第十幕

 敗残兵はマロニエ王国に入ると、国境付近の街で全滅の報を伝えて息絶えました。

 クレマチスはこの報を一等先に聞きつけ、スミレを脱出させて魔王軍と合流できるよう策を練り始めました。

 まずはスミレにこの朗報を伝えなくては。しかし、その時です。

「貴様はクレマチスか?」

 お城の兵士がクレマチスに話しかけました。

「ああ、そうだが。今敵の情報を……」

「貴様をヘンルーダ様の第六寵姫・スミレ殿と姦通した罪で逮捕する」

 クレマチスは驚きました。確かに少し仲良くはしたし、後ろ暗い策も練ってはいたが、こんなにも早く逮捕されるとは。しかも罪状が姦通。クレマチスが当惑していると、兵士は有無を言わさずクレマチスに暴行し、荒縄で縛ってヘンルーダの元へ連行しました。


「陛下、クレマチスを捕らえました」

 クレマチスは顔を覆っていた仮面と頭巾をはぎ取られ、ヘンルーダの元に突き出されました。ヘンルーダは跪くクレマチスの太ももを踏んづけ言いました。

「よくも我の物に手を出したな。貴様のことは贔屓にしてやったというのに、恩を仇で返すとはいい度胸だな」

 クレマチスは訴えました。

「私は無実です!陛下!私はいつも陛下の格別のお引き立てに感謝し、忠実に働いてまいりました!それに、陛下の寵姫に手を出すなどという畏れ多いこと、私ができるはずがありません!」

 ヘンルーダはクレマチスを踏みつける足に力を込め、

「貴様が姦通していることを見たものがいる。貴様の仲間の忍びだ。仮面をつけた貴様らの顔を見分けることは他の者達には難しいだろうが、仲間ならば見間違えるはずがあるまい」

 と、断言しました。

 ヘンルーダはクレマチスを踏みつける足を退けると、彼に背を向け玉座に向かい、刑を言い渡しました。

「明日、火炙りに処す。それまで地下牢に繋いでおけ」

「陛下!誤解です!私は無実です!陛下!」

 クレマチスは無実を叫びながら、兵士達に地下牢へと運ばれました。


 ハイドランジアがスミレに近づき、クレマチスが地下に繋がれたことを伝えました。

「え?ク、クレマチスが?一体なぜ!?」

「陛下がクレマチスと貴女が姦通してるという情報を掴んだらしいわ。ねえあなた、クレマチスから何か言われてない?」

 スミレは驚きのあまり言葉が出ず、何も言わずに首を振りました。

「困ったわ……いえね、実は私、彼と共謀してあなたを本国に逃がす手はずだったの。彼は情報収集をして、私が作戦を練っていたんだけど……。貴女と彼が一緒にいること、誰かに見つかったみたいね。まずいわ。彼がいないと計画が……」

 スミレはなおも驚きました。

「そ、そんなことをしてくれていたのか?済まない。恩に着る。しかし、それなら困ったな……」

 スミレは、クレマチスが親しく話しかけてくれたことが嬉しくて、彼と喋りすぎてしまったことに気づき、深く後悔しました。結果的に彼に迷惑をかけることになってしまった。スミレは、なんとかして彼ともう一度話ができないか、彼が繋がれているという地下牢へ向かいました。

 スミレが地下牢に降りていくと、牢屋番が彼女の前に立ち塞がりました。

「こら、ここから先は立ち入り禁止だ」

「ここに、確か今日、クレマチスという男が繋がれたはずだ。彼に会わせてくれないか?」

 クレマチスが寵姫と姦通したという罪状は、牢屋番の耳にも入っていました。ですから、彼は「ダメだ」と強い口調で断りました。

「ひょっとして貴女がスミレ殿か?ならばなおのこと、クレマチスに会わせることは許されない。お引き取り下さい」

 スミレは牢屋番を睨むと、強引に掴みかかりました。しかし、

「こら!暴れるな!何をしても駄目なものは駄目だ!」

 牢屋番はそれなりに凶悪な犯罪者を逃がさないよう鍛えられていましたので、いくらスミレの力が強くても、彼には敵いませんでした。

「クソッ……!」

 哀しいですが、諦めることしかできませんでした。スミレは大人しく地下牢を後にしました。しかし、いつかチャンスがあるのではないか、そんな気がしたスミレは、時期を見て再び地下牢に侵入しようと考えました。


 翌日、日が高くなって間もなく正午という頃。クレマチスは処刑場に送られました。

 処刑は市民の見世物の一つとして催されておりましたので、城の中の者達も、城下町の者達も、物好きな者たちは皆火刑場のある丘に集まりました。

 クレマチスは白い木綿のズボンを穿かされ、上半身は裸のまま、いつもの仮面を外され、両手を縄でしばられて、火刑場のある丘まで歩かされました。刑を執行する為の番人や死刑執行人、司祭が彼を取り囲んでぞろぞろと付いてきます。皆無言で歩いていました。

 いよいよ自分はこれから死ぬのだ。覚悟したクレマチスの脳裏に、今までの人生が走馬灯のように流れてゆきました。


 クレマチスにはかつて、たった一人だけ恋人がいました。恋人の名はアルストロメリアといいました。二人は深く愛し合っていましたが、彼女の父が、クレマチスとの結婚を認めようとはしませんでした。クレマチスは両親を幼い頃に亡くし、非常に貧乏な生活をしていたからです。

 それでも諦められなかった二人は、彼女の両親の目を盗み、密かに愛を育んでいました。

 やがて、二人は駆け落ちし、遠く離れた町で酒場を経営して暮らしました。

 そして、いつしか、アルストロメリアのお腹には、新しい命が宿りました。

 既成事実を作ってしまったのだから、きっと父も結婚を許すに違いない。そう思ったアルストロメリアは、大きなお腹を抱えて、クレマチスとともに両親の家を訪ねました。

 しかし、妊娠の知らせに父は喜ぶどころか、この恥知らずめ、とアルストロメリアの大きなお腹を蹴り、彼女は死産してしまいました。

 そして、アルストロメリアもまた、死産のショックで死んでしまいました。

 クレマチスはショックで荒れた生活をしていました。そこへ、マロニエ王国が武術大会を行うという知らせが彼の耳に入りました。優勝者はお城で働かせてもらえるということです。

 クレマチスは死ぬつもりで大会に出ました。しかし、あろうことか、結果は準優勝でした。

 その闘いぶりをヘンルーダに見出されたクレマチスは、素顔を隠し、ヘンルーダの忍び軍団の一人に迎え入れられることになりました。

 そんな生い立ちでしたから、クレマチスはかつて愛した女性を失った悲しみ、身重のスミレを死の淵に導いてしまったこと、沢山の後悔の念に苦しめられていました。どうにか、死なずに済んだスミレだけでも、救ってやれないだろうか……。

 火刑場の人だかりが見えてきた頃、彼は心に決めました。

(あの方を守れるのは、俺しかいない。罪滅ぼしをできるのは今しかない!)

 クレマチスはやおら周囲の役人たちを縛られた両手で殴り倒し始めました。時には頭突きをし、蹴りを入れ、包囲を解いて列から離れて逃げ出しました。体術を極めたクレマチスの突然の攻撃に耐えられるものはいませんでした。攻撃を免れた役人たちが「逃げたぞ!追え!」と騒ぎ、彼を追いかけます。しかしクレマチスは足の速さも相当なもので、彼はついに逃亡に成功しました。


 城まで逃げてきた彼は、城壁の角で両手を縛っていた縄を擦って千切りました。そして、欠伸をしながら警備をしている兵士に尋ねました。

「スミレ様はどこにいる?」

 兵士はのんびりと

「スミレ様なら自室だと思うぜ。処刑を見るのは嫌いなんだと」

 と答えました。クレマチスは「ありがとう」と言うと、兵士に当て身を食らわせ、気絶させました。

 クレマチスはずっと仮面を付けて隠密活動をしていましたので、彼の素顔を知るものはほとんどいませんでした。加えて言うなら、彼がどんな仕事をしているのか、その素性を知っているものもいませんでした。ですから、今の素顔を晒したクレマチスは逆に隠密活動に向いていました。

 スミレの自室に駆け込んだクレマチスは、子供をあやすスミレを見つけると、まず名乗りました。

「スミレ様、俺がお分かりになりますか?クレマチスです」

 スミレは初めて見る顔だったので驚きました。肩まである長い金髪。碧い瞳。端正な顔立ち。想像していたよりずっと美しいその顔に、スミレは目を見張りました。

「クレマチス?お前クレマチスか?どうしたんだ、お前は牢に繋がれていたはずでは……?」

 クレマチスは軽く訂正しました。

「ええ、ですが、今日は処刑されるところでした。それで、逃げて参りました」

 スミレは驚きました。まさか今日の処刑の受刑者がクレマチスだとはしらなかったのです。

「にげ……?大丈夫なのか?」

 クレマチスは軽く頭を振ると、

「今は時間がありません。とにかく俺と逃げましょう、スミレ様。あなたはこんなところにいてはいけない。逃げるなら城が手薄になった今しかありません!」

 と、スミレに手を差し伸べました。スミレは突然のことで頭が付いていきません。

「にげるって……?そんな、逃げ切れるわけが無い!」

「メタセコイアの軍が近くまで進軍しているとの情報を掴みました。樹海を通れば数日で軍と合流出来ますよ」

 スミレはその情報に希望を見いだしました。クレマチスは焦りを押さえられない様子で

「とにかくお子様と必要なものだけお持ちになって、俺と逃げましょう!」

 と急かしました。スミレは慌てて我が子と数枚のおしめだけを引っ掴み、クレマチスに付いていきました。わずかな希望を胸に、二人は駆け出しました。

 逃げる二人を、密かに見守る人影がありました。ハイドランジアです。

「よくやったわクレマチス。後のことは私に任せなさい」

 ハイドランジアはは厩舎から馬を一頭盗み、三人が誰にも見つからずに逃亡できる裏道に導きました。クレマチスはスミレを抱きかかえる形で自分の前に乗せ、彼女の背後から手綱を操って馬を走らせました。

 火刑場は混乱を極め、追手の足は後れを取りました。

 クレマチスは背後を気にしながら、できる限り休憩を取らずに馬を走らせ続けました。

 赤子のおしめの替えも無くなる頃、クレマチスは少しゆっくり休憩を取ろうと、この先に少し行くとあるという、廃墟となった砦に向かうことにしました。

「スミレ様、もう少し行くと、誰も人の住んでいない廃墟があります。そこでしばらく身を潜めましょう」

「絶対安心なのか?」

「ええ。確かな情報です」

 すると、前方に黒い壁のようなものが見え始めました。その壁は、近づいて目を凝らしてみると、巨大な軍隊でした。もっと近づいてみると、その人影が何者か判明しました。異形の魔物達。魔王軍です。

「あ!魔王軍だ!ほんとだ!ほんとに近くまで来てたんだ!おーい!」

 スミレは喜んで手を振りました。

「魔王様、何者かが叫びながら手を振っています」

「む……?女の声……まさか、スミレか!」

 魔王軍は進軍の足を止めました。魔王が軍の前に進み出て、彼女達を待ち受けました。

「魔王!会いたかった!帰ってきたよ!わたしだ!スミレだ!」

 クレマチスは軍勢の前に馬を止め、馬から降り、次いで赤子を抱くスミレを降ろしました。

 魔王は馬から降りませんでした。それよりもスミレを連れてきたこの半裸の男を訝しがりました。

「貴様、何者だ。なぜスミレと一緒にいる」

 クレマチスは魔王の前に膝を折り、

「お初にお目にかかります。私はマロニエ王国の忍び・クレマチスと申すものです。スミレ様脱出の機会がございましたので、マロニエ王国から逃亡してまいりました」

 魔王の側にいるジギタリスが、魔王に囁きました。

「罠かもしれませんぞ」

 魔王は頷きました。そして一先ずクレマチスの労をねぎらいました。

「ご苦労。よくやってくれた。とりあえず先にスミレをこちらに渡してもらおう」

 スミレは何も疑っておりませんでしたので、無邪気に魔王に近づき、

「ほら!赤ちゃんも元気なんだ!」

 と赤子を掲げて見せ、魔王の乗るアザミの上に同乗しました。

「どれほどこの時を夢見たことか」

 スミレが魔王の胸に顔を擦り付けるのに対して、魔王は厳しい表情を崩さず、クレマチスを睨み続けています。

「それで、マロニエの要求は何だ」

「要求?」クレマチスは面食らいました。

「要求なんてない。スミレ殿をそちらにお返ししようと連れてきただけです」

 魔王達が疑いの表情を崩さないので、クレマチスは提案しました。

「ともあれ走り通しでスミレ様もお子様もお疲れです。この近くに誰もいない廃墟があります。そこで一休みといたしませんか」

「怪しい奴め。もし罠だったら首を刎ねるぞ」

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