第五幕 

 マロニエ王国の三人の斥候は、国境に広がる樹海を抜け、ヒノキ城に近づきました。

 なんとかして侵入を試みたのですが、ヒノキ城は周囲を荊に囲まれ、やっと人が一人通れるような小道しか侵入口が無い上に、見えない壁に阻まれてどうしても城に入ることはできませんでした。

 このことをスターチス将軍の本陣に伝えると、今はまだ様子を見て、麓の村での情報収集に専念するよう指示されました。

 しかし村の住民の口は堅く、有力な情報は得られませんでした。

 スターチス将軍の本陣は樹海を北に迂回する形を取って進軍しました。南に迂回するには船が必要で、入江で挟撃されることを考えると、北回りしか道が選べないのです。

 将軍の軍は進路の街や村を略奪し、焼き払いました。

 魔族達も戦うのですが、魔族達の戦い方では住民の安全は守り切れませんでした。

 危機を感じたライラックはヒノキ城にやってくると、魔王に詰め寄りました。

「このままではスミレの命も危うい。俺が近衛をやろう。貴様には任せておけん」

 しかし魔王には魔王の考えがありました。

「お前の故郷が国境沿いの街だったはずだ。お前には故郷の守護を任せようと思う。スミレの身は任せておけ。ここには優秀な部下がいる」

 故郷の守護とスミレの命を天秤に掛けられては、難しいところで故郷の人々の命のほうが重く感じられたライラックは、おとなしく引き下がり、故郷に帰ってゆきました。

 魔王の読みは当たり、ライラックの故郷もまた、戦禍に晒されました。レンギョウの率いる軍もいるのですが、敵の戦力はキリが無いように見えました。

 季節は巡り、冬が来て、春が来ました。

 スターチス将軍の軍は、ついにヒノキ村まで進軍してきました。

 さてここでヒノキ城攻めの算段です。まずは近づくためにヒノキ城の周りの荊を焼き払うことにしました。

 しかし荊の燃えカスはより一層鋭い武器のように燃え残り、歩きやすくなる方法にはなりませんでした。

 次に見えない壁についてです。

 将軍の軍には魔術師軍団もいました。魔術師軍団の占いでは、周囲に結界が張られており、内部から結界を壊さないことにはどうすることもできないとのことでした。

 打つ手なし。

 ヒノキ城周囲の戦闘は、本丸に近づけないまま、持久戦になりました。


 そんなある日、三人の斥候の一人が、ヒノキ城に逃げ込む村人を何人も確認しました。

 村人は壁に阻まれることなくヒノキ城に避難してゆくのです。

 ヒノキ村はいつの間にか女子供や老人などの弱者は残っておらず、魔族や人間の戦士や男たちしか残っていませんでした。何か絡繰りがあるはず。斥候は注意深く観察しました。


「あの人はちゃんとご飯食べてるのかしら」

 スミレの身の回りの世話をしていたガーベラが、ヒノキ村に残って戦っている夫や息子たちの様子を見に、ヒノキ城からヒノキ村に帰ってきました。

「母さん……!」

「お前!危ないじゃないか!お城から帰ってくるんじゃない!」

 家族は大慌てでガーベラを追い返そうとしました。

「そんなこと言ったってあんたたち、ご飯もろくに食べてないんじゃないのかい?お城のご馳走持ってきたから、食べな」

 ガーベラたち家族は、久しぶりの、束の間の団らんを囲みました。

「じゃあね、無理して死んじゃだめだよ」

「お前も、道中気を付けてな」

「元気でね、母さん」

 ガーベラたち家族は抱き合い、再会を約束して、ガーベラを送り出しました。

 しかし。

「うっ!」

 ガーベラは城へと続く道半ばで、全身黒づくめの仮面をつけた男に当身を食らわせられ、気を失ってしまいました。

 男はガーベラの身ぐるみをはぎ取り、持ち物を物色すると、文様が描かれた首飾り以外、怪しい持ち物が見つからなかったため、彼女を道に転がしたまま、首飾りを持ち去りました。


 スミレの身の回りの世話をしていたサフィニアが、今ではすっかり相棒となったガーベラが最近姿を見せないことを心配し、魔王に進言しました。

「もしや、ガーベラの身に何かあったのでは……」

「あいつは確か、ヒノキ村に家族がいたな。まさかヒノキ村に帰った道中、流れ矢にでも当たったのか……?」

 スミレのお腹はすっかり大きくなっていましたので、彼女はベッドに腰を下ろしたまま、ガーベラの身を案じていました。

「どうしちゃったんだよガーベラ……。あんたがいなくちゃ、もうすぐ産まれそうなのに、わたし、自信ないよ……!」


 そして、ある夜のことです。

 寝ずの番をしていたアリウムが、奇妙な匂いに気付きました。

 甘ったるく、頭がくらくらするような匂い。

 誰かがお香でも焚いているのかと思い、城内を見回りました。

 辺りはしんと静まり返り、誰一人として、起きている者はいませんでした。そう、彼以外は、誰も。


 アリウムが城内を見て回っているのと時を同じくして、何者かが数人尖塔の階段を駆け上がってゆきました。

 全身黒づくめの、仮面をつけた男が、三人。

 そして最上階のスミレの居室の扉のカギをこじ開けると、うつらうつら舟をこぎながら寝ずの番をしていたサフィニアを襲いました。

「キャ――――!!!」

 その叫び声を聞いて、スミレが跳ね起きました。

「何奴?!」

 スミレは枕元の短剣に手をかけ、三人の男と対峙しました。

「お前がスミレ姫か」

「姫ぇ?!わたしは姫じゃない!サイプレス王国の妃だ!」

 スミレは男たちに切りかかりました。しかし、お腹が重くて思うように戦えません。

「お前は、身重なのか?」

 男のうちの一人が驚きの声をあげました。

「だとしたらどうだというんだ!」

 すると、男はお香に火をつけ、部屋の隅に置きました。

 仮面の男二人と激しい戦いを繰り広げていたスミレでしたが、

「何……だ……この匂い……」

 激しいめまいに襲われ、その場にくずおれるようにして倒れて、気を失ってしまいました。

 そのお香は、強い麻薬の香でした。

 そう、彼等はヒノキ城のそこかしこにこの麻薬の香を焚き、人々を眠らせて忍び込んだのでした。

「殺さずに連れ帰れとの命令だっただろう」

 香を焚いた男は言いました。

「よし、ずらかるぞ」

 男達はスミレを抱え上げると、窓からロープを垂らして、尖塔から降りました。


「サルビア、起きろサルビア!城の様子がおかしい。スミレ様は無事か?」

 アリウムが魔王を叩き起こすと、魔王はくらくらする頭と激しい眠気に、寝ぼけてなかなか起きようとしませんでした。

「んー、なんか気持ち悪い。もう少し寝かせろ」

「そんなこと言ってる場合か。麻薬が焚かれている。何か部外者が侵入した可能性がある。スミレ様の身が心配だ。ちょっと様子を見て来い」

 魔王はもう一眠りしようと目をつぶりかけ、はっと目を覚ましました。

「なんだと?なぜそんなことが分かった?」

「俺はいつも薬巻煙草を吸うのが趣味だ。知ってるだろ?それに近い匂いがするんだ。俺には耐性がついてるから効かないが、お前たちはまんまと眠らされたみたいだな」

「……スミレが心配だ。よし、お前もついて来い。尖塔まで飛ぶ」

 魔王はアリウムの腕をつかみ、瞬間移動しました。

 すると、スミレの居室は侍従たちが眠りこけ、サフィニアが血を流して倒れているばかりで、肝心のスミレの姿がありません。

「サフィニア、おい、サフィニア、一体何があった?!」

 アリウムがサフィニアのケガを魔法で治療すると、彼女は気が付き、

「た、大変です、魔王様。何者かが数人やってきて、スミレ様が……!スミレ様?まさか、スミレ様!?」

「何があったか詳しくは知らんのか?」

 サフィニアはわあわあ泣き喚き、それ以上は何を訊いても言葉になりませんでした。

「な……何ということだ……!」


 三人の忍びたちは、本陣のスターチス将軍のもとにスミレを連れ帰ると、物資を運搬するために用意していた馬車にスミレを乗せました。

 スターチス将軍は三人の働きを讃えると、彼等から結界を破る魔法の首飾りを受け取りました。

「この首飾りの魔法を解析させよう。これで何も気にせず本気で城攻めができる。ご苦労だった」

 スミレを乗せた馬車が本国へ向かう道中、三人の男たちのうちの一人が、スミレの顔を見て舌なめずりをしました。

「よく見ればいい女じゃねえか。あのぼんくら親父に呉れてやるには惜しいぜ。どれ、俺が一つお先に味見させてもらうぜ」

 すると、もう一人の男がそれを諌めました。

「やめろ、彼女は臨月じゃないのか?身重の女に乱暴するもんじゃない。それに、これはヘンルーダ様のものだ」

「構うもんかよ、穴がありゃあ女なんかいつだって大丈夫だろ」

「やめろ!!」

 男は、スミレを犯そうとした男と揉み合いました。

「邪魔すんじゃねえ、お前にも回してやるからよ」

「そういう問題じゃない!」

 なぜだか、男は、この下衆な男に殺意が湧きました。そして、馬車のドアから下衆な男を蹴落とすと、その男は首の骨を折り、そのまま死んでしまいました。

 御者台の男だけは、無表情に無言を決め込んでいました。

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