12 倫理交換

 純白は清潔さを表す色だ。医者や研究者の白衣も、マスクでもなんでも白が好まれる。そう彼は言っていた。いつの記憶だろうか、同時に思い出す船酔いの気持ち悪さと砲弾の音。

 ああ、そうだ。スリランカに向かう途中でどこかの海上保安隊に追いかけられた時だ。


 あの男は続けてこう言った。


「パンティーも白が良い……」


「……」


 首から下を覆っていた布団をのけて上体を起こす。ベッドの上だった。真っ白な部屋に右を走る白のカーテン、足元にはテレビとスツールが一つずつ。目に見えた情報はそれだけであった。そう、”目に見えた”情報は―――


 枕元、直登の真横から刺さる冷たい視線。アリアか、ノアか、それともアンヘルか、後ろ二人なら何も問題は無いが万が一彼女だったら。今後訪れるであろう面倒ごとを諸々想像しながら、恐る恐る首を回す。


「やばいね、君……」


「ルロワさん……!?」


 予想外の人物の登場に直登は思わず狭いベットの上で後ずさる。

 

「こ、これは違くて!!別に女性用下着が白とか黒とかどうでもよくて、っていうかそもそもこれは俺の言葉じゃないし名前は言えないけどとあるインド人の言葉で、とにかく俺の思ってることじゃないから!……って、そんなことよりもなんでっ!?」


 咄嗟に飛びだす言い訳の数々、しかし金眼の少女は二パ二パとした笑顔でそれを受け止めていた。戦っていた時のそれとは似ても似つかないその表情で、真直ぐと直登の瞳を覗いていた。


「一応ナオトくんを怪我させちゃった本人だから。……それよりも調子はどう?体は動く?」


「へ?からだ……」


 思い出したかのように直登は首をへその方に曲げる。

 出血は無い。青白い病衣の隙間に僅かに見える腹部にも、布団の上に飛び出した腕にも、その布団を蹴り上げ天井に向けた足にも、外傷は見合ったらなかった。


「医療魔術ってすげーのな」


 加えて、『君ってそんなキャラだっけ』と言おうとしたが流石に自重する。


「そりゃあ、六大対抗戦の医師は世界でも最高峰の白魔術師だし」


 白魔術、そういえばアリアも得意だったか。そんなことを思いながら直登は足でシーツをたぐり寄せ、裸足のままベッドから降りた。


「よっ、よっと」


 弾むようにしてバク宙と前宙を一度ずつ繰り返し、よしっと頷く。少々の痛みはまだ残っているものの、動きにくい部分も特に見当たらないのを確認し、首をぐりぐりと回した。


「こらこら、ナオトくん。随分と活発なのは分かったけど、夜の病室で暴れるのはどうかと思うよ」


「……うん?いま夜って」


 静まる純白の一室で、今度は素早く窓の方を見る。起きた時は隣を仕切るカーテンで見えなかったが、そこに映るのは半透明に反射する自分の姿とその奥に光る街灯の無数の街灯。

 直登の頭上に上る二つの可能性。それを確かめるためにも――――


「リモコンっ、リモコンは―――」


「ほいよ」


 雑に投げられたテレビのリモコンをわたわたと手元に収め、急いでスイッチを入れる。


「……な、な、何で!?」


「なんで、ってそれは何に対して言ってるのかな。まだ試合がやっていること?それともうちのルアナちゃんが君のところのステファノくんに惜しくも負けちゃってること?」


 そこには、荒々しくガッツポーズを挙げるアンヘルの姿が画面一杯に映し出されていた。どうやらそこまで長い間眠っていなかったらしい。

 

「アンヘル、勝ったんだ……」


 ほっと安心し、そのままベッドに腰を掛ける。首の皮一枚繋がった状況なのだろう。正直、直登自身この大会に身が入ってないところもあるし、そもそも前半丸々いなかったから達成感というのも特にないが、できるなら自分が敗因になるのは避けたかった。


「ありがとうルロワさん、俺、向こうに行かなきゃ」


「―――ちょっと」


 再び立ち上がろうとする直登の裾は赤髪の少女により掴まれる。


「もう少し、ここに居よ?」


 琥珀色の瞳が直登を釘付けにする。花のように柔い白肌に、薔薇の赤色をそのまま移したような髪、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる魅惑的な身体。生物としての美を一人に凝縮したのか、そう感じてしまう程に妖艶で、吸い込まれてしまいそうな魅力。

 その前では直登でさえ抗うことはできなかった。


「(試合は……まぁ……)」


 純白の病室の中、置かれた四つの病床は一つを除いて開いている。

 

 直後、沈み込むベッドの音と擦れあう布の音が部屋に響いた。


「なんで……」


 直登を押し倒した少女は、彼の両手を握ったまま動かずにいた。眉間にしわを寄せ、眉をひくつかせ、琥珀色の瞳はその半分を白い涙袋によって隠されている。

 なんだ、彼女から溢れ出るこの感情は。思わず目を背けたくなるほど近く、強い。怒り、哀しみ、怨恨、後悔、その全てが頭上20センチの高さから降り注ぐ。


「なんであのとき、撃たなかったの」


 吐息交じりの震え声は、それら全てを押し殺したようだった。


「あのときって―――」


 あのときって、あのときか。


「あの瞬間、あのまま撃てば私は負けていた。君は見たこともない方法で私に近づいてきて、見たこともない速さで魔獣を封じた。限界なんてとっくに超えてるのに、私の攻撃も躱して、耐えて、凌いで、隙を見せなかった」


「……」


 捲し立てるように並べられる言葉に、直登は黙ることしかできなかった。


「それなのに、どうして最後の最後で手を抜いたの。……ねえ、答えて―――」


「……」


「なんであの時、結界を解いたの」


 なんで、って答えは一つしかない。


「君が、女の子だから―――」


 両手はいつの間にか解放されている。その言葉を聞くと、少女は彼に跨ったまま腰をぺたんと下ろし、彼の頭上に広がる白い壁に目を向けた。


「わからない。魔術師の実力に男女の差なんてないのに……(ていうか、この人私より魔法使えないのに)」


「おい、最後」


 下腹部に圧を感じながら直登がツッコむと、その上で少女はへへっと笑った。少し落ち着いたのか、その表情からは強い感情は見られない。


「でも本当にそうだよ。ナオトくんと私とじゃ魔術の幅も、魔力量も全然違う。そりゃあナオトくんに人並みじゃない身体能力があるのは認めるし、なにか私達とは違う、それも、それなりに黒い世界で実戦経験があるんだろうってことも分かる―――」


 見下ろす少女を上に、直登は思わず感心していた。あんな数十秒の手合わせでそこまで見抜かれてしまうのか、と。魔術に関しては事前にアリアから情報を得ていても不思議ではないが、誰にも話していない過去のことまで当てられるとは思いもしなかった。


「それを踏まえても、私の方が強いんだから。ナオトくんが手加減するのは論理的でも合理的でもないよ」


 諭すように語る少女を前に直登は顔を横に振る。


「そういう問題じゃないよ」


 彼もまた諭すような声だった。


「普通、男ってのは女性に手を挙げないものだ」


 それでも、と口を開くルネを片手で制し直登は話を続ける。


「実力とか論理とか、関係ない。俺が君を傷つけて、それで君が悲しい思いをする。俺にはそれが耐えられないし、ここに来るまでに出会った男は皆そうだった。仮に事故や一時の衝動で手を出してしまっても、罪悪感の一つも覚えず、あまつさえ喜びをあらわにするなんてことは絶対にあり得なかった」


「でも、それはナオトくんのいた世界では女性が弱者だったからじゃ……」


「違うよ。……どれだけ喧嘩が強くても、たとえ武器を持っていたとしても、あの子を……彼女達を、殺めてしまったときはいつも、罪悪感しかなかった―――」


 それを聞いた時、彼女の目は自然と大きく見開いていた。どこか遠くを見る黒い瞳を前に、言葉が出なかった。

 

 今の今まで、彼女は目の前の男が嫌いでしょうがなかった。あの瞬間に分かった。六大対抗戦という由緒正しき場に、魔術師としての経験も浅い人間が、それも甘ったるい倫理感を持って立っている。子供のころから憧れて、そこに立つために鍛錬を積んできた場所だった。それだけに、戦いを侮辱するようなこの男が許せなかった。


 許せないまま、この部屋にきた。その甘く腐った倫理観を根本から叩き直してやろう。説得して変わらなかったら強い言葉を使ってでもいい。それでも治らなかったら、もう一度半殺しにして実力を分からせてやろうか。そうすればこの男も変わるはず。


 そう確信していた。彼は間違っていて、何も知らない。自分が正してあげないと、今この瞬間まではそう思っていた。


「なに、してたんだろ私……」


 数秒の静寂のあと、投げた言葉は自分に向けられていた。下に敷かれている彼は、過去を思い出すようにまだ淡い目をしている。


「(そもそも、どうして私はこんなに君を―――)」


 思えばそうだ。いつもなら別に他人の価値観なんてどうでもよくて、戦った相手がどんな気持ちかなんて気にも留めなかった。

 あの場所だったからだろうか。六大対抗戦の決勝という特別な場所だったから、自分も彼に特別な何かを感じているのだろうか。

 

「(いや、違うかな……)」


 圧倒的な実力差は戦う前から知っていただろう。それなのに、怯まず、全く知らない方法で向かってきた。力の差を体に分からせて、足腰立たないくらいにボロボロにした。

 それでも、彼は最後の瞬間まで諦めなかった。満身創痍の状態でも折れずに隙を狙っていた。


 そうだ、そんな君が―――


「かっこよかったから―――」


 沈むベッドの音が再び部屋に響く。


 感情の揺さぶりは絡み合う舌に乗せられて、二人の奥深くまで届いていた。

 

 もっと、深く。もっと隅まで。分からない事が無くなるまで、つけて、絡めて、離す。体をよじり、布が擦れ、ベッドは鳴くように音を出すが、気にしない。熱く荒い吐息は頬を伝って、また吸い込まれる。

 

 何度も、何度も―――


「ッぷはっ……はぁ、はぁ……」


 最初に止めたのは直登だった。圧し掛かっていた少女の両肩を手で押し、再び目を開ける。


「これ以上は、流石に良くないと思う……」


 彼の目線に合わせて、少女も後ろを振り返る。

 時間が止まったような部屋の中、二人の足の先に置かれていたテレビはある少女を映していた。

 

 荒々しく立つ土煙を背景に、すり傷一つ無く汗すら見せない。


「勝者、アリア・ハワード!」


 鮮やかなブロンズの髪の下に澄んだ碧眼を覗かせるその少女を。

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