第二幕
ここで、丘の城のお話と、現在のセコイア国の状況についてお話ししなければならないでしょう。
この丘の上の城には、ある血塗られた歴史がありました。
今から二百年ほど前です。この城はとある小さな国の王宮でした。丘の周囲の町や村はこの今は亡き小国の重要な土地で、スミレの先祖ワダン家はこの国では重要な位置にいる大貴族のひとつでした。
しかし、圧政に耐えかねて蜂起した国民達に王族は皆殺しにされ、混乱に乗じた当時のセコイア国の前身となる国に併合されました。
そのときにワダン家やこの周囲を治めていた有力貴族は爵位を下げられ土地を奪われ、セコイア国の末席に加えられたのです。
かくしてこの城は人の住まない廃城となりました。しかし、この城に誰も住まなかったわけではありません。住み続けていたのは、虐殺された王族の亡霊です。
亡霊達は魔界の不死者や死者が住まう国に移り住まなければならない予定でした。
しかし、亡霊達は栄華を誇ったこの城の暮らしからどうしても離れませんでした。そのため、死者の国はこの城を丸ごと死者の国の統治下に置いて、丘一帯は魔界では死者の国の領土になったのです。
そしてほんの数年前のことです。鬼の魔王グラジオラスは、死者の国にある宝物に目をつけ、死者の国と戦争をしました。魔王は実はとても頭の切れる人物で、欲しいものを手に入れる為によく戦争をして、その度に勝利していました。魔王の国は常勝の強国として魔界に君臨していました。
この戦争も勿論勝利し、魔王は宝物の他に、占領した土地も要求しました。
そこで死者の国は、人間界にある丘の城を差し出そう、人間の世界に興味は無いかと魔王に持ちかけました。
本当は死者の国の王は、丘の城にしがみつく亡霊達には手を焼いていました。なんとか処分したくてたまらない土地だったので、魔王の興味を引いて、くれてやることにしました。
これに、まだ若い魔王は興味を示しました。気分転換に遊べる別荘にちょうどいいと思ったのです。
お宝は手に入ったので、魔王はこの提案を受け入れることにしました。
そこで早速魔王は気の置けない下僕達を引き連れて、丘の城に移り住みました。
城にしがみつく亡霊達を蹴散らし、丘一帯に結界を張り、魔王はゆっくり羽を伸ばすことにしました。
それからの出来事は、既に皆さんがご存知の通りです。
そして、現在の丘の城の状況です。
丘の城に住む魔王は、麓の村の村長でいるのがつまらなくなりました。
魔王は、生まれながらに王者でした。一つの村の村長では満足できません。
それに、スミレを魔界の妃に迎える時、パンズィー伯爵を地道に口説き落とすのも面倒くさくなりました。
ハロウィンパーティーで仲良くなったシラカバ町もまとめて手に入れたい。
魔王にとってはやはり王者のやり方が一番簡単で気持ちのいいやり方です。パンズィー伯爵やヒノキ村やシラカバ町の領主達がセコイア国では立場が悪いことを知った魔王は、まとめて魔王の国に加えて、それなりにいい地位を与えようと約束してしまいました。
そしてセコイア国に何の断りも無く丘の周囲一帯の土地を魔王の国のものとしてしまったので、その事実を知ったセコイア国の王、ナスタチウム・アイフェイオン・オ・セコイアは、激昂しました。
ナスタチウム王はすぐさま書簡によって魔王に抗議しました。
しかし常勝国の王であり、魔族の王である魔王には痛くも痒くもありません。ナスタチウム王にはこう返事を出しました。
「この土地は既に事実上我が国ものとなっている。おとなしく認めなければこちらも戦争の用意がある。大飯食らいの大鬼を多数連れて行くので、下ごしらえをして待っているがよい」
この書簡にセコイア国は震え上がりました。おとなしく魔王に差し出すのが賢明ではないかという意見が大多数を占めました。
しかしナスタチウム王もおいそれと引き下がるわけにはいきません。何か交換条件は無いか……。
とりあえずナスタチウム王は丘の城一帯を調べさせました。するとどうでしょう、魔族達と村人達が実に仲良く生活しているのです。
そこでナスタチウム王は考えました。
魔族の圧倒的な武力を少しばかり貸してほしい、そうすれば、無駄な血を流すこと無く領土を認めようと。
しばらくにらみ合いが続きましたが、細かな妥協できるラインの微調整が行われ、やがて丘の城一帯の土地は「メタセコイア自治区」と名を変え、限りなく独立に近い形で自治を認められることとなりました。
魔王が支配する魔界の王国・サイプレス王国。その王城のサイプレス城で、魔王の母、オーキッド王太后が、スミレの懐妊の知らせを聞きました。
「なんと……遊びではなかったのですね、あの子。それは困りましたね。人間との間の子とは……」
王太后もまた、魔族と人間との間に子供ができるとは思っていなかったので、魔王が人間と結婚すると言い出したときは、ほんの遊びだと思って認めました。
しかし、子供ができたとなると、世継ぎの問題が出てきます。面倒なことになったと、王太后は思案しました。
「スミレさんが都合よく死にでもすれば、あの子も諦めがつくと思うんですけど……」
遣いの者もまた、スミレをあまり歓迎しない者の一人でした。
「いかがいたしましょう、陛下」
王太后はしばし考えると、遣いの者にある考えを耳打ちしました。
その日、スミレは魔界でやらなければならないことがあり、サイプレス城にやってきました。宰相アナナスの手伝いです。
アナナスとともに廊下を歩いていると、前方からオーキッド王太后がやってきました。アナナスとスミレは緊張しながら一礼しました。
「スミレさん、こちらにいらしてたのね」
「はい、王太后陛下。ご機嫌麗しゅうございます」
「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
無意識に自分のお腹に手を添えたスミレを見て、王太后はスミレの身体を案じました。
「体調はいかがですか、スミレさん。食事はとれていますか」
「はい、御陰様で、息災で、お腹の子も順調でございます」
スミレは本当はこの形式張った心の無い会話が非常に苦手で緊張していました。
ただでさえ叱られたり粗相をしたりしないか不安で堪らないところに、不意に王太后の本音がこぼれてしまいました。
「まともな子は生まれないでしょうけど、お大事にね」
この言葉に、スミレの作り笑顔が固まりました。深く心に突き刺さり、繋げるべき言葉が出てきません。
アナナスはスミレを察し、早々と挨拶を切り上げました。
「陛下、妃殿下はお疲れです。我々は公務がありますので、これにて失礼します」
「あら、ごめんなさいね。お大事に」
「……」
スミレは、顔を引きつらせたまま、無言で会釈することしか出来ませんでした。
アナナスは、スミレが傷ついているだろうことは気付いていましたが、釘を刺しておくなら今の方がいいと思い、スミレにしか聞こえない声で彼女に告げました。
「スミレ様、婚礼は認められても、ここは鬼の国なのです。まともな子が生まれても、まともな子が生まれなくても、生まれた子は幸せにはなれませんよ。……それだけは、覚悟しておいた方がいいです。間違いなく、幸せにはいきませんよ」
スミレは絶望に顔を青ざめ、アナナスの目を見つめました。
まさか、あの優しいアナナスが追い討ちをかけるようなことを言ってくるとは思わず、裏切られた気分になりました。
アナナスは、ふう、と溜め息をつくと、
「ま、それはまあ、今は横に置いておいて、公務に参りましょう。ちゃんと笑ってくださいね」
そういってスタスタと先に行ってしまいました。
後ろをついていくスミレは、激しい目眩に、もつれる足に、転ばないように歩くのが精一杯でした。
「アナナス、貴様スミレに何を言った」
「え?何の話ですか?」
鬼の形相と凄みを効かせた声で、魔王はアナナスを問いただしました。
アナナスはニコニコ微笑みとぼけています。
「とぼけるな。スミレが泣いていた。また飯を食わなくなってしまったぞ」
アナナスは瞳をきょろりと回して溜め息をつきました。
「現実を教えて差し上げただけですが」
「現実?」
「……いいですか、魔王様。俺がどんな身分か、あなたご存知ですよね?」
魔王はアナナスを真っ直ぐ睨んでいます。
「俺の先祖は悪魔族。吸血鬼の一族と子をもうけて、王家から外された。俺も本来王家の分家です。でも今は一貴族に過ぎない。縁あって魔王様に出会い、魔王様のお引き立てで宰相という地位をいただいた。それは感謝してますよ。ですがね」
背の高いアナナスは魔王を見下ろしました。魔王もアナナスを見上げました。
「魔王様、あなたは俺のような忌むべき血族を増やすのですか?正当なる王家の血を、また汚すのですか?あなたは困らないだろう。でも、困るのはあなたの子孫です」
魔王は言い返しました。
「私の目の黒いうちは誰にも文句は言わせぬ。生まれた子は正当なる後継者だ」
アナナスは、諦めたように魔王から離れました。
「……スミレ様が亡くなったら後妻に王位継承者を産ませた方がいいですよ」
「その必要は無い」
「……まあ、あの人が死んでからの時間だって、いっぱいありますから。そのうち」
魔王は腹が立ちました。しかし、アナナスの事情もわからなくはないので、その怒りも爆発には至らず、モヤモヤとくすぶった気持ちで唇を噛み締めました。
丘の城の寝室で、魔王はスミレを抱きしめました。
「スミレ。私はあまりこんなことは言わないが……。お前を愛しているのは、本当だぞ」
スミレは困惑しました。
「どうしたんだ、急に?」
「……だから……寵姫なんかいらない、後妻もいらない。お腹の世継ぎが無事に生まれたら、それでいい」
それを聞いて、スミレは、先日のショックな言葉を慰めてくれたのだと気付きました。
「……無理しなくていいよ。現実は厳しい」
「私がそんな物ねじ伏せる」
魔王は無意識に抱きしめる腕に力を込めてしまいましたが、お腹のことを思い出して、慌てて腕を緩めました。
「……ありがとう」
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