第6話 嫌われ者の服
翌朝、男は魔石の詰まった瓶を持って家の門の前に立っていた。
今日は月に一度の魔石回収の日だ。
通常の〈
今日は馬車が遅れているらしく、既に回収予定時間から一時間が経っている。しかし男は眉一つ動かさず、彫像のようにじっと待っていた。
ようやくのろのろと馬車がやってきた。どうやら男の新たな専任に選ばれたのか、魔石回収用の荷台から出てきたのは先日の若い役人だった。面倒臭そうに眉間に皺を寄せ、葉巻をふかしている。
男は視線を合わせないように目を伏せながら瓶を渡し、納税完了の手続きが済むまで呼吸と瞬きだけして待った。
「魔石の質も異常なし。量もクリア。優秀優秀、文句なし。パスポートを出せ」
男はパスポートの最後の頁、納税完了を記録するリストを提示し、〈
最後に食料などの生活必需品の入った木箱を受け取り、代わりに先月分の必需品が入っていた木箱を返した。
中に戻ろうと家の門に手をかけたところで、役人が追い詰めるように顔を近づけてきた。
「……」
「けっ、相変わらずいけ好かない仏頂面だな。今日からあんたの魔石を回収させてもらうことになった。仲良くやろうじゃないか」
「……」
「チッ……舐めやがって!」
役人は突然男の胸倉を掴むと門に男の背中を叩きつけた。鉄の門がガシャンと大きな音を立てて揺れる。
男は相手を刺激しないように顔を背け、服従の意を示した。しかし役人の怒りは更に激しくなっていった。
何度も何度も男を門に叩きつけ、しまいには男の手の甲に赤く燃える葉巻を押しつけた。
「ん……んん……」
「ほら、やっぱり声は出る。話してみろよ。なぁ!」
更に葉巻を押しつけられ、男は体を強張らせた。
深い恐怖がこみ上げ、思わずやめてと叫びそうになる。それを唇をきつく噛んで堪えた。
絶対に話してはいけない。
ばれてはいけない。
男の努力を後押しするように、突然マスクから強い風が吹き始め、男の声を喉の奥へ押しやった。
「おかしいと思ったんだよ。あんたは言葉を理解してる。声も出る。なのに話せない。こんなおかしな話があるか。どうせ演技なんだろう? あの顧問教官のじじいに何を吹き込まれた? あんたらは何を隠してやがる? 秘密を暴いてあんたもあんたの世話を命じやがったクソじじいに一杯食わせてやる。言えよ、さっさとオラァ!」
葉巻を押しつけられた手から血が滴る。このまま堪えているだけではどうにかなってしまいそうだ。
しかし、だからといって逃れる術を思いつかない。
目を瞑って堪えていると、突然パチンと鞭のしなる音がし、馬車が急発進した。
「え? おい! あのクソばばあ、耄碌してんじゃねぇよ!」
置いていかれては困ると役人は血相を変えて後を追った。
一番の脅威が去ったと理解し、男はその場にうずくまった。まだ恐怖が消えず体の震えが止まらない。膝に額をつけたまま、顔を上げることが出来ない。
「魔王様! どうしたのですか?」
聞き慣れた声が聞こえてくる。まだ約束の時間には早いが、少年が来たらしい。
「今暴走した馬車を追いかける〈
「……」
「心配しなくても周りには誰もいませんよ。何か言ってください」
「治癒魔法、苦手」
「治癒魔法?」
男は顔を隠したまま、葉巻を押しつけられた右手を上げた。
「治せる?」
「〈
温かい光が男の手を包み込む。暖炉に当たるようにじんわりと熱が浸透し、痛みが吸い取られていく。十秒もしないうちに痛みは完全に引いた。
「はい、治りましたよ」
「……傷、ない?」
「だから綺麗に治りましたって」
「かさぶたは?」
「ありません。そんな中途半端な治し方するわけないじゃないですか」
「シミは?」
「何なんですか? そんなに私の治癒魔法があてにならないと?」
「違う」
男は意を決したように顔を上げ、右手の甲を見た。まるで最初から傷なんてなかったように完治している。
深く息を吐き出し、男は立ち上がった。ようやく体の震えが収まってきた。
「ありがとう」
「〈
少年は近くに置いてあった木箱を持つと、いそいそと〈
「服は家から持ってきました。サイズが合うかわかりませんが、こちらに着替えてください」
少年は胸ポケットから収納ケースを取り出すと、一揃いの礼服を引っ張り出してベッドに広げた。
貴族や王族が着るような立派な服、それも成人用だ。
「なんか、凄い」
「平民と王族が並び立って歩くのはさすがに目立ちますから。普段ラフな格好をしている魔王様には窮屈かもしれませんが、我慢してください」
「平気。これ、誰の?」
「私のですが」
「大きい」
「お兄様からのお下がりですから。欲しければ差し上げますよ。私には必要のない物です」
「それ、悪い」
「いいから早く着替えてくださいよ。暫く部屋から出ますから」
少年はそう言うと廊下に出た。
男は恐る恐るベッドに広げられた服を摘み上げた。
触るのも憚られるほど滑らかな生地の白いシャツに甘い香りのする毛織物のベスト、コートは余すところなく刺繍がしてあり、良い生地を使っているのか手に取るとずしりと重い。キュロットの膝の辺りに微かに皺が寄っていることから、誰かが一度か二度袖を通した物だと察しがついた。
見ているだけで気後れしてしまうほどの高級感。同じ〈
高鳴る鼓動を抑えるように深呼吸してから、男は服のボタンを外した。
「そろそろいいですか? 入りますよ」
ちょうど着替え終わったタイミングで少年が戻ってきた。正しく着られているかどうか自信がなく、男は気恥ずかしさを覚えながら少年の前に立った。
きっと衣装に負けていると笑われてしまう、そんな不安を感じながら立っていると、少年は意外にも真剣な表情で男の姿を確認していた。
「あ、あの……ちゃんと、着れてる?」
「ええ。丈や肩幅もぴったりじゃないですか。色合いも魔王様の濃い肌の色に合っています」
「そう?」
「少なくともいつもの古めかしいローブと比べて百倍はいいです」
男は結晶魔法で全身鏡を作り出し、その前に立った。すると、いつか見た立派な貴族がそこにいた。
「僕、じゃない」
「そういう風に見せているわけですから。それからこれを」
続いて厚手のストールを男に渡し、首に巻くように言った。
「今の時期にしては少し生地が厚いですが、おかしくはないはずです。それを巻いて上手いこと口を隠してください」
「うん」
マスクを外し、言われた通りにストールを巻いて口元を覆う。鼻が隠れるほど生地を引っ張り上げると少年の視線も気にならず、何の支障もなく話すことが出来た。
「大丈夫」
「では最後に仕上げです」
少年は魔力を送り、男の髪と瞳の色を変えた。
「これで完成です。いかがですか?」
「凄く、いい。いい、けど……」
「何かあるなら言ってください。懸念があるのなら今のうちに対処しておきたいです」
「違う。わがまま」
「わがまま?」
男は翡翠によく似た結晶を作ると、自分の目を指差した。
「この色、したい」
「まぁ、その程度でしたらいいですけど。理由を聞いても?」
「これ、父さんの、目。父さんと、同じ、なる……勇気、出る」
「外に行くのは怖いですか?」
「少し。でも、君、いる。大丈夫。代償、知るため、頑張る」
「わかりました。色を変えるのでじっとしていてください」
少年が魔力を送り、瞳の色を指定された緑に変えた。父親と同じ瞳の色になると、鏡を見た自分が一瞬父親に見えてドキリとした。
鏡を見る機会があまりなかったため気づいていなかったが、いつの間にか顔立ちが父親にそっくりになっていたようだ。
「これなら、頑張れる」
「ならよかったです。では出発しましょうか」
二人は家を出て街へ続く道を歩き出した。出発する際、慌てた様子で精霊が追いかけてきて男の胸ポケットの中に滑り込んだ。
少年は前を見ていて気づいていなかったが、特に支障はないだろうとそのまま連れていくことにした。
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