02 洗礼

 大学の正門を出て二人はしばらく歩いていた。この都市の道は、観光地のように全て石畳でできていて、観光地以上に綺麗に舗装されている。また、少し細い道に入ってもゴミの一つも見受けられなかった。

 直登にとっては、茶色や黄土色、焦色などの煉瓦と灰色の石畳でできた、一切の不純も許されないこの街は少しの新鮮味があったが、それと同時に多少の窮屈さも感じていた。特に彼らが今歩いている小綺麗な庭を携えた豪邸群の前は彼が慣れない風景の典型例であった。


「これが私の家」


 アリアは立ち止まり、響かないように静かな声でそう言った。彼女が指をさした先の建物は、その豪邸の数々の一つであった。彼は喉元まで出た「この、自己主張の激しい門が――」という言葉を引っ込め「すごい広いお家ですね」と当り障りのないことを言った。


「まあ、別荘みたいなものだけど」


 彼女は門の脇にある機械に手をかざし門を開けた。そのまま二人が庭を歩き玄関の前に立つと、両開きの扉が見計らったように開いた。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


深々と頭を下げているその声の主は、時代にそぐわない白と黒のメイド服を着用し、彼らを出迎えていた。


「遅くなってごめんなさい、アンナ。予定外のことがいくつか起こって」


 「アンナ」と呼ばれた女性は、いえいえ、と下げていた頭を上げ、主人が連れていた男を見て思わず眉間にしわを寄せた。Tシャツ一枚と、よれた黒色の半ズボン、お世辞にもオシャレであるとは言い難いその格好は、彼女からしてみればその風景にも、主人の横にいる者としてもふさわしいとは思えなかった。


「この人はお客様じゃないから、雑に扱っといて」


 アリアは荷物を彼女に預け、そのまま部屋の奥に向かう。少しの動揺はあったものの、彼女は普段と同じようにその仕事をこなしていた。

 一方、階段の下、その異様な光景に圧倒されたままの彼は動けずにいた。


―――

 

「お嬢様とは、どのようなご関係で?」


 重苦しい空気の中、彼女は冷たい声で、問いただすように聞いた。俯いたままの直登は、ぽつぽつと今までの経緯を語った。


「それは大変だったでしょう。お心の疲れが残ってはいないですか?」


 疑念が晴れた彼女は一転して明るい表情で彼に話しかけた。そんな彼女に少し戸惑いながらも彼は「いえ、別に」と断り、冷め始めていた紅茶をぐびっと飲み干した。


「いくつか、質問してもいいですか」


「ええ、もちろん」


 外装とは打って変わり現代風な内装の部屋を見渡し、失礼かもしれないですが、と切り出す。


「彼女は、アリアは、その、よく今日のようなことをするんですか」


 それを聞いた途端、彼女は神妙な面持ちに変わり少し考え込んだ。


「あれは、人ではございません。魔術によって操られた、そう、言わば人形のような物なのです。あなたが住んでいた地域でどう解釈していたのかは存じ上げませんが、私たちからすると、あれの魂はとうに抜け落ち、ただ心臓が動いているだけのしかばねでした」


 彼は、納得がいかないままでいた。「それでも、生きているなら人間では」その疑問をぶつけようとしたが、彼女のその青い目を見た途端に、このことを追求するのはよした方がいいと直感した。考えてみれば彼女らもそれなりに思うところがあるはずであった。


「あと、もう一つだけいいですか。いままで散々疑問に思ってたんですけど、『魔術』って何すか?」


 ああ、それなら、と立ったままの彼女は先程までの曇りがかった声に代え、軽快な口調で話し始めた。


「魔術とは、科学で説明できない事象を作り出すすべです。ナオト様のお国では、呪術だったり陰陽術、結界術と呼ばれていたのでしょうか。ここ、ヨーロッパでは、魔法、錬金術、神業、超能力、というのが一般的な名前です」


「呪術、錬金術……」


「その概念が違うだけで、やっていることは同じですよ。自身の体や他のものから魔力を練って、それを事象として放出する。そのしろの違いだけです」


 彼は、なるほど、と相槌を打った。依り代という言葉がいまいちはっきりしなかったが、それでもその概要は理解できた。


「私の考えでは、ナオト様は結界術師に分類されるご家系だったのでしょう」


「結界術師……それは、俺が結界術を使うからということだけでそうお考えに?」


「魔術というのは、普通その特性が血を伝って移っていくものなのです。その強さは別として。ですから、代々白魔術が得意な家の子は、白魔術が得意になりますし。錬金術師の家系の子供は錬金術に長があります」


 直登はわざとらしく頷いた。、そうなのだろう。しかし直登から言わせれば、彼の家族は極めて平凡で、魔術なんてお伽噺とぎばなしの中でしか聞いたことがない。異例、だとあの老人も言っていたように、魔法界ではありえないのだろう。

 ここで、ふと疑問がよぎる。


「じゃあ、彼女は―――」


 そのとき、広い部屋の隅でドアが開く音がした。その白いドアから顔を出した彼女は、一つにまとめていた髪を下ろし、少し火照った顔をしていた。


「私はハイブリット。黒魔術と白魔術の家系の両親から生まれた」


 ゆったりとした服で出てきた彼女は、顔を火照らせ、花のような香りをまとわせていた。


 その家には大きな客間があった。現代的なリビングのようではなく、レンガ造りの壁に暖炉、深紅のソファ、その部屋全体が緩やかな温かさで包まれている。

 二人はローテーブルを挟み、ソファに腰を掛けて談笑していた。


「ナオトの結界術、もう一回見せて」


 思いがけない要望であった。直登は驚きの表情を見せつつも、すぐに机上にその火照った右手を乗せる。


「簡易結界『障子』」


 彼が唱えると同時に、その右手から一枚の正方形が生成された。薄く、半透明のそれは、今は暖炉の炎が反射して少し色味がかって見える。

 顔を近づけて、注意深く観察するのもつかの間直登の抵抗も空しく、手のひらサイズの結界はほんの数秒で消えてしまう。


「最初にナオトの結界術を見たとき、詠唱を省いていた。それに、こんな強度でもなかったはず」


「あぁ、あれね。なんか、火事場の馬鹿力みたいな?」


 彼女は、なにそれ、と一言だけ言って微笑んだ。


「私、結界術師を生で見るの初めてで、触ってもいい?」


 再び、詠唱。子供の頃によく一人遊びとして結界を生成していたため、この位なら造作ぞうさも無いことであった。彼女は前かがみになり、彼の出した手のひらサイズの正方形を両手で丹念に触り始める。自身の結界には感覚が通っていないことを知っていた彼であったが、その時はどこかこそばゆさを感じていた。

 

 彼らの魔術談義はこの後、朝まで続いた。


―――


 ルーデウス大学は学部生2000人、院生300人の小規模な大学であった。しかし、その伝統と権威から設備や教育につぎ込むだけの資金は十二分に保有している。生徒2人に対して1人の担当教員、広大な実習上、研究施設、これほどまでに充実した大学は数える程しかない。


「初めまして、君の担当教員の賀茂劉基かもりゅうきでーす!」


 席が9つしかない小さな教室の中、着崩した黒いスーツを纏う長身の日本人から発せられた流ちょうなイタリア語が木霊こだました。男の歳は若く、まだ而立じりつにも達さないように見える。


「ほんで、君はどこまで使えるのかな?」


「どこまでって、何がですか」


「結界、どこまで使えるのって聞いてんの」


「簡易結界『籠』、『障子』、それと『ふすま』しか使えないですよ」


 賀茂は少し驚いた顔を見せ、両手を広げ天を仰いだ。


「今まで、何してん!?」


 男が言うには、簡易領域は結界術師の家系ならどんなにかかっても10歳になるまでには会得させられる技であった。直登が、彼が今まで魔術を知らなかったことと8つの時に初めて結界を使ったことを彼に話すと、彼は天を仰いだまま何かを呟いていた。


「(吉備という性は、そういうことではないのか、いや……)」


 彼は頭を下ろし、「ま、とりあえず」と、そのまっすぐな前髪をかき上げた。


「君、結界術師としては、というより魔術師として、下の下だね。明日からでいいから、ちいと特訓しようか」


 「下の下」という言葉に一瞬ムッとした彼だったが、最後の「明日」という一言を聞いてそんなことは忘れ、やっと休めると安堵の表情を見せる。

 そもそも、下の下というのは当然の評価であった。直登は魔術という存在を昨日初めて認知したのだ。さらに魔術都市、魔術師、結界術師、魔術大学と、自身が知らなかっただけでそこには広い世界があるに違いないと改めて納得した。

―――


 「いいじゃん、この部屋!」


 長い道のりを経てようやく新居に来た彼は、その予想外の豪華さに驚いていた。リゾートホテルのような部屋の巨大な窓の傍に、大きめのベッドと本棚が一つ、そして本棚の隣には焦げ茶色のL字型テーブルが置いてあった。

 清潔感溢れるその部屋を一通り見まわして満足した彼は、手に持っていた荷物を机に雑に投げ出し、ベッドに腰を掛けた。


「うおっと」


 思いのほかよく沈むベッドに思わず後ろに倒れた。

思えばこの一日で多くの事起こっていた。それらのことは彼の心と体を、確実に疲弊させていた。


「…………はぁ」


 大きく吐いた溜息と同時に、彼の意識は途切れる。脱ぎ掛けた靴は、彼のつま先の下でブラブラと漂っていた。


―数時間後―


 すっかりと暗くなった部屋に、ドアノブが捻られる音が響いた。僅かな光と共に部屋に足を踏み入れた男は、ポケットに手を入れたまま彼の元に立つ。


「…………じゃ、始めよっか」



 部屋の空気の流れが直登の目を覚ました。窓の外から零れる光は、その天井と彼の間にある人影をわずかに照らしていた。


「へ?」


 振り下ろされる拳に満ちた殺気は、彼を完全に現実へと引き戻した。

 同時に彼は上体を捻り寸での所でそれをかわし、そのまま立ち上がる。


「誰だ、お前?」


 薄明りの中、細めた目で見えたその姿は、彼よりも一回り大きい長身で、顔は無柄の仮面で覆われていた。


「(取り敢えず間合いっ!)」


 明らかにただ事ではない様相を感じ取った彼は、脱ぎ掛けの靴を蹴り上げ、男がそれを払う間に窓を破り外に飛び出した。彼が走り出すと同時に、男も直登の部屋から飛び出す。

 置かれた距離は十分、彼はくるりと反転しもう一度男と対面した。鮮やかな光に照らされた男は、より一層不気味に見えた。


「……なぜ俺を襲う!」


 男は直登の問いかけを気に留めずに、間、髪を入れず距離を詰める。


「簡易結界『襖』」


 直後、直登の前方に現れた結界。男はそれを手にもっていた白い小刀で切り裂く。不意を衝かれた直登はその勢いに押され後ろによろけた。すかさず入る斬撃は体をねじり、なんとか交わしたが、かかとが突っかかり、思わず地に片手を突いた。


「(――まずいっ!)」


 そう思った時には刃は直登の喉元まで来ていた。転瞬、響く、耳を裂く甲高い音。聞き覚えのある音。それは結界同士が衝突する際の音であった。しかし直登はこの音の正体にまだ気が付いていない。


「(今しかないっ!)」


 直登は弾かれた男の腕を掴み、そのままの勢いで投げ飛ばした。男の体は、街灯のともしびを横切りはるか遠くに飛んでいくように見えた。

 その瞬間、男は空中で反転すると、そのまま滑り空中で立ち止まった。地上5メートル、その光景は常軌を逸していた。


「うん、悪くない。思ったよりもやれてる」


 男は両手をポケットに突っ込み、直登を見下ろしていた。唖然としている直登にその声は聞こえていなかったが、それでも、男の雰囲気から張り詰めていた線が緩んだことを察した。

 男はそのまま、階段を下るように地上へ降りる。


「ごめんごめん!脅かしすぎちったかな?」


 聞き覚えのある声が夜の街に響く。聞き覚えのある、といっても直登にとって、それはたった数時間前の事であった。


「せ、先生、ですか?」


「おぉ、覚えててくれたのは嬉しいなぁ!」


 その剽軽ひょうきんな口調の男は仮面を外し、ぼさぼさになった髪を少し整えた。直登に近づこうとするが、警戒は強く、その距離は縮まることは無かった。


「なぜ俺を襲ったのですか」


 生徒の機嫌はすこぶる悪かった。それは安堵からきているものでもあったが、多くは睡眠を邪魔され、挙句新居を滅茶苦茶にされたことが原因であった。


「なぜって、ほら――」


 男は深夜の街で指をさす。その先にあった時計は、その真上から少し過ぎたところを指していた。瞬間、直登は昼に男が話したことを思い出した。


「明日から、ってそういうこと!?」


 いつの間にか仮面を外していた男は、直登が察したところを見てニヤッと笑みを浮かべた。


「そそ!それが分かった所で……」


 直後、直登は嫌な予感を感じた。


「……始めようか、ラウンド2」


―――


 「今朝の講義で二つ分かったことがある」


 賀茂と直登は大学の一角にある小さな教室にいた。時代遅れの黒板や、落書きの多い机、その中でこの日二回目の講義が始まろうとしていた。


「一つは、直登は魔術抜きの戦いなら相当強いってこと。パワー俊敏性スピード持久力スタミナ、どれをとっても並のオリンピアよりも遥かに上だ」


 そっちの道に進めば?と軽く茶化した。しかし、直登にとってそれは叶わないことであった。


「二つ目は、直登の魔術がある特性を持っていること。これは君にとって今後助けになるはずだ」


「危険になったときに詠唱を省くことができる、みたいな話ですか」


「いや、正確には違う。……直登の魔術出力、魔力が格段に上昇するんだ。直登が殺意の籠った攻撃を受けたときにね」 


 キョトンとする顔の彼に、賀茂はさらに説明を続けた。


「簡易結界や、単純魔法の詠唱は今朝直登にも見せたはずだ。それだけじゃなくて、あらゆる結界術、魔法、錬金術にはその使用される魔力によってそれ相応の詠唱や魔法陣が必要になるんだ」


 それでも、と言いたげな彼を賀茂は片手で制す。


「しかし、一つだけその詠唱や魔法陣を省ける場合ががある。……それが、自身の魔力よりも、はるかに少ない魔力で繰り出せる技を使うときだ」


「成る程!俺の特性によって魔力が一時的に向上するから、その間は詠唱を省けるということか!」


「そう、君のその個性は稀有で強力だ。それを恵んでくれた親に感謝するといい。……だけど、それでも直登は魔術に関しての知識がゼロだから、これから一週間、座学だけみっちり叩き込んでもらう!…………彼女に」


 錆びたレールがこすれる音と共に、古びた木製のドアが横に開いた。しけった教室に外の光が差し込み、一人の少女の影をとらえた。そのシルエットは、見覚えのあるポニーテールを携え――――


「休む暇は、あげないから」


 アリア・ハワードは冷たい目でそう言った。

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