17 道中、出会い頭

 降り積もる雪を魔法で溶かしながら、ゆっくりとアリアは歩いていた。5キロは飛ばされていただろうか、まだ街の灯りは見えない。こうしている間にも、あの少女のような悪女に一人、また一人と殺されているかもしれない。そう考えるとはやる気持ちに駆られほうきに乗って今すぐにでも街へ向かいたくなるが、それを抑え、深く考えながら歩いていた。


「『逃げろ』って言われても……」


 私ならきっと負けはしなかった、何度目だろうか、そうよぎる。


「……あの高度な魔術を扱える魔術師が実力を見誤ることあるかな。それに、あの女もいつの間にか先生の前に来ていて、向き合った瞬間……」


 消えた。予備動作なく、なんの脈絡もなく。思えば最初に現れた時もそうだ。いつの間にかいたのではない、のだ。


「でも、そんな魔術見たことも聞いたこともない。魔力濃度が高い魔法界ならまだ分かるけど、転移魔法は入口と出口の魔法陣が必要なはず。この世界で魔法陣も使わないで転移魔法を成功させるなんてありえない……賀茂先生ですらできないのだから、あの魔力量の魔術師が出来るはずない」


 またこの疑問に当たる。実を言えばアリアは何周もこの思考のサイクルを回していた。


「っわ!?……って、なんだうさぎさんか」


 思わず出た言葉に、はっとして口を手で覆い周りをキョロキョロと見回す。勿論もちろん、誰もいるはずがなかった。


「さんって、もうそろそろやめないと」


 アリアが照れ隠しの様にそういうと、野兎のうさぎは首をかしげてアリアを見た後、雪原をぴょんぴょんと跳びまわり、木の傍で立ち止まる。


「どこ行くんだろう……山奥なんだから巣は近くにあるんだろうけど、こんな真冬に……ご飯もちゃんと食べられてるのかな」


 アリアの心配も意に留めず、野兎は背中を向け、雪の中に跳びこみ、見えなくなってしまった。実際にはそこにあった段差を一つ降りただけかもしれないが、アリアには雪に潜ったかのように見えたのだ。


「……雪に、潜った———」


 そして再びアリアは今までの事を思い出す。

 一帯に広がっていた魔力の残絵。前触れもなく現れた女。瞬く間に消えた。来たのでは無く、。逃げろという言葉。あのハイレベルな魔術師が一瞬で。クルーニー先生はなぜ街の外まで自分を飛ばしたのか。殺人事件でなく、事件。


「もしかして、あの女の魔術って———」


———


 一方、同時刻、クールから南方12キロ。アリア達の身に起こっていることをつゆ程にも知らず、世界でも数少なくなった日本人の青年と、魔法界の先住民とも言われる赤髪に黄金色の瞳を持つ少女、世にも珍しい二人組はただひたすらに走っていた。


「流石のナオト君でもペースが落ちてきたんじゃない?」


 悪戯な笑みを浮かべてルネは言った。二人は線路の上を走るのを止め、車道を走っている。そのため人に見つかっても良いよう、ルネも自分の脚で駆けていた。


「もう何時間走ってるか分からないからね!ルロワさんはさっき走り始めたからいいだろうけど!」


「もう6時間は走ってるわよ。完全に遅刻ね……って、あっ!!」


 ルネはいきなり何かを思い出したかのようにかばんまさぐり携帯を取り出した。映し出された画面には五件の通知。二件のメールと三件の不在着信であった


「やらかしたあぁ~~先生に連絡するのすっかり忘れてた。絶対合流した後怒られるよぉ……」


「えっ!?ルロワさん先生に連絡してなかったの?俺は荷物全部木端微塵こっぱみじんだからどうしようもないけど……」


「……うるさいわね、今連絡したわよ」


 恐ろしいスピードでフリック入力を終えメールを送信するルネの姿は、直登には少し意外であった。魔法界の先住民の一族である彼女が、この世界で開発された先端技術を使いこなしているのは何とも変な感じがした。思えば、アリアの家もそうであった。玄関の扉は電動で動くものだったと記憶している。


「(なんか、不平等だな……)」


 不意に思ったその言葉を、心の中に仕舞い込む。どうしてそう思ったのか、はっきりとは分からないが、それを口に出したら禁忌タブーに触れる気がしてならなった。


「さっきの街で休憩しておきたかったかもしれない……」


 代わりに出した言葉は思いもしていない弱音であった。


「あと少しだから、ほら!これで少しは頑張って!」


 橙色の飲料が入った飲みかけのペットボトル。飲めということだろう、若干の魔力を感じるそれに直登は躊躇ためらいながら口を付ける。


「……げ、そんなに美味しくないね、これ」


 返しなさいよ、と赤髪の少女は言うがそれを無視して飲みきった。飲み込むと徐々に体が軽くなり、さっきまで無理矢理動かしていた足も自然と前に出るような間隔に戻る。


「どう?ナオト君。少し体力が回復した感じがするでしょ」


「確かに!これも魔法か……っていうか、ルロワさんはこういうの気にしないんだね」


 一瞬の静寂。ルネは何を言っているのか理解できなかったが、直ぐに思い当たり眉を上げ吃驚きっきょうする。


「つい昨日……したのに、この程度で何も思わないわよ」


「え、きのう……?」


 今度は直登が何を言っているのか理解できない表情であった。シラを切っているのか、疑いたくなる程鈍感な彼に、赤髪の少女は苛立ちを覚えながら続ける。


「きのう!ベッドの上で!きっ……したじゃない!」


 恥ずかしいのか、肝心なところは口に出せなかった。しかしこれで伝わるはず。そう思い直登を見ると、彼は依然としてきょとんとしていた。


「昨日の……ベッドの上……あれっ、おかしいな。昨日どうやってベッドに行ったんだっけ。いや、それは運ばれたのか、ルロワさんと戦って、その後気絶して……その後……」


 直登はまだ何も思い出せないようでいた。


「……あれ、その後の記憶がない。そもそもなんでこんなルロワさんと仲良く話せてるんだ……そういえば、今日ルロワさんにあった時の『意気地なし君』ってどういう意味だ……あれっ、でもあの時は分かっていたような」


「え……何を言って……」


「あっ、これは」


 何も思い出せない。記憶の中にぽっかりと空いた穴。思い出そうとしても、自分自身がそれを拒否するかのように思考を遮られる。目の前の少女の半ば泣き出しそうな顔からするに、とても重要なことなのだろう。それでも、そんな重要なことのときにこそ起こる。


「……ごめん、何も覚えていない」


「———っっ!!」


 少女は怒りをあらわにした。なにか大切なことだったのだろう。居た堪れなく、申し訳ない気持ちが直登を襲う。


「子供の頃から稀に起こるんだ。ある記憶だけぽっかりと抜けて、忘れてしまう。あとから人に聞いても、それだけは忘れちゃダメでしょうって言われるような大事な記憶が———」


 直登が顔を上げると、もう隣にルネはいなかった。見上げた空の遥か彼方に、魔獣であろう、大きな鳥に乗る姿がぽつり。


「おいてかれちゃったか……そんなに、大事なことを俺は……」


 残された男の悔恨の念。直登は箒を持っていない。持っていたとしても乗れないため追いつくこともできない。文字通りどうしようもなかったが、幼い頃からいつもいつも大事なことを忘れて、人を傷つけたり、そのせいでを無くしたりしたこともあった。またやってしまった。どれだけ生きても成長しない、そんな自分に対して怒りが込み上げる。


「くそっ、くそっ、くそくそくそッ!!」


 やけになって全力で走り始めた。


「———ッ!!?」


 鈍い音だった。岩にでもぶつかったかのような、そう勘違いするほど鈍く、硬い、何かにぶつかった。直登は勢いそのまま、転倒し、体が地面に打ち付けられる。


「……すみません!!」


 それが人だと分かるのに、そう時間は要さなかった。そもそも、こんな車道の真ん中に岩が置いてあるはずもない。それに、暗闇でもわかる、凛々しく背筋の伸びたたたずまい。すぐに立ち上がり、怪我は無いかと駆け寄ろうとしたとき———


「お前、日本人か?」


 直登の顔を見て、男は言った。50歳程であろうか、しわが少し入った声。そして浮かぶ疑念。どうして、あの速度で衝突された人間がびくともしないんだろう。それにあの感触。


「そう、ですけど」


 しまったと気付いたのは、言った直後。男は目の先まで来ていた直登の首を掴む。


「なに……を……」


 殴る、蹴る、結界術、あらかたの抵抗も男に聞いている様子は無い。


「(なんだ、こいつ……そもそも、ぶつかった瞬間からおかしかった……!こんなやつ、冷静に考えれば魔術師でしかありえないのに……近づくんじゃなかった。それに、この顔)」


 何かを変えないと、この滅法めっぽう強い殺気から逃れられない。


「お前も、日本人だろ……」


 もう、息が持たない。殺される。死が、生命の終わりが、すぐそこまでやってきている。


「……?これを、どこで手に入れた」


 男の手が緩む。その隙に直登は身体をよじり、離れる。どうしても咳込んでしまうが、それでも目線は切らさない。


「これって、なにが」


 直登の質問に男は目線で答える。右耳の辺りだ。警戒心を保ったまま、直登が右耳を触るとたしかに、何か紐のようなものが巻き付いていた。


「なんだ、これ。さっきまでこんなのあったか……」


 いつのまにか、それはそこに在った。認知するまで存在しなかったかのような、生まれた時から耳に付いていたかのような。紐、というよりは何本かの髪の毛。


「ふっ……そうか、そういうことか、こんなのをあいつは選んだのか」


 男は不敵ふてきに笑う。首を絞められていたときに感じた厖大ぼうだいな魔力は気付かぬ間に消えていた。


「(あれだけの魔力をこんなにも隠せるものなのか)」


 直登は思わず感心していたが、男が近づいてくると同時に再び構え、後ずさる。しかし、それも限界があり、ガードレールに追いやられる。追いやられるというよりは、どう逃げようとも逃げ切れない気がして逃げなかっただけであった。男との距離、僅かに拳一つ分。殺意はさっきより強まっているが、どうしてか攻撃される雰囲気は無い。


「ついに、一ヵ月後だな。それまで手出しできない決まりだが……せいぜい死んでくれるなよ」


 男はそう言い残して暗闇の中を立ち去った。様々な感情が直登の中を渦巻いていたが、なによりもただ一つ。


「たすかったぁ……」


 急がねば、その思いとは裏腹に彼はしばらくその場でへたり込んでしまった。

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