第18話 外の世界
叔母から父親の壮大な計画を聞かされ、男も少年も迷っていた。
これ以上人を殺したくない。そのためには外に行くしかない。
叔母は力を貸してくれると言ったが、本当に外に行くことなど可能なのだろうか?
「エグ、少しいいですか?」
叔母の話を聞いた翌日、魔石を作り終えた男に少年が話しかける。手には折り畳まれた状態の古びた羊皮紙を持っていた。
「それ、父さん、見つけた……」
「はい。〈
「グレータイル、王国?」
「私達のいる国の名です。〈
「知らなかった。グレータイル、王国……王様は、聖王様?」
「そうです。エルモンド王家は〈
本来であれば王子も監視対象だが、冷遇されていたお陰で自由に動けるのだと少年は皮肉を言った。
「お察しの通り、この地図は禁じられた知識そのものです。羊皮紙の中を見ればその瞬間エグも罪人になります。それでも見ますか?」
「見る」
「即答ですか。凄く重い罪なのですよ。わかっています?」
「人殺し、より、軽い」
「まぁ……。わかりました。開きますよ」
少年は羊皮紙を開き、男に見せた。
特徴的な書式で中心にグレータイル王国と書かれているのがわかる。王国を取り囲むようにして森が広がり、その外に五つの国が隣接しているようだ。
地図で見ると、外の世界がこんなにも近くにあったのかと驚かされる。いつか〈
「グレータイル、小さい」
「規模は小さいですが重要な国です。何しろ精霊の住む聖域を擁しているわけですから。〈
「〈
「その昔、〈
「こ、困る。外、出ないと」
「……というのは〈
少年は地図に描き込まれた黒い点を指差す。
「この点は幻術の術式が刻まれている場所です。効果範囲は大体この程度なので……」
少年は男に幻術の効果範囲を示す輪を作ってもらい、点が中心になるように置いていった。すると東の方角に円が重なり合わず、内側から外側まで途切れることなく繋がった一本の隙間が現れた。
「理論上はこの隙間を通れば幻術に惑わされることなく進めます。そして私は本当にそれが出来るのかどうか調べるために虹魔法を使いました。そしたら……」
「外、見れた?」
「はい。魔力の霧の隙間を縫うようにして進むことで、幻術に囚われることなく進むことが出来ました。恐らく実際に歩いてもこのルートであれば通り抜けられるでしょう。それから私は東側に位置するイース公国の景色を見ました」
少年は地図を指差しながら見た光景を語った。〈
街の向こうには深い青色の海が広がり、煙を吐き出しながら蒸気船が進んでいる。海をずっと先まで行くと人の住んでいない小島があり、動物の楽園となっている。更に行くと大陸が現れ、変わった装束を着た人間が住んでいる。そこでは魔法と呼ばれるものはないものの、霊的な力によって奇跡を起こす祈祷師がおり、占いで国が治められている。
話を続けるうちに、気がつけば少年の指先は地図の外にまで達していた。とんでもなく遠くの景色を見ていたことを改めて実感させられる。
「凄い、遠い」
「〈
景色を見た時のことを思い出しているのか、少年は物思いに耽るように暫く古地図をぼんやりと眺めていた。
「憧れだったんです。子供の頃に書庫でこの地図を見つけてからずっと外の世界を夢見て、外について記された禁書を読み漁り、想像を膨らませてきました。私が住んでいたのは元々王家の隠れ家のような場所で、地下にあった書庫も存在を秘匿されていたので〈
「君の、憧れ……父さん、作ってない。きっかけ、父さん。でも、憧れたの、君。それ、君、作った、気持ち」
「エグの叔母様と同じことを言うのですね。確かにきっかけはともかく、憧れたのは私自身です。外の話を聞く度にワクワクするこの気持ちは、誰に強制されたのではなく間違いなく自分のものだって言っていいのですよね」
「うん」
少年は認めてもらえたことが嬉しかったのか、僅かに微笑んだ。
「エグはどんな危険を冒してでも外に行きたいのですよね?」
「他、ない。殺す、やめる方法」
「エグの人となりを考えればそう思うのは当然だと思います。全く悩まないというのが凄いんですけど」
「君は? なんで、悩む?」
「だって、〈
「僕は、一緒、いい」
「どうせすぐ死ぬのですよ。私が死ぬということは、葬儀をやるのもエグになるのです。出来るのですか? 私の体を燃やして、灰をまくのですよ? わかっています?」
「する。頑張る」
「はぁ。どうしてわざわざ大変な方の道を選ぶのですか? 一人で行けばいいのに」
「君、外、好き。君、嬉しい。なら、行く、一緒」
「要するに、損得勘定が出来ていないというわけですね。私を喜ばせるためだけに失敗のリスクを増やすなんてどうかしています」
「どうか、してない。君と、僕、友達。頑張る、当たり前。一緒に、行こう。ね?」
少年は困ったように二色の髪を指ですいた。根元から出た錆色の部分は明るい金髪を殆ど呑み込み、もう小指の長さほどしか残っていない。
残された時間の短さを確かめるように髪を一瞥した後、少年は邪念を払うように息を強く吐いた。
「わかりましたよ。私も行けばいいんでしょう、行けば」
「うん。じゃあ、行こう」
「……生まれてきた意味とか、死ぬ前にどうしたいとか、考えてもよくわからないですし。エグがいなくなって一人で家に残っていても、いい答えは得られなさそうですからね」
少年の言葉を聞き、男はまた自分が少年の気持ちに全く寄り添えていなかったことに気づいた。生まれてきた意味、それが欲しくてたまらないのは知っていたはずなのに。
「生まれた意味……僕も、よく、わからない」
「エグの場合は考えたことがなかったのでしょうね」
「うん。君、悩んでる……僕も、気になる」
「まぁ、エグはこれから見つけていけばいいじゃないですか。時間さえあれば見つかりますよ、いくらでも」
そういうものなのだろうか? どうもピンと来ない。
浮かない顔をして首を傾げていると、話題を変えるように少年が問いかけてきた。
「私が〈
「代償、調べるため?」
「そうです。自分が〈
「でも、今、君、見下してない」
「だって、想像以上に深刻だったから。死が理解出来なくて、死ぬ恐怖がわからなくて、だからエグもすぐに死にそうになる。時間で決めないと排泄や食事も忘れる、息すら忘れて倒れるからマスクが欠かせない、正直言って危なっかしさ極まりない体質だと思います。しかも本当は言葉が全く理解出来なくて、人と同じようには意思疎通も出来ない。エグが失ったものを知って、代償という言葉の意味を正しく理解したような気がしました。普通に五体満足で生きてこられた自分と比べればずっと可哀想だなって」
「……僕は、可哀想、じゃない」
「あ……すみません。気分を害したなら謝ります」
「ううん。怒って、ない。代償、知らない……あんまり、困らなかった。言葉、変、知ってた。でも、話せない、フリ……ん、あ、ずっと、話さない。だから、皆、知らない。変、言わない。悩まない。か、可哀想、じゃない。でも、君、悩んでる。泣いて、怒ってた。そういうの、僕、ない。悩む、は、可哀想」
「そういう考え方もあるのですね。なるほど……」
「息、止まる、苦しみ。体、痛い、辛さ……わからない。苦しい、辛い、沢山は、大変。それも、可哀想」
「そうですか。やはりエグは私に色々なことを教えてくれますね。事実は一つでも、人によってどう捉えるかはまちまちで、だから自分一人で導き出した答えなんてあてにならない」
少年は感慨に耽るように表情を和らげた。
「最初は見下すことが目的だったのに、いつの間にか色んなことを知るきっかけになって、思いもよらないような経験をして、本音を言える友達が出来た。嫉妬して、意地悪になって、そんな自分が嫌なのにどうにもならなかった私が〈
「あれ、僕の、わがまま。誰か、喜ばせたかった。僕、悪者。でも、悪者、やめたい」
「罪の意識なく人の命を奪ってきたことを咎める人もいると思います。でも私はエグの善意を信じていますから。ちゃんと変われるって思っていますから」
「ありがとう」
「それで話を戻しますけど、もしかしたらエグと一緒に行けば私の欲しい答えも得られるんじゃないかと、そんな淡い期待をしています。外に出たくらいで答えが得られるとは思えませんが、何が起こるかわからないからこそ賭けてみようと思います」
「変わると、いいね」
「はい」
心は決まった。あとは運命の日を待つのみだ。
男と少年は男を追跡してくるであろう〈
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