09 初戦

 霞む星空の下、両手を広げたら壁に指先が付いてしまいそうな狭い階段を直登は一人歩いていた。あれからどの位の時間が経っただろうか、両脇に連なる店からは芳ばしい香りと共に、忙しなく食器を片付ける音が聞こえる。


「食い過ぎたなぁ……」


 直登は目で見える程に張った腹を撫でながら、そう呟いた。

 『世界の終焉』は一か月後に訪れる。あの少女ならそれが容易いことだろうと直登は確信している。しかし、それでも彼の心には大きな余裕があった。自信と言い換えることができるかもしれないその感情が、何故、何時から芽生えたのかは彼自身の知るところではないが、兎にも角にも悲観的になり絶望に打ちひしがれることは無かった。


「さて、と……」


 赤提灯が滲む夜道に響く靴音がぱたりと止まる。直登が目指していたそこは、人通りの少ない木造の建物であった。

 古びれた旅館であった。木張りの廊下は歩く度に軋む音を立て、壁は所々塗装が剥がれている。

 その二階最奥のある部屋の前に彼は立っていた。


「失礼します、先生」


 そこには、つい数十分前まで一緒に食卓を囲んでいた男が待っていた。


―――


「つ、つえぇ……」


 翌朝、異常なほど賑わうスタジアムの中、ステージに一番近い所で直登はを目の当たりにした。

 模擬戦場よりも一回り大きい競技場は砂漠と化し、その中心で倒れる一人の男。舌を巻くような魔術の撃は、圧倒的な物量と速度を以って相手を仕留めていた。


「ノックダウン!試合終了、勝者ノア・ロシニョール!よって勝者、ルーデウス大学A班」


「やはり俺、要らないのでは?」


 菜和大学の敷地内、芝生の上に建てられた特設スタジアムのその中に響くコールは喝采と悲鳴によって搔き消される。悲鳴は母校から遙々ここまで来た観客のものであろう、それほどまで注目されている試合で三番手に控える直登が見せつけられたのは自身との巨大な差であった。


「いや、次戦からはそうも言っていられない」


 彼の横でアンヘルはそう言った。ノアと同様に砂漠の競技場で試合を行った彼であったが、連日の試合の消耗からか試合後数十分たった今でも息が荒く収まっていない。


「アンヘルの言う通りだ、ナオト」


 砂漠が消え去ったステージの上からノアが降りてくる。一瞬にして終わった試合のように見えたが、それでも彼の額には汗が滴っていた。


「次からはナオトが先鋒に回ってもらう。今まで温存していた分、多少格上でも有利に戦えるはずだ」


「そうだよなぁ……今まで相当無理させてたもんなぁ……」


 『大役』と言えば大袈裟になるが、それでも彼らに少しでも休みを取らせるための先鋒、そしてなによりもこの大歓声の中に入るというプレッシャーを彼は感じていた。


「頼んだよ、ナオト」


「……ま、まぁ頑張るよ」


 直登は襲ってきた不安と感じたプレッシャーを脳で処理する前に唾と共に飲み込み、そう答えた。『期待』という、今まで宛てられたことの無い感情に圧し潰されないように。


「それに、次の相手はおそらく直登とも相性がいい彼だろうしね」


 金髪の青年が話し終わるとほぼ同時にスタジアム内のすぐ隣で歓声が沸く。そしてスクリーンに映し出された彼は、派手なガッツポーズと獅子のように威圧感のある雄叫び。

 しかし何よりも目を引くのは、男の合金をも砕いてしまいそうな重々しくそして艶のある肉体であった。


「まさか、あれじゃないよな」


 直登はスクリーンのすぐ下にあるチーム名を見ないようにしてスタジアムから立ち去った。


―――


 鼓膜が破れそうな程の歓声が会場全体に響いていた。揺れる観客席の中には叫ぶような歌声も聞こえ、両雄に走る電流のような緊張をさらに高める。

 全身の細胞が、震え、沸き立ち、心に灯った微かな種火を力強く大きな炎へと昇華させる。


「ふぅっ―――――……よし」


 深呼吸、肺に溜まる空気と共に邪念を吐き出す。

 ―――緊張は、全て闘志へと変わった。実際の所、直登は魔術界の出身では無く、視界の先で顔を紅くする程に熱狂している彼等の気持ちは分からない。他人と他人、単なる大学生同士の戦いに熱くなる意味も分からない。

 しかし、それでも、


「―――応援されてんなら、『やれるだけやろう』って気持ちにはなるよなぁ……」


 呪いのような、その感情だけが彼の闘志の源であった。


「両者、ステージへ」


 鳴り止まない喧騒に紛れるアナウンスと共に、彼は階段を上る。背中に届く二色の応援の声も勿論聞こえている。彼等もこの場を夢見ていたのだろう、二人とも態度には出さない性格であったが、普段の声とは明らかに異なる熱量が籠っていた。

 直登には少し奇妙な光景に見えた。ここにいる一万余りは皆一様に強さを求め、力と力の衝突を期待している。あれだけ、普段は冷静で大人びているノアでさえも戦いに対して大きな熱を持っているように思える。


「……まぁ、今はそんなことはどうでもいいか」


 集中しなければ。

 彼は顔を上げた。灰色の砂地の上には、今にも崩れそうな建物の数々。そこには廃墟が広がっていた。そして、その奥に見える戦車のように重厚な身体は、予感の適中を示している。


「それでは、今からエンリス大学A2班対ルーデウス大学A班第一試合、ルーク・ゲイヤー対ナオト・キビの試合を始めます。鐘の用意を」


 ステージの上、直登が見上げた先に巨大な銅鑼が運び込まれていた。そして、その脇に立つばちを持った巨漢。観客の声はいつの間にか治まっていた。

 ―――試合が、始まる。


 張り詰める空気に、腹に響く銅鑼の音が走った。


「(まずは、建物のか―――ッ!?)」


「うぅぉおおおおおおおお!!!」


 轟々と鳴り近づいてくる地響き。その揺れは、男の出す凄まじい声量とも相まって直登に恐怖を与える。試合が始まって僅かに3秒、直登の目前に張り裂けんばかりの筋肉の塊が現れる。

 一瞬の萎縮、隙が生まれた。


「まず一発!!!」


 横から振り上げられた拳に、咄嗟に腕を出す。


「―――っ!」


 骨と筋肉が当たる鈍い音と共に、心臓を突き上げられたような衝撃。あまりにも重い一撃に直登は軽く吹き飛び、その先のコンクリート壁を突き破る。


「いってぇ……」

 

 眩む視界に映る人影は、瓦礫に埋まる彼を目掛け全速で突進してきている。身に迫る危機を感じ、直登はふらつく足で立ち上がった。

 しかし、その回避行動にも満たない動きは間近まで迫った男の的となるだけであった。

 

「―――っぐっぁはっ!!」


 ―――灰色の地面が遠ざかる。


 青年は、空に舞った。


「むぅ……?」


 驚きと懸念は、地上で見上げる男の方に生まれた。

 予想外の連続かのように思われる攻撃の嵐に成す術なく終わったはずの直登のその顔つきに、その勢いが全く衰えていない瞳に灯す炎に―――


「……言っただろう、ナオト」


―――


 ナオトには大きなアドバンテージがある。とは少し前のノアの言葉であった。

 六大対抗戦という魔術界の大イベント、中でも彼ら1,2年生が出場する名も無き闘いノンネームドはその目玉である。母校や親戚を応援する観客は勿論のこと、出場者にもその名誉と賞品のために大会への大きな熱量がある。

 勝利の為に多少の手間は惜しまない。そう考える生徒が、特に最後の出場になる2年生の中には多い。その為、放課後は課題よりも魔術の鍛錬を優先し、対戦表が発表されると相手の研究もする。


「しかし、君にはデータが無い。魔術を本格的に学び始めて1ヶ月弱のナオトのことを誰が知り得ようか」


 ノアは得意げな表情で続ける。


「しかも碌に鍛錬もしてない有象無象どもには君の実力を見せること無くここまで来ている。二次予選で一回ステージに上がりはしたものの、闘いになる前に終わったのが逆に良かった」


 励ましには、毒が盛られていた。一体、自分の代わりは何をしていたのだろうか。

 少しの頭痛を覚え額に手をつく直登を横に話の流れは次の対戦相手のことに移った。


───


「強化魔法で生み出された圧倒的なパワーとスピードで敵を捻じ伏せる超攻撃的な魔術師。過去13回魔術事件の現場に出向き、その全てで2次被害を出した問題児。…………成る程、確かに」


 静止した世界で独り言つ青年。吹き飛ばされ、もうとうに地上に落ちてくる頃合いだったが、彼は物理法則に反したまま空を踏みしめ立っていた。


「ノアの言った通りだ。相性がいい」


 見下す直登の顔は、自信と確信で満ちている。──魔力量の差は歴然、しかしそこまで悲観することでは無い。


 ───魔力量の差など一つの指標でしかないのだ。目下、見上げて立つ男には体格や魔力こそあれども品性も知性も、そして上回生としての貫禄も感じ取れない。


「頭が高いぞ一年ッ!!」


 男はその熊のような体を一瞬沈めて飛び立った。人間の領域を遥かに超える跳躍は一瞬にして直登の高さまで達する。


「調子に乗ってんじゃねぇえ!!」


 ──頭蓋を狙い振り下ろした両拳には、柔らかい感触。その瞬間、しまったと言う言葉が脳を駆ける。それと同時に頭に血が昇っていたことにも気付いたが、もう遅い。

 地鳴りのような激しい音が会場を包んだ。元より崩壊しかけていたビルは最早その原型を留めてはいなく、崩れた瓦礫と共に砂塵が舞っている。


「───クソがッ」


 悪態は掠れた声で、上半分の無くなったビルの中からであった。


「(何が起こった?どうして俺はここまで飛ばされているんだ)」


 思えば目の前の一回生の見下したような表情を見て感情がたかぶったのが良くなかった。またいつもの悪い癖が出てしまっていた。


「(──奴は!?)」


 思い出したように男は埃舞う中辺りをキョロキョロと見回す。──姿が見えない。攻撃を受けて約5秒。追撃は一向に来ない、相手の姿も見えない。不気味な空気だけが男の周りに漂う。


「おいおい、トドメを刺すなら今しかなかったぜ」


 男は身を乗り出し、皮肉混じりの怒声をステージ全体に響かせる。


「──そうしたかったのは山々なんだけどさ」


 ぽつり、と一声。その位置は変わること無く、ただ少し下方から聞こえた。───直登もまた瓦礫に埋もれたのだ。

 こんな筈では無かったんだけどな。と己の髪を掻き毟りながら現れる姿は、とても弱々しく──


「さっきまでの威勢はどうしたんだぁあ!!」


 猪突猛進、気付けば飛び出していた。弱った敵に先手を取れる。そう感じ取ってしまったからである。

 流石の直登も目を大きく開き、あざけるような笑みを浮かばせる。


「病的な程に単調だな」


 両雄が互いの間合いに相手を捉える───男の記憶は、そこで途絶えていた。


「……少し、しんどかったな」


 失神させた相手を前に、青年はどうしたら良いのか分からず呆然と立ち尽くしていた。

 想像以上に沸き立つ観客も、場内に響くアナウンスも、やはり新鮮であった。

 振り向くと、2人が手を振っているのが見える。ノアは笑顔で、一方、アンヘルは少し俯いて目を合わせようとはしない。


「僕の言った通りだっただろう、ナオト。不意打ちであれなんであれ、初撃を耐えれば必ず君が勝つ。ああいう冷静を保てない相手には、君のタフさと冷静さは武器になるんだ」


 ステージから降りてすぐ、歓迎と共にノアから放たれたその言葉に、確かに、と直登は感心する。今までの戦いを思い返すと、その節は顕著であった。


「それよりも良いのか、ノア。次はお前の番だろう」


 アンヘルはいつの間にかいつもの腕を組む立ち姿に戻り、準備を催促する。


「ああ、大丈夫さ。……抜かりは無いよ」


 一転、顔色は変わりノアは先程までとは異なる笑みを浮かべる。見る者に恐怖さえ抱かせる様なそれは直登の背筋に悪寒を走らせる。

 どうして、と口に出しかけたところで、未だ歓声が沸き立つ場内に再びアナウンスが入る。


「エンリス大学A班対ルーデウス大学A班、第二試合、ノア・ロシニョール対ジェイビット・ミルナーの試合を始めます」


 ステージ上に立った男の背中を直登は直視出来ずにいる。何かに駆り立てられている様なその背中を。


「(魔術師というものは、どうしてこうも───)」


 ───その先の言葉は、思い浮かばなかった。


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