第15話 送別の儀式

 よく晴れた朝のこと。小鳥が突っつくような音を聞きつけて自室の窓を開けると、鳥の形に折られた紙が飛び込んできた。


 〈支配者ロード〉からの手紙だ。


 魔力を込めた封蝋を押すことで、宛先の住所まで飛んでくれるのだと教えてくれたのは父親だったか。そんなことをぼんやりと考えながら手紙を開く。

 すると虫ピンで刺された芋虫が描かれていた。その絵が何を意味するのか理解し、男は思わず眉をひそめた。


「エグ、新しい肥料も駄目です。最後の生垣も変色が始まってしまいました」

「……」


 少年が何か気づいた様子で足を止める。この一ヶ月間、毎日互いの表情を読み合いながら意思の疎通を図ってきたお陰で、少年も男の微妙な感情の変化を嗅ぎ取れるようになっていた。


「それは?」

「ん……ん……」


 手紙について尋ねられ、男は困ったように唸った。すかさず少年が手紙を取り上げ、中を確認する。


「芋虫の標本? でも芋虫は普通薬品漬けにして保存するはずだよな」

「……」

「これはどういう意味ですか? えっと……」


 少年は棚に置かれたスケッチブックを手に取り、白紙の頁を開いて渡した。いつからか少年も真似して、何を考えているか教えてほしい時はこうするようになっていた。


「……」


 表現する方法はある。問題は伝えていい話なのかということだ。

 何も言わずに出掛けて、何事もなかったように日常に戻れば隠し通すことも出来るだろう。

 しかしそれでは、もしばれた時に少年に大きなショックを与えることになってしまう。


 男は意を決し、無機質な部屋に立つ自分と拘束された囚人達を描いた。囚人達は処刑された母親と同じ目隠しをしている。少年にはこの一枚の絵で十分伝わるはずだ。


「処刑命令、ということですか?」

「あ……んん……」


 男は次の頁に怒りを意味する罰印を描き、首をかしげた。


「別に怒ってはいませんけど。命令を下しているのは〈支配者ロード〉ですし」


 やはり少年の表情は硬い。男が殺人を行うことを好ましく思っていないのだろう。

 男はパンの欠片で処刑場に立つ自分を消し、問いかけるように首を傾げた。


「行かないってこと? いや、それは駄目でしょう。どんな命令でも〈支配者ロード〉が言うことなら聞かないと、何をされるか」

「……なに?」

「要するに……」


 少年は男の手から鉛筆を取り、男が消した男の絵をなぞった。


「いい、の……?」

「はい」

「……」

「お母様の件もそうですけど、囚人には何らかの死ぬ理由があるのです。貴方はその汚れ仕事を押しつけられているだけ。やってほしくはないですけど、やらないという選択肢がないことは理解しています」

「……」

「あ……すみません。わからなかったですよね? えっと、どう描けばいいんだ?」


 言葉は聞き取れなくても表情でわかる。少年は男がしてきたことを受け入れようとしているのだ。

 命を奪っていたのは、死を理解する力をなくしていた〈夜の子ノクス〉の歪んだ価値観と、それを利用し真実を秘匿した〈支配者ロード〉の悪意が原因だった。自分の欲望を満たすために虐殺する殺人鬼ではなかったとわかった時、少年が男に向けた感情は同情だった。

 少年も代償と向き合って生きてきたために、その重さも難しさも痛いほどわかるのだろう。

 頭ごなしに否定してこないのはありがたかった。しかし一方で居心地の悪さもあった。時には責めてもらった方が楽なこともある。


「エグ? どうかしましたか?」

「……」


 少年はスケッチブックの新しい頁を開いて差し出した。男は一度は受け取ろうとしたものの、返答を拒むようにそっと押し戻した。

 考え込みながら、作業机――最後にイタチの剥製を作ってから一度も座っていない――の隣の棚にかけた遮光用の暗幕を外す。

 そこには男が子供の頃から作ってきた大量の剥製があった。

 古いものは十五年前に作ったものだが、どれも殆ど傷みなく完璧な状態で保存されている。さすがに今の目では始めた頃に作ったものは傷やよれが見えてしまうが、他は申し分ない。

 とうの昔に尽きた命の入れ物は、今も尚、生前の美しさを保って存在している。


「何を考えているんだろう?」


 自分以外の人間は本能的に死の恐怖を知っている。しかし自分にはどうしても死と対面した時に湧き上がるはずの感情がなかった。そんな〈夜の子ノクス〉の感性のせいで犠牲となったのが彼らだ。

 仮に悪意がなかったとしても犯した罪から目を背けているわけにはいかない。


「あ、の……」

「何ですか?」


 男はスケッチブックを手に取り、鉛筆を走らせた。何故死んだ者を灰にして空にまくのか少年に尋ねるためだった。絵で表現しづらい質問であり、説明も簡単なものではなかったため、やり取りにはかなりの時間を要した。

 スケッチブックを何冊も使い切るほど絵を描き、昼下がりの太陽が赤い夕陽に変わるまでやり取りを重ね、男はようやくその理由を理解することが出来た。


 五百年前、かつて〈魔術師ウィザード〉と呼ばれていた魔法を扱う者達が自らを〈支配者ロード〉と名づけた長命の者達と戦って負けた。

 魔大戦と呼ばれる戦だ。

 当時〈魔術師ウィザード〉を先導して戦った英雄リチャードは終戦の時が訪れた時に反逆罪で火刑台に送られた。英雄は灰になり、風に巻き上げられてどこかへ飛ばされ、塵一つ残らなかったという。

 死した者は地に還り新たな命の礎となる、その考えから当時は遺体を地中に埋めることが主流であり、英雄が遂げたのは不名誉な最期だった。

 しかし彼を〈大魔術師グレイテスト・ウィザード〉と呼んで慕っていた〈魔術師ウィザード〉達は死後も魂は一緒だと言うように火による弔いを望むようになった。そして英雄のいる地へ届くように空へまいてもらった。


 最初は英雄の傍にいたごく一部の人間が取る方法だった。しかし〈魔術師ウィザード〉が〈魔操者メイジ〉と名を変えて権威を失って以降は、別の理由で灰をまくことが好まれるようになっていった。

 それこそが外の世界に対する憧憬だった。

 〈支配者ロード〉に管理され、〈魔操者の国メイズ・ランド〉という狭い場所で生涯を終えることを強いられた〈魔操者メイジ〉は、せめて死後の魂だけは外の世界に飛んでいけるようにと願いを込めて灰をまくようになったらしい。

 現在では肉体を灰にせず朽ち果てさせることは、〈魔操者メイジ〉の間では魂の冒涜とされていた。


「本当に凄いな。僕の下手な絵でもちゃんと理解したみたいだ」


 感嘆する少年の前で男は頭の中を整理するように深呼吸する。真実を知り、男は今自分がやろうと考えたことが無意味ではないと確信した。

 最後の一頁となったスケッチブックに、男はすっかり先が丸くなってしまった鉛筆で炎に包まれる剥製達の絵を描いた。


「つまり、剥製にした動物達の灰をまきたいということ?」

「……」

「まぁ、ずっと暗幕の下に置いておくのも微妙ですし、いいと思いますけど。エグは平気なのですか?」

「なに?」

「えっと、つまり……」


 少年は恐怖を意味する花びらを描いて首をかしげた。男は結晶で花びらを作ってみせた後、気合を入れるように結晶を強く握りしめ、消し去った。


「文脈的に怖いけどやる、ということか? 思い切ったことするなぁ」

「ん……いい?」

「ええ。目的はよくわからないですけど、理由があるのならやりましょう。私もお手伝いしますよ。やり方も少しなら教えられると思います」


 人間であれば専用の棺を取り寄せなければならないが、動物にはそれがない。そこで支給品の入った木箱を棺の代わりに使うことにした。

 この木箱は薪として使うことが許されており、必ずしも返却しなくても良い物だった。


 クッション材として森で落ち葉を集め、剥製達を箱に詰めていく。苦しくないように間を開けて寝かせてやると、木箱五つ分になってしまった。

 遺体を移動させる時は魔法を使ってはいけないという暗黙のルールがあり、二人は分担して全ての箱を庭まで下ろした。


 庭を通る時、男は視線を足元に向けたまま先導する少年を頼りに足を進めなければならなかった。

 ここ一ヶ月の間に庭の様子が大きく変わっていたからだ。

 顔を上げられない原因は庭一面に咲き誇るプラチナローズにあった。あれだけ綺麗に咲いていたのに、今は生垣の全体的に色がくすみ、花も殆どが散ってしまっている。

 剥製を作るのをやめ、くり抜いた動物の臓腑の灰をまかなくなったせいか病に侵されてしまったのだ。少年が新しい肥料を試してくれているお陰でまだ枯れていないが、もう再起させるのは難しいだろう。


 男の罪を啜って咲いていた繊細な薔薇、その生垣に背を向けて男は木箱を重ねた。

 気がつけばその高さは男の身長を優に超えており、男の罪深さを象徴しているようだった。

 木箱の下に男が火の術式を描き込む。周囲の状態を確かめてから、少年は準備が出来たと合図した。


「私は少し下がって見ています。いつでもいいので始めてください」


 骨が完全に灰になるまで燃やすには強い火力が必要となる。そのため常に火の術式に魔力を送って強い火を保たなければならない。

 多くの場合は儀式を執り行う専門の人が行うのだが、男は自分でやらなければ意味がないと考え、少年には見守ってもらうだけにした。


 術式に魔力を送ると間もなく炎が立ち昇り、木箱を呑み込んでいった。すっかり夜闇に閉ざされた庭で赤々と揺れるそれはまるで飢えた獣のように見えた。

 冷水に足先を漬けた時のような鋭い感覚が男の心臓を突いた。


 既に怖い。怖くて逃げ出したい。


 徐々に速くなっていく鼓動を落ち着けるようにゆっくりと深呼吸し、怯まないように脚を踏ん張った。

 炎は二階の窓に達するほど高く伸び、ぱちぱちと音を立てながら木箱を黒い炭に変えていった。

 藍色の空に火の粉が舞い上がっては燃え尽きて消えていく。今まさに箱の中では動物達が形を失い、砂同然の灰になっている。その光景を想像するだけで頭がおかしくなりそうだ。

 集中を乱さないように、両手を炎にかざしたまま心を落ち着ける。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて。


 ガタンと大きな音を立てて、積んだ木箱が崩れ落ちる。弾みで開いた蓋から火に包まれた塊が転がり出た。燃えているものがなんなのか、わざわざ確かめるまでもない。

 あれはつい先日剥製にしたばかりのイタチだ。


「ううぅ……」


 表面が焼け、骨が剥き出しになった姿を見た瞬間、心臓が痛いほど跳ね上がった。

 強い恐怖に体が竦み、たまらず膝をつく。

 瞼が貼りついてしまったかのように目も開かない。たった一瞬目にしただけだ。覚悟もしていた。それなのに堪えることが出来なかった。


「エグ、辛かったらもうこの辺にして……」

「があああああ!」


 手を出すなと言うように男は吼えた。これほど荒々しい声を上げたのは今までの人生で一度だってなかった。

 咄嗟に大声が出てしまうほど自分の気持ちは強いようだ。


 怖い。どうしても怖い。


 欠けた物を見続ければ自分の精神が崩壊してしまうのではないかとさえ思う。それでも今だけは向き合わなければならない。

 目を背けていた恐怖から、隠されていた真実から。命を奪い、正しい形で弔うこともしてこなかった罪を少しでも償いたい。ここで逃げ出してしまえば、もう二度と自分を許せない気がする。


 懸命に目を開き、力の入らない脚で立ち上がり、顔を上げる。全ての光景を目に焼きつけるつもりで、男は炎を真っ直ぐ見据えた。

 恐怖で四肢は痙攣したように震え、魔力を送る手も狙った方向から反れてしまう。

 もう一度、自分を奮起させるために喉が裂けるのではないかと思うほど激しく吼えた。

 もう駄目かと諦めそうになる度に声を上げた。何度も、何度も。

 そうして、目から涙が溢れ呼吸がままならなくなっても、男は一心に魔力を送り続けた。


  ◇


「もう大丈夫ですよ。お疲れ様でした」


 木箱が燃え尽き、術式も効果をなくして火が消えてきた頃、少年が男の肩を叩いた。

 地獄のような時間が終わったのだと理解し、男はその場に崩れ落ちた。


「灰を集めるのは私がやるので。エグは休んでいてください」


 放心状態になり、暫く動けないのは誰の目にも明白だった。少年はランプの明かりを頼りにしながら、予め用意した容器に箒と塵取りで灰を集めた。

 慣れた手つきとはいかなかったが、迷いなく進める瞳は悲壮感漂うものがあった。


「私だって泣いたんですよ。お母様の体が灰になってしまった時に。冷たくなったお母様と対面した時も泣きましたが、ボロボロの白い粉に変わってしまった時が一番辛かったです。傷一つない綺麗な状態だったから、変な話ですが勿体ないなんて思ったりして。形って大事なんだと思いますよ。形があるってことは、そこにいるという証だから」

「……なに?」

「何でもありません。ただの独り言です」


 少年は目元に袖口をぐりぐりと押しつけると、灰を集めた容器を男に差し出した。そろそろ立ち上がらなければならない。涙を拭い、男は容器を受け取った。


 容器には男が予め風の術式を描いていた。軽く魔力を込めるだけで容器の中で風が発生し、白い灰を空へ舞い上げた。

 暗闇すら見通す男の瞳には空へ放たれた灰が上空の気流に乗って遠くの空へ運ばれていく様がしっかりと見えていた。

 これで狭い国に生まれた小さな命達は広い外の世界へ行けるはずだ。


「儀式は以上です。遅くなってしまったので今夜はエグの家に泊まります」


 少年は書斎を指さし、おやすみのジェスチャーをする。これまでも後片づけで遅くなった時は少年が家に泊まったことがあった。男はわかったと頷いた。


  ◇


 翌日、男は命令通り死刑を執行した。視力を取り戻した男は二人ずつ行っていた処刑を十人全員に対して同時に行い、処刑場にいた〈支配者ロード〉達を驚かせた。

 教官はこの十五年で見たことがないほど満足げな顔をしていた。

 相変わらず何の試験かわからないが、妙な装置を使われた後に目の前で食器を割られた。生命の体の焼失を直視した後では、どんなに怖くても目を閉じることなく堪えることが出来た。


 冷酷な魔王を演じながら乗り込んだ帰りの馬車の中で男は静かに涙を流した。囚人達が味わったであろう恐怖に思いを馳せ、共感しようとした結果だった。

 そんな男を慰めるように、どこからともなく飛んできたガラスの蝶が男の肩に止まった。魔力で作られた無機質の、しかし美しい蝶がどこから飛んできたのかと顔を上げると、フードで目元を隠した御者が静かにこちらに微笑みかけているのが見えた。

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