03 ベネチア事変

 黒魔術や白魔術の家系では、その家の魔術は男が継ぐものとされていた。中世より、女性の魔術師はその家に不幸をもたらすとされていたからである。この風習は未だに続いており、どの家も女性に魔術を継がせることは無かった。

 ある時、とあるイギリスの名家に不運が訪れる。古来より黒魔術を継承してきていた家であった。黒魔術は時代と共に必要性が薄れていたため、その家は魔術界において衰退しつつあった。

 そこで、その家は一つ策を打った。それは白魔術の家系であるエステ家を一族に迎えることであった。没落した元貴族であったエステ家は喜んでその申し入れを受け、長女のメリッサを嫁がせた。一方、その婿になるレオナルドはこの結婚に不服であった。しかし、メリッサのその暖かい人柄から次第に心を開くようになった。

 ある日、二人の間に子供が生まれる。難産であった。メリッサは集中治療室に運ばれ、その6時間後に亡くなった。

 男の手に残ったのは、3年分の彼女との思い出と「アリア」と名付けた女の子だけだった。


 失意の中、レオナルドは彼女に魔術を教えることを決める。再婚は考えられなかった。通わされた魔術学校では、父の熱心な教育も相まって常にトップの成績でいた。そんな彼女を周りの人間は鬱陶しく思い、彼らはその出自から彼女のことを「魔女」と呼び忌み嫌った。


―――


 アリア・ハワード、16歳。彼女は今、教壇の上に立っていた。


「馬鹿じゃないの。魔術適正無いんだから、さっさと魔法陣覚えなよ」


「そんなこと言ったって、これ複雑すぎるしなぁ……」


 冷たい口調の彼女は、直登に魔術を教えて3日目に入っていた。彼は彼女の講義を1日12時間も受けていたが、最低限の戦う術を教えるにはこれでも足りない程であった。


「ていうか、先生は何で一週間なんて期限つけたんだろ」


 さぁ、とアリアは首を振り、かまわずに授業を続けた。彼女は厳しい口調とは裏腹に直登が思ったよりも学習能力があることに関心していた。そのおかげか、最初に想像していたよりも講義をすることは苦痛でなかった。


「魔法陣は術式を意味通りに並べた言語だから――」


「あぁ、確かに!」


 彼は理解したことをすぐに書き殴る。古い机は彼がシャープペンシルの先を紙に乗せると、それに伴ってギシギシと音を立て、小刻みに震えていた。


「ま、そういうことなので、明日までに100個覚えてきて」


 そう言って、アリアは魔法陣が書かれた紙束を渡した。12時間の拘束が終わり、ヘロヘロの直登はところどころしわの入ったそれの中身を確認した。


「(……全部手書きじゃん)」


 直登は「ありがとう」と鼻にツンとした痛みを感じながら、そう言った。


―――


「――と、こんなところかな」


 7日目、彼女がチョークを置くと同時に二人は大きく伸びをした。蛍光灯のじりじりとした音だけが聞こえる静かな教室は、開放感であふれていた。直登がふと横を向くと、窓の外には暗闇が広がっていた。


「……もうこんな時間か。どっか、食べにでも――」


 その瞬間、勢いよく教室のドアが開き、黒いスーツを着た男が入ってきた。


「そろそろ終わったかなぁあ!?」


 両手にビニール袋を持った賀茂は、ぐたっとしている二人を見て授業が終わっていることを確認した。


「よしっ、じゃ、とりあえず行こうか」


「どこにですか?」


 疲れ切った顔で聞き返したアリアに、彼はにッと笑顔を見せる。その顔を見て直登は嫌な予感を感じた。確実に面倒がおきる前触れであった。


「水の都、ベネチアに!!」


―――


「『7日後の12月20日、水の都を爆破する。トウキョウの悲劇が繰り返されるだろう。Show Time →24:00』とだけ書かれた手紙が1週間前、大学に届いた。差出人は不明だが、ちょうどその前日に直登が巻き込まれた『生還者連続殺人事件』に関係あるだろうね」


 リベルタ橋の上、賀茂は漆黒の自家用車を運転していた。一般庶民では絶対に手の届かないその車は、道路照明の青白い光を反射しながら法定速度よりも遥か速く走っていた。


「てことで、学長は君達二人を指名した。ってよりも、俺が君たちを推薦したんだけど」


「何ですかこの痛い文章。ていうか、なんでこんな危ない仕事を学生に任せるんですか」


 後部座席に乗せられた直登は賀茂のせいで今日までの辛い一週間があったのか、と不服に思ったが、それは表情に出さなかった。その代わりに「修了祝いだから」と渡されたビニール袋いっぱいに詰められた菓子を勢いよく頬張っていた。


「学生二人で事足りると思ってるんだよ、実際そうだし。っていっても君ら二人を派遣するのには結構な反対もあったらしいけどね」


 へぇ、と呑気に菓子を頬張ってる横で、直登は少女が緊張した面持ちで外を見ていることに気づいた。常に無表情な彼女の顔は普段と変わらないように見えたが、直登はそのわずかな違いも見分けることができるようになっていた。


「緊張してるのかな?」


 その言葉を聞いた途端、彼女はぴくりと肩が上がり直登の方に振り向いた。その眼はいつもの冷たい目をしていた。


「うるさい」


「「えぇ……?」」


 困惑を隠せなかったのは直登だけではなかった。


―――


 海上都市ベネチア、霧がかった浅瀬にそびえ立つ光の要塞。その中は未だ寝静まってはいなかった。


「まだ人で混んでんだよなぁ……邪魔邪魔、ジャーマンスープレックスだな」


 賀茂のしょうもないギャグに真顔のままでいた二人も、内心はそう思っていた。鮮やかな黄色にライトアップされた街はいまだ観光客で栄えてきた。


「でも、こんなに人が多いと騒ぎは起こせないですよね」


 直登はそう言った直後に、その言葉は自分達にも言えることに気がついた。賀茂はその間に、一歩前に出て「じゃ、俺についてきて」と歩き出した。



 三人はサン・マルコ広場から少し歩いた路地に来ていた。落書きも多く、生臭い臭いが充満するそこは、とても観光地とは思えなかった。


「ここらへんかな」


 賀茂は急に立ち止まり、右手の指を二本立てた。


「(綺麗ないんだ……)」


 「印」とは日本魔術特有の簡易版魔法陣である。その位置づけは魔法陣と詠唱の間で、詠唱による魔力消費の軽減だけでは足りない魔術を用いるときに使うものであった。

 直登は教科書で多くの印を見てきたが、賀茂の結ぶそれはキレが違った。そして、結んだ瞬間に彼の右手を中心にして広がる存在感オーラ、一瞬にして彼の背筋を凍り付かせた。


「『みや』」


 その瞬間、ベネチア中を賀茂の結界が覆った。


「おっ!ベネチアにいる魔術師は僕ら以外だとちょうど3人だ。運がいい」


 結界術「宮」、自身の周囲に結界を張りその中の魔力を持った人間の動向を完璧に把握する術である。並の魔術師だと半径2~3mが、結界術師でもせいぜい100mが限度であった。


「5キロはあるのに、どうして……」


 直登は初めてアリアが動揺を隠せない姿を見た。自身ももちろん賀茂の結界に驚いていたが、それ以上に横にいる彼女の姿に驚嘆した。


「俺、一応、結界術師の中では最強だからね……魔術師全体だと10番目らしいけど」


「魔術界でも序列ってあるんですね!」


「あるよ、くだらない指標さ。年に一回、魔術大学の学生と教員はいろいろ測らされてランキングを出すんだ。直登もそろそろ受けさせられるだろうね」


 二人が話している間に、少し暗い表情のままのアリアは首を左右に振り一つ深呼吸をした。


「で、どこですか」


 気持ちを整えた彼女は、自身の仕事に向かう。その姿を見た賀茂は、うん、と頷き手に持っていたスマートフォンの地図を見せた。


「俺はビエンナーレ公園、アリアはサン・マルコ広場、直登は駅だ。やり合うのは周りに人がいなくなってからにしてちょ!」


 もし動きがあったら連絡する、そういって賀茂はその場を離れた。次いで二人も目的地に向かって歩き出す。落書きでいっぱいの壁の中、削れ切った石畳を叩く三つの足音が響いていた。



 直登はサンタ・ルチーア駅に着くと、すぐに目標が誰か察知できた。

 人混みの中、轟々と沸るその魔力は、見えずとも感じることは容易であった。


「あいつは依然として動きなしか……」


 駅の玄関にある階段、そのすぐ近くの街灯に背を預け、女は立っていた。純白のコートに銀髪のショートボブ、決して人並みではないその風貌からは触れることも許されないような尖ったオーラが醸し出されている。

 時刻は午後11時18分、直登は焦っていた。島の外に出る手段の一つである鉄道、その島外への駅がここサンタ・ルチーア駅である。それ故か、人通りは減っても途切れる事がなかった。


「普通にまずいんだよなぁ……」


 最悪の場合、戦わずして負ける。それだけは避けたかった。それでも、今か今かと彼は一歩踏み出せずにいた。


「あぁ!もう、鬱陶しいっ!!!」


 ふいに声を荒げた彼女は、とてつもない速さで魔法陣を描き何かを唱えた。直後、瞬く間に人はその場を去っていく。直登は思わず時間を確認したが、まだ40分も余裕はある。


「早く出てきなさいよ。そこにいるんでしょう!」


 彼女は誰もいなくなった広場の一点を指をさす。ちょうど直登が隠れている場所である。彼は一瞬躊躇したが、絶好の機会を逃すわけにもいかないので物陰から姿を現した。


「どうして、俺の場所が?」


「あんた馬鹿じゃないの。そこまで近づけば分かるにきまってるでしょう。ど素人?」


 返す言葉もない直登は、黙って彼女の顔を見ていた。年は自分と同じくらい。肉付は良くも悪くもなく普通。立ち姿から判断するに体術に関しては格下。しかし、そんなことが些細に思えるほどの圧倒的な存在感オーラ。賀茂の透き通るようなそれとは、根本的に違う。


「(接近戦に持ち込めば、あるいは……)」


 彼が車中で伝えられた勝利条件は魔術師に爆破の魔術を発動させないことであった。わざわざ魔術大学に手紙を送ってくるくらいだから通常の爆弾を使うことはないだろうと、賀茂は彼らに話していた。


「君は、なんでこんな物騒な事を?」


「仕事だからよ。あと40分あんたとこうして話してるだけでそれなりの額のお金くれっていうからやってんのよ」


「(ようは時間稼ぎか……)」


 良かった、彼は心からそう思った。そう重要な役に当たらなかったのは嬉しい誤算であった。


「あんたこそ、なんでこんなとこにいんのよ」


「君と同じで、仕事だからだよ」


「そうじゃなくて、あんたみたいな三下に何ができんのよ。あんたみたいなのが広場にいるアイツのとこに加勢しに行っても足手まといになるだけよ。悔しいけど、私ですら相手になんないのに」


 苦虫を嚙み潰したような彼女の顔を見て、彼はひやりと汗が噴き出る。その表情は、決して冗談で言っているのではない、と直登にそう理解させていた。眩い街灯の光は、直登の汗を反射する。


「(今、広場って言ったか)」


 一瞬頭によぎるアリスの顔。思えば、今日の彼女は暗い顔ばかりしていた。彼女の実力のほどを知らない直登であっても、敗色濃厚であると確信できた。


「ちょっ!?どこ行くのよ!!」


 そう思った瞬間、彼は後ろを向き走っていた。暗闇に消えゆくその背中は、尋常じゃない速さであった。


「逃がすわけないでしょっ!」


 そう言い放った少女は片手を地面につける。一閃の光が少女と直登の間を走った。


「おおっ!?」


 彼は自身の前に突如として現れた石の壁に、驚きのけぞる。「(そう簡単に見逃してもらえなさそうだ)」そう悟った彼はその流れでくるりと宙返りし、再び少女の方を向く。右手を地に付けたままの少女は少しイラついた顔で彼を見ていた。


「錬金術師か……」


「へぇ、三下ド素人君でもそれくらいは分かるんだ」


「……俺が足手まといになるって言うなら別に逃がしてくれても良いんじゃない?」


「私もそう思うけど、仕事だから。……君こそ無駄な抵抗しないで、私とあと40分お話すればいいのに。そしたら、私は無駄に魔力を使わなくて済むし、君も痛い目に合わずに済む。win-winってやつよ」


 彼女は直登をめ切っていた。敵前で目に見えるように動揺し、何の躊躇もなく背中を見せる。素手の殴り合いならともかく、目の前の男は魔術師として遥か格下であった。実際、それを直登も痛いほどわかっていた。


「そんなに言うなら、まず自己紹介でもしようか」


 そう言って直登は地面に胡坐を書いた。それを見て、少女もしゃがみ両手を膝の上に置く。


「俺はナオト、ナオト・キッビーだ」


「ようやくその気になったのね、それならよかった。私はアリス・ルーセルよ。よろしく」


「こちらこそ、よろしくお願いしま『天袋てんぶくろ』っl!!」


 彼の手には印が結ばれていた。結界は少女の周りを覆い、小さな箱となった。


「ごめんっ!!!」


 直登はすぐさま立ち上がり、その場から逃げ去った。裏切るようなことをした罪悪感が彼の胸を締め付けたが、それ以上にアリアへの心配の方が強かった。


「(俺にも何かできることがあるはずだ、きっと――)」


 真夜中の細道、駆け出した彼はただひたすらに東へ向かっていた。


―――


 「……許さない。絶対に許さない!!」


 少女の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。吐き出した怒りで背後の街灯はねじ切れ、綺麗に並べられた石畳は滅茶苦茶に荒れていた。

 人一人いない駅の前、美しい銀髪の少女は自分をコケにした男を激しく怨み、復讐を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る