第九幕

 フロックスが配属されたシラカバの街は、内海に面した細長い道のような入り江の港町でした。南の貿易国から様々な交易品が持ち込まれ、また、メタセコイアの畜産加工品が南に輸出され、シラカバの街は交易の重要な拠点の一つでした。だからこそセコイア国はシラカバの街を手放すのを渋りましたし、一方でメタセコイアでは重宝された町でした。

 フロックスは翼を持つ魔族で、自由自在に空が飛べました。そこで、彼の戦略では、海から敵の船団が侵入して、交易船が襲われたり、海周りで敵が侵入してきたときに迎撃するために、有翼魔族軍団の配置を望みました。

 しかし、その一方で、入江は非常に狭く、軍艦が大勢押しかけるような陣形は取れませんでした。

 マロニエ王国の本陣は海周りを避け北回りを選び、海側では商船の略奪で物資の補給を断つ作戦を取りました。

 いくら待てど暮らせど交易船がやってこないことを不審に思ったシラカバの街の商人が、南の貿易国に出向いたときのことです。

 マロニエ王国の船団が商船を次々略奪しているのに出くわしました。

 商人の船も例外なく沈められ、ボートで命からがら逃げだした商人の使いの者が漁船に助けられると、帰港した船から領主、そしてフロックス将軍の元へ情報が入りました。

「やっぱりなー!そう来ると思ったぜ!任せておけって!俺たち魔族がいればお前ら人間どもなんて千人力よ!」

 フロックスは入江の崖の上に石弓軍団を設置し、船団を率いて内海に出ました。

「あれが敵の船か!よっし、お前ら攻撃用意!発射!」

 フロックスたちは魔法の火の玉を敵の軍艦に雨のように降らせました。軍艦からは人間たちが次々に大砲を打ちます。

 敵の軍艦は大砲の弾を発射するのですが、上空からと正面からの攻撃に、成す術もなく沈んでゆきました。

 フロックスたちは壊滅した敵の船に降り立ち、敗残兵を始末すると交易船から奪われた金品を自国の船に運びました。

 そこには膨大な量の交易品が積み込まれていて、回収するのはとても大変な作業でした。

「おまえら!!喜んでる場合じゃねーぞ、それはおまえらの宝じゃねえからな!交易品なんだからドロしたら許さねーぞ!(まあ俺もちょこっといただくけど。お、これなんか結構いいな)」

 中には攻撃の目をかいくぐって港に進軍する敵の船もいましたが、崖の上から石弓の雨が降ってくるので、入り江を進むこともできません。

 フロックスたちメタセコイア軍は、どんどん軍艦を内海に進軍させて、マロニエの軍艦を落としてゆきました。


 一方ヒノキ城周辺は何度も荊を焼き払われ、またその火を利用した石弓や火矢を浴びせかけられ、焼け野原と化していました。かつては天然の城壁として城を守っていた荊も、今では見る影もありません。

 魔王不在の報は魔族達や人間の兵士たちの士気を低下させ、敵は城の居住区にもうすぐ迫っていました。城に避難していた女子供や老人たちの命が脅かされようとしていたときです。

 紫色の月光が差し込む豪奢な寝室で、一人の男が目を覚ましました。

「これは……。この、体を漲る力は、一体何だ……?」

 男の額には、天を突くような大きな二つの角が生えていました。そして男は、月に向かって吠えました。


 城内に侵入して王手をかけようとしたスターチス将軍が玉座の間にたどり着いた時、そこではライラックが待ち受けていました。

「貴様をこの先には行かせない!」

「私もここで引き下がるわけにはいかんのだよ!魔王の首をいただく!魔王を出せ!」

 スターチス将軍が叫ぶと、ライラックも叫び返しました。

「はいそうですかと魔王なんか出せるものか!」

 そして二人は斬り合いました。

 ライラックは剣術には絶対の自信があったのですが、しかしそれもいわゆる貴族の剣術にすぎませんでした。百戦錬磨の軍人の戦い方に、ライラックは怯みました。手合せ、試合、そんなものを想定した戦い方では、スターチス将軍の殺すための剣を捌ききれません。将軍はただ敵を確実に殺すために剣を振るってきました。

「どうした小僧。口だけか」

「くっ……!貴様!」

 ライラックの脚が斬られ、利き手が斬られ、不自由な左手で剣を受け流すことしかできず、追い詰められたその時。

「そんな様だから貴様は私に勝てんのだ。もちろんスミレにもな」

 玉座の後ろから、長身の男が突然姿を現しました。確かに誰も人はいなかったはず。一体どこから……?!スターチス将軍の剣撃の手が止まりました。

「甘っちょろい貴様らに、戦い方というものを教えてやる」

 ライラックは、こと時ほどこの男の存在を頼もしいと思ったことはありませんでした。しかし、一つだけ引っかかることがありました。

「お、お前、その角は、一体……?」

 その男の額には、天を突くような立派な角が二本生えていました。確か、ほんの先日までは、その角は小さく可愛らしいものだったはずなのに。

「まさか、貴様がメタセコイアの魔王か?!」

 スターチス将軍は剣を構え直しました。

「いかにも私がメタセコイアの魔王、グラジオラスだ。待たせたな。どうだ、立派な角だろう?」

 魔王は何もない空間から一振りの魔剣を取りだし、手招きました。

「魔王直々にお出ましとは嬉しいじゃないか。勝負!」

 スターチス将軍が飛びかかると、魔王は軽くいなし、将軍の利き手を斬りつけ、骨を砕きました。そして魔法の電撃を食らわせ、体の自由を奪うと、その首に剣をあてがいました。

「よくも我が妻を汚してくれたな」

 スターチス将軍は死を覚悟しました。

「わ、我が王の仰せだ。逆らえぬ」

「死にゆく貴様に簡単に冥土の土産をくれてやろう。貴様の連れてきた兵は、一人残らず根絶やしにする。それでとりあえず一介のマロニエの犬に過ぎない貴様の罪は許してやろう。どうだ、私は寛大だろう?貴様の主人は、簡単には殺さんがな」

 魔王はそう言うと、将軍の首を刎ねました。

「何をぐずぐずしているのだ、者共、魔族が人間に押されてどうする!」

 魔族達が傷を癒していた休憩室に、魔王が発破の声を掛けて回りました。作戦会議室で作戦を練っていたジギタリスやレンギョウ達の元にも声を掛けて回り、戦士たちの士気は上がりました。

「魔王様が帰ってきた!」

「魔王様が覚醒された!!」

 魔王は目に着いた敵の兵士を片っ端から魔法で瞬殺し、宣言通り一人残らず殺してゆきました。

「待たせたな者共。今までよく耐えてくれた。先ほど私自らの手で敵の大将の首を刎ねた。反撃に出るぞ!!」

「魔王様万歳!!」

「魔王様万歳!!」

 ジギタリスは目に涙を浮かべて魔王の帰還を喜びました。

「どれほどこの時を待ったことか。お帰りなさいませ、魔王様」

 レンギョウはこんな時でもへそ曲がりなことを言いました。

「遅えよバーカ。帰ってこなくてよかったぜ。手前みたいな使えねえ魔王なんざそのうち俺がぶっとばして玉座盗ってやるからよ」

 アリウムも冗談でその話に乗りました。

「この戦争が終わったら皆であいつフクロだな」

 城内に侵入した敵は一人残らず全滅し、城外に布陣していた射撃部隊、石弓部隊も、間もなく殲滅しました。ほんのわずか、生き残った敗残兵が魔王の目をかいくぐり脱出に成功すると、樹海を抜け、全滅の報を本国に伝えました。


 戦闘がひとまず落ち着くと、ガーベラが家族に連れられてヒノキ城に登城しました。

「申し訳ありません魔王様。私めの不注意によりお城の方々にご迷惑をかけ、スミレ様の命を脅かしましたこと、深くお詫びいたします」

 魔王は玉座でそれを聞き、事情を説明させました。ガーベラの説明を聞くと、魔王はガーベラに剣を向けました。

「貴様の不用意な行動で戦況が傾き、スミレを奪われた罪は重い。斬首刑とする」

 それを聞きガーベラの家族が命乞いをしました。

「そればかりはどうか!命ばかりはお助けを!」

 ガーベラは死刑も免れないだろうと覚悟していたので、溢れそうになる涙を、唇を噛み締めて堪えました。

 そこでライラックが割って入りました。

「待て、確かに彼女の罪は重い。しかしスミレを取り返して彼女が帰ってきたとき、ガーベラが処刑されたことを知ったらきっとお前を恨むぞ」

 サフィニアも口をはさみました。

「ガーベラのお城への出入りの自由は約束されていたはずです。そこを襲われたガーベラに罪はありません。命ばかりはお助けを」

 「ならぬ」魔王は訴えを退けました。しかし、今までスミレの心の支えになってくれたことは感じていましたので

「ならば猶予をやろう。スミレを取り返すまでは生かしてやる。スミレが帰ってきたら公開処刑とする。それまで身辺整理でもしておくんだな」

 と、ほんの少しばかり温情をかけました。


 さて、魔王は疲弊した兵の代わりに、巨大な時空の扉を開き、新しいサイプレスの兵を多数召喚しました。これからマロニエ城に攻め入り、スミレ奪還を目指します。

 そこへ、厩舎の番人が、スミレの愛馬・アザミが暴れて困っていると魔王に報告しました。

 馬具が皮膚を擦りむくほど、激しく嘶き暴れているというのです。このままでは怪我が化膿してアザミが参ってしまう。魔王はアザミの様子を見に行くことにしました。


 アザミはまだスミレが子供だった時にワダン家で生まれました。栗毛の大きな牝馬で、村人の農作業に力が必要なときや、馬車で出かける時、力自慢だったアザミはワダン家だけでなく村中から大変可愛がられました。

 アザミが生まれてから15年。スミレの成長とともに育ったアザミは、いつもスミレの心の拠り所でした。

 失恋したときも、お見合いで失敗したときも、悲しいことがあるとスミレはアザミに乗って気が済むまで走ることがありました。アザミはスミレの事情は分かりませんでしたが、スミレの喜怒哀楽をいつもそばで感じていました。

 そんなスミレがある日から、甲冑に身を包み、アザミに乗ってヒノキ村の丘の上にしょっちゅう出掛けるようになりました。

 最初は怒りと使命感を抱いて、凛々しく出発していたスミレ。それが日を追うごとにだんだん楽しそうな表情をするようになって、アザミは、スミレが誰かに恋をしているのだと悟りました。好きな人に会いたいから、いつも私に乗って出かけるのね。そう察していましたから、きっとスミレはこのままお嫁に行くのだろうと思いました。

 案の定。スミレはある日を境にワダン家のお屋敷に帰らなくなりました。だから、アザミもまた、大人しくスミレの幸せを見届けようと、お城に繋がれることに甘んじることにしました。

 しかし今や、スミレは魔王の元から攫われ、生死の判別もつかないありさま。アザミの心は心配で張り裂けんばかりでした。一刻も早く、私がスミレを取り戻さなくては。アザミは使命感に駆られて、言葉にならぬ悲鳴を上げて、魔王に訴え続けていました。


 魔王が厩舎に入ると、確かに一頭激しく暴れている大きな馬がおりました。

「アザミ、こら、アザミ。大人しくせんか。一体どうしたんだ?」

 アザミは魔王の姿を認めると、急に大人しくなって、じっと魔王の目を見つめ返してきました。魔王はその瞳に、アザミの想いを悟りました。魔王の心に、アザミの想いが流れ込んできます。

「そうか。それはすまなかった。ずいぶんお前を待たせてしまったな。よし。一緒に戦おう。私を乗せてくれ。お前を導こう。」

 アザミはヒヒヒンと一声嘶きました。

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