしているようにも見える。
「そりゃ、おまえ次第だろ」
「それを言っちゃうと……」
おしまいな気がする。だが、彼女はこれ以上話を続ける気はないようだった。
射し込んだ光にゆらめくカトラリーを眺めるように伏せられた彼女の睫毛を追ったあと、わたしの視線は膝上のかばんに戻る。つながりを空想した一瞬は、この沈黙にあっけなく霧散した。
「ただ」
打って変わって、迷いのない声。
「ただ、おまえが『決めた』ことなら、それはそれでいい。あいつの言うことを、おまえ自身の意思で受け入れるんならそれは尊重されてしかるべきだ。そうだろ」
「……わたしが決める?」
いったい何を。その問いかけに、赤アリスは答えない。
「おれが待てるのは、ここでの日没までだ。それまでに姿が見えなけりゃ置いて行く」
そうして今度こそ、この会話はわたしたちを隔てる距離のままに千切れて途絶えた。
***
向こう側から、コツコツ、キイキイと物音が聞こえてくる。程なくして、部屋にいる使用人さんが開けた扉から成人男性並みの体長をした海老がワゴンを押して入って来た。
──海老、大きくなるとグロいな……。
わさわさしたヒゲやどこを見ているのかわからない目を極力見ないように視線を逸らすと、ワゴンの上にはお茶会の準備が整えられていた。可愛らしいお皿にクッキーやマドレーヌなどの焼き菓子と、タルトタタンが別皿で乗っている。どれも縁の飾りや柄が繊細で可愛らしく、少女の持つ雰囲気にぴったりと合っていた。
配膳はメイド服を着た優しい顔立ち──もしくは、柔らかそうにふくふくした魚がしてくれた。持ち手が細く、薄いカップに鮮やかな紅茶が注がれる。湯気の立つカップからは、もちろん磯の香りなどはして来ない。いい香りを胸いっぱいに吸い込んで堪能していたら、向かいの椅子が引かれて、館の主人である少女が着席する。
にっこりと、柔和な微笑みを浮かべて青アリスは口を開いた。
「お待たせいたしました。では、始めましょうか」
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