第10話 ひとりぼっち

 薔薇の実の乾燥が終わるまでの二日間、雨が降り続いたこともあり、男と少年は家にこもって男の代償について調べていた。

 少年には考えがあるらしく、男に幾つか実験をしてもらっていた。


「お、か……ん……おかあさん、は……いいま、し、た。この、の……このみち、を……まっすぐ……」

「もう大丈夫です。わかりました」


 男は落胆しながら、少年に渡された絵本を静かに閉じて置いた。


「魔王様って文章を読むのも苦手だったのですね。子供向けの絵本でこれなんて」

「ま、待って。五分、あれば、読める」

「五分ってそんなに待っていられませんよ。では次です。今から私が絵本の次の頁を読み上げますから、書き取ってみてください」


 男は渡された紙に必死で少年の読み上げた言葉を綴ろうとした。さすがに読み上げてもらえば内容は理解出来るものの、文字を一字一字思い出しながら書いていると間に合わず、先に記号によるメモを書かなければ内容を覚えていられなかった。


「文字より先にその独自ルールの記号が出るのですか?」

「字、難しい……」

「ふぅん。もう一つ気になったことがあるので試してもいいですか?」


 そう言うと少年は男の後ろに回り込み、絵本の朗読を始めた。男は困惑の表情で少年の方へ振り返ったが、少年は後ろを向いており顔は見えなかった。


「あ、あの……」

「聞き取れませんか?」

「口、見ないと、わからない」

「やはりそうですか」


 少年は絵本を閉じ、男の前に座った。


「時々魔王様と話していると、微妙に視線が合わないと言いますか、違和感を覚えることがありました。魔王様は口元を見られることを極端に嫌いますし、もしかしたら人の口を結構見ているのではないかと思ったのです」

「口、見てる。形、見ないと、言葉、わからない」

「本当に目に頼った生き方をしているのですね。会話ですら耳で聞くというより、見ていた」


 少年は気づいたことを手帳に書き留めた。


「そういえば、視力は六歳の時にも〈支配者の国ローズ・ランド〉で測ったのですよね? その時のことも日記につけているのなら見せていただいても宜しいですか?」

「ん、これ」


 棚に手を伸ばすとひとりでにスケッチブックが飛び出して男の手に収まった。

 該当の頁を探していると、ステッキをついた〈支配者ロード〉が険しい顔で男に何かを命じている絵が現れた。


「これは何をしているのですか?」

「戦闘訓練」

「戦闘訓練? 魔術兵を育成する訓練ですよね? 本当に受けていたのですか?」

「本当」

「あの店主が言った話は嘘じゃなかったのか。では、睨んだだけで人が死んでいったという話は……?」

「ん……そんな魔法、知らない」

「ですよね。普通に考えて有り得ませんし」

「でも、殺し方、教わった」


 男はそう言って新しいスケッチブックの頁に記憶した人体解剖図を描き始めた。

 男が描いた図には臓器だけでなく主要な血管や神経まで載っていた。最後まで描き上げると、うなじの辺りの神経を指して言った。


「ここ、切る……死ぬ。結晶で、切る。遠くから」


 握った手を開くと、髪の毛ほどの細さしかないガラスの針があり、浮遊魔法でふわふわと浮き上がった。


「へぇ……。何と言いますか、物騒だな。魔術兵の訓練ならそんなものかもしれませんが」

「大丈夫。傷、そんなに、つかない」

「大丈夫って……命を奪っておいて大丈夫なわけがないでしょうが」


 少年はガラスの針を手に取り、じっくりと調べた。


「これを以前魔法で一気に剪定した時のように飛ばすというわけですか。確かにこの細さだったら遠くからでは見えませんし、睨んだだけで死ぬようには見えなくもないか……。うぅ、想像しただけで恐ろしいな」


 少年は身震いし、今聞いた内容を手帳に書き留めた。


「噂になっていたくらいですし、今のお話を聞く限り、魔王様は相当優秀な魔術兵だったのでしょう。〈支配者ロード〉が特別扱いをする理由がそれなのかはわかりませんが、徴兵って確か普通は十歳以降ですし、異例ではあるのは間違いないと思います」

「僕、凄い?」

「あまり安易に褒めたくはありませんが、まぁ凄いですよ」


 褒めてもらい、男は密かに口角を吊り上げた。


「そういえば、五分、経った。さっきの、絵本、覚えてる」

「覚えている? どういうことですか?」

「『お母さんは言いました。この道を真っ直ぐ行った先のお店でりんごを買ってきておくれ。赤くてまあるい大きな物を選ぶんだよ』……ほら」

「先程は全然言えなかったのに。しかもスラスラと。何故言えたのですか?」

「一回見れば、覚える。頭の中、ゆっくり、読む」

「これは驚いたな。見たものをそこまで正確に暗記しているのか」


 少年は更に何かを書き加えた。


「代償についてわかりそうなのに、まだ足りないなぁ。もう少し考えてみます。他の日記も見せてください」


 その後、丸二日かけて四年分の日記を調べたが、結局めぼしい結果は得られなかった。

 そうして過ごしているうちにハーブティーの完成日を迎えることになった。


  ◇


「いい天気ですね。雲一つない青空、温かい陽気、緩やかなそよ風、まさに茶会を開くのにはうってつけです」

「ハーブティー、多分、出来た。これ」

「色も香りも問題なさそうですね。では早速準備に取り掛かりましょうか」


 翌朝、少年は〈ひとりの国アローン・ランド〉に来るなり嬉しそうにそう言った。少年がここまで笑顔いっぱいに喜ぶと思っていず、意外だった。

 出会ってから二週間ほど経っただろうか。短期間に思えたが、毎日朝から夕方まで一緒に過ごしていたお陰で少年が心を開き始めているらしい。

 初めて会った頃は鬱陶しいと思っていた男も今では毎朝の来訪を楽しみにしているくらいだ。


「準備、何、する?」

「魔王様は茶器を準備してください。その間に私がテラステーブルを拭いてマットを敷いておきます」

「ん、わかった。あと、着替えて、いい? この前、くれた、服」

「言われてみれば、そのボロで茶会をするというのも微妙ですしね。お願いします」


 母親はいくつかの茶器を持っていたが、少年が指定した物は金の装飾のあしらわれた最も高級なものだった。

 その茶器は男との仲が悪くなり始めた頃に母親が衝動買いした物だった。

 あの時の父親の怒った顔はよく覚えている。恐らくは母親が〈支配者の国ローズ・ランド〉に納めるために溜めていた魔石を全て使って手に入れた物だ。

 父親は母親が脱税者にならないように母親の分まで無理をして魔石を作っていた。そして父親が魔力不足によって気を失っている間に母親は毒を飲んで死んだ。

 裏を返せばそれだけ苦労して手に入れた物だということで、本来は平民の手に余る物だ。


 茶器を持って庭に戻ると、少年によってテラステーブルが綺麗に飾りつけられていた。白いテーブルクロスの上に街で購入したナプキンを敷き、中央にスコーンやサンドイッチの詰まった三段のスタンド皿まで置いてある。統一感を持たせようと思ったのか、柄の趣向が男の持ってきた茶器と似ている。


「凄い。綺麗」

「王宮にある物と比べれば玩具のような物ですよ」

「ううん、凄い。初めて、見る。王族、なった、気分」

「一応貴方だって王族でしょう。魔王と呼ばれているくらいなんですから」

「……そっか」

「まぁ、喜んでいただけたのでしたら本望です。茶器はマットの上に置いてください」


 言われた通り持ってきた茶器を置く。あまりいい思い出の詰まっていない茶器だが、少年の持ってきた高級品の隣に置くと見事に調和し、きらきらと輝いているようにさえ思えた。

 テーブルの上には湯を沸かす魔道具のポットも置かれており、煮立っているのか注ぎ口から白い湯気が立っていた。


「早速始めましょう。そちらの席にどうぞ」

「う、うん」

「緊張しているのですか?」

「ちょっと」

「堅苦しい会にするつもりはありませんから楽にしてください」


 席につくと少年が慣れた手つきでカップにハーブティーを注いでくれた。

 濃縮された薔薇の香りが鼻をくすぐる。子供の頃から味や香りに対する興味は全くと言っていいほどなかったが、この香りは嗅いでいて悪い気がしなかった。


「あ……飲み方、とか、ある?」

「好きにどうぞ。作法はありますが、私的な会であれば私もいちいち守っているわけではありませんので」

「……」

「どうしてもというのでしたら、私のやり方を真似てもいいです」

「ん……そうする」

「はぁ。不満があると黙るとか、適当にやるのが苦手とか、段々と魔王様の行動パターンを理解してきている自分がいて妙な気分になります」

「嫌?」

「別に、嫌というわけでは」


 カップを口元に運び、香りを楽しんでからハーブティーを口に流し込む。スタンド皿からスコーンを手に取って割り、たっぷりとジャムをつけて齧る。

 それらの一連の動きをしっかりと目に焼きつけ、完全に同じ動きでハーブティーとスコーンを口に運んだ。

 真似されるのが少し恥ずかしいのか、少年は照れを隠すようにそっぽを向いた。


「ハーブティーもいい香りです。さすがはプラチナローズといったところでしょうか」

「うん」


 会話が途切れ、静寂が訪れる。

 少年がスコーンを半分食べ終えたところでサンドイッチに手を伸ばした。男もそれに倣ってスコーンを半分皿に残してサンドイッチを頬張った。少年がハーブティーを飲めば男も同じだけ飲む。

 さすがの少年も完全に自分の行動を真似されるのは落ち着かないらしく、サンドイッチを口の中に押し込むと腕を組んで仰け反った。


「やり方がわからないのはしょうがないとして、もう少し普通にしてもらえませんか? 茶会というのは社交の場です。美味しい茶と茶菓子で場を温め、会話を楽しむものです。黙々と栄養を摂る食事とは違うのですよ」

「ん……? あ、話したい、ってこと?」

「まぁ、そうですね。会話でもすればこの異様な感じも少しはマシになるかと」


 思い出してみれば、父親と母親が茶会を開いていた時も二人は会話を弾ませ、いつも笑い声が絶えなかった。

 男も茶会は楽しいものという認識でいたが、今の雰囲気はそれとかけ離れてしまっている。


「会話……何、話す?」

「好きな物とか、何でもいいですよ」

「好きな物……蝶が、好き。黒アゲハ、かっこいい。モンシロチョウ、可愛い。幼虫、突っつく、変なの、出る。臭い、面白い。虫かご、いっぱい、飼ってた。一気に、羽化、驚いた。幼虫、綺麗な、成虫、なる……羽、しわくちゃ、伸びる! か、感動、した」

「随分喋りますね……」

「あと、僕も、蝶、言われる。魔王の、印も。蝶、嬉しい。嬉しいの、蝶」

「はぁ」

「ん……君、嫌い? 蝶」

「別に嫌いじゃないですが、魔王様の話が唐突といいますか反応に困るといいますか。というかこの場合、相手に尋ねるのが普通じゃありません? 社交の場における会話は相手のことを知るためにするものなんですから」

「じゃあ、君、何、好き?」

「何で答えなきゃいけないんですか」

「え……」

「いや……そういう流れか。うん、まぁ……。自分の趣味嗜好を語るのは性に合わないのですが、今だけは特別にお答えしますよ。こう見えて菓子を作るのは好きです。お母様が菓子作りを嗜んでいましたので、その手伝いをするうちに自然とレシピも覚えました。今回は買いましたが、普段は茶会用の菓子は自分で作ります」

「凄い」

「大したことではありませんよ。お母様の教え方が上手かったのです。調理器具の使い方、粉の振るい方、生地を混ぜる時のコツなど、手取り足取り教えてくださいましたから」

「君、母さん子?」

「まぁ……幻王様とはなかなか会えませんし」

「母さん、どんな人?」

「知りたいのですか?」

「うん」

「仕方ないですね」


 少年は胸ポケットのケースから小さな額縁を取り出し、男に渡した。赤いドレスを纏った金髪で鳶色の目をした女性の肖像画だった。


「二年前に王家お抱えの画家に描かせたお母様の肖像画です。元は大きな絵なのですが、机に置きたいからとお願いして小さい物も描かせました」

「これ……手、形、変。肌、ベタベタ。影、おかしい」

「勘弁してくださいよ。画家と言っても魔王様ほど完璧に形を描き写せる者ばかりじゃないんですから。第一、お母様のような卑しい身分では一番の腕利きの画家に描いてもらうなんて贅沢は出来ませんし」

「卑しい?」

「お母様はお父様にとっては三人目で、私は末の王子ですから。王族の中では十分卑しいのですよ。家系図を見ればわかることです」


 そういえば以前家系図を調べた時にそういう家族構成だったことは覚えている。


「なんて、今ではもう家系図からも消されているでしょうけど」

「王位継承権、ないから?」

「ええまぁ、そんな感じです」

「いつの、話?」

「……本当に何も知らないのですね。いや、知っているのは王家の人間だけか。幻王様は隠したがっていたし」

「教えて」

「ここだけの話、お母様が〈支配者の国ローズ・ランド〉に連行されたのですよ。それで私の名声は地に落ち、王位継承権も剥奪されました。もう四ヶ月近く前の話です。一時は他を圧倒する魔力の強さから神童ともてはやされ、〈大魔術師グレイテスト・ウィザード〉リチャードの生まれ変わりとまで言われていましたが、圧倒的な魔力も、知識も、全て意味を無くして、今や平民と同レベルと言っても過言ではありません。平民の方がまだマシでしょう。現金な貴族どもは、私が力を失ったと知った瞬間手のひらを返したように私を嘲笑い、反吐が出るような暴言を浴びせてきました。全く、クソ喰らえですよ、あんな奴ら! でも、私が生まれた場所はそういうところなのです。今やどこに行っても、他人だらけなのですよ。家にいても、街に出掛けても、誰もいない森で呆然と一日を過ごしている方が遥かに有意義に思えるくらい居場所がない。どうしてなんですかね? 私は王子として生まれて、全ての〈魔操者メイジ〉から愛される人になるのだとお母様はいつも仰っていたのに……こんな、惨めで」


 やりきれない想いをぶつけるように、実を切っている手に力がこもる。その僅かな仕草から少年が如何に苦しみ、我慢を重ねてきたのかが伝わってきた。


「母さん、何した? 連行、って」

「外の国について調べていたのですよ。知っていますよね? 〈支配者の国ローズ・ランド〉の外には〈魔霧の森ミスト・ウッズ〉が広がっていて、森を超えるとこことは全く違う理の世界が広がっている。そこでは言葉も生活様式も服も、もしかしたら体の特徴すら異なっている。でも、外の世界があることは〈魔操者メイジ〉には秘匿されているのです。調べることは勿論、知ることすら禁じられています。まぁ、現実には外のことは呪いやまじないと同様にオカルトとして浸透していますから、さすがに知っているかどうかまで取り締まっているわけではないようですが。兎に角お母様は禁忌を犯して、連れて行かれました」

「それで?」

「死にましたよ。〈魔操者メイジ〉が外の国に関われば即極刑ですから」

「ずっと、会ってない?」

「そりゃあ、死んだわけですから」


 男は絵を少年に返した。絵をしげしげと眺める少年の赤い瞳には愛しさと悲しみの色が浮かんでいる。


「寂しい、ね」

「別に、そういうわけでは……」

「嘘、いい。寂しい、は、苦しい。僕、知ってる。ひとりぼっち、嫌」

「え? でも、魔王様は今の生活、嫌じゃないって」

「退屈、知らなかった、だけ。でも、寂しいの、嫌」

「そっか。魔王様にも寂しいという感情はわかるのですね」

「わかる。父さん、〈支配者の国ローズ・ランド〉、行った。十一年前。もう、誰とも、話さない。寂しい」

「そうですよね。こんな狭い場所で魔石を作る生活だけ続けて、寂しくないわけがない。寂しさの感情があるのなら」

「うん」


 絵をしまい、ハーブティーをゆっくりとすする。

 いつの間にか険しかった少年の表情から力が抜け、落ち着いた様子を見せている。


「はぁ。全く、こんな話をどうして魔王様なんかにしてしまったんでしょう? 今まで誰にも話したことはなかったのに」

「そうなの?」

「ええ。同情されるのは嫌でしたから」

「僕の、せい?」

「そうですね。魔王様のせいです。まるで別の世界にいたような、何も知らなくて、くだらない見栄も悪意もない人。だから何でも話せてしまう。不思議なことに……」


 少年はカップに口をつけ、最後の一口を煽った。男も少年に倣いカップを空けた。


「その辺り、歩いてきます」

「庭?」

「ええ。崩れている生垣がないか見ておきたいですので」


 少年は物思いに耽るように奥の方へ歩いていった。一人になりたいのだろう。

 小さい頃、よく父親がそう言って家の外に出掛けていたので待つことには慣れている。

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