07 君の傍で

 魔術師全体の凡そ2パーセント、僅かにそれ程しか名乗ることを許されていない「クラスA」。ピラミッドの頂点に位置する彼等の中、二人が直登の班にいた。


「で、結局、六大対抗戦って何やるの?」


 更に、高級ホテルの一室の如く奢侈しゃしな直登の部屋にもう一人、最年少でクラスAに登録された少女が机に向かっている。

 「家にいるとメイドが鬱陶しい」という限られた人間しか使うことの無い理由から、直登の部屋で勉強している彼女はその手を止め自身の鞄を手に取り、何かを取り出す。


「はい、これ」


 投げつけられた冊子は直登に届く直前でピタリと止まり、床の上で胡坐あぐらをかく膝元にゆっくりと降下する。日常の中で不意に現れる異常、彼は未だに慣れない状況にある種の気持ち悪さのような物を覚えながらも、渡された冊子の表紙を見る。


「これって……パンフレット?」


 「Rudeus University」と大きく記されたその冊子は、彼も見覚えのあるものだった。


「(そういえば、こんなの届いてたっけ)」


 直登は冊子に挿まれている幾つもの付箋の中、一際目立つ一枚に指を掛け、読み込みの割にしわ一つないそれを慎重に開いた。


「……あった、この部分か『――六大対抗戦:競技部門4日間、交流部門3日間の計一週間で行われる魔術大学群最大のイベント――』『――競技部門は三人一組の班で行われるトーナメント制で、先に2勝した班の勝利』……」


 文章を一通り読んだ直登は、未だ要領を得ないでいた。三人一組の班で行われるトーナメント制、先に二勝した方がトーナメントを進められる、個々の文章の意味の理解は彼にとって容易いものであった。さらに、三人一組の班で言わば「3セットマッチ」の試合を行うことからも競技内容は「魔術師同士の1対1タイマン」であろうことまでも予想がついていた。


「大学はどうして、俺たち魔術師に戦わせようとするんだろう。人災に備えるなら、専門の機関なり学校なりを建てればいいのにさ」


 不満にも似た疑問、直登が言い放ったそれは再び動き出していた少女の手をピタリと止めた。黒く染まる窓は静寂を保ったまま、灯りは一寸の揺らぎすら無く無機質に部屋を照らしていた。


 ――時が止まった。脳がそう告げた瞬間、


「ぐッ!?」


 走る、電撃。


 頭を強く打つ感覚は幻覚か否か、判断する間もなく直登の意識は朦朧もうろうとなり、揺れる視界は、だんだんと狭まっていった。僅かに見えるアリアの後ろ姿は止まったまま。


 ――意識が、途切れる

 

「直登」


 女子にしては少し低い、しかし、それでも耳心地のいい声が部屋に響く。いつの間にか呆けていた直登はハッと覚め、顔を上げた。


「え……なんでそんな汗かいてるの」


 アリアに言われて、初めて彼は顔全体をつたう冷たい物に気づく。さらに、怯えるように強く鼓動する心臓も、彼自身何が原因でそうなっているのか見当もつかないでいた。


 不気味な違和感だけが、直登を包む。


「大丈夫なの?」


 普段の雪のように冷たい目のまま、アリアは直登の顔を覗き込む。直登は戸惑ったまま、軽く返事をして、彼女にパンフレットを返した。


「ま、取り敢えず魔術師として強くなればいいのか」


 僅かに残る違和感と、もやっとした不快感を感じながら直登はそう言った。


―――


 ――もう、全て終わってもいい。


 救護ヘリに乗るただ一人救出者である少年は、幾度もそう念じていた。それは、声に漏れていたかもしれない。乾き切った彼の目の奥に映る凄惨な光景。一瞬にして消えた母と妹を思い出す度に、少年は空虚を感じた。


 闇よりも暗い空を飛ぶヘリは、陸に空いたクレーターの数々を超え、単に「目的地」を目指す。車内は少年の周りだけ時が止まったように静かであった。


「……ぅおい、子供ぉ、んもぉすぐつく」


 静寂は一人の軍人によって破られる。彼の発した訛りのある日本語に少年の肩はぴくりと動いたが、それきりであった。


「……まぁ、しょうがないか」


 中国本土の南方およそ400キロに位置する中華民国、通称「台湾」と呼ばれる国で話されているその言葉は、少年の耳には届かずに夜の闇に消えていった。


―――


 『図書館』ただそうとだけ表記された建物は、それにしてはあまりにも大きく、五階建ての内装には壁際はもちろん、至るところに書物が敷き詰められていた。


「何冊あるんだ……」


 思わず零したその言葉は吹きぬけのロビーに反響し幾重にも重なり、それと同時にいくつかの視線を向けられる。彼は咄嗟に口を手で覆い、その場から逃げるように歩き出した。

 

「(取り敢えず館内図が無いと話にならんよなぁ……)」


 蔵書数およそ三千万冊、世界最大級の規模の図書館の中で目的の書物を手探りで見つけることは不可能に等しい。


「―――っ!?」


 直登は何かにぶつかる感触がして顔を上げた。


「(……本棚!?)」


 焦げ茶色のそれはぶつかった衝撃で滑るように動き出し、鈍い音を立てながら直ぐ隣の本棚にあたって反射した。

 本棚は僅かに浮いていたのだ。

 

「これって……」


 そこに隙間なく敷き詰められた書物。単に本だけでなく、巻物やただ一枚の紙だけのものも丁寧に詰めれていた。そして、直登にとっては懐かしい、忘れかけていた文字の数々が意味していた。


「(この本棚が……)」



 清涼に吹く風と、優しく輝く太陽の光。「心地よい」という言葉を具現化したような天気の下、耳が張り裂けるような爆音が響いた。


「そろそろ限界かな」


 流れるような金髪の青年は、相も変わらず涼しげな顔をしている。それとは対照に、髪は乱れ、額に汗をだらだらと流し、両手を膝についた東洋人は、彼が言った通り「限界」そのものという状態に見えた。


「はぁ、はぁ……ノアの、出す魔法を……俺が、防ぐ……はっ……この繰り返しで、ほんとに、魔力量が増えんの……?」


 喉から振り絞るようにして出した直登の懇願に近い問いに、ノアは小さく頷いた。


「寧ろこうやって徐々に魔力を消耗させるのが魔力量を増やす一番効率のいい方法なんだ。幸い対抗戦の準備期間は講義も無いから、結界術の習得は午前中に時間を使えるしね」


「まじかぁ……」


 六大対抗戦まであと3日、この苦痛から逃げる術は無い。彼の答えからそれを悟った直登は大きく息を吐いた。


「……まぁ、強くなるしかないもんな」


 彼は心にかかるもやを切り払うように発した言葉で自身を奮い立たせ、整ってきた息をさらに精錬するために深呼吸をする。


「……よし」


 整った。呼吸は上々、姿勢も正した、重心を落とし衝撃に備える。


「もう一本っ!」


 予想外の粘りにノアは少し驚きながらも、ふと笑みを零す。嘲笑というよりも、なにか他の感情を持ったそれはノア自身にもどうして出たのか分からなかった。


「いいな、君は」


 その感情に敢えて名前を付けるとしたら――


「(――”あこがれ”か)」


 周囲を白く包み込む眩しい光と共に、轟音が鳴り響いた。


 薄暗い石造りの空間は背筋を震わすような不気味な冷気を内包し、石畳の隙間一つ一つから魔力が溢れ出している。扉から漏れ出る微かな光も、部屋の中心部に進むにつれて灯りとして頼れるものではなくなっていた。

 深い闇の中足音だけで認識する互いの存在は今にも途切れてしまいそうな程に脆く、学生達が名を呼び合う声も聞こえる。

 

 10分、最初の一人が扉を開けてからそれだけの時間が経過したとき、終わりは唐突に訪れた。


「―――っ!?」


 放たれた光は天井に四十もの影を堕とす。ふと下を覗くと、石畳の床を埋めるほどに敷き詰められた細かく精巧な術式。それが、目も眩ますような光を発していた。


「(これが、魔法陣ッ―――)」


 ルーデウス大学学部一回生、その全員を飲み込むほど巨大なそれは更に輝きを増していく。


「……転移、『菜和さいか』」


 六大対抗戦前日の夜、学生達はアジア魔術協会本部『菜和大学』へと向かった。



 一瞬の浮遊感の直後、訪れる確かな足元の感覚は転移の終わりを示していた。直登は転移魔術のせいか、脳が揺らされるような吐き気を感じ、思わず膝をつき目を開ける。


 ――違和感、両膝から下を覆う柔らかな感覚。吐き気で涙が零れそうな目に映る緑。大学の地下室とは思えないそれらが脳に情報として送り込まれるが、吐き気で処理が追い付かない。


「しんどい……」


 喉元に溜まる酸っぱい物を抑え、吐き出した言葉はどこかに吸い込まれるように消えていく。


 体は重く、首を上げることすら億劫だが、他の学生も見ている手前で無造作に倒れるようなことはできないだろう、と彼の中に僅かに残る日本人としての本能のような物が彼に訴えかける。しかし、直登はその自問から、もう一つ違和感を覚える。


「(人の気配がしない……)」


 彼が感じた静寂は、猛烈な吐き気による耳の異常ではなかった。同時に転移したはずの学生達は視界の端にも入らず、彼の触覚は微かな揺れさえ感じ取れない。


「……なら、もう」


 安心した直登の意識は段々と薄れていく。頬に感じる冷たい感触は土だろうか、だとすると自分は今倒れているのだろうか。他の皆はどこにいるのだろうか、そもそも今自分はどこにいるのだろうか。様々な疑問が泡のように生まれては消える。


 朦朧とした意識の中、耳に伝わる揺れと音。繰り返されるそれは、数を増すごとに大きくなっていく。


「なるほど、君が来たか」


 しかし、直登にはもうそれを気にする程の気力が残っていない。あとは、落ちていくのみ


「おいおい、僕を前にまさか眠る気じゃないだろう?」


 もう、何も聞こえない。


 ―――意識は、そこで途絶えた。

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