第16話 異端の〈魔操者〉
剥製達を灰にして空にまいてから少年の男に対する態度が変わった。明確に何がというわけではないが、以前よりも目が優しくなった気がする。
そんな微妙な変化を感じ取り男は内心胸を撫で下ろしていた。
少年が何かを許したのだとしたら、それは少しでも償えたことを意味するはずだから。
数日後、少年は男の感情の動き方について気がついたことがあると説明してくれた。
少年が見る限り、男には喜怒哀楽の感情の欠落はないのだという。その一方で死を本能的に理解する力を欠いているため、生きている実感が得られにくく、死に直面しても何も感じない。
この二つは相反する現象だと少年は言った。
何故なら恐怖の感情の多くは死を回避するために感じるためのものだからだ。
「死が理解出来なくなったせいで死が怖くなくなってしまったから、エグの心は別の物を怖がることにしたのかもしれません。その結果、形が壊れることが怖くなったのだと思えば、エグが欠けた物に対して見せる過剰な反応にも説明がつきます。あんなに震えたり吐いたりするなんて、普通じゃない。それこそ死体でも見たとか、そんな感じですし」
少年のその考察は的を射ていると思った。自分でも形が欠けた時に感じる恐怖は形容し難く、本能的に怖いとしか表現のしようがない。
剥製を灰にしたのも、形を失う恐怖を真正面から向き合えば、少しは自分が与えてきた恐怖を理解出来るのではないかと考えてのことだった。
もう一つ気になることがある。男の言葉のことだ。拙い言葉ながら、最低限の会話が出来たのは、状況から考えて精霊が関係している。その精霊の契約者は一体誰だったのか。
「実は心当たりというか、気になっている人がいて……」
少年は〈
「ん……」
少年が言わんとしていることを理解し、父親の瞳の色の結晶を作って絵の隣に置いた。
「はい、そうです。エグが倒れた時に精霊が呼んだのはこの方でしたし、何度か私に連絡を取ってきているのです。エグのお父様と瞳の色が同じなのも偶然だとは思えなくて」
男も御者のことは気になっていた。いつも〈
女の御者なんて珍しいとは思っていたが、〈
スケッチブックを引き寄せ、先日見た御者の横顔を描き出してみる。目深にかぶった黒いポーラーハットに深いしわを刻んだ口元。顎の感じから御者の正体を探ろうとしたものの、記憶の中にいるどの人物とも合わない。そもそもあれだけ高齢の女性に心当たりがない。
〈
「もしかして、〈
「なに?」
「えっと……うん、これから訊けばいいか」
少年は自分の家系図と男の家系図を描き比べ、父方の祖母について尋ねた。記憶が正しければ祖母は男が生まれた時には亡くなっていた。少なくとも一度も会ったことはない。
「そうですか。エグのお祖母様が実は生きていて、密かに見守ってくれていたのではないかと考えたのですが」
少年が何故父方の親戚について尋ねたのか男にもなんとなくわかった。
〈
男がこれまで処刑した者の中にも幼い子供がいたが、今思えばそんな憐れな運命に生まれた者達だったのだろう。
それはそれとして、少年が言わんとしている通り、魔力を得られないほど失った代償が少なかったとすれば〈
残念ながらあの御者は祖母ではない。しかし〈
男は思い出したように四歳の頃の日記を開いた。
父親と母親の他にもう一人いる。三つ編みの若い女だ。絵はモノクロだが、瞳の色は父親とそっくりだったことを覚えている。
「この人は?」
「……んお……ら……」
「え?」
「ん……の、ら……ノーラ……」
「ノーラ? 名前か?」
絵を見ているうちに、父親が彼女を呼ぶ時にそう口を動かしていたことを思い出した。
記憶が間違っていなければ父親の妹、つまり男の叔母にあたる。叔母が〈
「処刑されずに成人を迎えた? 誰かがずっとこの方の分まで魔石を作り続けていたということ? それならあの人の〈
「……」
「エグはこの人が怪しいと考えているのですね?」
少年は老婆と三つ編みの娘をイコールで結び、尋ねた。男は自信なさげに頷いた。
「確かめてみた方がよさそうですね。次の魔石回収って明日でしたよね? その時に思い切って直接聞いてみませんか?」
スケッチブックに魔石の瓶を持った男と少年、二人の前に立つ御者の絵を描き、話している様子を伝える。男はそうしようと頷いた。
◇
翌朝、少年を門の裏に待機させ、男は魔石の詰まった瓶を持って家の前に立っていた。
時間になり、〈
いつものやり取りを終えた後、役人が荷台に乗り込んだタイミングを見計らい、男はマスクをずらして叫んだ。
「ノーラ!」
御者がゆっくりと顔を上げ、こちらへ振り返る。帽子のせいで顔はよく見えないが、反応があったということは間違いないだろう。
御者が降りて来てくれることを期待して待っていると、先に荷台から役人が飛び出し、男に詰め寄った。
「今の声、あんたか? やっぱり喋れるんだな?」
「ん……んん……」
「へへっ、遂に尻尾を掴んだぜ。この情報を渡せば俺はこんな職から解放され……」
「残念ながら、そうはならないでしょう。精霊の加護を無くした今、この男は本当に話せないんですから。今しがた発したのは誰かの口の動きの真似て出した〝音〟にすぎません」
いつの間にか御者も馬車を降り、流れるような動作で役人と自分の帽子を交換しながら言った。
しゃがれた声は歌うように独特のリズムを刻み、男も思わず動きを止めてしまうほど引き込まれるものがあった。
呆然としていた役人はふと我に戻り、帽子を剥ぎ取った。
「ばばあが何を……し……」
役人が突然糸を切られたように崩れ落ち、寝息を立て始める。御者は役人にかぶせた帽子を拾ってかぶり直すと、緑の瞳を眩しそうに細めながら男の顔を見上げた。
「散りばめられた情報から真実に辿り着いてくれると信じていましたが、まさか名前まで思い出してもらえるとは。昔の兄さんと声がそっくりで、どきりとしてしまいました」
「あ……あうあ……」
男は握っていたガラスの笛を強く吹いた。予め示し合わせていた合図を聞きつけ、少年が門の外に出てきた。
「失礼ですが、貴方は本当にエグの叔母君なのですか?」
「はい、そうです。もう元のパスポートは捨ててしまいましたが、エレノラ・シビル・クラース、それが私の本当の名です」
御者は少年に対して恭しく礼をした。
「本当に叔母君だったとは。色々と助けていただいたことはそれで納得出来ましたが、やはりわかりません。何故そのような姿に? 変装の魔法は使っていないようですが」
「勿論、全て包み隠さずお話致しますが、今のままでは一人目の主人公が話についていけず置いてけぼりになってしまいます。二人とも、お乗りなさい」
叔母は荷台を開け、男と少年を手招きした。少年は言葉が聞き取れず不安げな顔をしている男を安心させるように頷き、男の手を引いて一緒に荷台に乗り込んだ。
その後、叔母は体を冷やさないようにと自分のストールを眠っている役人にかけた。
「その〈
「置いていきます。心配しなくとも昼まで起きませんよ。兄さんの刻んだ特製の術式でぐっすり眠っていますから」
叔母は被っている帽子を取り、帽子の内側に刻まれた術式を少年に見せた。
「それ、魔道具だったのですね」
「はい。つばの部分にスイッチがしこまれていて、邪魔だとつばを持ってしまうと眠ってしまうんです。真面目に悪戯をするなら、種はばれないようにしないといけませんからねぇ」
叔母は内緒話をする子供のように人差し指を立てると荷台を閉め、御者席に戻った。鞭のしなる音の後に馬車がゆっくりと動き始め、二人をどこかへ運び始めた。
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