第二幕

「おお、来たか。待っておったぞ♪」

 穏やかな夕暮れ時。庭師が城の周囲を取り囲む薔薇の木々を剪定するのを惚けたように眺めていた魔王・サルビア・リリー・グラジオラスは、今ではすっかり馴染みとなった顔を見つけると、満面の笑顔で出迎えました。

 それは身の丈程もある大剣を背負い、重厚な全身鎧に身を包み、キリリと結んだ唇、大きな菫色の瞳に意志の強い輝きを宿した小柄な娘、女勇者・スミレです。

 が、勇者は魔王のその緩みきった顔を見ると疲れたようによろよろと膝をついてしまいました。

「……何を嬉しそうに出迎えている……。わたしは貴様を殺しにきているのだぞ?」

 だが魔王のほうはそれを少しも気にも止めない様子で、人懐っこくスミレの元へ駆けていって「ささ、剣を執れ♪始めようぞ」と、まるで子供のように急かします。

「今日は天気も良い。庭園の外へ出て、派手に戦おうではないか☆」

 そう言って、魔王はスミレの手を引き、庭園の外へとぐいぐい引っ張ってゆきます。

 すっかり戦意を削がれて、スミレは頭を抱えながらしぶしぶ魔王に付いていきます。

「こいつは本当に戦う気があるのか?」

 鼻歌まじりの魔王をみると、本当にそう思えてなりませんでした。というのも、ここのところの魔王ときたら戦う前にお茶を振る舞ったり、樹の上から手を振ったり、玄関の階段で本を読んで待っていたり、魔王と呼ぶのが馬鹿らしい程ご機嫌で出迎えるのです。

 それでもまだ今までは険しい顔つきをしていた魔王でしたが、今日の様に笑顔を見せたのは初めてで、とても妙な気分になるスミレでした。

「さあ、かかってくるがいい!」

 庭の外へ出て、魔王が鬼気を発して周囲の空気を震わせても、スミレはいまいち剣を構える気になれませんでした。

「あのな……。そんな緊迫感も覇気もない魔王なんぞ、戦う気になれない……」

「ならばこちらからゆくぞ!」

 そういうと、魔王は両腕を広げ、胸の前で一瞬青白い閃光が弾けたかと思うと、おびただしい数の見えない魔力の矢を容赦無く放ちました。

「!」

 一瞬身構えるのが遅れたスミレは逃れ切れず、矢を全て受けてしまい、あっさりとその場に倒れ伏してしまいました。

「どうした?この程度躱してみせなければつまらぬだろう」

 魔王は魔力の力場を解くと、倒れたスミレに歩み寄り、優しく抱き起こしました。

「具合でも悪いのか?」

 心配そうに声をかけると、スミレは呆れたようにこう答えました。

「にこやかな魔王など見たら血圧も下がるわ」


 気が付くと、スミレは見慣れない部屋の天蓋付きのベッドの上にいました。

 埃っぽい匂いがしますが、綺麗に掃除されていて、古めかしい調度品などが飾られているところをみると、どうやらお金持ちのお屋敷の客室のようでした。

「あ、気が付いたんかぁ?」

 スミレが首をめぐらせて室内を見回していると、女中と思しき姿の若い娘が、手に布製の物を抱えて部屋に入ってきました。

「どゆう塩梅や?」

 娘がベッドに近付き顔を覗き込みました。短く切り揃えた髪と、人懐こそうな瞳と笑みをたたえた可愛い娘でした。しかし、少し聞き慣れない言葉遣いをするのが気になりました。

 どうやら体の具合を訊かれているようなので、「大丈夫だ」と答え、身を起こそうとすると、

「ああ、まだ無理したらだしかんよ?」

 といって、再びベッドに落ち着かせられました。

 と、スミレはハッと我に返り、とんでもないことに気が付きました。なんと、下着以外を全て脱がされて寝かされていたのです。そして体のあちこちに膏薬とおぼしきひんやりした感覚と、包帯が巻かれていました。

 スミレは慌てて上掛けを顔まで引き上げて、女中に自分の持ち物はどこか、ここはどこで、自分はなぜここにいるかと問いただしました。

 まあまあ落ち着きなれ、そういうと女中は順を追って説明してくれました。

「まず、あたしはあんたのお世話任された、ハルジオンっていうんやわあ。この城で雇われとる。あたしは何度かあんたを見たことあるけど、こうやって話すのは初めてやな」

「城?」

「あー、それもわからんかな……魔王グラジオ様のお城や。あんた、魔王様にやられて気絶してまったで、ここに運んだんよ?」

「ま…魔王の城だと!?」

 自分が脱がされていることも気になっているうえに、ここが魔王の城だなんて。

「わたしの服は!?わ、わたしは……」

 スミレはパニックに陥りましたが、ハルジオンはにこにことなだめ、

「大丈夫やって。荷物は全部そこのクローゼットに入っとるし、魔王さまはなんも悪さなんかせぇへんよ」

 そういって、麻のドレスを広げてみせ、

「体中怪我だらけになってまったやろ、体が治るまでまでこれ、着なれね」

 と、スミレに手渡しました。

「じゃ、他に何か要るもんあったらよぉ、何でもいっとくれ?えか?」

 そういうと、ハルジオンは「また来るで」と、部屋を出ていきました。

 スミレはゆっくりと身を起こし、しばし茫然と手渡されたドレスを見つめていました。

 何の飾り気もない白く地味なドレス……しかし、生地も作りも上質で、決して安くはないだろうことがわかりました。

「優遇されているのか?」

 体のあちこちを動かしてみると少しズキリと痛みましたが、そう重症ではないようでした。もしくは、体が回復するまで眠っていたのかもしれません。

(いったいどれほどの時間わたしは眠っていたのだろう……)

 ぼぅっと、またドレスに目を落としていると、

「具合はどうだ?」

 ノックも無しに突然魔王が扉を開け放ちずかずかと部屋に入ってきました。

「うわあああ!!?」

 まだ着替えていないスミレは慌てて上掛けを被りました。

「貴様!ノックぐらいしろ!」

 悲鳴に近い非難の声をあげ、「変態」「助兵衛」と、考えられるだけの罵倒の言葉をぶつけました。恥ずかしくて顔から火が出そうでした。

「介抱してやったのに、そのいい方はないだろう」

 魔王はむっとしながらも、ベッドの側に椅子を引っ張ってきて腰掛け、枕元に肘を突いてスミレの様子をうかがいました。

「具合はどうだ?」

 魔王が再びきくと、スミレはもごもごと小さな声で「大丈夫だ……」とだけ答えました。

「貴様、何を考えている?わたしは貴様を殺しにきているのだ。なぜ倒れたわたしを介抱する?」

 魔王は、さも当たり前のように答えました。

「死んでしまってはつまらなかろう」

 スミレは目が点になりました。

「それだけの理由か?」

「それだけの理由だ」

 スミレはガクッと力が抜けました。魔王は「しかし」と続けました。

「私は楽しいのだ。スミレと遊ぶのがな」

 スミレがなぜか問うと、魔王は楽しそうに答えました。

「ここ最近急に人間共が私に挑んでくるようになった。そいつらは皆汗臭い野郎共ばかりだ。しかし見かけによらずあっけないやつらばかりだ。いい加減飽きていたところに現れたのがお前だ。お前は女なのに、汗臭い野郎共よりは遊びごたえがある。まあ、それでも弱いがな。しかし、あのアスターを一撃で倒すのはなかなか居ない。私は、楽しいのだ」

 遊ばれている。それはスミレにとって屈辱でした。今までの魔王の態度を思い起こしてスミレは腹が立ちました。

「わたしは遊んでやっているわけでは無い!貴様、自分が何をやってきたかわかっているのか!?」

 魔王は怪訝な顔になりました。話の筋が見えていないようです。

「貴様は罪の無い村人をおもしろ半分に喰らい、お前に挑んだ戦士たちをおもしろ半分になぶり殺してきたのだ。わたしは、貴様を許さない!」

 魔王は驚いたようでした。そして

「そんなことをした覚えは無いぞ?」

 と否定したのですが、スミレは「とぼけるな!」と激昂しました。

「いいから出て行け!介抱してもらったことは礼を言う。だが、傷が癒えたら今度は貴様を倒してやる!必ずだ!」

 あまりの剣幕に、魔王は渋々部屋を出て行きました。

 スミレはいそいそと身支度をし、魔王の城を後にしました。

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