第5話 茶会の跡

 午後になると男と少年は庭に出て一緒に生け垣の剪定を始めた。教わった通りに枝を切りながら、少年と言葉を交わす。


「それにしても、すぐに枯れると有名なプラチナローズがこんなに咲き乱れるなんて、信じられません」

「雑草、抜いてる」

「その程度の手入れで育つような品種じゃないんですよ。特殊な肥料を定期的にまかないといけないらしいです」

「雑草の、灰、やってる」

「雑草の灰では駄目です。家畜の糞を燃やした灰が一番いいそうですが、この家には動物はいませんし、不思議だなぁ」


 すっかり絡まった蔓をほぐそうと、少年が蔓を伝って生け垣の奥へ入っていく。

 すると何か硬い物が腰に当たった。


「何か置いてある? これってテラステーブルですか?」

「……」

「頷いたのなら声に出してください。ここからだと顔が見えませんので」

「ん……行く」


 少年に続き、生け垣の奥に入る。

 いつの間にか無くなっていたと思っていた物がこんな場所にあったのかと驚かされる。

 放置されていた時の長さを物語るように、テーブルには蔓が絡みつき、土埃が積もっていた。


「こんな場所に置いておくなんて。広い場所に出しましょうよ」

「わかった」


 絡まった茨を剥がすと、男がテーブルを広い場所まで浮かせて移動させた。テーブルをどかすと同じ意匠の椅子も出てきたので、それも持ってきた。


「茶会を開くのによさそうな大きさだな。椅子は二脚だけですか? 三人家族ですよね?」

「僕は、部屋。茶会は、父さん、母さん、だけ」

「ああ、お母様と上手くいっていなかったって言っていましたもんね」


 少年は家の中から魔道具の水瓶を持ってくると、テーブルや椅子を洗い始めた。段々と綺麗になっていくテーブルに視線を落としながら、男は母親が使っていた頃のことを思い出していた。

 少しいい服を着て、お気に入りのスコーンを摘みながら手製のハーブティーを嗜む。ヒールを履いた脚をクロスさせ、肘をつき、両手でカップを持って飲むことが好きだった。

 父親が行儀が悪いと苦笑し、母親が別にいいじゃないとだだをこねている様子を男は自室の窓からよく見ていた。


 父親は楽しそうにしていた。

 母親は息子には決して見せないような笑顔を浮かべていた。

 幸せに溢れた空間に、自分は入れてもらえなかった。


 常に除け者だった。


 視界に入るだけで激昂されるので、母親が生きている間は空気のように存在を隠していた。

 茶会は殆ど毎日行われており、両親が楽しそうにしている姿を見る度に胸が痛くなった。母親が自ら毒を飲んで灰になってからは父親との時間が増えて孤独感に苛まれることはなかったが、父親は母親との思い出に鍵をかけるように一切茶会を開こうとしなくなった。

 その成れの果てが蔓に絡めとられたテーブルと椅子のセットだ。


「平民は質素な暮らしをしているって聞いていたけど、案外いい物を持っているんだな」


 いつの間にかテーブルを洗い終え、水気も拭き取り終わっていたらしい。

 少年は早速ピカピカになったテーブルセットの使い心地を試そうと椅子に座った。

 テーブルの傍に椅子を寄せようとして、少し高いのか上手く腰を浮かせず椅子を上手く引くことが出来ない。

 そんな少年の足元に小さな虫が近づいていることに気づき、男は思わず声を上げた。


「危ない!」

「え? 何が?」

「虫、いる。踏まないで」

「ああ……まぁ、危なかったですね。急に大声を出すから何があったのかと思った……」


 気分がいいのか、少年はピアノを弾くように指先でテーブルの端を叩いている。

 テーブルの善し悪しはわからないが、王族である少年が言うのならばきっとそれなりに良い物のだろう。


「昨日の話ですと、お母様は亡くなっているのですよね? お父様は?」

「〈支配者の国ローズ・ランド〉。〈ひとりの国アローン・ランド〉、出来た時、出てった。五年前、灰になった、らしい」

「らしい?」

「ん……見てない。〈支配者ロード〉の手紙、あった」

「つまり魔王様の知らないところで葬儀が行われ、墓も建てられたということですか? 一体誰が葬儀を?」

「多分、〈支配者ロード〉が」

「有り得ませんよ。〈支配者ロード〉は我々のことを魔石を生む家畜としか考えていないのです。それに〈支配者ロード〉は土葬で我々は火葬、思想の違う相手にわざわざ合わせるような親切をするとは思えません」

「じゃあ、誰?」

「私が知るわけがないでしょう」

「……」

「実の父親の最期も知らされずにいるなんて、どこまでも不憫な人ですね。娯楽の一つもなく、魔石を作っては寝るだけの単調な生活。私だったらとっくに爆発していますよ」

「ごらくって?」

「舞や歌を楽しむとか本を読むとか。平民であっても誰かの家を訪ねるとか買い物をするとか、何かしら楽しんでいるものだと思いますよ、普通は」

「買い物、するの? 君が?」

「するに決まっているじゃないですか。そりゃあ日常の買い物は使用人にさせますけど、自分の欲しいものは自分で買いに行きます。王族だからって、三文小説に書かれるような世間知らずと同じだと思わないでくださいよ」

「凄い。僕、したことない」

「そんなわけがないでしょう。使用人もいないのに、どうやって食糧や生活必需品を揃えているのですか?」

「〈支配者ロード〉、くれる。欲しいの、絵、描いて、送る。次の月、届く」

「〈支配者ロード〉が必要な物を買い揃えてくれるって、幻王様の要請であっても有り得ないんですけど。魔王様って本当に特別扱いなのですね。一体魔王様の何が〈支配者ロード〉を動かしているのやら」


 少年は値踏みするように男の体を舐めるように見た。


「〈ひとりの国アローン・ランド〉の魔王、誰もが恐れる残忍な男で、誰も正体を知らない謎に包まれた人物。しかし人であるなら知り合いの一人はいるだろうし、変装して我々の日常に溶け込んでいるのだろうと思っていましたが、話を聞く限り本当に別世界に生きているようです。この家だけは別のルールの敷かれた特別区なのだと実感しますよ、魔王様と話していると」

「僕、そんなに、変?」

「というより、魔王様に対する〈支配者ロード〉の対応がね。魔王様自身も色々独特だなと思うことはありますが、何に価値を見出されているのかはまるでわかりません。安定して質の良い魔石を作るというのは家畜としては優秀なのでしょうが、それだけが特別扱いされる理由だとは思えません」

「代償、関係、してる?」

「代償として失っているものがわからないので何とも言えませんが、なんとなく貴方の異様さはこの特殊な環境にも起因しているような気がします。きちんと答えを出すにはもっと調べる必要があります」

「ん……何、すれば、いい?」

「話をしていて気になったのは退屈という概念をなくしていることでしょうか。もしそれが娯楽を知らないせいならば、知ってみることで何か変わるはずです。現に貴方は私と出会ってから一日の活動スケジュールを変えているわけですから、何かを変える力はあるはず。変わらなければ代償が関係している可能性が高いと言えるでしょう」

「じゃあ、娯楽、知りたい。変な僕、やめたい」

「ではこうしましょうか。私と街に行って買い物をする。そうですね、買い物の目的は茶会を開くために必要な物を揃えることにして、ついでなので茶会も開いてみましょう。それでどうですか?」

「いいの? 君、嫌じゃない?」

「あくまで代償研究の一環です。目的のために友達ごっこをするくらいわけないですよ」

「君、変わってる」

「貴方にだけは言われたくないですね」


 街に出て買い物するとなるといくつか問題がある。

 まずは男の格好だ。

 〈ひとりの国アローン・ランド〉の魔王の存在は誰もが知っており、黒いローブにマスク姿であることも知れ渡っている。今の姿のままで外に出れば、〈支配者ロード〉に許可なく国を出たことがばれてしまう。

 その事態は何としても避けなければならない。


「確かに貴方の人相書きは出回っていますが、裏を返せば瞳と髪の色と服装しか知られていませんので、変装をすればばれようがないんですよね。そのローブ以外にはどのような服を持っていますか?」

「ない。〈支配者ロード〉、服、くれない」

「だから同じ格好をしているしかないのか。まぁ、服装のことはこちらでなんとかします。髪と瞳のこともどうにか出来るでしょう」

「どうやって?」


 少年は男に手をかざし、魔力を送った。魔力が髪と目に浸透していくのを感じ、男は思わず身震いして立ち上がった。

 何か起きたのかと困惑していると、少年が胸ポケットのケースから手鏡を取り出し、男の顔を映した。

 黒髪は明るいグレーに、目の色は暗い緑に変化している。


「色は光の干渉によって生まれるもの。虹魔法を使えばこれくらい朝飯前です」

「凄い。違う人、みたい」

「つまり残る問題はそのマスクだけなのですが、なんとかなりませんかね? 物を買うだけなら最悪人と話さなくとも出来ますが」

「ん……」


 男はマスクを外し、深呼吸した。この状態で耐えることさえ出来れば代償を知る手掛かりを得られるかもしれない。そう思うと少しは頑張れそうな気がした。


「大丈夫ですか?」

「ん……んん……」


 やはりマスクを外した瞬間思うように話せなくなってしまう。マスクをしている時は気にならなかった少年の視線が突き刺さるようで、逃げ出したい衝動に駆られる。

 しかし逃げ出すのもおかしな話だと疑問に思う自分もいてどうすればいいかわからなくなる。


「どうしても無理なら別の方法を考えますから……うわっ!」


 気づけば男は少年を押し倒し、刺すように感じる視線を封じようとその目を塞いでいた。


「急に何なんですか。放してくださいよ」

「見ないで」

「見ないでって何を? っていうか話せているじゃないですか」

「ん……今なら、平気」

「え? 何で?」

「なんか、見られると、落ち着かない。だから、このまま」

「冗談じゃないですよ。目を塞がれたままでは何も出来ません」

「ん……ごめん」


 ゆっくりと手を放す。少年が目を開いた瞬間、また嫌な感覚に襲われて口が動かなくなってしまった。少年に顔を覗き込まれるのが耐えられず、顔を背けた。


「もしかして、口を見られるとそうなるんじゃないですか?」

「ん……」

「試しにこれで口を隠してみたらどうですか?」


 少年はポケットからハンカチを引っ張り出した。言われた通りそれで鼻から下を隠してみると少年の視線が気にならなくなった。


「平気だ。ん、話せる」

「口を見られることが嫌というわけか。理由はともかく、隠しさえすればいいのであればなんとかなりそうです」

「本当?」

「ええ。では問題なく出掛けられそうですね。いつにしましょうか? 茶会を開くことを目的とするなら、庭が綺麗になったタイミングにしますか」


 男は頷き、剪定作業に戻った。ふとその手を止め、少年に尋ねた。


「ねぇ、これ……手じゃないと、駄目?」

「どういう意味ですか?」

「魔法、のが、楽。速い」

「ん? まぁ、貴方の庭ですし好きにすればいいと思いますが」


 男は立ち上がると庭の中央に立ち、空中にガラスのハサミを十本作り出した。庭を見渡して剪定箇所に目星をつけると、ハサミを一斉に生垣へ放ち次々と切っていった。

 一秒間に十本という驚異的なスピードで剪定は進み、庭の中央に切り落とされた薔薇の枝の山が出来た。更に茨に絡め取られていたアーチやフェンスの類いも浮遊魔法で元の位置に戻し、ガラスで作ったブラシで錆や泥を綺麗に落とした。

 山になった茨は浮遊魔法で焼却炉の前まで移動させ、散った葉や細かい枝も一纏めになって山の隣に集められた。


「剪定、終わり」

「は? 何、今の? 結晶魔法と浮遊魔法を組み合わせてそんなことが出来るのですか?」

「練習、したから」

「練習してどうこうなるレベルじゃないですよ。魔法制御の上手さは尋常じゃないな……」

「庭、綺麗になった。買い物、明日、行く?」

「早い方が私としても助かりますし、いいですよ。ただ買い物に使う魔石はありますか?」

「魔石? 何に使う?」

「品物をもらう時の対価として払うんです。本当にしたことがないのですね、買い物」


 〈魔操者メイジ〉が作る魔石は幻王の定めるルートを通って〈支配者の国ローズ・ランド〉に納められる。しかし〈魔操者メイジ〉の中には魔力が弱く、十分に魔石を作れない者がいる。

 そこで〈魔操者メイジ〉は魔石を対価にして働く。

 魔力が強い者は裕福な生活を送れるが、弱い者は働かなければならない。魔力の強さは血筋に強く影響されるため、魔力の強い家系は貴族に、弱い家系は平民に分けられ、貴族は多めに魔石を作るように、平民は必ず職を持つように法律で定められていた。

 それが出来ない者は無価値と判断され、〈支配者の国ローズ・ランド〉で処刑される。


「初めて、知った」

「兎に角そういうわけですから、魔石の用意を忘れないでください」

「いくつ要る?」

「何を買うかにもよります。一旦リストアップしてみますか」


 茶会に必要な道具は母親が使っていた物が残されていた。少年と母親が生前に使っていた部屋を調べてみると、茶器やテーブルクロスなどかなりの道具が揃っており、茶葉と茶菓子さえ買えば十分なようだった。


「茶葉だけ買いに行くのも味気ないですし、フェンスの塗料でもついでに買いますか。長い間放置されていたせいで結構錆びてしまっていましたし」

「売ってるの?」

「そりゃあ、街に行けば大抵の物は揃いますよ。リストアップはこのくらいにして、次は必要な魔石の数の算出ですが……」


 数えてみると魔石は合わせて十五個ほど必要だということがわかった。男は魔石の詰まった瓶を引っ張り出して首を振った。


「そんなに、余り、ない」

「これだけ作っても余裕がないなんて、搾取もいいところだな。わかりました。私も少し魔石を出します」

「ん……いいの?」

「言い出したのは私ですし、あくまで貸すだけですよ。後で必ず返してください」

「ありがとう。返す」

「返してほしいものといえば、そろそろ口に巻いたハンカチを返していただけますか?」

「あ……忘れてた」


 ハンカチをマスクにつけ替え、少年に返す。


「しかし、口元を隠しさえすれば本当に何ともないのですね。日記にあったように気絶することもありませんし」

「そういえば、気絶しない。不思議」

「まぁ、マスクがないと気絶してしまうなんて暮らしにくいでしょうし、治ったのならよかったじゃないですか。その複雑な術式が何なのかは気になりますが」

「うん」


 その後、時間になったと言って少年は帰っていった。

 そういえば大量に出てしまった蔓の山を焼却処分しないといけない。

 炉に入る量ではなく困惑していると、リンリンという声とともに精霊が現れ、光の筋で小瓶を描いた。男が意図は掴めないまま、示された形の瓶を作ってやると、精霊は嬉しそうにそれを受け取った。

 そして魔法の粉を振りかけて蔓に咲いた花を実に変えると、一つ一つの実を器用に摘んでは瓶の中にしまい始めた。

 薔薇の実なんか集めて一体どうするのか、小首を傾げる男に精霊は後でのお楽しみだと言うように弾みながら、どこかへ飛んでいった。

 男は頭に浮かんだ疑問符を振り払い、花が摘まれた蔓の一部を炉に入れて火をつけた。

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