11 星空

 ステージの上には砂漠が広がっていた。砂漠といっても、大多数がまず想像するような黄土色の砂が辺り一帯に敷き詰められている所謂”砂砂漠”ではない。

 起伏の富んだ地形の中には層状に重なる大地。足元から見える範囲で無数に転がる大小の岩石。その全てが寒空に浮かぶ月に照らされ、影を落とす。それは、岩石砂漠と呼ばれるものであった。


「ッて、おいおい……早々に御対面かよ―――」


 ただ、真っ直ぐに―――

 褐色の大地は目の前で二つに割れていた。そして、もちろん視線の先には赤髪の乙女。視力の良い直登にはその腰ほどにまでゆるりと伸びる長髪も、その下から覗く琥珀色の瞳も、どこか異国風にさえ思える程白い生肌も、距離およそ200メートル、ステージの反対側に立つ彼女の姿が隈なく見えた。


「(―――まずいっ!隠れ……)」


 隙を見せた、攻撃が来る。思考はそこで止まり、彼女の視界から一刻でも早く消えようと身を翻しかけた一瞬、体が硬直する。


「いや、待てよ……」


 再び動き始めた回路が、彼の愚行を遮っていた。


―――


「ナオトの相手は、おそらくルネ・ルロワになるだろう。今大会は未だ負け無しの強敵だ」


 手の平に本人の画像を映し出しながらノアはそう言った。つい最近できるようになった小技だそうだ。何万もの極小さな魔力の粒にそれぞれ属性を与えて着色させることにより写真の様に見せているらしい。

 

「ん……?その顔、どこかで見たことあるような……」


 はっとして、脳裏に浮かぶのは一週間前の記憶。赤髪、金眼、まるで童話の住人のようなその風貌は、一言話すのを見ただけだったが忘れるはずもなかった。


「ああ、そうか。班の顔合わせの時にナオトが見たのは、彼女の姉で僕等の担当教員、リナ・ルロワだ。彼女達『森の令人』は皆、赤髪に金眼だから見間違うのも無理はないさ」


「その、森の、レーニン?って何?ソビエト?だとしたら、尚更戦いたくはないね」


 隣で聞いていたアンヘルが呆れた溜息をつくのはもう何回目のことだろうか。そして、それを見たノアがその端正な顔に苦笑いを浮かべるのも。


「森の令人は魔界と人界が繋がるよりも前から魔界に居た先住民の一つさ」


 およそ1000年前、イングランドに住むとある少女が扉を見つけ、そこから魔界と人界の交流が始まったとされている。この歴史は、直登もアリアの授業で一番最初に教えられた程に魔術界では常識である。


「彼女らの得意とする魔術は伝統的に一つ。『召喚魔術サモンス』だ。森の令人はその高い魔界との親和性をもって、人類では到底隷属させることの出来ない高尚な魔獣を従えて戦う」


「魔獣ねぇ……」


「僕が得た情報では、ルネさんの従える魔獣はシープ、黒狼こくろう黒鴉レイヴン、グリフォンの四種類。……と、まぁ、なんというか極普通の魔獣使いだ。寧ろ魔獣の数だけなら並より劣っていると言えるだろう」


 ノアがそう言うと、直登は怪訝そうに首を傾げた。


「でも、彼女今のところ全戦全勝なんでしょ?魔獣に命令する以外に何か強みでもあるの?」


「ああ、歴代でも屈指の魔術師が揃っていると名高い今年のルーデウス大学一年だが――」


「(そんな期待値高いんか、この学年……)」


「その中でも属性魔術において彼女に勝るものは、唯一人を除き在籍していないと断言できる」


 唯一人、その口振りから察するにノア自身のことではないだろう。すると、その一人は誰だろうか。

 再び訝しげな表情を浮かべる直登をよそにノアは話を続ける。


「ちなみに、この言葉の真意は『彼女の得意な属性において勝る者がいない』ということではない。火、水、風、地、の四大元素を始めとした『彼女の操る全ての属性魔術において彼女に勝る者がいない』ということだ」


「……取り敢えず勝ち目が薄いことは、分かった。だけど―――」


「そこでだ―――」


 直登が再び口を開きかけたところで、それを遮るように金髪の青年は話を本題に移した。彼もまた理解していたからだ、目の前に座るナオト・キビという少年の根の強さに、そして、彼女を前にしたらすぐにその甘い価値観が文字通り根底から覆ることに。


「―――君の勝ち筋を教えよう」


―――


「信じるよ、ノア・ロシニョール」


 直登はその車幅ほどしかない細い道を、ただ歩いていた。


「……なにをして――」


 誰が言ったのだろうか。ノアか、アンヘルか、目の前に立つ赤髪の彼女か、それとも観客の一人か。とにかく、その場にいた全員が呆気にとられていた。

 数秒後、会場は異様な雰囲気で静かにざわめき始める。絶句するのは直登以外の両チーム。

 そんなことは気にも留めず直登は歩き続ける。さながら街に行き交う一市民のように、もしくは朝、今日一日の授業に憂鬱になりながらも友との一日ぶりの再会を楽しみに学校へ向かう一人の生徒のように。


「(懐かしいなぁ、この感じ。……アルジェリア以来かな)」


 懐古に浸りながらも、直登は歩くことを止めない。できるだけここが戦いの場だと悟られないように。殺気を殺し、敵意を殺し。できるなら風に舞う砂粒と同化して―――


「―――黒狼!」


 初めに気付いたのはルネだった。彼女が呼ぶと同時に足元から二匹の狼が飛び出し、直登の方に駆ける。


「あらら……流石に気付かれたか」


 少しの落胆を見せる直登。それでも、その距離は残り四分の一の所まで迫っていた。


「まぁ、及第点!!」


 その言葉と同時に、直登も彼女の方へ駆け出す。疾風の如き速さは、瞬く間に二匹の魔獣の目前まで迫り、その無詠唱の結界を以て二頭の頭上を越した。


「――――――ッ!?」


 速い、二度目の詠唱は間に合わない。そう直感したルネは、思念のみで土壁と黒鴉を繰り出し行く手を阻む。しかしこれも叶わない。直登は未完成の土壁を蹴り、赤髪の少女の背後に回り込んだ。


「つーかまーえた」


 パタリ、と二人はその場に倒れた。にへらと笑う直登の両腕は彼女の首元をがっちりと捕らえ、足は腹部を締め付けていた。


「―――ごめんよ」


 後ろから巻き付く直登の手は薄紅色の髪を纏いながら頭頂部に伸びて、その一本を引き抜く。


「―――ッ!」

「ぬわぁッ!?」


 刹那、亜音速で弾き出された岩の銃弾が凄まじい回転と共に直登の脇腹をえぐった。その衝撃によって産まれた一瞬の緩み。赤髪の少女はその好奇を逃さなかった。

 バンッと、見かけよりも大きな音が鳴ったと思うと背後に隆起する地層を二つ三つと突き破り直登は吹き飛ばされていた。


「……甘いのよ」


 最寄りのベンチから発せられた言葉は彼には届いていない。


「(何が起こった……?)」


 答えは単純だった。直登が四肢を緩めた一瞬、ルネは体をよじり拘束を完全に無意味なものにすると同時に、その瞬間に出せる最大の魔力をもって彼を突き飛ばしたのだ。


「……っうぐッ!?」


 よろよろと立ち上がりながら少女の方を向く。瞬間、走る激痛。しかし、どうやら目的は達成できたようだった。


「(あばらを何本か折った甲斐があったかな)」


 魔獣を召喚しようとはしない彼女の姿を見て安堵の表情を浮かべるが、それもすぐに切り替える。魔獣は封じた。だが、手足もボロボロでそれだけではまだ相手に分がある。次の手を考えなくては。

 思考を巡らせながらくるくると一本の髪を指に巻き付ける。


「魔獣の主従関係には自分の髪の毛を使うらしいね」


 距離は一定に保ちながら、直登はリナ中心の円軌道上を歩く。激痛は引くことは無い。これはおそらく試合中ずっとだろう。しかし、それを悟られないように。そして次の作戦を考えるだけの時間を―――


「だから魔獣は従う相手を判別する時に、与えられた髪の毛と相手の髪の毛を照らし合わせて判別する」


 なにか、いい案は―――

 岩陰で隠れて見えない少女の周りを回りながら、脳内回路を働かせる。


「俺は今、君の髪の毛を手にしている。―――魔獣は、封じたってことで良いんだよね」


 思い出せ、思い出せ―――

 この一週間、やってきた鍛錬を。魔力量は増え、結界術のアイデアも蓄えた。あとは、それを組合して一つの技にするだけ。


「(本来なら、予選でいくつか試しておきたかったんだけど)」


 ふと蘇る、できなかった理由。今までなんとなく先延ばしにしていた、本当に自分が取り組まなければならない一つの課題。そういえば、あのときは―――


岩銃弾スト・ガルフォンッ」


 右から差迫る殺気に、直登は気付かなかった。

 属性魔術特有の詠唱につられ魔力の高まりを感じると、それと同時に彼の目に映るのは鋭く尖った数十もの岩石。


「(いつの間に―――!?)」


 弾ける銃弾は轟音となり会場に響く。深く濃い土煙が舞い、二人の姿を隠す。


「―――ッ!」


 しかし、その中の攻防は止まることは無かった。無詠唱のかごで初撃は防いだものの、間髪いれずに土煙の中、岩石の銃弾が飛び交う。


「(―――見えてッ?)」


 あまりにも正確なそれを、タイミングを読むことだけによって躱す。並外れた身体能力と勘がなければなしえない神業であった。それでも、一秒、二秒と時間が経つ度に増える被弾。気にしている暇はない。一歩間違えば、負け―――


沼溜まりペル・ガルン


 凛とした声は戦いの終わりを告げようと、詠唱を唱える。直後、直登の足に掛かる負荷。浅い、普段であれば気にも留めずに足を上げられるような泥濘ぬかるみであった。


「まじかッ!?」


 しかし、今の直登にはできない。咄嗟に岩銃弾の雨を防ごうと籠を張るが、不完全なその結界を嘲笑うかのように無慈悲な雨は降り注ぐ。


「……」


「―――動け!動けよ!」


 いくら足を叩こうと、いくら鼓舞しようと。彼の足には立ち上がるだけの力は残ってはいなかった。したたる血潮はいつの間にか赤色の池を生成し、四肢に張り巡るは無数の斬撃の後。

 急所こそぎりぎりのところで防いだが、体の四隅は今にも千切れそうな程ボロボロだった。


「……まだ――」


 宙に舞う砂埃を片手で払いのけ直登の前に現れた少女は、哀れみと感嘆の目で彼を見下ろす。意識があり、戦意も残っている彼の姿を。

 そうは言っても、もう決着の時だ。肩でも刺せば目の前の少年も諦めるだろう。


風槍スツォルヴ


 直後、彼女の周りを巡る気流が激しく乱れ、一本の長い槍として彼女の手中に収まっていく。思えば、最初の一手は危なかった。あそこで目の前の男が髪を抜かずに攻撃をしてきたら負けていただろう。よく考えたら、そもそも……


「……」


 一瞬、思考が止まった。そう、ほんの一瞬。瞬く間でわずかな時間だ。


「氷塊」


 しかし、それは致命的な一瞬だった。

 距離およそ50センチメートル。両者の完全な間合いの中で見せた油断を、直登は逃さない。ルネに向けられたのは血の滴る右手。その先からは鋭く尖った結界の塊。


「この時をずっと待っていたよルネ・ルロワ」


 獲った。その確信と共に、結界を弾こうと魔力を込める。赤髪の少女も敗北を悟ったのか、片手に槍を手にしたまま天を仰いでいた。


 ―――刹那、脳内を立ち上る途切れかけた思考。攻撃を受け、海の奥深くに沈んでいたそれが水面に顔を出す。


「―――あのときは風が吹いていなかった……」


 思い出したのは、彼女と出会った場所だった。

 言葉を発した瞬間、全身の力は抜け、生成した結界も解いていた。自分は今まで何をやっていたんだろうか。

 この殺し合いのような戦いを楽しみ、今、目の前に呆然と立ち尽くす少女の柔肌を貫こうとさえしていた。


「そうか……」


 直登はどさっと後ろに倒れた。歓声が沸き盛り上がる会場も、絶句する目の前の少女も何も見えない、聞こえない。


「……やっぱり、綺麗だな」


 夜空には今日も星が輝いていた。

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