第17話 計画

 馬車は深い森で止まった。叔母の声で荷台を降りた二人の目の前に広がっていたのは、不思議な光が飛び交う澄んだ泉だった。


「これってまさか……」

「お察しの通り、精霊の住処、聖域です」


 男は何を話しているのか少年に尋ねた。説明のために絵を描こうと手帳を開いた少年の手を叔母がそっと止めた。


「少し待っていてください。すぐに済みますから」


 叔母が男を手招きし、二人で泉の前に立つ。右手を上げると一つの光が止まり、よく見慣れた精霊の形に落ち着いた。

 驚き、目を丸くした男の前で叔母が精霊に何かを囁き、精霊がわかったというように光を明滅させている。

 精霊がリンリンと鳴きながら男の額に触れた瞬間、頭の中で電気が走るような衝撃があった。驚いて後退した男に、叔母がゆっくりとした調子で問いかけた。


「私の言葉がわかりますか? エグ」


 驚いたことに叔母の発した言葉が正確に聞き取れた。男は何が起きたのかわからないまま、ゆっくりと頷いた。


「喋れますか? 貴方の名前は?」

「え……エグバート」


 ずっと言えなかった名前があっさりと口をついて出る。一度話せるようになってしまえば、つい先程まで言葉に不自由していたのが嘘のようだった。


「一体これはどういうことですか?」

「十五年前、私はエグの才能が〈支配者ロード〉に悪用されようとしていると兄さんから聞かされ、この聖域にやってきました。そして禁呪を使って精霊と契約を結び、エグに言葉を理解する力を与えました。しかし契約の効果があるのは精霊が姿を保てている間だけ。精霊が〈支配者ロード〉の鎖に打ち消された時、精霊と結んだ契約も効果を無くしてしまったんです。ですが聖域の中であれば精霊は姿を保つことが出来ますから、契約も、契約によって得た効果も復活させることが出来るというわけです」

「禁呪とは?」

「因果の改変、わかりやすく説明するなら、人為的に〈夜の子ノクス〉を作る術です。膨大な魔力を必要とするため、術を発動した者にも大きな対価が求められます。私は若さを対価にその術を使い、エグが代償として失ったものを一部返しました。言葉を話せるようになると、魔眼と称して差し支えない視力が失われるのはそのためです」

「若さを対価に……。貴方のその姿は変装ではなく禁呪を使った結果だったのですか」


 子供の頃の記憶が間違っていなければ、叔母は父親より五つ年下だったはずだ。今の実年齢は三十八歳の計算になる。しかし見た目は七十歳近くといったところか。


 少年の質問はその後も続いた。まるで限られた時間で知りたいことを全て聞き出そうとするように矢継ぎ早に問いかけていた。

 しかし男にはそれらの情報に大した意味があるようには思えなかった。


「あ、の……」


 呟くような微かな声に少年も叔母も会話をやめた。


「言いたいことがあるのなら言ってごらんなさい、エグ」

「ん……なんで、黙ってた? 叔母さん……ずっと、いた。か、隠してた。知らなかった。ひとりぼっち、じゃない、なら……あ、会いたかった。もっと、前に……」

「寂しい思いをさせたことについては、申し訳ないとしか言えません。しかし、決して私の正体を〈支配者ロード〉に知られるわけにはいかなかったんです。秘密を守り通す最も有効な方法は秘密を自分の心だけにしまっておくこと。だから貴方にも伝えるわけにはいきませんでした。信頼していないというわけではありません。どこで誰が何を見聞きしているかわかりませんし、ほころびはというのはほんのちょっとしたきっかけで大きな裂け目に転じてしまうものですから。それに兄さんの計画を成功させるためにも、私の干渉は最低限に留めなければなりませんでした」

「計画? 父さん、の?」

「ええ。そろそろ本題に入りましょう。全てをお伝えする時が来たようです。兄さんが辿った軌跡を、私が兄さんと交わした約束と使命を」


 叔母は筒のような物を取り出し、男に渡した。表面に刻まれた術式から一目で魔道具の一種だとわかった。


「これは兄さんが術式を刻んだものです。効果は記憶改竄と同じですが、消される記憶はありません。兄さんが体験した日々を新たに記憶に刻み込むだけです。私が語って聞かせるより正確で、兄さんの遺志も伝わるでしょう。フレデリック様、どうか貴方もご一緒に」

「私もですか?」

「はい。兄さんの計画の要は二人目の主人公、つまりフレデリック様にあります。どうか」

「……わかりました」


 二人は向かい合って立ち、心の準備は出来たと目で示し合うとボタンを押した。

 筒に刻まれた術式が白く光り、魔力が浸透していく感覚があった。

 様々なイメージが重なり合い、自分の記憶として焼きついていく。意識が遠のき、二人はゆっくりと目を閉じた。


  ◇


 〝僕〟は両開きの扉の隙間から立派な邸宅を見上げていた。エルモンド王家の第三王妃様の住んでいる家だ。

 とても僕のような平民が気軽に来られるような場所じゃあない。だからノーラが動かしている〈支配者ロード〉の馬車に身を隠して、こっそり覗き見ている。


「この場所なら大丈夫だ。〈支配者ロード〉に見つかったら、移動してくれ」

「魔眼を開いている間の兄さんはポンコツですからねぇ。しっかりとお守りしますよ」

「はは。頼りにしてるよ」


 時間は限られている、僕は指で両目を撫でて見開いた。細い隙間から見える邸宅が揺らぎ、家の中が透けて見えてくる。

 茶会を楽しんでいるのは王妃様とそのご友人か。王妃様は包み込むような笑みを浮かべていて、噂通り慈愛に満ちた方なんだとわかった。

 なんて見惚れている場合じゃないな。

 王妃様の顔から視線を少し下げ、その腹に集中した。王妃様の瞳と同じ赤い魔力の光が見える。

 これはもうすぐ生まれてくる王子が放っているものだ。

 その光に集中したまま、時を更に遡る。見えてきた。命が宿った瞬間、火が灯るように赤い魔力が輝き、その中に精霊と同質の月色の輝きが揺らめいている。


「視えますか?」

「うん。やっぱり〈月の子ルクス〉だ。綺麗な月色だよ。エグの闇をそっと照らしてくれそうな」

「全く、兄さんの頭の中がどうなっているのか見てみたいものです。どうして〈月の子ルクス〉が生まれるとわかったのか、説明を聞いても私にはさっぱり理解出来ません」

「簡単な話だよ。〈魔術師ウィザード〉が見つけた太古の因果律と〈支配者ロード〉が見つけた現代の魔法理論、それらを総合的に考えて導き出される法則と僕がつけていた聖域の魔力の流れの観察記録を照らし合わせれば……」

「何度聞いてもわからないものはわかりません」

「ああ……はい」


 魔眼に力を込め、もう少し過去へ遡っていく。王妃が他の王妃から高貴な言葉で飾られた低俗な悪意をぶつけられているのが見える。

 王妃は決して上流階級とは言えない貴族の出で、周囲から卑しい身分だと蔑まれていたらしい。

 そういう話は正直興味ないけれど、今は我慢して見るしかない。


「ノーラ、君は魔力を持たずに生まれ、〈支配者ロード〉に処刑されるのを避けるためにずっと僕に魔石を作ってもらっていた。二人分の魔石を作っては昏倒する僕を見て、君は自分がお荷物だと激しい自己嫌悪に苛まれ、何度も死のうとしていた」

「どうして今そんな話をするんですか?」

「重要なことだからさ。そんなノーラがある時呟いていた言葉が気になってね、僕はその日の会話を見直したんだ。僕がもし何でも一つ願いが叶うなら何をしたいか尋ねた時、君はなんて答えたか覚えているかい?」

「さぁ。私の人生なんて、振り返る価値があるとも思えませんから」

「君は外に行きたいって言ったんだ。魔石を作らないでも生きることを許され、誰の監視も受けずに自由に出掛けてみたいってね」

「娘の姿を捨て、不幸な死を遂げた〈支配者ロード〉のパスポートを奪った時に名前も捨て、可愛いノーラでなくなったことで私の願いは叶いましたが」

「お婆さんになったノーラも可愛いさ」

「嘘ばっかり」

「僕は意味のない嘘はつかないよ」

「それで、私の昔の願いが〈月の子ルクス〉とどう関係するというんですか?」

「この〈月の子ルクス〉は卑しい女の息子として王族達から軽蔑され、生来の強い魔力がもたらす圧倒的な魔法の才が嫉妬を買う。華やかな世界に身を置きながら、陰湿な嫌がらせを受けることになる。さて問題です。この子は何を考え始めるでしょう?」

「外に行きたいと考えるようになると言いたいんですか?」

「ご明察」

「人の人生をそうやって決めつけるのはどうかと思います。こじつけではありませんか」

「こじつけなんかじゃない。星が降ってくるような天変地異でも起こらない限り、過去と現在の点を繋いだ先にある未来は一意に決まる。その確度は予言と言っても差し支えはない。人の行動というものはある程度そうして予想が出来るものさ」

「私と同じように死にたいと考えるかもしれませんよ」

「考えないさ。まぁ、その根拠はちょっと口では説明が難しいけれどね」


 魔眼が見せる過去の光景を視ていると、僕が立てた仮説を裏づける証拠がいくつも出てくる。

 僕は計画が上手くいくと確信してほくそ笑んだ。


「そうやって未来を予見出来たんだとしたら、ミラの自殺だって防げたはずでしょう」


 ミラ、つい先日冷たくなった妻の名だ。唐突にその名を出されて僕の胸は嫌な音を立ててざわついた。

 けれど僕は敢えて笑顔を浮かべて、平然とした調子で返した。


「いや? ミラはいつか死ぬだろうなって思っていたよ。何を隠そう家に毒薬を置いていたのは僕だ」

「なんですって! あんなに大切にしていたパートナーでしょう? それを!」

「だからさ。ミラを救うにはエグを見殺しにするしかない。けれどエグを死なせれば息子を愛せなかった自責の念からミラは死ぬ。僕は晴れて妻と子を無くしたひとりぼっちの男になる。そんなのはまっぴらごめんさ。だから僕はエグを選んだんだ」

「兄さん……昔から時々何を考えているかわからないと思っていましたけど、こんな、こんな冷たい人だったなんて」

「ノーラはそう言うだろうね。なにせノーラは僕に救われた側だ。僕に救われてきた過去とエグのために必死になっている今の僕を見れば、ノーラが僕に抱くイメージは家族を守る理想の父親になる」

「難しい言葉で本音を隠すのは兄さんの悪い癖です。本当は何を考えているんですか?」

「至極簡単なことだよ。ありふれた幸せな家庭を夢見た僕は〈夜の子ノクス〉を授かった。その子は死が理解出来ず、言葉が話せず、生まれつき戦闘の才に恵まれていた。その才のお陰でマスクが無ければ死んでしまうようなひ弱な子は〈支配者ロード〉に手厚く守ってもらえることになった。六歳のエグが〈支配者の国ローズ・ランド〉に連れていかれた一ヶ月の間、そうたった一ヶ月だ、そんな短い間にエグは五十人も殺したんだ。本人はそれがどれだけ罪深いことなのか理解しないまま。エグの誕生は僕にとって、まさに予測不能の天変地異だったんだよ」

「……だから私は精霊との契約を果たしたんです。少しでもその罪を理解出来るようになってもらいたくて。結局、回復したのは死への理解力ではなく言葉の方でしたが」

「ああ、そのノーラの勇気には頭が上がらない。僕がこの計画を立てようと奮起したのは誰よりも先に君がエグのために命を張ってくれたからだ」

「安いものです。どうせ生まれた時から価値のない命ですから」

「違う。それは違うよ、ノーラ」


 って、今のノーラに言ったところでわかりはしないか。話を戻そう。


「兎に角だ、君が禁呪を使ってくれたお陰でエグは本来の視力を失い、訓練は中止されて家に返してもらえた。覚えた技を忘れないようにするために、月に一度は動物の剥製を作らせろなんていう悪魔のような条件は課されたけどな。破れば僕やミラが処刑されてしまう。尤も、〈支配者ロード〉の狙いは僕とミラを消すことだったんだろうさ。魔眼を奪われた当てつけってやつだ。正しい倫理観を持った親なら、子供に動物虐殺を続けさせるなんて耐えられない。詰んでいたんだよ、ミラは」


 外に出れば僕が何もせずとも事故的にエグが自分の罪に気づけるタイミングはあっただろう。けれど欠けた物を怖がるエグは家を出たがらない。

 エグを狂人として育てるしかない自分が本当は悔しくてたまらない。

 狂人になるのは僕だけで十分だろうに。


「兄さんは平気だったんですか?」

「僕は全部予見していたからね。心の準備が出来ていることは冷静に対処出来る。だからエグがどれだけ仕留めた動物を見せてきても僕は笑顔を崩すことはない。ミラが死んでも僕は笑っていられる」

「どうしてそんな風になるまで……」

「僕は決めたのさ。エグのことは死なせない。殺戮者の道から救い出し、一人の人間として真っ当な未来を授ける。僕はエグを生かすためにミラを犠牲にした。犠牲にしなければならなかった。ああ、最愛の人だったよ、ミラは。ミラが笑えば世界は光り輝いていた。丁寧に薔薇の手入れをするミラを眺めているだけで、僕は世界が嫉妬するんじゃないかと思うほど幸せな気持ちになった。そんなミラを僕はエグと秤にかけて見捨てた。この咎は何があっても許されていいものじゃあない! だからエグには幸せになってもらわないといけないんだ。ノーラも覚えているだろ? 言葉を得る前のエグは四六時中奇声を上げていた。あれはあいつなりの言葉だと、親心としてそう解釈するのは可能だ。でもあれは奇声であって言葉じゃないんだ。言葉がわからないんだから、当然だよな? そりゃあエグは絵や結晶で上手いこと考えていることを伝えてくれたさ。エグはエグなりに物を感じて、一生懸命考えていることもわかってはいた。でも、でも、僕は望まずにはいられなかった。他の子供と同じように言葉を交わして、当たり前の日常を送ってほしい。普通に友達を作って、普通に出掛けて、普通に生きる喜びを感じてほしいって……。もう僕は嫌だよ。呼吸を忘れて無自覚に死ににいくエグの虚ろな目を見るのは。ちゃんと大人になれるのか、自分で大切な人を見つけられるのか、そんなことばかり考えて先の見えない絶望感に苦しむのは。君は、エグの代償を少しでも治してくれた。初めて言葉を発したエグを見て僕は強く思ったよ。たとえ悪魔に魂を売ろうが、エグを治せるなら治してやりたいってね」


 もしかしたらエグは望んでいないかもしれない。言葉を持たなかった体に無理矢理言葉を教え込むなんていい迷惑かもしれない。

 けれど僕はやっぱりエグと沢山話がしたいんだ。変わってほしいと願わずにはいられない。


「だから僕は僕のエゴでエグを生かす。祖国を敵に回し、運命を捻じ曲げてでも」

「その計画のために〈月の子ルクス〉が必要だと言うんですか?」

「その通り。〈月の子ルクス〉でないとエグを救うことは出来ない。そしてここからは僕の願望が入るけど、エグは〈月の子ルクス〉の願いを叶える存在になる。互いに望む未来が得られるんだ。僕が予見している通りに二人が動いてくれれば、だけどね」


 僕の過去を見透かす魔眼は王妃の家の地下にある書庫を映していた。奥の方の棚に古びた地図がある。

 しかもその隣にあるのはこれまたとんでもないことが記された本じゃないか。探し物が二つも見つかるなんて、ついているぞ、僕は。


「ノーラ、お願いしたとおり精霊は連れてきているね?」

「〈魔操者の国メイズ・ランド〉の中であれば、多少魔力を発していても誰も怪しみませんから」

「それじゃあ、あの家の地下書庫の鍵を壊すように命令して欲しい。場所を説明するから精霊に伝えて」


 僕はスケッチブックを開き、見えている光景を写した。

 こういう時、エグのように絵が上手ければと思う。エグはこれでも何の絵を描いているか読み取ってくれるけれど、子供の落書きレベルの絵を見ると我ながら情けなくなる。


 スケッチブックに地図と書物の位置を描き込み、ノーラに渡す。

 ノーラは理解したと頷くと、コートの下に隠していた精霊をそっと邸宅の方へ放した。


  ◇


 魔法の効果が切れ、男は目を覚ました。少年も動揺が隠せない様子で男と顔を見合わせ、叔母に問いかけた。


「私とエグが出会ったのは、エグのお父様の計画のうちだったのですか?」

「はい、そうです。私が何度もフレデリック様に手紙を送り、エグに会いに行くよう仕向けたのは兄さんの計画を成功させるためでした」

「その計画とは一体何なのですか? 私がエグの願いを叶えるという話も、エグが私の願いを叶えてくれるという話も、全くピンと来ないのですが」

「フレデリック様、質問があります。貴方が〈月の子ルクス〉だと気づいたのはいつですか?」


 少年はどきりとした表情を浮かべ、顔を曇らせた。


「何故そのようなことを訊くのですか?」

「重要なことです。エグに教えると思って話していただけませんか?」

「……半年前です。元々他の〈魔操者メイジ〉と比べて私の魔力が妙に強いことは知っていましたが、髪の色が急に変わって理由がわかったと言いますか……」

「自分の寿命が迫っていると知った時、貴方はその力を使ってあることをしたはずです。それは何ですか?」

「それは……」

「外、見た。違う?」


 少年も叔母も驚いた顔で見てくる。何が意外なのかわからず男は首を傾げた。


「その話、言葉を無くしていた時にしかしていないのに」

「ん……あ、口、見てた」

「まさか、話をする私の口の動きを全て記憶していて、尚且つ唇を読んだのですか?」

「そう」

「いやいやいや……記憶力よすぎるだろ」


 少年は表情を引きつらせ、迂闊に内緒話も出来ないと落ち着きなく腕をさすった。


「エグも知っているんなら、話は早いです。兄さんの計画はこの閉ざされた国からの脱走。貴方達がその決断をした時のため、私と兄さんは準備を進めてきました。もし貴方達が外に出る選択をするならば、全力でお手伝いするつもりです」

「外に出る? まさか、無理ですよ。私達は〈支配者の国ローズ・ランド〉すら容易には入れないのに」

「お忘れですか? 私は〈支配者ロード〉ですよ。貴方達を匿ったまま〈支配者の国ローズ・ランド〉に戻るくらい、造作もないことです」


 そう言って叔母は〈支配者ロード〉の証である灰色のパスポートを見せる。


「それに、他にエグが殺戮者にならずに生きていく道がないんです。〈支配者ロード〉が〈魔操者メイジ〉のために〈ひとりの国アローン・ランド〉という特別な国を作るなんて前例のないこと。それだけ手塩にかけきた相手を〈支配者ロード〉がみすみす手放すとは思えません。自由を手にするためには〈支配者ロード〉の勢力の及ばない地へ逃げなければなりません。そう、外に」


 叔母に言われた突拍子もない提案に男も少年も戸惑いを隠せなかった。


「勿論、エグが魔術兵として国に残るという選択をするなら、止めはしません。エグの人生はエグのものですから」

「待ってください。そもそもエグは死刑を執行しているだけで、魔術兵として戦っているわけではありません」

「近い将来、この国は隣国との戦争を始めます。〈魔操者メイジ〉には伏せられていますが〈支配者ロード〉なら誰もが知っていることです。正確にはエグ、貴方の戦う準備が整う目処が立ったので侵攻開始まで秒読みと言うべきでしょうか」

「ど……どういう、こと? 僕、戦う、言ってない」

「詳しくはわかりませんが、無理にでも戦わせる方法を見つけたんでしょう。誰も私のようなしょぼくれた老婆には警戒などしません。だからコーチの中から聞こえてくる〈支配者ロード〉達の会話から情報を集めることが出来ました。そこから見えてきたのですが、通常の魔術兵は飛行能力によって敵陣に乗り込んで奇襲をかけるか、或いは広範囲に放つ自然の業によって敵を撹乱する程度しか出来ず、主戦力は魔道具と兵器を掛け合わせた魔兵器なんだそうです。ところがエグは一人で敵陣に乗り込み、瞬く間に軍一つを壊滅させることが出来ます。逸材も逸材、あの顧問教官が執着し、〈支配者ロード〉の王すら特別扱いするに足る力を秘めているんです。エグ一人で戦況が簡単に覆ってしまう、まさに最終兵器と呼ぶに相応しい切り札です。勝利を勝ち取るためにはエグという一騎当千の力の行使が必須条件。だから、宣戦布告まで間近だということはエグを使う用意が整ったとしか考えられないんです」


 叔母の話を聞き、戦慄した。てっきり魔術兵というのは皆が皆大量虐殺を可能にするほどの力を持っているのだと思った。

 男だけが特別だというのなら、確実に望まぬ殺しをさせられることになる。


「外、行きたい。殺す、嫌」


 自分の置かれている状況を理解し、男が訴える。叔母は受け止めるように深く頷いた。


「もし未曽有の大脱走を遂げると決意を固めたのなら、二週間後、他の〈魔操者メイジ〉の魔石を回収しにきた私の馬車に乗りなさい。私が貴方達を〈支配者の国ローズ・ランド〉の外壁まで連れていきます。高い外壁を越え、〈魔霧の森ミスト・ウッズ〉を抜けるのは貴方達だけで成し遂げなければなりませんが、知恵を出し合えばきっと成功出来るでしょう」

「あの、お話の腰を折るようで悪いのですが……」


 少年がおずおずと口を開く。


「先程から貴方は私達二人と仰いますが、エグの脱走に私がついていく必要はないのではないでしょうか?」

「何故ですか?」

「だって……私はもうすぐ死ぬのですよ。死にかけな上にろくに戦えもしないなんて、ただのお荷物じゃないですか」

「フレデリック様、貴方は自分がどれだけの偉業をなしたのかを理解していないだけです。〈魔霧の森ミスト・ウッズ〉を越えた先の景色を見られるなんて並の〈魔操者メイジ〉には絶対に不可能なこと。現実を正しく見てください。貴方は死にかけの〈魔操者メイジ〉などではありません。特別な魂を持った〈月の子ルクス〉なんですよ」

「そんなの、都合良く言い換えているだけです」

「いいえ。もし本当にただの死にかけだったとしたら、兄さんが貴方に望みを託すような真似はしていません。自分に何が出来るのか、もっと考えてみてください。生まれてきた意味を欲しているというのなら」


 少年は考え込むようにして口を噤んだ。叔母はそれからもう一つ、と精霊を呼び寄せた。


「この子が力を発揮出来るのは聖域の中だけです。エグか精霊、どちらかが聖域を出ればエグは元の言葉を理解出来ない体に戻ってしまいます。フレデリック様、どうかこの子と契約を結んではいただけませんか? 私にはもう、契約を果たすために支払えるものがありませんから」

「でも、これ以上魔力を使えば私の寿命は……」

「ほんの少しで結構です。〈月の子ルクス〉である貴方にならこの子は最低限の対価で仕えると言っています。それに、大事な話し合いをする時には言葉があった方が良いでしょう?」


 どうしても嫌なら話せない体になってもいいと男は少年に伝えた。しかし少年はそういうわけにはいかないと首を振った。


「絵での会話には限界がありますからね。わかりました。契約の結び方を教えてください」


 少年は叔母に方法を教わりながら、自分の魔力を注ぎ込むように精霊に手をかざした。

 すると精霊が月色に輝き、契約の成立を証明するように光の中にエルモンド王家の紋章が浮かび上がった。


「ではそろそろ戻りましょうか。耄碌した老婆のふりをしても、時間が遅れた理由を誤魔化すには限界がありますからねぇ」


 男と少年は荷台に乗り込み、叔母が鞭をしならせて馬車を発進させた。

 この馬車は〈魔操者の国メイズ・ランド〉に物資を届けるための物だったのだろう。空になった箱の隙間で男と少年は窮屈そうに座っていた。


「そろそろ聖域を出たと思いますけど、言葉はちゃんとわかりますよね?」

「うん。また、話せるの、嬉しい。ありがとう」

「私としても助かりますよ。絵を描く度に自分の絵の下手さにげんなりしていましたから」

「君の絵、父さんの絵、似てる。人……丸と、棒、だけ。面白い」

「それって暗に私達の絵が下手だと馬鹿にしていますよね?」

「ん……なんで?」

「はぁ。そんなことまで説明させるつもりですか? 嫌な人だな」


 他愛ない会話を聞き、御者席に乗っている叔母がくすっと笑みをこぼした。


「二人がそこまで絆を深めてくれたことは、私にとっても僥倖です。兄さんは二人なら絶対に仲良しになれると言い張っていましたが、先見の明を持たない私は正直不安でした」

「私とエグはエグのお父様の意志で出会ったのですよね。それどころか私が家の禁書庫で地図と〈月の子ルクス〉にまつわる禁書を見つけ、外に興味を持たせるところまで計画の内だった」

「確かにきっかけを作ったのは私と兄さんでしたが、実際に外への憧れを抱き、エグと親密になってくれたのはフレデリック様の心です。大事なのはどう出会うかではなく、出会った後にどうしたか。貴方達の友情は間違いなく本物ですよ」

「どう出会うかではなく、出会った後にどうしたか、ですか……」


 その通りかもしれないと男も思った。出会うだけなら街ですれ違った人や囚人を処刑する時にやり取りをしている〈支配者ロード〉がいる。

 しかし友達だと言えるほど仲良くなれたのは少年だけだ。

 そもそも自分と少年が出会った頃の関係はお世辞にも良好と言えなかったのだ。そこから仲良くなれるまで紆余曲折あったように思う。


「それにしても、エグのお父様はとても聡明な方だったのですね。達観していると言いますか、何でもお見通しという感じでした」

「普段はぼんやりしている上にドジで、本当にポンコツだったんですけどね。本気を出すと常識では考えられないような偉業を成し遂げてしまうので、掴み所のない人でした」

「偉業……父さん、〈支配者の国ローズ・ランド〉、行っても、凄かった?」

「あくまで噂ですが、とんでもない術式を発明したと〈支配者ロード〉達も絶賛していました。大活躍だったようですよ」

「父さん、凄い」

「ええ、貴方の父さんは凄い人です。妹として誇りにしています」


 馬車は元来た道をゆっくりと進む。舗装されていない土の道で馬車に揺られながら、男は残り僅かの叔母との時間を楽しんだ。

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