六大対抗戦

05 六大対抗戦

 ルーデウス大学の現校舎は12世紀半ばに建設されたとされる。幾度となく修復・改築工事が繰り返され、ロマネスク様式とゴシック様式が合わさった城のような外見をしている。

 その城壁で囲まれた庭の隅、正門から少し離れた茶色い木々の間に二人は立っていた。


「ば、ば、ばかじゃないの!?人前で、あんな、は、恥を知りなさいっ!!」


 顔を林檎のように赤くして、直登を糾弾するその姿に彼は困惑していた。「そもそも、君が言わせたのでは?」「さっきの返事は?」と頭上のクエスチョンマークを隠せないままであった。

 しかし、その何よりも


「(アリアってこんな表情豊かだったっけ……)」


 目の前の少女の、少女らしさに驚いていた。ポニーテールを忙しなく揺らし、目を大きく開けて話す彼女の表情に、吹き付ける風の冷たさも感じない程に目を奪われていた。


「ねえ、聞いてんの?」


 直登は彼女の声が止まったことに気づき、「う、うん」と曖昧な返事をした。


「ま、そういうことだから。……これからも、よろしく」


 彼は差し出された右手の意味にほんの一瞬戸惑ったが、すぐにそれを理解し彼女の手を握る。それは、外の空気にしばらく触れていたからか少しひんやりとしていた。


「あっ、それと――」


 教室へ向かい歩きだした彼女は何かを思い出したかのように立ち止まり、直登の方に振り向く。彼を見上げるその青い瞳は少し視線がずれていて――


「わ、私のこと『友達』って言ってくれて、嬉しかった……です」


 そう言って、すぐに彼女は前を向きなおす。髪の隙間から垣間見える少女の耳は、寒さからか霜焼けのように赤く染まっていた。


―――


 「第一学年臨時集会:701」直人達がいつもの教室に行くと、そう書かれた紙が一枚シミだらけの黒板に張られていた。


「……701教室ってここだよね」


 窓から差し込む光が、傷一つ無い床に反射して直登の黒い髪を照らす。いつも教室に入る際に通るそれとは、比べ物にならない位に清潔な廊下。そして、ささくれなど一つもない艶のある両開きの扉。


「そう、みたい」


 その美麗な装飾も、二人を圧倒していた。


「ま、入ろか」


 こくりと頷いたアリアと共に直登は扉を押し、教室に入る。

 その瞬間、向けられる40人以上もの視線。それと同時に能天気な声が響き渡った。


「ほいじゃ、全員揃ったし始めよっか」


 視線を向けられたままの二人は、やたらと広く開いていた空間を見つけ、そこに座る。教壇には普段通りの黒いスーツを纏った男が一人、教員代表として立っていた。

 

「今年もっ!この季節がっ!!やってきましたっ!!!」


「……」


「六大対抗戦ッ~~!!!!」


「……」


 男がマイクに向かって叫ぶと、前列に座っていた女性が咳ばらいをし教壇の上に立った。赤髪を肩まで伸ばしその前髪の下から黄金色の瞳を覗かせる彼女は、どこか異様な雰囲気を纏っている。


「六大対抗戦とは、各地の魔術大学の学生、教員が一つの大学に集まり日々の魔術鍛錬・研究の成果を示す場であり、開催される大学は毎年西順番で決まっています。ちなみに、今年の開催地は菜和さいか大学、中国です」


 「中国」の言葉を聞きどよめく教室。直登を含め各々の内には「海外に旅行に連れて行ってもらえる」そんな軽い気持ちで満たされていた。




「これでA班全員揃ったかな」


 金髪の青年は三人目の班員が席に着いたところでそう言い、わざとらしく周りを見回す。サラサラとした真っ直ぐな髪からは顔を動かす度に花のような香りが届いていた。


「取り敢えず自己紹介でもしよっか。まずは僕から。僕は、ノア・ロシニョール、ノアでいいよ。魔術師としては、空間魔法が専門分野だね」


 自己紹介と共に送られた眩しい笑顔は残る二人の心に何か黒いものを与えた。

 「空間魔法」とは、三次元のこの世界に亜空間と呼ばれる術師固有の空間を生成し、また、それを応用する魔法である。


「じゃあ次は僕ですね」


 直登の隣に腰を掛ける緋色の目をした彼は肘から先だけで挙手をした。


「アンヘル・ディ・ステファノ、呼称などは勝手にして下さい。得意分野は降神術で、白魔術もそれなりに」


 「堅物」、それが直人達から見た彼への第一印象であった。肩まで伸ばした髪は綺麗に整えられて、丸っこい眼鏡を掛けたその風貌も、甲高い声も。そして、その最たるは「降神術」という単語であった。これを含む、ある程度小さい超自然的な存在を駆使する魔術は「精霊魔術」と現在では一括りにされている。わざわざ「降神術」という単語を持ち出したのは、彼のおそらく家伝であろう魔術に対する誇りが窺えた。

 では次、と差し出された手は直登の方を向いていた。


「俺はナオト・キビ、魔術は一週間から勉強してるから簡単な結界術しか使えないっす」


 ――刹那、訪れた沈黙を彼は予想していた。魔術という一つの学問において大学まで進んだ彼等と、つい一週間程前からそれを学び始めた直登では、知識でも魔術の実力でも数段の違いがあることを彼自身理解していたからだ。


「それは何かの冗談かい?」


 冷たい声でそう聞くノアに、直登は気まずそうに首を横に振る。


「あなたは今まで何をしてたのですか」


 重苦しい空気の中、長髪の青年が我慢できずに声を上げる。燃えるような緋色の瞳が咎めるように直登を見ていた。


「ここはあなたのような半端者が居ていい場所では無い!」


 その隅から発せられた怒号は、瞬く間に教室中に響き渡り他の生徒達を凍り付かせた。立ち上がった彼は物凄い剣幕で直登を睨んでいる。

 目の前の青年は、髪が逆立ち鼻息も荒くなっている。それは何故か。明確な答えを待ち合わせていない直登の顔を見て、ノアは優しく語りかけた。


「僕は正直、ナオトに対して少なくとも『怒り』という感情は持っていないよ。でもアンヘルが今、ナオトに対して抱く『怒り』のその所以は察することができる」


「それって、俺が魔術についての学が無いままこの大学にいること?」


 直登は言いながら、この答えは整合性が取れていないと感じていた。


「(たったそれだけのことで――)」


「それもあるかもね。でもそれ以上に、ルーデウス大学は教育・研究機関であると同時に魔術戦闘員を派遣する機関でもあるんだ。だから、君のように魔術が碌に使えない生徒がいると大学の信用に関わる。僕やアンヘルが必死に勉強と鍛錬を重ねて入学した、この大学の格が落ちてしまうんだ」


 なるほど、とは理解できなかった。しかし、直登に否定できるだけの実力も無いことは彼自身ベネチアで知った。


「それだけ言うんなら試してみな」


 その声は、直登のものではなく、静まり返る教室の対角から聞こえた。その声の主である賀茂は不敵な笑みを浮かべ、扉に背を預け腕を組んで立っていた。


―――


「――で、こうなんのね」


 ルーデウス大学の地下施設のうちの一つ。「模擬戦場」と呼ばれるそこには、四方50メートルほどの土地に何本もの巨大な木が植えられていた。その四方八方に広がる木の根や幹の多さは、中にいる者が森にいるかのように感じる程であり、対角に位置する直登とアンヘルはその間わずか70メートル程度の距離であったが、互いの姿を視認することはできなかった。


「ルールは先に言った通り、重症以上の怪我を与えるのは禁止。それ以外なら何やってもいいから」


 能天気な賀茂とは対照的に、緊張している直登は勝つための戦略を必死に考えていた。


「精霊魔術は場に支配される魔法、奴の性が『木』でない限り、この状況では動ける分、圧倒的に俺が有利。白魔術は回復系の魔法が主だから警戒する必要はなし……か」


 とは言ったものの、彼はどの魔術でもある程度は使えることは直登も承知していた。対して直登が使える魔術は「簡易結界」の全てと、結界「天袋」ともう二つ。


「開始の合図は次の講義開始の鐘にするから」


 観客は二人、賀茂とノアが一段高くなっている模擬戦場を見上げるように立っている。それ以外は誰もいない広々とした地下空間、その一角に緊張が走る。


「(学んでこい、直登――)」


 静寂の空間に、鐘が鳴り響いた。


 響き渡る鐘の音は一方が負けを認めるまで続く、まるで我慢勝負のような闘いの始まりを告げた。

 それと同時に、直登は足音を沈めながら右手の方向に歩き始めた。胸ほどの高さに伸びる木の根も樹皮一枚触らずに軽々と飛び越え、ある一点を目指す。


「(アンヘルに見つかる前に、俺が奴を見つける!!)」


 先手必勝、彼ははやる気持ちを抑えて慎重に木々の間を縫っていき、その一点にたどり着く。開始から僅か数秒。予想通りの時間に訪れたそれは、しかし直登が予想していない光景であった。


「動いて、ない……!?」


 目を細めた先、枝葉の僅かな隙間から見えた青年は、領域の隅、初期位置に腕を組んだまま仁王立ちしていた。

 思わず零した声は木々によって阻まれたが、その感情の変化、存在感オーラの変化は50メートル先の彼に届き、青年は直登が潜む方向に視線をずらした。


「(気づかれた――)」


 ――が、しかし。咄嗟に隠れた直登の元には、寸分の魔力もアンヘル自身も近づいては来なかった。


「ふっ」


 失笑は直登の方に生まれた。またか、またこのパターンなのか。そう思った彼は、口に含んだそれを噴出さずにはいられなかった。


「(間違いない。アンヘルは俺を嘗めている。しかも、教室じゃ分からなかったが、今ならなんとなく感じ取れる。アンヘルの魔力はベネチアで闘った少女と同程度だろう)」


 確信は油断には変わらない。いずれにしろ直登が格下であることは自身が一番理解していたからだ。だからこその、先手必勝。相手の想像以上の火力を以って、一撃で制す。直登は数歩ほど位置を変えた。


「簡易結界『障子』」


 掌に生成される、一枚の白い結界。


「『折り紙』」


 直登が唱えると同時に結界は幾重にも折り畳まれ、より白く、斑が無くなっていく。その先端は針のように細く、岩をも貫くほど強固になっていた。


「(いけぇっ!!)」


 狙いは右脹脛ふくらはぎ、唸るような腕の降る音と共に投げ出されるそれは、目で追えない程に速く標的の青年に迫る。

 刹那、ボスッという音はいつの間にか伸びていた木の根から発せられた。その直後、地面に落ちる黒い物体。攻撃は防がれた――ように見えた。


「なっ!?」


 青年の組んでいた腕は解け、右肩から流れる血は脇下を滴り落ちていた。一瞬の戸惑いを、直登は見逃さない。好機、そう判断した彼はくさむらから飛び出し間合いを詰め、今度は左肩を潰しにかかる。


「とったぁ!!!」


 振り上げた右手に、より強い確信を抱きそれを目の前の青年に向けた。

 その一瞬、生まれる僅かな油断。その綻びを自覚する前に、直登の右腕は自由を失っていた。


「――まさか……『木』!?」


 負け惜しみのように出た言葉に青年は鼻で笑って返す。右腕を木に捕まれ吊るされた直登は、それを睨むことしかできなかった。


「これは『降神術』ではない」


「……え?」


 困惑を隠せない直登を見上げ、アンヘルは少しの自慢を含んで言った。


「――白魔術だ」


 ―――白魔術は回復の魔法、部分的もしくは全体的に人やその他の生命を回復させる。それはアリアの授業で聞いた言葉であった。回復の魔法と思っていたからこそ、直登はアンヘルの持ち札に精霊魔法しか考えていなかった。


「僕は白魔術を使って木の根を回復、もとい成長させた。素人の君は知らないだろうが、白魔術は回復の魔法などでは断じてない。生命の、そのすべてを操る汎用性の高い魔法、それが白魔術だ。……油断したな三流魔術師、いや、三流結界術師」


「君のような魔術師を昨日も見たよ、アンヘル。……素人、三流、みたいな安っぽい表現を使って、相手を侮る」


 なにが言いたい、とアンヘルは眉間にしわを寄せて言った。木に吊るされた目の前の男の放つ不気味な存在感オーラに、彼はまだ気づいていなかった。


「そして、そいつは最後まで油断し続け……負けた」


 直後、アンヘルは自身を覆うそれに気付き咄嗟に身構える。


「『鹿威ししおどし』っ!!!」

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