第3話 観察

 パスポートに書いてあった情報から王家の家系図を調べてみたところ、少年は三人いる幻王夫人のうち、最も身分の低い女の息子だということがわかった。

 王位継承権は最下位だが、王子であることは違いない。


 男が魔王の位を与えられたのは十年前、十一歳のことだ。それまでは〈魔操者の国メイズ・ランド〉の平民だった。

 王族どころか貴族との接点も皆無だった男にとって、本物の王子というのは雲の上の存在だった。そんな人が突然家に現れるなんて夢でも見ているような気分だった。

 いや、もしかしたら本当に夢を見ていたのではないかとさえ思えてくる。

 そんなことを考えながら迎えた翌朝、少年は約束通り〈ひとりの国アローン・ランド〉にやってきた。


「では観察を始めます。魔王様はいつもの通り過ごしてみてください」

「……」


 不本意ながら少年のパスポートに二つ目の入国許可の印を焼きつける。少年は沈黙を嫌がるように一人で時候の挨拶を述べながら、男がパスポートを返してくれるのを待った。


 男の生活は機械仕掛けの人形のように規則正しかった。

 午前中は家の掃除。ハタキやホウキを使い、隅々まで徹底的に綺麗にする。それらの道具は手を使うのではなく、全て浮遊魔法によって動かされていた。

 男は部屋の隅に立ち、目だけ動かして次にどこを掃除するか決めている。男から放たれる青白い魔力の流れが見えなければ、自律的に動く掃除用具を呆然と眺めているだけのように見える。

 そんな調子でじっくり一時間かけて、全ての部屋を掃除する。


 時計が鳴ると必ず用を足しに行く。そして五分後の時計が鳴る直前になると出てくる。

 少年がトイレに行く時間も決まっているのかと尋ねると男は頷いた。そして時計が示す時間以外は決して用を足すことがなかった。


 その次の時間では魔石を作る。きっかり十個の魔石を作ると男は力尽きたように椅子に座り込み、眠る。僅かに意識がある時もあるが、瞬きを繰り返すだけで微動だにせず、少年が何をしても反応を返さない。

 一定間隔で呼吸をしていなければゼンマイの切れた人形のようだった。


 時計が鳴ると目を覚まし、顔を上げる。キッチンに行って缶からビスケットを出すと、奇妙な香りのする茶と食べる。

 食事は一日二回で、昼も夜も全く同じ物を食べる。美味しいとも嫌だとも言わず、黙々と口に運ぶ。

 次に時計が鳴ると庭の水やりと草むしりをし、もう一度鳴ると午後の分の魔石を作った。

 全ての日課を男は時計の合図で進めた。


 観察は三日に及んだが、その三日の間、男はデジャブを感じてしまうほど全く同じ時間に同じことをして過ごした。


「何と言いますか、度を超えて単調な生活をしているのですね」


 パスポートに出国許可の印を焼きつけてもらいながら少年が呟いた。男はどういうことかと尋ねるように首を傾げた。


「だって、毎日全く同じことの繰り返しじゃないですか。しかもやっていることは殆ど食事と掃除と魔石作り。魔石は気絶するまで作っていて、一日の半分を魔力回復の睡眠に費やしている。家畜よりも酷い生活じゃないですか」

「……」

「しかも本当に一切喋らないのですね。この三日間、貴方の声を一度も聞いていません」

「……」

「はぁ、その仏頂面、口を利いたのが幻だったのではないかと思えてきますよ。こんな生活を送って退屈しないのかとか、訊きたいことは山積みなのに」

「……たいくつ、って?」

「やっと喋ったよ。って、まさか言葉の意味を聞いています?」


 男は頷いた。


「退屈は退屈というか、つまらないという意味ですよ。何も起こらないと気が滅入ってくるじゃないですか」

「……つまらない?」

「え? それも説明が必要?」

「……」

「言葉が理解出来ていないだけなのか、本当に退屈って感覚がないのか、イマイチわからないな……」


 言葉を覚えるのは子供の頃から苦手だった。話す練習をいくらしても滑らかに話せるようにならず、更に長い間会話を禁じられたことで余計に下手になってしまった。

 そんな事情を説明するのが億劫なほど他人と話すのは好きではない。

 しかし少年を追い返す方法が見つからない以上は会話につき合うしかないようだ。


「口を開いてくれたついでに質問してもよろしいですか? 魔王様って家の中はかなり徹底的に綺麗にされていますよね。なのに何故庭は綺麗にしないのですか?」

「綺麗……雑草、抜いてる」

「そうじゃなくて剪定の話ですよ。何なんですか、あの滅茶苦茶な庭は? 剪定をさぼりすぎて、生け垣の境目もわからなくなるほど絡まりまくりじゃないですか。あんな状態で放っておける神経がわかりません」

「……せんてい?」

「伸びすぎた枝を切って形を整えることです。本当に言葉を知らないんだな」

「ん……どうやる?」

「興味があるのですか?」


 興味があるのかと訊かれればある。生垣の形が崩れてきているのはずっと前から気になっていた。それを直せる方法があるのなら知りたい。

 しかし、だからといって少年から教わるのは気が進まない。代償が知りたいからと口では言っているが、結局本当のところは何を目的として来ているのかわからないのだから。


「まぁ、同じ生活を見せられても代償研究も進展しませんし、どうしてもというのでしたらお教えしますよ。これでも趣味は庭弄りですし、庭師も驚くほどの腕前を……」

「いい。時間、ない」

「はぁ? 時間がないわけないでしょう。雑草を抜いている時間を剪定にあてるとかやりようはいくらでもあるじゃないですか。大体、毎日抜いているせいで抜く雑草も根しか残っていない。草むしり職人にでもなるおつもりですか?」

「……」

「明日、草むしりに費やしている時間を剪定に当てます。代償を調べるためですので従ってください。聞き入れないというのなら、やはり貴方と言葉を交わした事実を……」

「駄目」

「だったら選択肢はありませんね。では今度来る時は剪定用のハサミを持ってきます」

「……ハサミ、ある。物置」

「何だ。ではそれをお借りします」


 弱みを握り、無理矢理合意させる。まるでやり方が〈支配者ロード〉と同じだ。少年の威圧的な態度に閉口しながら、男は出国許可を与えたパスポートを少年に返した。


  ◇


 翌日、昼。

 いくつにも分かれした枝のうち、生け垣の形を乱すように伸びた枝を切り落とす。

 地面から伸びた方向に一本、空に向かって伸びる方向に二本の二又の状態にするといいという少年の助言に従って行う。

 切り落とした枝のうち、花がついているものはバケツに入れておく。少年に言われた作業を男は淡々と繰り返した。


「そうです、その調子です。何だ、出来るじゃないですか」

「……」

「しかし、見事に全ての枝が二又になっているなぁ。もう少し適当にやってもいいのに」

「適当?」

「何も全部の枝分かれを二又にしなくてもいいと言ったのですよ」

「何個に、一個?」

「適当は適当ですよ。面倒臭い人だなぁ」


 少年は黒い手帳を取り出し、メモした。〈ひとりの国アローン・ランド〉を初めて訪れた日からしている行動だ。代償と関係のありそうな事柄を書き留めているらしい。


「それにしても、一つの生垣を整えただけで見違えましたね。ここ、生垣がこんなになる前はかなり綺麗な庭だったんじゃないですか? 元々は誰が手入れしていたのです? いたのでしょう? プラチナローズなんて余程の手入れ好きじゃないと育てないですよ」

「……」

「もしもーし。質問しているのです。無視しないでください」

「なんで、知りたい?」

「代償に関係のある可能性のあるものは何だって知りたいですよ」

「関係、ない」

「ならばその根拠を示してください。でないと納得出来ません」


 あくまで引く気はないらしい。〈支配者ロード〉に禁止されているわけでもないので渋々語ることにする。


「母さん、の、ため」

「薔薇の管理をお母様に頼まれたのですか?」

「違う。母さん、灰になった、僕のせい。あ、謝りたい……謝れない。だから、守る……母さんの、薔薇」

「魔王様のせいでお母様が死んだとはどういうことですか?」


 男は黙って首を振った。


「前から思っていたのですけど、イエスノーの質問以外で首を振らないでもらえませんか? 何が言いたいのかわかりません」

「ん……」

「それで、今首を振ったのはどういう意味ですか?」

「わからない。えっと……死んだ理由、が、わからない。でも、わかる。灰になったの、僕のせい」

「お母様が亡くなったのはいつですか?」

「八歳」

「魔王様って今いくつなのですか?」

「二十一歳」

「ということは十三年も前の話。その間、毎日水をやり、雑草を抜いていたと?」


 男は頷いた。


「八歳……草むしり、水やり、だけ。薔薇、触る……母さん、怒った。切れなかった」

「なるほど、そうして正しい手入れ方法を教えてもらえなかった結果がこのカオスですか。それで、何故貴方のせいでお母様が亡くなったと思ったのですか?」


 どう説明したらいいのだろうと思った。

 当時のことは嫌というほど覚えているが、上手く言葉で説明出来る気がしない。

 しかしこのまま黙っていても少年は納得してはくれないだろう。


 男の視線は自然と二階にある自室へと向けられていた。

 あの部屋には日記がある。四歳の頃からつけているものだ。

 壁一つ分の棚いっぱいになった日記のうち、八歳の頃の物を見ればそれで伝えられるかもしれない。


「あの、魔王様? わからないならわからないでいいので、何か言っていただけませんか?」


 あまり待たせない方がいいと思い、男は魔法を展開した。男の部屋の窓がひとりでに開き、中から一冊のスケッチブックが飛び出してくる。

 男は右手を上げてそれを受け止めると、少年に差し出した。


「何ですか、これ?」


 少年がスケッチブックを開くとまるで景色をそのまま切り取ったような精緻なスケッチが現れた。次の頁も更に次の頁も男と女の大人が一人ずつ描かれている。


「これって魔王様が描かれたのですか? 驚きました。王室お抱えの画家よりも上手じゃないですか」

「……」

「で、何なのですか? ここに描かれている人物がお母様の亡くなった理由とどう関係があるのですか?」

「父さん、母さん」


 スケッチブックに描かれた男と女を指さし、言う。

 母親は今にも掴みかかって来そうな恐ろしい剣幕でこちらを睨んでおり、父親がそんな彼女を半ば羽交い締めにして抑え込んでいる。背景に見える男の自室には物が散乱し、机の上にはぐったりした猫がいた。


「これ、どういう状況ですか?」

「母さん、怒ってる」

「それは見ればわかりますよ。何故怒っているのかと訊いているのです」

「猫、庭、来た。部屋、連れてった。母さん、怒った」

「猫を隠れて飼おうとしたということですか?」

「飼ってない。助けた。か、可哀想、だから」

「そういえばこの猫、かなり衰弱しているようですね。助けようとしたのに、こんなに怒られたのですか?」


 うんと男は頷いた。少年が更に頁をめくると喧嘩している両親の絵や、泣いている母親の絵が出てきた。

 絵を見れば見るほど少年は顔を曇らせていく。


「これって話から察するに、魔王様が見た光景なのですよね?」

「日記」

「日記って、文字は一つもないじゃないですか」

「……」

「まぁ、本来人に見せる物でもないですし、自分でわかればいいのでしょうけど」


 日記を注意深く観察していると、男がその後も様々な動物を部屋に連れ込み、その度に母親が激昂していたことがわかった。

 時々慰めるように顔を覗き込み、結晶魔法で作った不格好な蝶を飛ばしている父親の姿があった。

 記憶に焼きついた父親の表情を見ていると懐かしい気持ちになる。

 いつも父親は味方をしてくれた。母親に怒鳴られて怖い思いをしても、父親がいたから堪えられた。


「え……。何、これ……」


 最後の頁を開くと、そこには椅子で項垂れた母親の姿があった。一見、疲れ切って眠ってしまっているようだが、少年には何故だか彼女が死んでいるのだとわかった。

 流血しているわけでもなければ、肌が変色しているわけでもない。しかし絵を見ているだけで死臭が漂ってきそうなほどの得体のしれないおぞましさがあった。

 少年は徐にスケッチブックを閉じ、男に返した。その顔は青ざめ、手も僅かに震えている。


「……自殺ってことでいいんですよね?」

「毒、飲んだ。僕も」

「魔王様も?」

「母さん、言われて」

「それってもしかして、無理心中を図ろうとしたということですか?」

「むり……なんて?」

「無理心中、家族を巻き込んで自殺することですよ。追い詰められてどうにもならなくなった家庭が取る最悪の手段です」

「むりしんじゅう、かは、わからない。でも、生きてる。僕」

「まぁ中には生き残ってしまう人もいるでしょうが、正直そのような壮絶な過去があったなんて、何と言葉をかければいいかわからないです」


 母親に言われて酷く苦い液体を飲んだ後、男は瞬く間に意識を失った。

 そして酷い寒さに震えながら目を覚ますと、まさに日記に描き残した光景が広がっていた。

 異変に気づき駆けつけた父親に介抱してもらい、男は一週間かけてようやく元の体調に回復した。

 しかし男が寝込んでいる間に母親の葬儀は進められ、次に目にした時は抱えるほどの大きさの瓶に詰まった白い灰になっていた。


「真実はわかりませんが、確かにそのような死に方をされては自分を責めてしまう気持ちも理解出来ます。薔薇を大切にしたくなるのも当然でしょう。だったら尚更綺麗にしないといけませんね」

「ん……」


 突然投げかけられた同情の言葉に男は面食らった。少年はそれまでの優しげな表情から一変、いつもの不機嫌そうなしかめっ面に戻ってしまった。


「何ですか? 何か不満でも?」

「なんで? 君……僕、嫌い、じゃない?」

「別に好きでも嫌いでもないですが」

「代償、馬鹿に、したい……違うの?」

「は? 見ればわかるでしょう。私は貴方を馬鹿にしに来ているのですよ。時間の代わりに〈夜の子ノクス〉が失ったものがどれほどくだらないものか、〈魔操者の国メイズ・ランド〉の王子たる私が直々に見定めてやろうと思ってね」

「……」

「怒りましたか? ええ、当然でしょう。誰にだって多少なり自尊心はありますからね」


 少年は取り繕うように意地の悪い笑みを浮かべながら、腕を組んでふんぞり返った。

 そんな少年を見て男は違和感を覚えた。しかしその違和感の正体が何なのかはいくら考えてもわからなかった。

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