第三幕

 隣村の屋敷に帰ったスミレの心の中に、一つ引っかかることがありました。それは、部屋から追い出す前に魔王が言っていた「私はそんなことをした覚えは無い」という一言でした。

 村に魔物を放って村人を殺したり攫ったりしているのは、魔族の棲む城、その城主の魔王に違いないのです。

 その魔王に心当たりが無いとなれば、他に誰ができるというのでしょう?

 ひょっとしたら魔王は本当に何もしていないのではないか、犯人は他に居るのではないかと考えましたが、すぐに考えを改めることにしました。

 魔王と戦う理由が無くなってしまうことは、もはやスミレの存在理由も無くなってしまうことにも思えたからです。

 魔王との戦いは十本の指では足りないほどになっていました。怪我が治るまで挑めないので、そんなにしょっちゅう戦っているわけではありませんが、何度も剣を交えています。

 自分が強くなっている手応えは感じますが、やはりまだまだ魔王に敵うとは思えません。

 怪我を治し、剣の修練を積み、臥薪嘗胆の思いで努力してきましたが、そんなスミレの心に、ある変化が生まれていました。

 スミレと戦うことを喜んでいる魔王。その笑顔が脳裏に焼き付いて離れません。

 いつしかスミレは魔王のことばかり考えるようになりました。

 剣の稽古をして強くなったと実感した時はもちろんのこと、料理を食べて美味しいと感じた時も、夜眠りにつく前も、常に魔王のことを思い浮かべるようになっていたのです。魔王を倒すことを考えても、以前は息の根を止めてやることを考えていたのに、だんだん魔王が戦意を無くして謝罪すれば許してやろうという気持ちになっていましたし、次に刃を交える時はなんと言ってからかってやろうかという楽しみも思いつくようになっていました。


 そんなある日のことです。

 またいつものように魔王に戦いを挑もうと魔王の城に来た時です。魔王が居ないので魔王の手下の魔物に声をかけると、魔王は中庭に居ると教えてもらいました。スミレは魔王には負けますが、手下の魔物に負けるほど弱くはありません。無駄に血を流すことも無いと、今ではすっかり顔なじみです。

 中庭にやってくると、魔王はベンチに座って虚ろな表情をしていました。

 スミレが声をかけても、魔王はどこか元気がありません。

「どうしたんだ魔王。悪いものでも食べたのか?」

「うーむ……腹が痛いわけではない。うーむ……風邪かもしれん。うーむ……」

 魔王は何か考え事をしているようでした。

「何を考えているんだ?また悪いことを企んでいるのではあるまいな?」

「そんなことではない……うーむ……よしスミレ、一つ訊いていいか?」

 魔王はスミレに向き直り、思い切ってスミレに尋ねました。

「スミレ……お前は私のことをどう思っているのだ?」

「?……どうって………敵に決まっているだろう?」

 スミレはさも当然のように答えました。しかし、内心は少しドキドキしていました。でも、知らない振りをしました。魔王は、

「そうじゃなくてだな……そうか……スミレにとって、私は敵でしかないのか……」

 と、少し落ち込みました。

「な、何で落ち込んでるんだ……ほ、他に、何があるって言うんだ?」

「好きとか……嫌いとか……」

 スミレはドキッとしました。気づかない振りをしましたが、魔王がそういう答えを期待して質問したのではないか、少し期待していたので、スミレは自分の心に芽生えかけた想いを認めるのを、必死で無視しようとしました。

「……そんなこと言えるわけないだろ……ぶつぶつ」

「ん?」

「なんでもない!……そうだな、嫌いだな、うん、嫌いだ。貴様なんか諸悪の根源だ。憎むべき敵だ。大嫌いだな。うん」

 魔王は甚く傷ついたようでした。ですが、

「そうか……だが……私は、お前が嫌いではないぞ」

 そういってスミレに歩み寄りました。

 その時です。魔王は突然スミレの唇に口づけました。

 スミレは反射的に魔王を突き飛ばして唇を離しましたが、何をされたのか一瞬よくわかりませんでした。

「貴様……いま……何をした……んだ……?」

「何って………キスだ。知らんのか?」

 魔王の口から「キス」という単語を聞き、スミレは我にかえって慌てて反論しました。

「そ、そんなことぐらいわかる!貴様こそ、わかってて、したのか!?」

 スミレはもう自分が何を喋っているか、混乱してよくわかりません。

「当たり前だ。知らないことはできない。知ってるか?魔族の口づけというのはだな……」

「ば……バカ……!貴様なんか、もう、知らん!!」

 スミレは恥ずかしさのあまり走り去ろうとしました。しかし、なぜでしょう。涙があふれて止まらなくなり、庭園の入り口でしゃがみ込んで泣き出してしまいました。

 魔王には、スミレがなぜ泣いているのかわかりませんでした。そばに歩み寄り、泣きじゃくるスミレを眺めることしかできません。

 スミレにもなぜ泣けてくるのかがわかりませんでした。ですが、だんだん、涙の理由がわかってきました。

 スミレは悔しかったのです。敵であるはずの魔王に優しくされることが。

 そしてスミレは嬉しかったのです。心のどこかで、魔王と仲良くしたいという想いが、口づけによって通じた気がしたことが。

 ですが、それは許されないことだとわかっていましたので、スミレは自分の心に嘘をつくことが苦しくなって、涙としてあふれてきたのです。

「わたしは……ぐすっ……強くなければならないのだ……。ひっく!ひっく!……貴様なんかと馴れ合ってはいけないのだ……!」

「なぜだ……?なぜスミレは弱いくせに私に挑む?私はわからぬ。私はスミレと遊ぶのは楽しいが、スミレはいつも怒っている。それがわからぬ。なぜ泣く?」

 魔王が考え事をしていたのは、このことでした。なぜスミレは女だてらに魔王に挑むのか。魔力を込めた口づけをすればスミレは喜ぶのだろうか。それが、なぜスミレを泣かせることになるのか、理解出来ませんでした。

 ひとしきり泣くと、スミレは立ち上がり、べそをかきながら「次まみえる時は、必ず貴様を倒す」と、魔王の城をあとにしました。


 ちょうどそのころ、丘の麓の村の酒場で、数人の屈強な戦士たちが飲んだくれてたむろしていました。

 戦士たちは魔王討伐に名乗りを上げた勇者たちでしたが、真っ昼間だというのに、皆一様に暗い顔で愚痴をこぼしながら酒をあおっています。

「まったくやってられねえぜ」

「五百金じゃ安すぎらあ」

 そこへ、村の男たちがそんな彼らを非難しました。

「あんたら本当に名の知れた勇者かよ。一体魔王を倒すのに何ヶ月かかってるんだ?」

「あんたらがチンタラしてる間にも行方不明者は増えてるんだぞ」

 戦士たちは顔をしかめて五月蝿そうにいいわけをします。

「そんなこと言ったってなあ、あの城は魔物がわんさかいて、魔王の元に着くのも一苦労だ。肝心の魔王は本物の化け物だしよ。冗談じゃねえよ」

 他の戦士がさらに村人に抗議します。

「魔物退治でも金がいただけるはずじゃなかったのかよ。そのお給料はいついただけるんだよ?」

 ちょっと偉い立場の村人が反論しました。

「魔物の首を取るぐらいじゃ金は払えん。人さらいの現場で魔物を倒したなら話は別だが、城の魔物なんてわんさか居るだろう。そんなものにいちいち金なぞ払ってられるか」

「なんだと?!話が違うぞ!」

 戦士たちは村人たちと喧嘩を始めました。どすんばたんと取っ組み合いで暴れられたおかげで酒場はめちゃくちゃです。

 ちょうどそこに、魔王城から帰ったスミレが顔を出しました。何事が起きたのか、驚いたスミレが事情を訊くと、村人の怒りの矛先はスミレにも向けられました。

「嬢ちゃんよ、勇ましいこと言っていたが、あんたも何ヶ月かかってるんだ?嬢ちゃんの細腕じゃ無理なんだよ、帰んな!」

 スミレはその言葉にカチンと来ました。スミレだって努力しているのです。しかし、最近少し気が緩み始めたのは確かなので、上手く反論することができませんでした。すると、酒場の奥で黙って喧噪を見守っていた村長が口を開きました。

「違約金だな」

 場が静まり返りました。

「勇者さんがたには違約金をいただかなくちゃな」

 村人は口々に村長に賛同しました。黙っていられないのは戦士たちです。(勿論スミレもです)

「なんだと?そんな話は聞いてない!契約書にそんなことは書いてなかった!払えるものか!」

「我々は名のある勇者とお聞きして期待したのだ。話が違うと言いたいのはこちらのほうだ」

 スミレも負けずに反論しました。

「敵の強さは並ではない。我々も努力している!なのに、感謝されこそすれ、違約金なんて払えるか!」

 しかし、小娘の言い分など、男たちにとっては怖くも何ともありません。

「嬢ちゃんな、これも社会勉強だ。約束には責任を持ってもらわなくちゃならんのだよ」

 村人は薄ら笑いを浮かべスミレを見下しました。

「ともかく、これ以上は我々も待っておれん。いずれ違約金をいただく。先生方には早めに努力していただかなくちゃな」

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