流星の結界術師
楠葉 夏梅
第一部
ベネチア事変
プロローグ
漆黒の宝石箱から今にも零れ落ちそうな星々の下、色を失い陰に埋もれる雑草を踏みしめて少年は立っていた。
空に溶け込む彼の黒い髪を、木々を縫ってきた風が冷たく触れる。黒く染まりゆく街、甲高いサイレンの音、何もかもが昨日までと違う、異様な光景が彼の瞳に反射していた。
しかし、彼はそのどれにも気を向けようとはしない。突然奪われた日常を惜しむことも、目の前で瓦礫に埋もれた家族への哀しみも、遠い昔のように感じていた。
「綺麗だ……」
それは、染み渡る感傷の情の更に内側の、言葉に言い表せないほど小さな点のようなものから出た言葉であった。
――この日、日本は消滅した。
―10年後―
「今日の夕飯何にしよっかな」
ぐるりと見渡した街は煉瓦で形作られている。そこにはラテン系特有の健康的な肌色を持つ人々が行きかい、昼の街は活気で溢れていた。
入学したての大学の帰り道、「数時間後に訪れるであろう空腹感に何をあてがうのか」という一人暮らし特有の課題を普段通りにこなしている彼は、どこからか漂う芳ばしい香りを感じ足が止まった。
秋口の少し冷たい風に乗せられて香るどこか懐かしい小麦の匂いと、その隙間にほんのりと感じる溶けたバター。
「――パンか……」
石畳の先に見つけたショーケースの中には、形こそ様々だったが、赤みがかった黄色の上に程よく焦げが付いたパンが並べられていた。
思えば入学してから一か月、節約の為とはいえ自炊続きだ。そろそろ楽をしてもいいのではないのではないか。
そう自分に言い聞かせ店の方へと、一歩
――その瞬間、後ろの方から悲鳴が飛んだ。
「なっ!?」
ちょうどさっきまで彼がいた場所だった。通行人の波にぽっかりと穴が開いた真ん中に、おそらく彼と同じ東洋人であろう、黒髪の男が倒れている。
もう助からないのではないか、その胸元からは僅かに黒さが混じった血が尋常ではない量噴き出していた。
「……」
彼が唖然としているといつの間にか人だかりが形成されていた。その輪の隙間からは、中で何人かが男の救命を試みているのが見える。
「あぁ……」
また、この感覚だ。虚無感、無力感、自分の周りが白くなっているのを感じる。助かりはしないだろう。誰もが思うその中で、あの人たちのようにできたら。
一瞬溢れ出た憧れのようなものと共に、彼は両拳をぎゅうと握りつぶした。そして、自分とは関係ない、と再びパン屋の方へ振り返る。
気づけば空はどす黒い赤に染まりきっていた。それは気味の悪い夕暮れであった。白色のレンガは無機質で一切の暖かみも感じられない。
スニーカーの裏が石畳に擦れる音が反射して幾重にも重なって聞こえる。いつも通りの光景に、こんなにも怯えるのは何故だろうか。一つ、二つ、と増える靴音にいっそう恐怖心が増していた。
昼のあの出来事のせいだろうか。人通りもなくやけに静かな町も、響く靴音も、何もかもが普段と一緒のはずだ。それでも、心の中だけは違っていた。
靴音は二つ四つと増えていた。
刹那、昼間の光景が脳裏をよぎる。一瞬目に入っただけだったが、そういえば彼はうつ伏せに倒れていた。
悪寒が全身を走った。震えあがる両足をパンッと叩くと彼は全速で駆け出した。
「おいおい、嘘だろ!?」
背後にあった気配に彼はあっという間に追い越され、行く手を阻まれた。
大柄な男は黒い帽子を目深にかぶり、この地域では見慣れない膝まで隠れるコートを羽織っていた。
その異様な佇まいの奥からギラリと光る眼光も、クククッという奇妙な笑い声も、男の不気味さを助長させていた。
「お前で、ちょうど50人目ダ。これで、最初の儀式が始まル。黄昏の森に闇を迎え、1000年の歴史が幕を下ろス。箱舟は二度は造られなイ。この世界は終焉を迎えるのダ」
気味が悪い。意思の疎通が取れるという安心からか、もう彼に恐怖は無かった。ただ、気味が悪い。やたらと響くこの声は彼に不快感を覚えさせていた。
そういえば、と彼は数秒前の自身の足音を思い出した。
「……なるほどね」
彼の合点がいったような言葉に男は一瞬顔を上げ、彼の顔をちらと見る。しかし、それもつかの間。男は手を彼の方にかざし、それと同時に腰を落とす。
瞬く間に男の手のひらから白色の平面の群れが凄まじい速度で飛び出した。彼は間一髪のところでそれをかわし、すぐさま男から距離をとる。
男はそれを予測していたかのように、地面を蹴り間合いを詰め、浅めの前蹴りを入れる。
「(やばい、来るッ──!!)」
瞬間、男の足から放たれた立方体をはじくように、彼の手のひらからも同様の物体が飛び出した。男のものと違いがあるとすれば、彼のものの方が男よりも若干透明であることであった。
「お前、なゼ……?」
驚きを見せたのは男の方であった。男はその驚きから一瞬硬直したが、すぐに戦闘態勢に入り今度は男の方が彼の間合いから避けた。
その瞬間、ゴオンと爆音が鳴った。彼はとっさに爆風を防ぐように腕を顔の前で交差し、それと同時に襲ってくるまばゆい光から身を守る。地響きは骨の髄まで行き渡り、痺れた手足は硬直を続けている。
しばらくし、反響と光が小さくなったので彼は目を開け、腕の隙間から音が鳴った方を覗き見た。
「へ……?」
その物凄まじい光景に思わず声が漏れ出る。青白い光を発している槍のようなものに貫かれていたのはそこにいたはずの男。
そして、その後ろから砂埃を払いながら歩いてくる少女はあまりにも冷たい目でこちらをじっと見つめていた。
「私、アリア・ハワード。あなたは?」
ふいに現れた日常のような言葉。彼はほんの少しだけ動かせるようになった手を下ろし、顔を上げた。
街灯の微かな光を反射してるようにも見える程鮮やかで艶のあるブロンズの髪。そして、その下から覗く宝石のような碧色を持つ双眸。
運命の出会いとは、今この瞬間、この光景を示すための言葉だったのだ。
「俺は
震える声で、俺はそう言った。
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