ひとりぼっちの二人
星川蓮
第1話 死の蝶
時計が針を進めている。一定時間おきに、コツ、コツ、と音を立てて。
作られた際、そうするように命じられたことを淡々とこなす。
静寂の中、無機質な時計の音を聞きながら、一人の男が椅子に腰掛けてテーブルに視線を落としていた。
視線の先に何かがあるわけではない。男は何も見ていなかった。何も考えてすらいなかった。
虚無の時を、時計のようにただ一定間隔で呼吸しながらやりすごしていた。
ボーンと一つ時計が鳴る。それを合図に視線を上げる。
時間だ。男はゆっくりと立ち上がると、黒いローブを纏い、家の外へ出た。
◇
男が家の外に出ると、定刻通りにモノクロの馬車がやってきた。きぃと蝶番を鳴らしながら、コーチからシルクハットにフロックコートを纏った若い役人が出てくる。役人は年季の入ったローブ姿の男を見て、まるで悪臭を嗅いだように顔を歪めた。
「お前が魔王か。話に聞いていた通り、陰気な野郎だな」
「……」
男は目を合わせないように視線を足元に落とした。
黒いフードを目深にかぶり、鼻から口をすっかり覆うほどの大きなマスクをつけているため、表情は殆ど読み取ることが出来ない。
くるぶしを隠すほどの丈の長いローブを着ているせいで、体の特徴も隠され、男の異様な雰囲気をより強めていた。
「処刑の時間が迫っている。乗れ」
役人に顎で指示され、魔王と呼ばれた男は静かにコーチに乗り込んだ。せっかちな性格なのか、男のゆったりとした動きが気に食わなかったらしく、役人は男の尻を押し込むように蹴っ飛ばした。半ばつんのめりながらもコーチの奥に座ると、役人が向かいの座席に座った。
「さっさと出してくれ。下劣な〈
役人に命令され、御者は鞭をパチンと振るった。
この国には二種類の人間がいる。
生まれながら魔力を持っている〈
主従関係にある〈
住む場所も〈
〈
幾度目かわからない招集命令に対し、男が何かを感じることはなくなっていた。
定刻通りに来る馬車に乗り、仕事をし、帰る。
そうして変化のない毎日にほんの少しの刺激をもたらすのだ。
「途中で関所を通る。パスポートを出せ」
〈
男は役人の命令に素直に従い、黒い蝶のあしらわれたパスポートを差し出した。役人は〈
「お前の名前、クラースって、五百年前にいたあのクラースと関係あるのか?」
「……」
「おい、おいおいおい、質問しているんだ。答えろ」
「無駄ですよ。その男、〈
「ノクス? ああ、長生きする〈
御者の説明を聞いて興味をそそられたのか、役人は舐めるように男の顔を覗き込んだ。主従関係はわきまえていると主張するように男は青い瞳を横に向けた。役人は優越感に浸りながら、マスクを剥ぎ取った。
フードがはだけ、男の顔が露わになる。
暗い色の肌に全ての光を吸収したような漆黒の髪が張りつき、尖った鼻に薄い唇、痩せた頬と全体的に淡白な顔立ちをしている。夜の始まりを思わせる青い瞳は焦点が合っていないようにどんよりとしており、男の陰鬱さを増長している。
「なんだこれ。術式が光ってやがる。魔道具なのか?」
「……」
「あまり勝手なことはなさりませんように。顧問教官殿に知られれば面倒なことになりますよ」
「ああ、そういえばあの面倒なじじいの肝煎りだったな、お前は」
役人はつまらなそうに鼻を鳴らし、マスクを男の胸に押しつけた。男は特に何も反応を返すことなく、黙ってマスクをつけ直した。
綺麗に敷き詰められた石畳の上を馬車が走っていく。コーチの扉に刻まれた〈
皆、畏れているのだ。〈
暫くして馬車が関所に着いたらしく、役人は男と自分のパスポートを持ってコーチを下りていった。そして関所の番人から通行許可の印をもらうと足早に戻って来て、男にパスポートを返却した。
ここから先は〈
煙と塵で淀んだ空気がコーチの隙間から入ってくる。鼻をつく文明の臭いを感じながら男は人形のように揺られていた。
最初こそちょっかいを出してきていた役人も男が瞬きと呼吸以外は身じろぎ一つしないとわかると、玩具に飽きた子供のようにふてくされていた。
馬車が緩やかに速度を落とし、停止する。役人は気怠そうに伸びをすると、顎でコーチの扉を指した。
「降りろ」
命令された通りコーチから降りると、目の前には灰色の四角い建物がそびえ立っていた。
窓一つない巨大な箱のような建物の唯一の出入り口には剣を提げた〈
その二人の兵が素早く姿勢を正したかと思うと、建物からステッキをついた白髪の老人が現れ、じとっとした目を男に向けた。
「……」
この二人の間には言葉は要らない。教官は無表情に見える男の顔から感情を読み取ることが出来、また男の方も何も指示されずとも教官の望む通り行動することが出来た。
ローブの裾が殆ど揺れないほど静かに足を進め、教官の脇から建物の中に入ろうとする。すると何かに気づいた様子でステッキの柄を男の腰についた足跡に押し当てた。
「生意気な新任が。少し待っていろ」
教官はフンと鼻を鳴らし、暇そうに口笛を吹いている役人の注意を引くようにステッキで石畳を叩いた。
「処刑の現場に来い。こいつが何故死の蝶と喩えられるか教えてやる」
「あんたに従う筋合いはない」
「この男は我が国が誇る最終兵器だ。こいつに関わることは儂に処理する権利が与えられている。聖王様直々にな」
「最終兵器? 口も利けない無反応野郎が? お荷物の間違いだろう」
「二度は言わんぞ。どうせ〈
教官はそう言うとステッキをつきながら建物に入っていった。役人はちっと舌打ちをしてから大股でやってきた。男の横を通る時に男の足を踏みつけていく。それですっとしたのか、役人はヤニだらけの歯を剥き出しにして笑い、教官の後を追った。
男は誰にも気づかれないように魔法で靴から砂を振るい落とし、二人の後に続いた。
年季の入った木の階段を軋ませながら地下へ降り、広けた部屋に入る。全ての音が吸い込まれるような静寂の中で、ポールに縛りつけられ、目隠しをした七人の男女がいた。
男はいつもの通り部屋の中央に立った。
「待て。刑を執行する前にこれを試してもらう」
教官が片手に収まるほどの小さな円柱を押しつけながら言う。また何かの実験をさせられるらしい。
男は教官の命令に素直に応じ、円柱の横についたスイッチを入れた。中に装填された魔石から魔力が放出され、円柱に刻まれた術式が輝き出す。体に魔力が浸透していき、頭にノイズが走るような嫌な感覚と、眠気に似た脱力感があった。
円柱を教官に返した後、拘束された一人一人に狙いを定めるように目を細める。後ろには監視するように教官が椅子に腰掛け、その隣に嫌悪感を滲ませた役人が立っていた。
「何が面白くて処刑の場なんか見せるんだか」
「奴が死刑執行する瞬間を見れば、そんな軽口は叩けなくなる」
「どうせ魔力に任せてドーンと派手にやるんだろう? 火か? 水か? わかった、電だろう。だが、そんなのどうだっていいね。この国を治めているのは我々〈
七人の死刑囚のうち、男は左から三番目の女に目を留めた。女から魔力の気配がする。
間違いない、〈
女の方も男の魔力に気づいたらしく、居場所を探るように顔を上げた。
「そこにいるのは〈
「……」
「お願い。あの子に、――に伝えて。私は貴方を――している。こういう運命になったことを恨――ないって。私は――に最後まで自由でいてほしいって!」
「……」
「ねぇ、聞こえているんでしょう? 何か言って! お願い!」
女が何かを叫んでいる。しかし頭がボーっとして肝心なところが聞き取れなかった。
口の動きから何を言ったのか推測してみようかと考えていると、教官が急かすようにステッキで床を叩いた。
「何をぐずぐずしている? やれ、魔王」
「え? 魔王って、〈
教官に命じられた瞬間、男の思考にノイズが走り、命令を実行すること以外何も考えられなくなってしまった。いつもの通り、全神経を集中させる。
キラッと釣り糸のような光の筋が男の周りできらめいた。
次の瞬間、右手の二人の死刑囚が脱力し、その一秒後には別の二人が動かなくなった。左端の二人も同じようにがくりと頭を垂れ、最後まで大声で喚いていた女も糸が切れたように大人しくなり、ポールに固定されていた縄が解けて床に突っ伏した。
全てが終わるまで三秒とかからなかった。その間、男は視線以外どこも動かしていなかった。
「戻れ」
ぼんやりしたまま、命令に従い教官の前まで戻る。
教官は懐から陶器の小皿を取り出すと床に叩きつけて割った。それまで人形のように感情をなくしていた男の目に強い動揺が走る。思考を撹乱していたノイズが弾け、深い恐怖に胸を鷲掴みにされる。
「拾え」
「ん……」
男は目を閉じ、夢中で首を振った。見てわかるほど全身ガタガタと震えていた。
「これも駄目か。やはり元を断たねばどうにもならんようだな」
「……」
「ご苦労だった。帰りは行きと同じ馬車だ。またな」
男は動揺を隠せないまま、フラフラと処刑場を後にした。淡々と手に持ったボードに何かを書き留める教官の隣で役人が泡を食ったように口をぱくぱくさせた。
「ま、待ってくれ。殺したのか? 本当に?」
「そういえば死体を片づける作業員が一人欠けているそうだ。暇なら死んでいるか確認するついでに片づけていくといい」
「呪いか? 死の呪いをかけたんだろう? 魔王って呼ばれてるくらいだもんな? そういう魔法だって使えるんだろう」
「魔法で命を生めないように、魔法で命を奪うことは出来ない。呪いというオカルトと、理論で証明された魔法を一緒にされては困る。お前も〈
今日の結果を書きとめ、教官は処刑場の出口へ向かった。しかし何かを思い出したように役人に振り返った。
「敵の間隙を縫い、一度宙に舞い上がれば、奴の下には無数の死が広がる。まるで蝶が死の鱗粉を撒き散らすようだろう。だから奴は死の蝶と呼ばれる。だが、今の奴は蛹だ。だから儂が必ず羽化させる。その時は巻き添えを食らわぬよう、せいぜい保身の術を身に着けておくんだな」
唸るように言い、今度こそ教官は去った。
外に控えていた清掃員達が骸となった死刑囚達を担ぎ出していく。役人は〈
目立った外傷はない。血も出ていない。毒を使ったような臭いもない。
しかし事切れている。
半ば混乱したまま女の体を横たえようとした時、首を支えていた手にチクッと痛みが走った。手から赤い血が滴り、その血が刺さった物にも付着していた。
それで気づいた。女のうなじに髪の毛と変わらない細いガラスの針が刺さっていることに。
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