【短編番外】涙と滲む姿と秘めた恋と向日葵
このお話は今から五年ほど昔、スミレが学業を終え、大人の仲間入りをするためそれぞれの道を歩き始めた頃のお話。
スミレは十六歳、ライラックはまだ在学中の十五歳でした。そんな夏のある日のことです。
向日葵が咲き乱れる川のほとりの土手で、スミレは組んだ両手を枕にして寝転がっていました。ただ虚空を仰ぎ、ごちゃごちゃした気持ちが静まるのを待っていました。
実はこっそり泣いていました。でも、泣いてるなんて情けない姿を誰かに見られるのは癪なので、泣いてないフリをして涙を流していました。その涙も乾く頃、土手のそばをライラックが通りかかりました。
「……スミレ?こんなとこで寝てたら体を壊すぞ」
スミレは、面倒な奴に見つかった、と顔をしかめ、ぶっきらぼうに答えました。
「体なんて壊れていいんだよ」
「そんな言い方はないだろう!」
ライラックはそばへ駆け寄り、川でハンカチーフを濡らしてスミレの額にあてがいました。そんなに日差しが強いわけではないですが、熱中症になっては大変だ、と思いやってのことです。
「気を遣わなくていいぞ。なんでもないから」
「……何か、あったのか?」
ライラックはもう気付いていました。スミレがまたお見合いに失敗したことを。それは案の定そのとおりでした。
「あんなキモイおっさんと毎晩寝れるかよ!」
「スミレ……また自分から……」
スミレは学業を終えてから、たびたびお見合いをさせられてきました。しかし、伯爵家とはいえとても立場の低い伯爵でしたから、お見合い相手も同じ程度の貴族やお金持ちでした。
眉目秀麗で性格も家柄もよくて……などという逸材はまずお鉢が回ってきません。前妻に先立たれたおじ様や、忌み嫌われてるどら息子、そんな人しかやってきません。
最初は澄まして見せるスミレでしたが、パーティーも中盤になるとスミレは浴びるように酒を飲んで迷惑をかけたり、抜刀して暴れたり、縁談をめちゃめちゃにしてしまうのです。
しかし、怒りや不快感だけで暴れるのではありません。スミレはそれほど無知な心のない愚か者ではなかったので、縁談をめちゃめちゃにすると、独りになれるところで独りぼっちで泣くのです。
縁談を壊したらワダン家がどうなるかは知っていましたし、おとなしく嫁げば丸く収まることも知っていました。しかしそこに愛などないことも知っていましたし、言いなりになることが耐えがたい屈辱だという考えがどうしても曲げられません。スミレは葛藤していました。
「ふん!わたしなんて、どうせとんでもない奴だよ。どうせ愛されないよ。愛なんてない。私の世界に愛なんてないんだ」
自暴自棄になるスミレを見ると、ライラックはいつも心が痛みます。とても直視できませんが、目を逸らしたらスミレは本当に孤独になるので、彼女が落ち着くまではいつもそばで話を聞くのです。
「そんなことないよ。いつかきっと幸せになれるさ」
「無理だよ。私は親の道具だ。女は、親の道具なんだ」
「そんな言い方はよせ……」
ライラックは困りました。今日の彼女は一体何をしでかしたのでしょう。
「今日はどんな奴だったんだ?」
スミレは思いっきり顔をしかめました。
「なよなよしたオカマ野郎だったよ」
「それはまたきついな……」
今日の相手はお人形を手放すことが出来ない気弱な男でした。スミレがつれない態度や、下品な振る舞いをすると、たいていの相手は気を悪くするのでしたが、この男は益々彼女に好感を持ってしまったのです。
『勇ましい方って、素敵だと思います』
そう言って頬を染めた彼を、スミレは心底気持ちが悪いと思いました。嫌われようとするたび引っ付いてくる。スミレはとても不快でしたが、いまだかつてないほど好かれてしまったので、さすがに心が痛んだのです。
スミレは自分を責めていました。せっかく自分を気に入ってくれたのに、どうしても受け入れられない。それがとても不愉快で、とても悲しかったのです。
「そうか……。まあ、仕方ないよ。好きになれない人と一緒になって、スミレが不幸になるほうが、俺は悲しい」
「わたしは最低な奴だよ……。最低だ……」
しばし、沈黙が訪れました。
ライラックは悩みました。本当は、自分がもっと年上で身分もあったら、真っ先にスミレを娶りたかった。でも、彼にはまだそんな自由も選択権もありませんでした。だから、ただうつむいて、唇を噛みました。
ライラックは、話を変えることにしました。何か、スミレが幸せになるような手がかりはないかと。
「スミレ、お前は誰か好きな人はいないのかよ?」
この質問はライラックにとってはとても辛い質問でしたが、どんな返答が返ってきても受け止めるつもりでした。すると、スミレはあっさりと、「いたよ」と答えました。
「だ……だれ?どんな人?」
「ふっ……、もう、いいんだ。終わったから」
『終わった』との答えは彼にとって予想外でした。どういう意味か訊ねると、
「もう、諦めたから、いいんだよ。ただ一方的に、ちょっと好きだっただけ。でも、どうせ私は道具だから叶わない。だから、もういいんだ」
それはとても悲しい答えで、彼はどう受け止めたらいいかわかりませんでした。
「俺の知ってる人?」
「いや、まったく関係ない人さ」
「好きだって、伝えたのか?」
「まさか」
ライラックが想像していた以上に、スミレは恋愛に悲観的になっているようでした。ライラックは思わず泣きそうになるのをぐっとこらえて彼女の嘆きに耳を傾けました。
俺がそいつだったら、君の気持ちなんていち早く気付いて、君と駆け落ちでもしてやったのに。
絶対に、幸せにしたのに。
しかし彼女の心は自分にはないということは感じていたので、そんな言葉は胸に秘めていましたが。
ライラックは人の話を聞くとき、目を合わせないで俯いたまま聞く癖がありました。話すときも、時々俯いてしまいます。それはよくない癖だとよく注意されるので、たまには意識して顔を上げるのですが、スミレが相手だと複雑な思いから、どうしても顔を上げることが出来ませんでした。スミレは彼のそんな癖は慣れていましたので、スミレも気にせず彼と目を合わせずに話しました。
「スミレは、どんな人だったら結婚してもいいと思う?」
彼は無難に質問しました。
「そうだな、やっぱり強い奴がいいな。あとハートも強くて男らしいほうがいい。もちろん美形に限る」
そこでスミレははじめてくすっと笑いました。ライラックもつられて俯いたまま笑いました。
「そこ重要だな」
「もちろん」
二人は笑いあいました。向日葵が風に吹かれてざわめきました。初めて空気が晴れた気がしました。
「スミレより強くないとだめ?かっこよくても?」
この質問に、スミレはライラックの目を見て苦笑いの形に顔をゆがめたまま答えました。
「わたしより弱い奴なんか尊敬できるかよ」
その一言が、何故だか彼の心を深く貫きました。
ライラックはいまだにスミレと戦って勝ったことがありません。ですから、その一言はそれそのものが、彼を恋愛対象外だという決定打になってしまったのです。
ライラックはまた目を逸らせて俯きました。傷ついている顔を見られたくなかったのです。そして苦し紛れに茶化して見せることで場の空気を散らしました。
「そんな怪物いるかよ。お前みたいな怪物女に勝てる奴なんて本物の化け物だよ」
「ははっ、かっこいい化け物だったら私は別にいいかもしれないな!」
ライラックはちらりとスミレの顔を見ました。どうやら、先程の苦しそうな顔はほぐれたようです。
「じゃあ、俺は帰って勉強しなくちゃ。……スミレが笑ってくれてよかった」
「ん?ああ、じゃあな」
立ち上がり、土手を登ろうとするライラックを見上げ、スミレは素直に感謝しました。
「……ありがとう」
ライラックは聞こえないフリをしました。
土手を登りきって街道に上がると、ライラックはいまだ彼女が寝転がる土手を見下ろしました。
その視界はいくら目をこすってもぼやけて、向日葵も大好きなあの子も滲んでよく見えませんでした。
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