第六幕

 やがて、スミレを乗せた馬車はマロニエ王国の王宮に着きました。

 ヘンルーダの元へ連れてこられたスミレは大きなお腹を抱えていましたので、両脇を屈強な兵士に支えられ、ゆっくりと王の前に跪かせられました。

 スミレが膝をついた瞬間、少し体勢を崩しそうになると、王の周りに侍していた年配の侍従たちが思わず駆け寄りました。スミレは大丈夫と手で制し、両手で体を支えました。

 ヘンルーダは玉座にふんぞり返り、宝石の笏をもてあそびながらスミレに話しかけました。

「貴様が噂のスミレ姫か。ふん、なんだその腹は。魔族と交わり孕んだのか。とんだ雌猫だな」

 ヘンルーダのあまりにも人を見下した態度に、スミレは殺意を覚えました。身重で丸腰でなければ、魔物相手よりもずっと簡単に首を刎ねていたことでしょう。

「雌猫、顔を上げろ」

 スミレは動きませんでした。

「聞こえないのか、スミレとやら。貴様に言っているのだ。顔を上げろ!」

 スミレは少しだけ顔を上げ、心の底から憎悪を込めて彼を睨み上げました。

「なんだその目は。可愛らしさの欠片も無いな。だがせっかくの獲物だ。我は寛大だ。これからたっぷりと可愛がってやる。感謝するんだな」

「……下衆が」

 スミレは食いしばった歯の奥から呪詛と軽蔑の言葉を漏らしました。

「……なんだと?今なんと言った、小娘!」

 暴君は玉座から立ち上がり、スミレの目の前に歩み寄りました。そして彼女を見下ろして言いました。

「怪物と子を生すような雌猫を可愛がってやろうというのだぞ、我は。それをなんだ?誰に向かって口を利いている?!」

「その怪物以下の下衆と口を利いている」

 ヘンルーダは怒髪天を突き、

「小娘が!……これから我の物になるのに、その腹は邪魔なのだ!こうしてくれる!」

 スミレの大きなお腹を蹴りました。

「ぐふっ!……か……は……!」

 それを見ていた侍従の女たちは彼女に駆け寄り、彼女をかばいました。

「王様、あんまりでございます!おやめください!」

 しかし事態は手遅れでした。スミレの足下に血の混じった液体がじわじわと広がっていきます。スミレはあまりの激痛に、はあはあと浅く息を紡ぐことしかできません。

「ふん、もう手遅れだ、さっさとその悪魔の子を腹から引きずり出してこい。身軽になったらもう二度と我にでかい口を利けないよう、調教してくれる」

 侍従の女たちの心に、嘗て無いほどの憎しみが渦巻きました。侍従たちはただでさえヘンルーダのいつもの暴君ぶりには閉口していたのです。そこへこのような血も涙もない行いを見ては、ただではいられませんでした。

 年配の侍従はスミレに同情しました。

「さっさと連れて行け!赤子など捨ててこい!」

 スミレの両脇に侍していた兵士たちがスミレを抱え上げ、玉座の間から彼女を運び出しました。そして二人の年配の侍従たちが、それに付き添いました。

「急いで離れに連れて行って!私が子供を取り上げます!」

 事態の重さを何も分からない兵士が、間抜けなことを訊きました。

「お腹の子は死んだんじゃないのか?その辺に寝かせれば勝手に腹から出てくるんじゃないのか?」

「バカなことを言うんじゃありません!そんなわけがないでしょう!お腹の子はまだ助かる!ええ、絶対に助けてみせます!」

 年配の侍従は出産の大変さを熟知していましたので、スミレが大変な目にあわされたことが我慢できませんでした。

「絶対に助けてみせる!ええ、死なせたりするものですか!スミレ様も、お子様も!」

 侍従は目に涙を湛え、唇を噛み締めながら、スミレを見守りました。

 城の離れに運び込んだ侍従たちは、道すがら数人の侍女たちに出産の準備を指示し、スミレを離れに置かれたベッドの一つに寝かせました。

 スミレは気を失っていましたが、侍従が気付けの薬湯を飲ませ、目を覚まさせました。

「お腹の……子は……」

 侍従はその手を握り、

「大丈夫、助かるわ。さあ、頑張って産むのよ」

 とスミレを勇気づけました。

 まもなく陣痛が始まり、スミレの戦いが始まりました。スミレの心に、「もうお腹の子は駄目なのではないか」という予感が何度もよぎりましたが、産婆となった侍従たちが「絶対大丈夫よ、ほら頑張って!」と何度も励ますので、いっそ死にたいと思うほどの苦しみも耐えることができました。

 夜が来て、朝が来ました。お腹の子は少しずつ現れましたが、そう簡単には産まれてきてはくれませんでした。もう少しで昼になろうかという頃、ようやく赤子のお腹が膣口から出てきました。

「はい、頑張って、せーの!」

 そして一気に赤子がお腹から出てきました。

「やったわーー!!」

「おめでとう!よくがんばったわね!」

 侍従たちは赤子を産湯に浸け、その体を優しく洗いました。しかし。

「………?」

 赤子は泣きませんでした。そればかりか、四肢をだらんと垂れ、ぴくりとも動きませんでした。

「……スミレ様……申し上げにくいのですが……」

 侍従の目から涙があふれ、彼女はうつむいて唇を噛み締めました。スミレは「ああ、やはり駄目だったのか」と悟ると、気を失ってしまいました。

「……スミレ様?……スミレ様!」

 侍従は赤子の亡骸をスミレの枕元に寝かせると、スミレの頬を叩き、彼女を起こそうとしました。このままではスミレも死んでしまいそうな気がしたのです。

「スミレ様!しっかり!スミレ様!」


 スミレは夢を見ていました。暗い、暗い世界でした。そこはスミレも何度も訪れたことのある、魔界のサイプレス城に似ていました。

「おかあさま」

 足下から女の子の声がしました。

「おかあさま?」

 スミレはしゃがみ込んでその幼い……二つか三つほどの女の子と目線を合わせてその顔を覗き込みました。

「わたしはおかあさまのこどもです。わからない?」

 よくみれば、その子の額には魔王の面影のある二つの角のような瘤がありました。

「お……おまえ………死んだはずでは……?」

 子供は笑いました。

「うん、しんだよ?でも、まだたすかる」

「助かる?」

 子供は見た目に反してとても達者な言葉遣いで話しました。

「おかあさまは、おとうさまとけっこんしたから、すこしだけまほうがつかえるんだよ」

「魔法……?わたしが?」

「めをさましたら、わたしがいきかえるって、かみさまにいのって。わたしはきっといきかえるよ。おかあさまをしんじてる」

 スミレの目から涙があふれてきました。

「祈るだけでいいの?」

「うん、ねんじるって、いうのかな?とくべつなことばはいらない」

 スミレは我が子と名乗るその子供の手を取り強く握りました。

「わかった。お母さんが、必ずお前を助けてみせる」

「うん、さあ、めをさまして!」


 それはほんの数分の出来事でした。スミレが夢から覚めると、侍従たちは口々に何かを叫びながら彼女の顔を覗き込んでいました。

「スミレ様、気がつかれましたか?」

「ああ……大丈夫だ……」

「スミレ様、お子様はお亡くなりになりましたが、あなたはまだ生きなくちゃなりません!お辛いと思いますが、しっかりなさって下さい!」

 侍従たちが、哀しみを堪えるかのように力を込めてスミレを励ましましたが、スミレは薄く笑みをこぼしました。

「大丈夫、この子は助かるよ」

 侍従は口をぽかんと開けて、ゆっくりと起き上がるスミレを見上げました。

「なにを……信じられないのは分かりますが、スミレ様、お子様は……」

 スミレはゆっくりと半身を起こし、枕元の小さな亡骸に両手をかざしました。

「大丈夫……私ならできる。この子は助かる」

 侍従は「もうこの人は駄目だ」と思いました。完全に気が振れてしまったとしか考えられません。

 しかし、その時です。目をつぶって強く念じるスミレの両手が淡く輝き始めました。その光はだんだん強さを増していき、ついには部屋中にあふれました。

「そ……それは………魔法?!」

「スミレ様は魔法使いでいらしたのですか?」

「そうかも……知れないな」

 スミレが笑みをこぼした瞬間、光の洪水の中から、赤子の産声があがり、光は少しずつ収束していきました。

 先ほどまで確かにぴくりとも動かなかった赤子が、元気に泣いています。

「ああ……本当だ……。ありがとう、本当にありがとう。産まれてきてくれて、教えてくれて、生き返ってくれて、本当に……!」

 スミレは壊れ物を扱うように優しく我が子を抱き上げ、その顔にほおずりをしました。侍従たちは夢でも見ているような様子でしばらく母子を見つめていましたが、やがてパチパチと拍手が起こると、全員で赤子の蘇生を祝福しました。

「すまないが、もう少し眠るよ……。この子を、よろしく……」

 そう言うと、スミレはまた体を横たえ、気を失いました。


 スミレを失って以来サイプレス城の自室に引きこもって泣き暮らす魔王の元に、アナナスが立ち寄りました。

「魔王様、そろそろ立ち直ってください。貴方はこんなところに引きこもってていいほど暇じゃないはずだ。ヒノキ城の戦はどうする気ですか」

 魔王の顔はげっそりとやつれ、無精髭が伸び放題になって見る影もありませんでした。

「うるさい。私は不覚を取った己が許せないのだ。ヒノキ城にどんな顔をして行っていいか分からぬ」

 アナナスは呆れて目をくるりと回すと、

「でもこれでよかったんじゃないですか?スミレ様は人間の物になったんだ。人間は人間の国に返してやったらいいのです。魔族の国に人間の妃は必要ないじゃないですか」

 と、ため息交じりに意地悪なことを言いました。

 すると、魔王は地獄の底から聞こえるような声で

「貴様、スミレを失って嬉しいか?」

 と訊きました。アナナスは、

「スミレ様のことは嫌いじゃなかったですよ?もちろん悲しいですよ」

 と見え透いた嘘を言いました。本当はスミレに興味はありませんでしたし、お腹の世継ぎが邪魔だとも思っていました。

 魔王は椅子から立ち上がると、アナナスを殴り飛ばしました。

「何するんですか魔王様!」

 魔王は何も言わずアナナスをボコボコに殴りました。アナナスはたまらず殴り返しましたが、魔王は鬼の形相で涙を流しながらなおも殴ってきます。

「俺に八つ当たりしても仕方ないでしょう!」

 アナナスが強烈なストレートを放って魔王を殴り倒すと、魔王は床に座り込んで、わああと声をあげて泣きました。


 それから間もなく、魔王は高熱を出して寝込みました。何日も熱に浮かされ、うわ言で何度もスミレの名を呼びました。

 魔王は思い出しました。確か、遠く離れた人の声を聴くことができる宝物をもらった気がする。魔王は家臣に宝物庫から黒真珠の耳飾りを探すよう言いつけました。

 家臣が宝物庫の片隅から耳飾りを見つけて持ってくると、魔王は耳飾りを身に着け、スミレに語りかけました。

「スミレ、お前は今、一体どこで何をしている……?」

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