18 影の世界

 気付けば雪が降り始めていた。街の玄関口とも言える駅前には、僅かばかりの人影もない。向かい合う、その2人を除いては。


「思ったよりも早かったのね……逃げ出したのかと思っちゃった」


 軽口を叩く女の服の所々に、以前までは無かった黒い馬渡まだら模様。それを見てアリアは思わず舌打ちを打つ。埃や、泥でもない、あの赤みがかった黒は血だ。それも返り血であろう。


「私が戻ってこないと、あなた人をあやめ続けるでしょ」


「そっか、勇敢ね。あなたが来ても、作業が少し遅れるだけだけど。あの男に守られてる、あなたが戻ってきても」


「クルーニー先生はどうした」


 アリアにしては珍しく、威圧的な声であった。返事は無い。ただ、にやりと溢れる笑みが街頭に照らされていた。


「……もういい。容赦はしないから」


 アリアがそう言うと、女は思わず吹き出してしまう。


「ふふっ、あなた面白いのね。容赦はしないって、くくっ……容赦されるのはあなたの方なのに、容赦しないって……ふふふっ、ほんとに力の差を理解してないのねっ……ふふっ、あんまり笑うのは失礼なのは分かってるんだけ―――」


 それ以上の言葉は、アリアの急襲きゅうしゅうによって妨げられる。無詠唱魔法、雷の如く速さで向かうその攻撃を、女は怯みもせずひらりとかわし臨戦体制を整える。二手、三手、続く魔法も見事に躱してみせた。


「ま、学生レベルならこの程度よね。学生にしては魔力量が多くて」


 構わずに、広範囲の麻痺魔法、落雷、火炎、と放つが全て当たらない。


「学生にしては多彩……もういいかな、終わらせても」


 女は一息つくと、程なくして姿が見えなくなった。


 刹那の静寂。1人になったアリアは狼狽えてはいなかった。ただ五感を研ぎ澄まし、その時を待つ。


「(…………きたっ!)」


 足元、わずかに揺らぐ影。


光置ルミナス!!」


 視界の端に現れた異変。捉えた瞬間に放った魔法は、当たり一帯を眩い光で満たす。静寂が再び訪れた。

 にやり、と笑みが溢れたのはアリアの方であった。


「影の中の世界。それがあなたの魔法」


 アリアは虚空に語りかける。眩い光はその光量こそ落ちてはいるものの、未だ明るく辺りを照らしている。


「そう、わかっていたの。クルーニーとかいう男のときは、貴女に見えないようにしていた筈なんだけど、どこかから垣間見られていたということかしら」


 かげは一部についてその黒さを増し、その中から長い銀髪をなびかせて女が現れる。


「ただの状況的な判断。何の音も立てずに突然出てきたことを考えると、選択肢はそんなに多くないでしょ。けど透明魔法ジネントも瞬間移動も、魔力自体を隠せる魔法じゃない。でもあのとき、魔力を一切感じなかった。それに今考えると、わざとらし過ぎる魔力の残し方。私たちはだいぶ前にあなたに見つかっていたはずなのに、あなたは日が完全に落ちるのを待って現れた」


「それだけのことでは、私の魔法には行きつけないでしょう」


「だからさっきまでは仮説にすぎなかった。影の中を移動できる魔法なのも、その移動が地面や壁に限定されるのも」


 そこまで言われたところで、女はキッと嚙み締める。あの一瞬の攻防で、そこまで見破られるとは。目の前の少女の見方を変える必要がある。


「私の名前は、エラ・ミラというの。あなたの名前は?」


 数瞬、少女は躊躇ったが、結局は自分の名を名乗った。単なる好奇心か、決闘でも始めようというのか。しかし何にせよ、ミラの纏う瘴気しょうきにも似た存在感オーラが、その刺々しさを増していた。


「これからは、本気でくる」


 魔力の高まりを感じる。自分も相手も。それに伴う、微かな高揚。

 魔力が最高潮に達した瞬間。三度みたび、ミラは消えた。否、。目の前の魔力も忽然こつぜんと消える。


光置ルミナス


 何度も同じ手を、と放った魔法は再び辺りを照らした。そして再び全神経を集中させ、居場所を探る。地上に顔を出した瞬間に、高火力魔法を当てる。それが唯一の勝機であるとアリアは考えていたのだ。

 背後、魔力。咄嗟に目で追う。しかし、女の姿は見えない。代わりに見えたのは、飛来する拳大こぶしだいの石と、その下に伸びる影。


 影―――


「(まずいっ!!)」


 少し反応が遅れた。小石がアリアの横をかすめると同時に、足首から大量の出血。無論、小石が直接の原因ではない。小石の影から伸びた手に握られていた、ナイフのような物がアリアに傷を負わせた。


「(隠し持っていた?ナイフ?いや、魔法?そうだとしたら、ミラの属性…………今はそんなことはどうでもいい)」


 起きた事象の分析、そして対抗策を練る。思考を回せ。患部に手を当て、白魔術で回復を促しつつ、自分に言い聞かせる。しかしその間も、小石だけでなく、落ちているゴミ、割れたコンクリート片などで同様の攻撃が一秒に一回以上、幾度となく繰り返される。攻撃手段も、岩弾、火炎、電撃による麻痺と対応しきれない。


 それでも、取り敢えず―――


「近寄らせなければ、攻撃は当たらない!」


 両手を広げ、魔法を放つ。広がる、魔力。アリアを取り囲む魔力の円は、ばちばちと電気を帯び、波打っている。

 構わずミラは影から手を出し小石を投げるも、小石がその円周上に到達した瞬間、雷のような音と共に粉微塵となる。追撃を試みようと出した手は、アリアに即座に探知され、電撃を喰らった。


「(あの、慣れてきてる……!五感で探すのを止めて、魔力探知のみに切り替えてきた……それに、あの魔術制御、出した魔法を固定することなら私でも出来る。だけれども、直線的なはずの魔法を円状に曲げて、しかも同じ場所を周回させることなんて――――)」


 ミラはそこまで考えてから、苛立ちを覚える。誤算、誤認、傲り、認めたくもない言葉が浮かんできたが、それら全てを認めたとしても何も変わらない。

 自分が勝つ。その確信だけは、彼女の中で揺るがない物となっていた。


――――


 旧市街の中、倒れ込み、泣き崩れる人影があった。離れた所で強い魔力の衝突が起きていることは分かっていたが、それよりも先に目に入ってから、向かうしかなかった。


「……クルーニー先生」


 男の胴体には、大きな穴が一つ。臓腑ぞうふも飛び出し、無造作に、家屋の屋根の上に捨てられていた。何度涙を拭っても、哀しみは溢れ続ける。回顧かいこに浸る余裕は無いが、放心状態の者が、あの大きな魔力の衝突の間に入っても邪魔なだけであろう。

 言い訳か、本音か、赤髪の少女は気持ちを切り替えるだけに十分な時間を要してから、戦いの最前線へ足を運んだ。余裕にもとれるその行動の裏には、今回の演習に来ているはずの地上最強の結界術師、賀茂劉基かもりゅうきへの全幅の信頼があったからである。


「…………なによ、これ」


 駅前、ビルの影に隠れて様子を伺うルネの目に移ったのは、あまりにも高度な魔術の応酬おうしゅう。それも、居るはずの賀茂の姿は見えず、戦っているのは見知った金髪の少女。まるで、別格。

 地面から出たり入ったりしながら魔法を放ち、奇襲を仕掛け続ける女も、それを一つ一つ潰して、一瞬の隙も見逃さずに攻撃を入れるアリアも、目で追えない速度で魔術戦は繰り広げられていた。


「(こんなの、割って入れるのかな、私……それに、あの子……)」


 ルネから見ると、アリアは徐々に押されているように見えた。おそらく相手の奇怪な移動方法への対策であろう、定期的に発生させる光源と、少女の周りを取り巻く電流。それに、魔力探知と攻撃。流石のアリアでも、同時にこれだけのことをこなすと魔力量の面においても、精神面においても苦しいものがあるように思えた。


「―――危ないっ!!」


 アリアの膝が崩れた。間髪入れずに女が岩石弾を放つと、アリアはすんでのところで躱す、もう限界が近い、よく見れば少女の服はぼろぼろで、その隙間からは白魔術での治癒痕、まだ治りきっていない物も多く見える。息も上がっていて、とても万全の状態には見えない。そして何より魔力が小さく、弱弱しい物となっている。

 ルネは我慢できず、飛び出した。女の魔術はよく見た。対抗策は多くはないが、無策ではない。思考を張り巡らせ、二人との距離、凡そ二十歩。


「――――ヴィア


 禍々まがまがしい響きは、完全に姿を現したエラ・ミラが発していた。

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