10 風

「お前は、一体何者なのだ」


 ノアを見送ってすぐ、長髪の青年は前を向いたまま口を開いた。鳴り響く雑踏の中、微かに聞こえるその声は少々の震えを伴っていて──—


「ありえないだろう───魔術強化も施してない一介の人間が、大会でも最上位の攻撃力を持つルーク・ゲイヤーの打撃を受けて平然と立っていられる。」


 彼は再びありえないだろう、と繰り返す。


「何の訓練も受けていない人間がゲイヤーや──認めたくは無いが俺すらも凌駕するかもしれない体術の使い手だと言うことは。」


 直登もまた、ステージを見上げたまま。何処かかげる面持ちであった。


「……いつだったかな───」


 目前の戦場は既に連続的な魔力の爆発が起こっている。始まったのだろう。砂塵が舞い、ステージを取り囲む不可視の障壁に次々と張り付いて視界を悪くする。


───


 その夜はようやく開けた。「日本の星降る夜」というニュースは世界中を駆け巡り、目にした人々を戦慄させていた。


 東京、大阪、名古屋の三大都市を含む30の都市とその近隣地域、日本全体とも言っていいであろう領域の潰滅かいめつ。地獄の様な状況の中、東京から唯一人生還した少年は未だ毛布に包まり体育館程の大きさの部屋の隅にぽつりと座っている。

 

 避難民用の一時的な収容所の一つだとヘリの中の男は言っていた。しかし、その床の上に張られた幾つものブルーシートは手持ち無沙汰に広がったままで、私服よりも寧ろ軍服の方が多く目に入る。つまるところ、この広大な空間の中に避難民は片手で数えられる程にしかいなかった。


「やあやあ、不幸な善人さんたち」


 そこに現れたのは一人の女だった。新たな避難者が来たのか、と思い顔を上げた一同であったが、その考えはすぐに自身の目によって否定される。


 ―――瞳が違った。彼女の黒い瞳はそこに居る誰よりも潤い、活力で満ちていた。

 ―――肌が違った。その肌は悲愴に暮れる自分達とは違い、張りのあるきめ細やかな肌であった。

 ―――服が違った。彼女の着ているワイシャツは、傷一つない新品にも見えた。


 そして、何より―――


 彼女は、笑顔だった。


「何しに来たんだてめえ!!」


 振り絞るような怒鳴り声が響いた。荒んだ、それだけで背景がうかがえるような叫びのような声であった。


 彼女は構わずそこにある顔を見て回る。ショーケースに並ぶケーキを一つ一つ眺める子供のように、好奇の目を以てゆっくりと。しかし、それは一瞬だった。

 彼女はついに少年の前に立ったかと思うと、直ぐに毛布の中から彼の腕を引っ張り出し外に連れ出すよう強引に起立させた。


「君、名前は?」


 固い床に粗い靴音を立てながら彼女は問う。


「…………」


 返答は無い。少年は残った手で毛布を大切そうに掴み、足は惰性で動かしているに過ぎなかった。しかし、だからといって彼女に抗うこともしない。

 もう、どうでもいいのだ。全てを失った自分をどうしようと、もうこの先には興味も関心も無い。


「へえ、君はそうして流されるまま生きて来たんだ……それで、これからもそうやって生きていくんだ。」


 その時少年の虚無の中に一つ、何かが生まれた音がした。


「君のお母さんはちゃんと君を育てなかったんだろうね。可哀そうに。」


 今思えば随分と投げやりな言葉だった。それでも、少年の無で満たされた心に種火を落とすのには十分であった。


「……じゃない」


「なんだい、少年。はっきりいいなよ。」


「―――母さんはお前に馬鹿にされるような人間じゃないッ!!!」


 嵐の明けた晴天の下、顔を上げると心底嬉しそうな女の顔―――よく見ると印象程に大人ではない、少女と言っても不自然ではない顔立ちだった。

 彼女は掴んでいた手を離し、くるりと直登の方に振り返る。肩までもない短い黒髪はふわりと浮かびあがり、その後から凛と少年を覗く双眸。


「自己紹介どうも、少年。私は海野彩綾うみのさや、所謂「死の商人」ってやつをやっている。」


 それは、十年前の暑い夏の日であった。


―――


 そこまで話し終えたところで、会場に大きな破裂音が鳴った。空間魔法特有の「ねじれ音」だろう。三次元空間を術師固有の亜空間で大幅に削り取り、曲げるなどした時になる音だが、ここまでの大きく霞のない音を出す男はこの場に彼しかいない。


「勝者、ノア・ロシニョール!!」


 アナウンスと同時に、会場は大きく沸く。一方、平坦と化したステージを挟んで向こう側、男たちは膝に手を突き、肩を震わしていた。


「ま、時間も掛かるし続きはまたどこかで……」


 直登はそう言い、自分の時に彼がしてくれたようにノアに手を振った。それに気付いたのか、振り返ったノアはいつもの笑みで答える。


「ノアはまた余裕で勝ったみたいだね。」


「そんなことは無い。よく見てみろ……あの燃えかすの如き魔力を。満身創痍そのものではないか。」


 魔力を見ろ。と今まで聞いたこともない指摘をされ直登は少し戸惑ったが、アンヘルがそういうので納得せざるを得なかった。それによく見るとブレザーを脱いだ彼も僅かに肩を震わし、白いシャツは冬だというのに肌に張り付く程濡れていた。


「(みんな、意外とつかれてるのか……)」


「何はともあれ、これで決勝進出だ―――」


 直登が横を向くと長髪の青年が片手を挙げ何かを待っていた。瞬間、彼の似合わない素振りに思わず吹き出しそうになった直登は笑うまでほんの僅かの所でそれを耐え、ハイタッチに応じた。


「……ッククッ…」


「ん?何がおかしい」


「……ッいやッ…何も…ッ…」


 不可解そうに首を捻るその姿も、また直登には可笑しく感じた。

 この後30分程、直登はこの時のことを思い出しては笑っていた。


 赤く染まる街はいつになく賑わいで溢れている。決して広くはない道の上に所狭しと並ぶ売店の前では、髪色も肌色も目の色でさえもそれぞれに異なる多様な人々が、その活気の一端を担うかの如く魔具や食べ物を買い漁っている。

 幾度とぶつかりそうになる人の波を避けながら直登は歩いていた。降り注ぐ日の光が作る影のせいで表情はよく見えないが、その面持ちは穏やかなものではなく時折ため息も聞こえる。


「――おい、兄ちゃん」


 足早に歩いていた直登は動きを止め、引っ張られた肩の先に顔を向ける。


「……え?」


 知らない顔だ。中年の男が直登と同様に少し驚いて直登を見つめていた。


「おおっやっぱそうか!お前さんキビ・ナオトだろ。見てたぜぇ、さっきの試合。体格差もあって知名度も段違いだったからゲイヤーに賭けようかとも思ったが、浪漫を求めてお前に賭けてよかったぜ!ありがとな!」


 男は直登の手をがっしりと掴んでから去っていった。


「何だったんだ……?」


 嵐のように過ぎ去った出来事に、直登は人波のなかで数秒立ち尽くすことしかできなかった。


―――


 太陽は東の空に、その輝きを失いつつあった。

 西から覗く漆黒に同化するかの様に、静寂だけが会場を包む。それは、余韻であった。重音の中、二度同じ校歌を歌うという異様さに会場の中の誰もが吞まれていた。


「これより第618回、魔術六大学対抗戦決勝戦を開始いたします。対戦表、発表―――」


 静寂はアナウンスの音によって破られ、次第に会場にあった熱気が戻ってくる。巨大な空間の中央には『ルーデウス大学A班対ルーデウス大学G班』という文字列が浮き上がり、その下には各々の対戦相手が一組ずつ派手な演出と共に示されていた。


「……ようやく来たね、この時が」


 湧き上がるスタジアム、しかしその中心に設置された競技場の両脇は張り詰めた空気が流れていた。


「緊張しているのかい、ナオト」


 ベンチに腰を掛ける直登の肩に手を置きながらノアは顔を覗かせる。


「……いや、何だろう。躊躇ってる……って言えばいいのかな。本当にこれで大丈夫なのかな、って怖気づいているというか」


「この期に及んでまだそんな甘いことを考えているのか、お前は。こんなこと、今に分かった話では無いだろう」


 しかめっ面のままの長髪の青年は呆れた声でそう言う。淀みの無い綺麗なはずの瞳がこの瞬間だけ歪んで見えるのは、彼の掛けている眼鏡のせいだろうか。


「それでも……俺はしたくないよ、女の子を傷つけるなんて……」


「―――何言ってるんだい?体に魔力が流れている人間は、致命傷でもなければ治癒魔法で治るんだよ」


「そういう問題じゃ―――」


 そこまで言いかけて、直登は口を閉じた。

 試合前にチームの空気を汚すのも得策ではなのは分かっていたが、それよりも、これ以上彼らに話しても無駄だろうと思ったからだ。なにかに当てられた彼等には―――

 とにかく直登には二人の、いや、この会場にいる人全員の感情が理解できなかった。もしかすると嫌悪に近い感情を抱いていたかもしれない。


「俺、第一試合だから行ってくるよ」


「おい、待て」


 足早に去ろうとした彼を呼び止めたのは意外にも長髪の青年であった。


「何か勘違いしているようだが……怪我をするのはお前の方だ。気を付けろよ」


 直登は後ろ向きのまま手だけで返事をして深く息をついた。

 相手はルーデウス大学G班、つまり直登達と同じ一年生の女子である。同学年の中でも選りすぐりの魔術師達が集められたその班には一人、直登の見知った顔があった。


第一試合 ナオト・キビ 対 ルネ・ルロワ

第二試合 アンヘル・ディ・ステファノ 対 ルアナ・マワリポウリア

第三試合 ノア・ロシニョール 対 アリア・ハワード



「両者ステージへ」


 疑念と戸惑いが頭の中を雑音として這い回る。ああ、気分が悪い。何故彼らは女の子とこうして相対することに違和感を覚えないのだろうか。

 おかしいじゃないか、いくら魔術師だろうと意味もなく女の子に手を挙げるのは。


「それでは、今からルーデウス大学A班対ルーデウス大学G班第一試合、ナオト・キビ対ルネ・ルロワの試合を始めます。鐘の用意を」


 唸るような歓声が上がる。いよいよ試合が始まろうとしているのだ。

 そんな中、気持ちが戦いに向かないのは自分が異常なのだろうか。


「やるしかないよな……」


 悩み、葛藤の末に漏れたその言葉は『決意』というよりも諦めに近いものだった。そう、自分もここにいる人々の様に何かこの場に流れる風みたいなものに当てられた方が苦しくなくて、楽―――

 そんな『逃げ』だった。


 ―――内臓を揺らすような、低く重い銅鑼の音が鳴る。

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