第9話 監視
翌日、いつもの時間になって少年が〈
「あれから体調は大丈夫でしたか?」
「マスク、あれば、平気」
「それはよかったです。でも、本当に気絶するなんて。それどころか死にかけていた」
「死にかけてた?」
「覚えていないのですね。魔王様、倒れた時は全く息をしていなかったのですよ。あの〈
「〈
「本当に特別扱いなのですね。店に入ってくるなり、血相を変えてマスクの在り処を訊いていました。〈
朧気ながら覚えている。最初は記憶の中の父親を見たのかと思っていたが、あの時男を覗き込んでいた緑の瞳は〈
「……おかしい」
「おかしいとは?」
「〈
「魔王様のように特別扱いされる人でも? そういえば魔石回収に来ていた〈
「変わってる。ん、なんで、倒れた……わかった?」
「考えてみれば不思議ですね。扉は閉まっていたはずですし、〈
リンリンという音とともに白い光がやってくる。精霊は穏やかに体の光を明滅させながら男に持っていた物を押しつけた。
薔薇の実が詰まった小瓶と自家製ハーブティーの作り方が載っているレシピ本だ。
「そういえばこの精霊、倒れた魔王様の胸ポケットから飛び出していたような……。魔王様は精霊と契約をしていたのですね」
「契約?」
「願いを叶えてもらう代わりに自分の魔力を分け与える行為ですよ。あれ? 違うのですか?」
「契約、してない。野生の、子」
「野生のはずがないじゃないですか。精霊は聖域以外では人から魔力を供給されなければ姿を保てないのですよ」
「そうなの?」
「この精霊も明らかに誰かと契約しています。よく見れば光の中に模様が見えますし……」
確かに光が弱まった時に模様が見えることは知っていた。その形が蝶に似ていたのでどことなく親近感を覚えていた。
しかし精霊というのは皆そういうものだと思って気にしていなかった。
少年が精霊の模様をよく見ようと顔を近づけると、精霊は気分を害した様子で少年の額を蹴り飛ばした。
「いたた。というか、そんな言い方しなくてもいいだろう! 失礼な精霊だな」
「言葉、わかるの?」
「わかるのって、今はっきり言ったじゃないですか。からかわないでくださいよ」
「言ってない」
「そんなまさか」
「聞こえたの、リンリン、だけ」
「え?」
精霊は何かを訴えるようにリンリンと鳴いた。どうやら精霊も少年の特殊な力を認めたらしい。
「この声が私にしか聞こえていない? 嘘でしょう?」
「君、凄い」
「凄くなんか……って、私の話はいいのです。問題はこの精霊ですよ。ここにいるということは、誰かが魔王様の家に生活を監視しているということですよ」
「……十年前、から、いる」
「そんなに長く? 精霊の主に心当たりはないのですか?」
「ない。〈
「買い物もしたことがないほど家に引きこもっていたんですもんね。昨日はこの精霊が助けを求めてくれたから魔王様は助かったのでしょうけど、よりにもよって〈
「精霊の、主……〈
「まさか、有り得ませんよ。精霊との契約には魔力が要ります。〈
「……精霊、訊いてみる?」
「その手がありましたね」
少年は精霊に主は誰なのかと尋ねた。すると精霊は気分を損ねたようにそっぽを向いた。
「まぁ、そう簡単に教えてはくれませんよね」
「あの子、悪い子、じゃない。きっと、主、いい人」
「私もそう思います。少しじっとしていただけますか?」
少年は両手を重ねて魔力を解放した。硬い感触の魔力が男の体を包み込み、その後少年の方へ流れていくのを感じた。
「ああ、やはりです。魔王様、あの精霊の加護を受けています」
「加護?」
「魔王様から精霊の力の残滓を感じました。初めてお会いした時から変わった魔力をしているなと思っていました。ずっと〈
「そんなこと、わかる?」
「言っていませんでしたか? 私は人より魔力が強いせいか周囲の魔力に敏感なのです。解析魔法を使えば相手がどのような魔法を得意とするのか、或いはかけられた魔法の種類も調べることが可能です。魔王様が裁きに記憶改竄の魔法を用いていると見抜いたのも、過去に魔王様が罰した子供を調べたからですよ」
「凄い」
「また凄いって……別に褒められるようなことではありませんよ」
精霊はそんな話はいいからと言うようにリンリンと騒ぎ、男に渡したレシピ本の、薔薇の実を使ったハーブティーの作り方が載った頁を開いた。
どうやら一緒に渡した実を使って自家製のハーブティーを作ってみてはどうかと言いたいらしい。
「結局茶葉は売ってもらえなかったですしね。プラチナローズの実があればそれなりの物が作れるはずです。これ、いいじゃないですか」
「……」
「何かありました?」
「母さん、好きで。よく、飲んでた」
精霊が持ってきた本は母親の部屋にあった物だ。当然母親が家でよく作っていた。
どんなことをしていたのかも、手元を覗いたことがあったので知っている。
「作れる、と、思う……。でも、わからない。作って、いいか。怒られる、かも」
「怒られるって、ずっと前に亡くなっているのですよね? 今更なんじゃないかって思いますけど」
「……」
精霊は大丈夫だと背中を押すように男の耳元に体を擦りつけた。除け者だった自分に母親と同じ物を口にする権利などあるのだろうか、そう思えてならなかったが、そもそも母親の愛用していた茶器を使い、母親のお気に入りのテラステーブルでプラチナローズを愛でながら茶会を開こうとしていたのだ。
残酷なようにも思えるが、少年の言う通り今更なのかもしれない。
男は自分の気持ちを述べる代わりに精霊に頷きを返した。精霊は嬉しそうに弾むとどこかへ飛んで行った。
「そろそろ、フェンスを塗り始めましょうか。乾くまで時間がかかりますし」
「うん」
昨日買った塗料と刷毛を取り出し、二人でフェンスに塗り始める。手で刷毛を持つと塗料で手を汚してしまうため、男は魔法で刷毛を操って塗った。
わざわざ手で出来ることに魔法を使う姿を見て、少年は器用なんだか無駄なんだかと呟いていた。
「この手の塗料は乾かしてから二度塗りした方が綺麗に仕上げられます。乾かしている間に薔薇の実でハーブティーを作りませんか?」
「そうしよう」
念のため倒れても他を汚さないようにと結晶魔法の壁でフェンスとアーチを囲んでから、二人はキッチンへ移動した。
精霊から受け取ったレシピ本を見てみると作り方は至って簡単だった。
実を小さく切り、乾燥させるだけ。
ナイフなどの道具は持っていなかったが、それらは結晶魔法で代用出来た。
鋭利な結晶でナイフを、柔らかい結晶でまな板を、多孔質の結晶で乾燥に使うトレーを作った。男が魔法を使いこなす姿を見て、少年は感動を通り越して呆れてしまったようだった。
「この国を見回しても、魔王様ほど便利に魔法を使いこなしている人はいないと思います」
「君、あんまり、使わない。なんで?」
「そもそもそんなに使える場面がないのですよ。私が得意とする虹魔法も解析魔法も、日常生活を送る上では全く必要のないものです。得意とは言えない治癒魔法の方がずっと使います」
「得意、じゃない? 凄いのに」
「まぁ魔力だけは強いですから。特別な才能がなくても、魔力の量で押し切ることが可能なのですよ、私は」
魔力が強いと聞いて何の話かピンと来た。この機会にと、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「〈
「え?」
「〈
「何だ、知っていたのですか」
「うん」
作業場所を水拭きしていた少年は顔を曇らせる。やはり触れてはいけないことだっただろうかと焦りつつ、弁解の言葉も思いつかず男は黙って実を切り始めた。
切った実をなるべく重ならないようにトレーに散らしていると、少年が気が抜けたような溜め息をついて口を開いた。
「まぁ、気づいていますよね。髪の色も隠していませんでしたし」
「髪、暗い色……全部、なると、死ぬ?」
「噂ですよ、噂。別に髪の色が変わったからって体調に変化はありませんし」
「なんで、隠さない?」
「私は魔王様と違って引きこもっているわけではないですから。隠そうと思ったら一日中魔法を使わなければなりません」
「使えば、いい」
「魔力は有限ですから。魔力が枯渇してぶっ倒れてもなんとも思わない人にはわからないかもしれませんが」
矛盾していると思った。
大量の魔力を有しているのならばそう簡単に魔力が枯渇して倒れることはない。丸一日は無理でも、日中家の外にいる間は変装を続けることは可能のはずだ。
何故そうしないのだろうと思う。
もう少し追求してみようかと口を開いた時、少年が遮るように自分のトレーを男の前に押しやった。
「これで全て切り終わりました。切った実は風通しのいいところに置く必要があるようですが、どこかいい場所はあります?」
「物置、の、前。母さん、使ってた」
「確かにあそこなら屋根もありますし、よさそうですね」
トレーを持って物置に向かう。
庭の隅にある物置に向かう途中、男は土の地面に違和感を覚えた。
知らない足跡がある。
少年の足跡より明らかに大きく、自分の足跡より僅かに小さい。誰かが家に入ってきたのだろうかと辺りの魔力を探ったが、特に異常はない。
鉄の門も男の魔力で施錠されており、左右の塀も誰かがよじ登った痕跡はなかった。
では一体この足跡は何なのだろうか?
「早く置きに行きましょうよ」
「あ……うん」
今は少年の相手が優先だ。足跡のことは後で調べればいい。
屋根の下に置かれた木箱にトレーを乗せ、念のため雨が入らないように結晶で衝立を作る。きちんと香りを閉じ込めるためには三日間乾かす必要があるようだ。
「茶会は三日後になりそうですね」
「うん。楽しみ」
空を見上げると、既に日が西に傾いていた。少年は懐中時計を取り出して時間を確認すると、気怠そうに両方の拳を空に突き上げた。
「やれやれ、そろそろ時間のようです。帰ります」
「……どうした? 元気ない」
「は? 何で?」
「そう、見える」
「別に、最近冷えてきたから歩くのが寒くて嫌だと思っていただけですよ」
「……」
「兎に角、はい、パスポート」
いつもの通り差し出された頁に出国許可の印を焼きつける。白紙だった赤いパスポートはこの十日間で随分と賑やかになった。自分のパスポートに似てきていると思い、少しだけ嬉しくなる。
少年にパスポートを返すと、男は少年を家の外へ送り出した。
やはり少年は〈
予想が正しければ二ヶ月半後、息絶え、冷たくなり、灰になって空に撒かれる。いつか母親が追った道を少年も辿る。
そんな未来を想像しただけで酷く目眩がする。
助けたいと思った。何が何でも。
突然ガサガサと薔薇の生垣が揺れた。絡み合った幹の隙間を通って現れたのは小さなイタチだった。
イタチは人がいると思わなかったらしく、男を見て体を固くした。男は柔らかく微笑み、手を差し出しながら誘うように舌を鳴らした。
「チチチ、ツツ……」
するとイタチはおずおずと出てきて、差し出された手の匂いを嗅いだ。もう少し緊張を和らげようと、小さな頬を指先で撫でてみる。
冬支度を始めたイタチの毛はふわふわだった。上質な毛並みを持った若いイタチ。爪も綺麗に揃い、申し分ないほど美しい。
再びガサガサという音とともにイタチの子供らしい小さなイタチが二匹顔を出した。母親が短く鳴くと、子供達も寄ってきた。
子供も見たところ母親に似て申し分ない姿をしている。男はしっかりと狙いを定め〝力〟を解放した。
キラッと釣り糸のような光の筋が宙を駆ける。その直後、母親のイタチが声も上げずに倒れた。
男は満足げにイタチを拾い上げると、その口に指を突っ込み、結晶魔法の繊維を伸ばして中の物を切り刻んだ。
今度はガラスの容器を作り出しイタチの口を開けさせたままひっくり返す。粉砕された臓物の赤黒いどろどろとした液体で容器が満たされたのを見て、子供のイタチは思わず逃げ出した。
その後ろ姿を追って男の目が細められると、今度は二本の光の筋が走り、子供の二匹もまた叩く間に絶命した。
そして母親と同様の処理をすると、三匹分の臓物の詰まった容器を焼却炉に入れ、灰にして肥料にするべく火をつけた。
「……」
やるべきか、待つべきか。炉の窓で揺らめく炎を見ながら男は考えを巡らせた。
その様子を純白の精霊が不安げに光を明滅させながら見守っていた。
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