06 解

 「結界術において直登が今すぐに覚えないといけないのは『天袋』『折り紙』、そして『鹿威し』の三つだけだから、時間もないし直ぐ覚えて」


 アリアは「直登の呑み込みの早さなら――」と、出しかけた言葉をしまう。実際、学問としての魔術に対しては直登は驚異的な速さで順応し習得していた。


「見本とか、無いですかね?」


「ま、いいけど」


 そう言って、彼女は直登に向けて手をかざす。直後、彼を覆う結界の箱。それは簡易結界『籠』よりも随分と窮屈で、身動き一つ取れなかった。しばらくして、アリアが結界を解くと同時に直登は解放された。


「これが『天袋』、簡易結界『襖』と『籠』を合わせるようなイメージ」


 さらに彼女は手を前にかざし、無詠唱のうちに掌に結界を作り出した。そしてそれは、紙を折るように小さく鶴のようになっていく。


「これが『折り紙』、『障子』で作った結界を魔力で折り曲げるイメージかな」


「へぇ……、え?なんで、そんな簡単にできるの」


 直登の疑問は当然のものだった。魔術には血統や出生環境によって適性があり、例えば結界術の場合、適性の無い魔術師であれば「簡易結界」を使える程度である。が、しかし、彼女はいとも容易くより困難であるはずの「結界術」を発動させた。

 アリアは言葉に詰まった。もちろん彼女の才能には非凡なものがあったが、様々な魔術を使えるようになったのは才能以上に彼女の積み重ねた努力に因るものであった。それでも、今ここで自身の積み重ねてきたものをひけらかすのは気が引けたのだ。


「ま、まぁ私は――」


―――


「『天才』と、そう思うかい?」


 モニター越しに二人の戦闘を見ている賀茂は隣にいるノアにそう問いかけた。画面には両耳を抑えうずくまる長髪の青年と、そのすぐ傍で右耳から血を流す直登の姿が映っていた。


「あれだけのことを一週間で身に着けたなたら、そう言わざるを得ないでしょう」


 賀茂は広い地下空間の中、小さく溜息をついた。


「学年一二の魔術師と名高い君達も、やっぱしまだまだだねぇ」


 神妙な面持ちのノアは、突然の失望に少しの動揺を見せた。しかし、それと同時に生まれる一つの疑問。


「では、先生は彼のこの一週間の努力に因るものとおっしゃるのでしょうか」


「いいや、違う。直登は君たちとは違う努力をしてきたんだよ、10年間」


―――


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。弾ける魔力を感じた直後に轟く爆音、そして閃光。しかし、その言葉を思い出した瞬間真っ白な景色の中で全ての情報が繋がる。


「『鹿威し』か……」


 絞り出すように出した声が自身に届かない。その違和感からアンヘルは両耳に当てていた手に滴るものに気づく。


「(こいつ、鼓膜を!?)」


「その状態じゃ鼓膜を治すなんて細かい魔術も碌に使えないんじゃない?……って、聞こえないか」


 僅かに回復した視界に写る人影は、少しずつ近づいていた。余裕綽々と喋るその姿は、それでも片耳からは血を流し、右腕は大きく腫れ上がっていた。


「じゃ、まだ見えてないうちに終わらそう」


 そう言って直登は領域を覆う木の根を殴る。僅かにできた穴によるひびは放射状に広がり、亀裂となった。その恐るべき力による振動は、領域内にも漏れ出る程であった。


「まだだ、まだ終わっていない……僕は、まだ負けてはいない」


 視力が戻ったのか、それとも足の感覚だけを頼りにしたのか、彼は立ち上がっていた。しかし、その小鹿のような震える足に隙を見た直登は、アンヘルの膝を掬うようにタックルを仕掛けそのまま持ち上げる。そして、先ほど開けた穴に投げ込もうと振り向いた。


「穴が、無い!?……まさか!」


「……そろそろ、気付いたかな」


 直登の頭上から聞こえるたどたどしい声。圧倒的不利の状況に思われるその声は、どこか自身に満ちていた。


「僕の属性は『木』だ。そして、この僕にここまでの手傷を負わせた君に敬意を表して、見せてあげよう。……全力を」


 直登は危険な魔力を感じ思わず長髪の青年を放り投げた。しかし、彼は目を瞑りながらも態勢を整え着地し、ちょうど後ろにあった木に背中を預けた。


「(手袋なんか着けてたっけ?)」


 直登は警戒から思わず3歩、更に間合いを取った。それでも、目の前の男の魔力から感じる危険。それは、領域内のどこへ逃げようとも彼の射程圏内だと言わんばかりであった。


 ふう、とアンヘルはゆっくりと、場に合わない深い呼吸を一つ。


「……ヴィア


 ――刹那、緩やかに漂っていた魔力が急激にアンヘルに吸い込まれていく。それは周りの大気をも巻き込み、竜巻のように激しさを増している。地下室の電灯は点滅を繰り返し、戦場を映し出すモニターにもさざなみが立つ。

 その猛然たる魔力は、やがて一点に暗黒の小球体を作り出した。それを目視した直登の本能が感じる危機。


「(こいつは、この攻撃は、生命いのちにも届き得る!!)」


 しかし、それと同時に察知した禁足領域の存在に彼はそれを止める術が無いと悟る。

 次第に小球体は風を纏いながらアンヘルの手中に収められる。瞬間、直登へ向かう一筋の光。光は瞬く間に閃光へと変わる。


 直登は、白に包まれた――


「『常黄泉庭園とこよていえん』っ!!!」


 叫びにも似たアンヘルの詠唱。その瞬間、手袋の甲に描かれた魔法陣が紫色をもって輝いた。

 直登が目を開けると花びらが舞っていた。それが幻の類ではないことを彼は自身の腕に当たるその感触で理解する。


「(……何が起こったんだ)」


 彼らを覆い隠すように立っていた木々が一瞬にして消えていた。そして地面を占める花畑。それは閉ざされた地下空間にとって異質極まりなかった。


「へぇ、いいの?木の属性の精霊魔術師が木を消しちゃって」


 辺りの異変に気付いた直登は、怯える内心を隠す。花の一つ一つから溢れ出す異常な魔力。それは直登の膝を僅かに震わせる程に、妖異で不気味であった。


「あまり強がるなよ、ナオト」


 アンヘルは間合いを詰めようと一歩踏み込む。それを察知し、直登は慌てて下がった。恐怖という感情が、彼の頭を埋め尽くしていた。

 瞬間、響く心臓の音。それと同時に直登は膝から崩れ落ちるようにして倒れた。


「どう、して……」


 絞りだした声は頭の近くに立つアンヘルに届いていた。


「魔力切れだ。僕のヴィア、『常黄泉庭園』は無数に舞う花びらと地に植わる花によって対象の魔力を吸い取る。……君の負けだ、ナオト」


 そう言い、アンヘルは直登を担ぎ上げる。その目は数分前の侮蔑するかのような目とは違い、少しの尊敬が混ざっているように見えた。


「……もう聞こえていないか」


―――


 アルテイアは初冬の澄み切るような寒さであった。正門を通る学生達は皆分厚いコートを纏い、凍える身体を温めるように何人かで身を寄せながら歩いている。その中で一人重い足取りを運ぶ青年は、その黒い瞳の見る先を地面に落としていた。

 そこへ向かう軽い足音が一つ。


「おい」


 金髪の少女の呼びかけに応答はなかった。俯く彼はどこか遠い場所を見るように足元を見ていた。


「おーい」


 再度繰り返すも返事は無い。青年の心はここには無いようであった。

 彼のその冷たい指先は凍り付いた風に晒されて赤く霜焼けを起こしている。そこに重なるもう一つの指先、白く潤いを保ったその手は季節外れの暖かさと共に、青年の手を握った。


「……へっ!?」


 不意に伝わる感触に、青年は目に光を灯す。顔を上げた先に写る少女の姿に安心を覚えながらも、何事かと問いかけた。


「直登こそ、何があったの」


「あぁ、俺は別に、疲れてるだけだから」


「それならいいけど。……そういえば、昨日ステファノさんに勝ったて本当?」


 不意に伝わる虚偽の情報に直登は一瞬固まり、直ぐに否定した。それを聞いたアリアもまた、一瞬固まる。


「昨日は完敗だったよ。途中で気絶したし、そもそも右腕――」


 その瞬間、二つのことを思い出す。一つは、折れたはずの右腕がいつの間にか治っていること。直登はこのことに関しては、思い出すと同時にいくつか見当がつく。そして、もう一つ。


「骨折させんの禁止か……」


 協議のルールとして、骨折などの重傷を負わせることが禁止であったこと。


「勝ちといえば勝ちなのかな?」


「なにそれ」


 アリアは要領を得ない回答に少しのじれったさを覚えながら、それでも少し嬉しそうに笑っていた。




「おはよう、ナオト」


 開かれた扉は外光を徐々に細めていく。薄暗い教室の先、直登がその清爽な声の方を向くと、じめったい場に見合わない明るい金髪が机に腰を掛けて座っていた。


「おはよう、ノア。あと――」


 視界に僅かに写る影。教室の隅に立つ艶のある長髪を携えた男は不意に向けられた視線から顔を背けた。


「(まだ、嫌われてるのかな……)」


 一瞬、訪れる静寂。彼の名前を呼ぶはずだった直登の唇は、その静寂に耐え切れず他の言葉を探していた。


「……昨日は、いろいろとすまなかった」


 横顔のままで送られた謝罪に、思わず直登はきょとんとした顔をした。その顔を少しの不機嫌な感情と共に見るアンヘルは、それでも悪い気はしない。「こちらこそ」と咄嗟に返ってきた言葉も相まってか、彼等の顔は僅かに赤くなる。


「……よしっ!仲直りも済んだところで――」


 いつのまにか蚊帳の外になっていたノアは、そう言って二人の元に歩み寄る。


「始めようか、ミーティング」

 

―――


 魔術師は皆、それぞれに異なる特性を有している。魔術の得手不得手で表すことができるそれは、血統や生育環境、出生地などによって異なり、それを活かし切ることで魔術師として「普通」という評価を与えられた。

 しかし、事実としておよそ一万人存在するとされる世の魔術師は、その戦闘能力において細かく順位付けをされ、その大半を占める「普通」よりも優れた魔術師が存在する。


「――クラスA、そう呼ばれる彼等とその他の魔術師との決定的な違い。それがヴィア……自身の魔術特性を最大限活かした先に顕現する固有魔術だ」


 机の上に置かれた白い紙に書き込みながら話していたのは、いつの間にか班のまとめ役的な立ち位置になっていた金髪の青年であった。

 

「あぁ、昨日アンヘルが唱えてた、とこ……なんちゃらって奴ね」


「そう、ナオトが体験した様に『解』は物凄く強力で、はまると太刀打ちができないことが多い」


「じゃあ、どうすれば……」


 困惑する直登を見て、ノアは両腕を上げた。「わからない」、彼は軽く笑みを浮かべながらそう言った。


「解は魔術師によって全く異なる術だから、臨機応変に対応するしかないんだよ。だから、解をどうこうしようとするよりも解を出す前のことを考える方が手っ取り早い」


「解を出す前……」


 瞬間、直登は思い出す。轟々とうごめく木々の間から見えた白い手袋、そこに刻まれた


「――魔法陣」


「冴えてるね、ナオト。解を持つ魔術師に対する時、最も警戒するのべきなのが魔法陣の描画だ。それを抑えるのが最も楽で、相手にとっても嫌がられるんじゃないかな。……実際、僕もこれをやられるのが一番しんどいしね」


「へ、へぇ」


 顔を上げた直登は自身を見つめる碧い双眸に気圧された。間近にあるはずのノアの碧眼は、髪の下で真直ぐにどこか一点を見ている。直登ではない、遥か遠くをその目に映していた。


「ち、ちなみに、その『クラスA』ってのはどの位の人数が――」


「197人だ。君を含めた1万141人の魔術師の中で、197人がクラスAとして位置づけられている」


 アンヘルの出した恐ろしく具体的な数字は、直登に一つの疑問を浮かばせた。


「もしかして、俺、いらない……?」


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