第11話 執行人
茶会を終え、少年と後片づけをしながら男は考えを巡らせていた。
少年から〈
あの肖像画、男にとってみれば極めて独創的で写実的とは言えない絵に既視感があった。肖像画の人物とどこかで会っているような気がする。
連行、処刑、死罪。
その単語は男にとってあまりにも身近なものだ。ひと月かふた月に一度、〈
中には〈
ちょうど最近も女の〈
既視感の正体はそれかもしれない。
「魔王様、どうかしましたか? 先程から茶器を拭く手が止まっていますが」
「ん……ごめん」
少年の言葉に我に返り、後片づけを再開する。仮に少年の母親を処刑したのが自分だとして、それが何になるというのか。考えただけ無駄だと思った。
結局のところ、母親に会えず寂しいと言った少年の心を癒やすことは出来ない。
いや、案外そうではないのかもしれない。突然男の脳裏にある考えが浮かんだ。もしも本当に先日処刑した女が少年の母親だったのなら、少年を喜ばせることが出来るのではないだろうか?
「ねぇ。君の、母さん……処刑、いつ?」
「え? ああ、二週間前、ですけど……。連行されてから判決が下るまで、ずっと〈
「……」
「何故そのようなことを訊くのです?」
「ちょっと、来て」
男は籠に茶器を置くとダイニングを出て行った。少年は首を傾げつつその後を追った。
自室に来た男は未使用のスケッチブックを手に取ると普段日記をつける要領で絵を描き始めた。
目隠しをされた人物の顔が描かれ、ふっくらとした唇、肌の皺、乱れた髪が精緻に描き足されていく。
絵が完成すると、男は少年に見せるように絵を立てた。
「これ、君の、母さん?」
少年はどきりとした表情を浮かべながら、恐る恐る絵を覗き込んだ。
「えっと……わかりません。目隠ししているから」
「ん……」
確かに人を判別する上で顔がきちんと見えているかどうかは重要だ。しかしいくら男の視力が優れていても、外されなかった目隠しの下を見ることは出来ない。
何か決定的な情報はないのかと、絵を見ながら当時の状況を思い出す。
そんな男の様子を少年は黙って見ていた。酷く不安そうな怯えた瞳で。
「『……お願い。あの子に、フレディに伝えて』」
「え?」
「この人、言った。口、動き、思い出した。『私は貴方を愛している。こういう運命になったことを恨んでいないって。私はフレディに最後まで自由でいてほしいって』」
男の言葉を聞き、少年は驚愕の表情を浮かべた。恐怖の入り混じったその顔は僅かに青ざめている。
「君、名前、フレデリック。フレディ、君……違う?」
「はい……。お母様はいつも私をそう呼んでいました。何故貴方がそれを?」
「聞いた。処刑場で」
「処刑場? まさかお母様の処刑の現場にいたのですか?」
「僕が、処刑した。君の、母さん」
「……え?」
「綺麗な、死体、する、得意。僕、処刑、する。〈
「は? ぬいぐるみ?」
「えっと、少し、変わってる……沢山、ある。見て」
男は部屋の奥の棚にかけた暗幕を取り去った。
そこには無数の物言わぬ動物が並べられていた。少年は恐る恐る棚に近づき、動物達を確認した。
「これって、もしかして剥製ですか?」
「はくせい?」
「本物の動物の中をベースにして作っていますよね?」
「うん。ほら」
作業机に置かれた結晶の箱を開けて少年に見せる。中に目玉をくり抜かれ、口に管を差し込まれたイタチが三匹入っているのを見て、少年は思わず悲鳴を上げた。
「そ、そそ、それ、魔王様が、その……殺したのですか?」
「そう、だけど」
「この棚にある物も全部?」
「うん」
「人間も殺している?」
「えっと……どうした? なんか、あった?」
「なんかあったじゃないですよ!」
少年はがたがたと震えながら、背が壁にぶつかるまで後ずさりした。男は何故少年が怯えているのかが理解出来ないまま、箱を作業机に戻して少年に駆け寄った。
「近寄らないで!」
「ん……」
「わけがわかりません。何が言いたいのですか? ちゃんと正確に言ってください」
「言いたい、こと……。あ……君の、母さん、〈
「は?」
「人間、ぬいぐるみ……難しい。だから、〈
「人の剥製を作っていると言うのですか? 〈
「うん。君の、母さん、も。行けば、会える。寂しくない」
「ちょっと……ちょっとちょっとちょっと、待ってください。何を言っているのですか?」
「君、もうすぐ、死ぬ。なら、助けたい」
「助けるって?」
「綺麗な、死体、する。〈
男は手を開き、髪の毛の細さしかないガラスの針を見せながら言った。
心からの善意で死を提案しているのだ。
少年はいよいよ堪えきれなくなり、悲鳴を上げた。
「やめてください! お願いだから!」
「傷、残らない。大丈夫。母さん、会える。すぐ」
「そんなわけないじゃないですか! お母様は灰になって空にいます。剥製になんてなっていませんから!」
「……え?」
「二週間前、確かに見送りました。動かなくなったお母様を柩に納めて、私が火を放ち、回収した灰を空にまきました。ええ、間違いありません。剥製にして残しておくなんて、そんな残酷なこと、するはずがないじゃないですか!」
「……灰に、なった?」
「他の囚人だってそうでしょう。〈
「え? ……え?」
男は混乱した。処刑を引き受けるにあたり、男は〈
何度かその倉庫を見せてほしいと言ったことがあったが、神聖な場所なので〈
もし〈
魔王として死刑執行する中で傷が残らないように血管を避けて神経だけを切断する技を完成させてきた。それは一体何のためだったのか?
「ち、違う。僕は、助けてた。助けてたんだ! 灰に、しない。つ、土に、埋めない……ずっと、体、残す、ために!」
「魔王様の言う〝助ける〟ってそういう意味? 嫌だ、ああ、嫌だ嫌だ。本当に無理だ……」
少年は半ば倒れ込むように男を突き飛ばすと、転がるように階段を駆け下りた。ちゃんと話を聞かなければいけない気がすると、男もすかさずその後を追った。
「ま、待って! お願い!」
ダイニングに出た瞬間だった。鎖のリング同士ががしゃりとぶつかり合う音が聞こえ、男は反射的に足を止めた。
いつの間にかダイニングに人が来ていた。ステッキをついた老人、男にあらゆるものを教え込んだ教官だ。
「なるほど、死にかけの鼠が紛れ込んでいたのか。道理で騒がしいわけだ」
「ろ、〈
教官は問答無用で少年を鎖で鞭のように打った。強い衝撃と〈
大きな傷を負った少年を見て、男は堪え難い恐怖を覚えた。
突然湧き上がった怒りと恐怖が胃の辺りでもみくちゃになるのを、〈
上下に拮抗する衝動に呼吸もままならなくなり、つけていたマスクが風を送って肺を押し広げた。胸がはちきれるような痛みを覚え、男は唸りながらその場にうずくまった。
左手に握られたステッキがひたひたと男の首筋に当てられる。
何故教官がここにいる?
いつも〈
少年が来ていることを咎めに来たか、或いは別の理由か。
万が一少年を呼び止めた声を聞かれたとしたら、ただでは済まされない。
「もう一度教育が必要か、魔王よ? いや、……エグバート!」
「や……あ……」
教官は男の口からマスクを剥ぎ取り、髪を掴んで顔を無理矢理上げさせた。
大人になってから与えられた称号ではなく名前で呼ばれたことで男の感情は一気に六歳の頃まで引き戻されていた。
抵抗の術を奪われた、無力な幼子に。
「う……んん……」
じとっとした教官の目が自分の口に向けられているのがわかった。
唇を微かに動かしただけで教官は激昂し、手当たり次第の物を壊していく。
だから怒らせないように命令に従いたいのに、恐怖で体が震え、歯ががちがちと鳴る。喉も痙攣して勝手に声が出る。
頭が混乱し、魔力の結晶が自分の身を守ろうと鎧のように纏わりつく。
それが気に入らなかったのか教官は鎖で結晶を粉々に砕いた。
「逃げるな」
「う……う……」
「その声を止めろ。言ったはずだ。お前は話してはいけない。話せない哀れな〈
「……」
全神経を集中させて痙攣する喉を止める。
震えの止まらない体でうずくまったまま、教官の機嫌が直るのをひたすら祈った。
教官は何かを確かめるように周囲を見回した後、ステッキをついて男のそばを離れた。徐に洗い場にあった茶器を手に取って戻ってくる。
「顔を上げろ」
嫌な予感はするが従うしかない。上体を起こすと目の前に茶器が落とされ、粉々に割れた。
本能的にすぐに目を閉じたが、一度目に焼きついた光景が消えることはなかった。
涙がとめどなく溢れ、激しい嫌悪を爆発させるように空中に現れたガラスの刃が四方八方に飛び出した。
壁が裂け、照明が割れ、掛け時計が落ちてカバーが派手に割れる。衝撃で中の歯車が外れ、心音のように鳴り続けていた針の音が止まった。
標的の定まらない刃は教官をも屠ろうと直進した。
教官は極めて冷静に右手の鎖を振り上げ、男の手首を拘束した。〈
「ああ……あ……」
「その声を止めろ。お前の左手を焼き切るぞ」
「ああ……あああ……」
「儂の命令が聞けんのか、エグバート!」
怨霊のような声で男は呻き続ける。するとリンリンという音が響き、白い光がやってきた。精霊は教官の手から鎖を弾き飛ばすと、威嚇するように光をぎらつかせた。
「やっと出てきたか。我ながらこんな簡単なトリックを暴くのに十五年もかかるとはな」
教官が腰に提げていた黒い袋を投げつける。
精霊は身を翻してそれをかわす。突然袋が爆発を起こし、黒い粉が精霊を包み込んだ。
精霊が耳をつんざくような甲高い声を上げる。その声を聞いた瞬間男は頭の中が棒で引っ掻き回されるような嫌な感覚を覚えた。
教官は予期していたのか、男に巻きつけていた鎖を回収すると、筒状の物を男の横に転がした。
筒の側面に刻まれた術式が輝き、男の体に魔力が浸透した。
その瞬間、強い睡魔に襲われる。
懸命に抗おうと目を見開くと、砂塵を被った精霊が徐々にその光を弱め、やがて完全に消えてしまうのが見えた。
どうして消えてしまったのか、床に散った黒い粉に手を伸ばす。その手のひらに〈
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