M4 好き

 バスの車内は、座席がほぼ埋まっていた。乗客のほとんどは商業施設や百貨店へ買い物に来た主婦だ。

 ちょうどセール期間らしい。湊音の前に座った歴戦の猛者たちは戦いに備えて作戦会議をしている。


 バスを降りた湊音を塞ぐように、駅周辺の人通りは多かった。買い物袋を抱えて駅へ向かう人もいれば、少し遅いランチへ向かう人もいる。仕事を辞めてから、よく見る光景が広がっていた。


 しかし、一つだけ違和感があった。ステージのある広場だ。

 いつもは井戸端会議の母親と、それを待つ子供が走り回っているのに、今日はやけに閑散としている。


 異様な光景の原因はすぐにわかった。

 湊音の心配など知りもしないさくらが、コンビニで買ったパックのココアを飲みながら、ベンチの主になっている。

 サングラスとキャスケットで顔を隠し、手に持った新聞に空いた二つの穴から、ステージを凝視していた。


 お前は探偵気取りか……。


 怪しさ満点の不審人物を見て、通行人は足早に通り過ぎていく。声をかけるのもはばかられた。

 踵を返す足を、すれ違う主婦の声が止める。


「あの子、ずっとベンチに座っているのよ。旦那が帰宅する時間にもいるみたいで……」

「ちょっと怖いわね」


 遠目でも気づくほど、さくらの肌は赤くなっている。もともと白い肌をしているから、より日焼けが目立つのだろう。

 果菫の責める声が脳裏を過った。


 湊音は覚悟を決めると、つま先を方向転換する。コンビニのチャイムを鳴らすと、ペットボトルの水を購入する。レジ袋を揺らして、さくらの背後へ回った。


「何してんだ」


 キンキンに冷えたペットボトルを首にあてると、小動物のように体をぴくりと跳ねさせた。泣きそうになりながら振り向いたさくらは、湊音の顔を見て安堵の息をつく。サングラスを外すと、気恥ずかしそうに髪を撫でた。


「路上ライブがいつ始まるかわからないので、張り込みを……」


 聞いた湊音がアホだと思うほど、予想通りの返答だった。


「大学も休んでんのか」

「……はい」


 大学1年目は必須科目も多く、留年の可能性だってある。不毛に単位を落とすわけにはいかないだろう。

 湊音の主観では――大学に入ったからには卒業するべき――だ。


「明日からはちゃんと大学に行けよ」


 さくらの表情は、大人のちゃんと学校に行きなさいほど納得できないものはない、と物語っている。

 とはいえ、このまま放置するのも気が引けた。重しを落とすような音を立てて、湊音はベンチに腰を落とした。


 水と一緒に買ったタバコを取り出すため、袋に手を突っ込む。冷やされたパッケージに触れると、『副流煙』の文字が目に入った。


 他人がこんなに親切にしてやってるのに、とんだじゃじゃ馬娘め――。


 長い息を漏らしながら、ジーンズのポケットにねじ込む。


「どうして、あのベースボーカルに固執するんだ?」


 あの子の演奏は他のメンバーと比較しても、圧倒的にパワーが違った。湊音も彼女が何者か、興味がないわけではない。

 しかし、ベースボーカルに強く執着するほどではなかった。


「オーディションを受けてこなかったのには、理由があるんです」


 ベースボーカルとオーディション、何が関係あるんだ?

 こみ上げた言葉を飲み込み、先を促す。


「理由?」

「高校生の時、養成所に通っていたんです」

「経歴にも書いてあったな」


 湊音は彼女の書類を思い出す。

 系列事務所の所属や研修生になれるアイドル養成学校に、彼女は高校三年間通っていたはずだ。

 全員が全員、アイドルになれるわけではない。夢を叶えるのは一握り。それは公募のオーディションも、養成学校も変わらない。


「友達が遊んでる時も、受験勉強している時も、ダンスと歌のレッスンを受けてました。でも、わたし不器用だから、人の何倍も練習しても上手くできなくて。

 周りの子はみんなデビューしたり、諦めちゃって。気づいたら私一人だけになってて……」

「確か去年、高校卒業と同時に養成学校も辞めてたよな」

「はい。在籍期間が終わってしまったので」


 養成学校は通える期間が決まっており、たいてい二、三年が多い。在籍可能な期間内に選ばれなければ、卒業という名目で追い出される。


「養成所の規則に、社外のオーディションを受けてはいけないっていうのがあったんです。こっそり受けてた子もいたんですけど、わたしは柔軟に立ち回れなかったから」


 湊音は足を組み替えた。否定も肯定もしない。ただ静かにさくらの話を聞いていた。


「だから、大学生になってオーディション受け始めたのか」

「才能ないんだろうな。諦めたほうがいいんだろうな。って、思うこともたくさんあるんです。でも、諦めきれなくて――」


 さくらを見ていると痛感させられる。湊音がしてきたのは、彼女を量産する仕事だ。

 湊音は選ぶ側だった。不合格通知を送ったところで、相手の反応はわからない。ただ数えきれないほど発送した封書は、他人の未来を容赦なく食い潰していた。


「……違う。諦めれないんじゃない」


 噛みしめるように、さくらは自問自答した。


「わたし、好きなんだ」

「好き?」

「好きだから、諦められないんです」


 さくらは憑き物が落ちたように、軽い足取りでステージに向かう。まるでスキップするように。

 ギラギラとアスファルトが光るステージは、地面から五十センチ程度の高さだ。ステージを見上げた湊音に、さくらは演説でもするように宣言した。


「わたし、歌うのが大好きなんです。歌でだれかを笑顔にしたいんです。あの人も同じ気持ちだって思ったんです。きっとあの人と話せば、これからどうしたらいいかわかる気がするんです」


 さくらの表情は真剣そのものだった。『歌が好き』という気持ちに偽りはない。歌唱音源を聞いた時からわかっていた。

 言動は理解できないほどぶっ飛んでいるが、全ての中心に『歌が好き』という気持ちがある。


「芸の道を究めるなら、どんなことでも糧になる……か」


 ずいぶん昔、友人に言われた言葉を思い出す。


「湊音さんなんか言いましたか?」

「俺も心当たりをあたってみる」


 湊音なりの罪滅ぼしのつもりだった。


「本当ですか!?」

「だから、大学にはちゃんと行くんだ」

「はいっ!!」


 返事だけは一丁前だ。さくらはステージ上で跳ね回る。

 ここに来た時より、幾分か湊音の気持ちは晴れやかだった。


 ふと視線を感じ振り向くと、ひそひそと内緒話をする通行人が見えた。痛いものを見る目を、湊音たちに向けている。会話は聞こえないが、肯定的な内容でないことは確かだ。


 元気にステージを駆け回るさくらを、湊音は慌てた口調で止める。


「とりあえず昼飯に行かないか。うまいラーメン屋を知ってるんだ」


 気取った言葉が浮かべばいいのに、口をついたのは下手なナンパの常套句だった。

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