14 魔剣の使い手

 ”絶望”その二文字が瞬時に頭を過る。直登の視線の先に据える、ひとりの男。腰に携えた剣は革製の鞘に納められている。男は瞳を覆い隠すように伸びた前髪を左手で搔きむしり、何かを叫んでいるようだった。標高2000メートル超、山の切れ目を渡して掛かる橋の上、その声は節々が直登達の耳に入るだけで大半は大気が生み出す轟風の音によって掻き消される。

 静寂とも錯覚するほどの轟音の嵐の中、直登の脳裏に一抹の不安がよぎり隣に目を移した。


「(―――よかった、生きてる)」


 共通の敵を凝視する白い横顔を目にして、安堵のような感情と共に自責の念が押し寄せる。十年前に、これが出来ていたら―――


「いまさらなにを……」


 目の前に広がる凄惨な光景も、百人以上見殺しにしてしまったという確信も、不必要な後悔も、今はその全てから目を逸らす。退路は断たれたのだ。

 振り返ろうと回転運動を始めた首元に一筋の旋風―――


「危ない―――ッ!!」


 ルネの甲高い声が届く前に直登は身をひるがえす。瞬く間もなく走る衝撃。斬撃をかすめたコートの半身が一瞬の内に弾け飛んだ。

 もしもこれが、体を掠めでもしたら……


「オイオイオイッよそ見ったァいい度胸じゃねえか!!死期が早まるぜえ、なあ東洋人!!!」


 今度は男のがなり声の全てが耳に届く。男は徐々に近づいて来ていた。


「とんでもないな……あいつ」


「…………そう、だね。でも―――」


 殆ど崩れた土壁を足元に、彼女は答える。目は、合わせない。合わせる余裕も無い。防ぐだけで精一杯の攻撃が二度。男に隙は見えない。ただ二人の間にはこの圧倒的な実力差をどうにかして打開しなくてはという思いのみがあった。 

 逃げ場の無い真直ぐな道。じわりじわりと近づく得体の知れない男。男の腰の剣は抜かれて――――


「―――抜かれてないッ!?」


 予想外であった。先の二撃を、少女はつるぎにあらかじめ込めていた魔力を剣自身の『切る』という特性に乗せて開放したものと考えていた。それでも、かなりの実力者であることに変わりは無いが、しかしそうであれば、あの破棄的な攻撃はそう何回も来ない。あの規模のものは多くて3回、いや4回であろうか。だが、剣は抜かれていない―――


 では、先の斬撃の出所は。全長100メートルを超える鋼鉄を切り裂いた、あの攻撃は彼自身の魔力の放出なのか、もしくは……

 可能性はいくつか思い浮かぶ。しかし、あの威力。短いスパンでの攻撃。いくつもの因子が希望的な予測を一つまた一つと潰してしまう。そして残るのは絶望的な予測のみ―――


「(まさか、『魔剣まけん』……あれがその13本のうちの一つだというの!?……もし、もしそうだとしたら……)」


 赤髪の少女の内側から胸を叩く鼓動が一層大きくなっていた。


「……勝てない。まずいよ、ナオトくん。こんなの勝てっこない。あの攻撃は威力が衰えることなく何回も、何回も、私たちが防げなくなるまで無限に飛んでくる。いや、むしろ今までよりもずっと強い魔力になるかもしれない。どうにかして、逃げる方法を考えなくちゃ――――」


「へ?逃げるって、どうし――――」


 言いかけたところに、三度閃光。視界を一瞬にして白に染めるそれは、何の憂いもなく二人を飲み込む。


「はい、どーん。……ってオイオイッもう一人脱落かァ!?」


「ナオトくんッッ!!」


 反射的に練りだした一人分の防壁、ほとんどが崩壊したその先には東洋人の姿は見えない。微かに残る魔力の残絵から悟った。落ちたのだろう。

 悟りと同時に浮かぶ『死』の一文字。それは目の前から消えた憎たらしい東洋人にむけてか、それとも彼女自身に向けてか。


 もう、何もかもが無駄に思える。あの攻撃は、幾度となく繰り返されるのだ。勝つことまでは出来ずとも、二人なら、せめて生きて逃げることくらいはできるだろう。そう一瞬でも思った自分が馬鹿らしい。

 震える足に、うつろな目。頭は眩暈めまいのようにくらくらとして、難しいことは考えられない。無意識にはめていた手袋に、なんの意味があったのかすら思い出せなかった。


「そうだ、死のう……」


 不思議と足の震えは止まっていた。少しでも楽に、できるだけ安らかに。痛いのは嫌いだ。

 少女の体は一直線に橋の脇へ。


「オイオイオイオイッ興ざめじゃねえかッ!!もっと楽しもうぜぇッ??」


 男が一太刀振ると今度は少女の体をちょうど翻すくらいの風が起こり、踏ん張りの効かない華奢きゃしゃな身体は線路に戻され、いとも簡単に倒される。


「(ああ、それすらも許されない……)」


 これから起こるであろう近い未来の絶望から目を逸らすように首を90度傾け、レールの上に広がるパノラマに目を向ける。


「オイッ!!!早く立てよォ!、早く!!、早くッ!!!さっさと立ち上がれやァ!!!」


 そう言いながら男は目の前に横たわる体を弄ぶように、服を切り裂きその白い肌が傷つく程度の斬撃を繰り返す。このくらいの攻撃なら彼女でも防げるだけの魔力は十分以上に残っているが、如何せん気力が出ない。どうせ立ち上がった所で、あの攻撃が無慈悲に何度も襲い来るだろう。


 もう、今はこの絶景を眺めていたい。切り開かれた木々の間に、鋭く尖り堂々と鎮座する山々。空が晴れてないのはこの際許すとして、あとは、この数秒おきにくる痛みと、耳障りな金属音が無ければ最高―――


「―――きんぞくおん……?」


 微かに残っていた自我が少女に首を起こすだけの力を与えた。


「あれは―――」


 それは確信に至るほどのものでは無かった。しかし、その一連の動作は奇妙なものがあった。

 男が剣の柄に手を掛けたかと思えば、その体の前に一瞬の光が生まれ金属音と共に魔力が飛んでくる。


「まさか……」


 少し前に自分で潰した一つの希望。そして気力、怒り。間欠泉のように溢れるそれらを内に、少女は立ち上がるほか無かった。


「あれが本当に魔剣だったら、白刃を振ることなんてなく魔剣自身が持つ膨大な魔力だけで列車を真っ二つに出来たはず。でもあの瞬間、たしかに金属音がして抜き身の光も見えた……」


 目前の男アイツは確実に剣を抜いている。帯刀しているものが魔剣であれば必要のない動作をしている。それはつまり、あの剣は魔剣でないという証。そして魔力の開放でもない。あれ程の規模の魔力の開放であれば、腕の立つ者でも魔力の溜めに数秒は掛かる。であれば、考えられる可能性は一つであった。


「オイオイッッ!!やる気出したんじゃアねぇのかよッッッ!!!」


 ルネが思考を巡らせている間にも、男は近づいてくる。殺しが目的というよりも戦い事態を楽しむ趣向があるのか、よろよろと膝をふらつかせながら立ち上がるルネに向かって攻撃をする様子は無かった。一方のルネもそれ分かっているのか時間をかけてゆっくり立ち上がる。


「――――身体強化魔法ね……」


 ふらつく足を抑えながらルネは呟いた。口元で消えるような小さな声だったが、それが聞こえたのか男はにやりと笑う。


「でたらめなね。身体強化魔法で腕、と足もかな、の運動能力を飛躍的に上昇させて文字通り光速で抜刀し、その風圧で斬撃を飛ばすように見せる。ただそれだけ。ただそれだけなのにあのとんでもない威力のおかげで、その鉄屑てつくずを魔剣と勘違いしてしまったわ。あなたの魔力量は並より少し多いくらいだから、魔力の特性が身体強化魔法にだけ振り切って相性が良いのね」


「ひひっようやく気づきやがったかァッッ!!だが、それがどうしたァ!!!」


 叫びとともに、男は柄に手を掛ける。


「賭けね……」


 覚悟を決めると、ルネは勢いよく飛び出した。刀身が仕舞われるまでに全ての事を、今自分ができる、最大の速さで――――

 詠唱も、予備動作すら無く放たれたルネの魔法が着弾すると同時に刀身が振られる。刹那、届く凄まじい熱風―――― 


「なんだァッッ!!今のが最後の抵抗かァぁぁッッ!!傷ひとつついてねえぞッッ!!!」


 しかし堪える様子も無く、斬撃が襲い掛かる。


「ちぃっ」


 この距離では回避は不可能。斬撃はルネが咄嗟に出した土壁を破り、一瞬にして到達する。甲高い悲鳴が聞こえて、そのすぐ後に華奢な身体の倒れる音。

 服はぼろぼろに破け、その隙間から見える白い肌は深く抉られていて、流れる血で傷が見えない程である。それでも、少女の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。


「オイオイッッ!!!なに笑ってんだァッ!!ボロ雑巾がァッ!!!」


 すでに納刀を終え、勝ち誇った顔でルネに近づく男は、はっとした顔で立ち止まる。


「……ん、オイオイオイッッッ!!!おかしいよなァッッ!!!壁越しとはいえ俺の斬撃をくらってその程度の傷な訳ねえよなァッッ!!!なんで粉微塵にならねえんだよッッッ!!!!」


 声を荒げて飛ばされた問いに、答えは返ってこない。少女は空を見つめながら、苦しそうに、それでも満足気な表情を浮かべていた。


「オイオイオイッッ!!!どうなってんだこれはァァッ!!??」


 五月蠅く叫ぶ男は自らの剣を手にしていた。しかしその刃はどういう訳か柄から10センチもしない所より先が無く、残った刃もその輝きを失っている。思わず残った刃に触れると、氷結と間違える程に冷たい。


「やれるだけのことは、やれたかな……」


 口元で呟く声は豪風によって掻き消される。


「まあいいぜェ、何をしたか知らねえけどよォッッ!!!だからどうだってんだァッッ!!!剣が無くたってお前を殺すことはできるんだよォ、あの方の邪魔をするお前をなァッッッ!!!」


 枕木まくらぎを渡り、土壁を越え男はルネに近づく。刀を折ったとはいえ、彼の身体は傷一つ付いていない。男はただ道端に落とした小銭を拾う様に何の警戒も無くルネのもとに歩いていく。


「もう殺されるしかねえよなァッッ!!!」


「(―――終わった、わね……魔術師なんか禄な死に方しなのは分かってたけど……)」


 死に近づいている。それももう間近に。男の剣を折った所で身体が無傷では、身体強化魔法を使われて殴る蹴るの類で殺されてしまうだけだ。剣を折って初撃を無効化し、その隙を付いて攻勢に転じる。これが彼女の狙いであった。しかし男がその常軌を逸した力によって折れた剣ですらルネを戦闘不能にできた時点で彼女の敗北は決していた。

 ルネの心は死への恐怖と、手は尽くしたという達成感の様な清々しいものが半分ずつに混在していた。


「……ブサイクね、思ったよりも」


 既に男の足は倒れたルネの顔の横まで来ていた。せめて奴に何かのダメージを。必死の思いでついた悪態を男は鼻で笑い一蹴する。


「死ねやァァッッ!!!」


 拳は高く振り上げられ、足元に倒れている赤毛の少女の頭蓋を潰すべく凄まじい速度で振り下ろされる。


「―――折紙おりがみ


 ルネが再び死を覚悟した瞬間、無数の結界が男を押しのけた。

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